ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

講演会『指揮者・西野淳が語る楽しいミュージカル!』メモ1

朝日カルチャーセンターの「指揮者・西野淳が語る楽しいミュージカル!」の講演会に行って参りました。
とてもおもしろかったです。勉強になりました。
以下、講演会の感想というよりは内容振り返りメモです。

●本格的なミュージカルに出会うきっかけ
生まれも育ちも名古屋。大学を卒業するまでミュージカルには興味が無かった。
大学在学中にテレビかなにかで「ロックオペラオペラ座の怪人』ロンドンで開幕!」というニュースを聞いたときも、クラッシックやオペラの勉強をしている人間としては「オペラとロックを一緒にしてくれるでない。なんてことをしてくれたんだ、アンドリュー!」と思っていたくらいだった。
その自分がまさか10年後劇団四季で『オペラ座の怪人』の指揮をすることになるとは……笑。
竹本泰蔵さんにずっと「弟子にしてください!」と言っていたのに、「友達でいいしゃーん、仲良くしていこう。わからないことは教えるよー」とゆるい感じで、弟子にはしてもらえず、しかしいろいろなことを教わった。
大学を卒業したら、クラッシックやオペラの指揮の勉強をするために、神奈川へ。
そこで竹本さんに「宮本亜門と一緒にミュージカルやるけけれども、一緒にやらない?」と誘われた。
心の中では「クラッシックやオペラの勉強をするために関東に行くのに、ミュージカル?」とも思ったけれども、足を向けてはねれない恩人からのお誘いなので、話を聞くことに。
そのときの作品が大地真央主演の『サウンド・オブ・ミュージック』であり、出演者として竹本さんの口から出てきた五人目の「酒井法子」という言葉を聞いて、心の中ではめちゃめちゃやる気になったとか。
当時のトップアイドルですな、のりピー。そんなわけでミーハー発揮して、たったそれだけのことで受諾。
のりピーがいなかったらミュージカル指揮者になっていなかったかもしれない、というほど。

サウンド・オブ・ミュージック』といえば「エーデルワイス」や「ドレミの歌」なんかが有名。
オペラの曲と比べるとそれらの曲は音が少なくて単純で誰でも覚えやすくてキャッチーでわかりやすい曲。
オペラの指揮がふれるなら、ミュージカルの指揮もふれるだろうと思っていた。
だから、指揮をするのは楽勝だろうって思っていたところがある。
けれども、自分が思っていたのと全然実際は違った。
このあたりはおそらくクラッシックとジャズの表拍と裏拍の違いもあるのでしょうね。
宝塚だと「ラテン(表)→ジャズ(裏)→タンゴ(表)」みたいな曲の並びはレビューやショーのときにしょっちゅうあるのですが、この切り替えがミュージカルでも求められるので、結構難しいのだと思われます。

そもそも違いオペラとミュージカルの違いはなんだろう。
役者がいて、音楽があって、小道具があって、ダンスがあって、観客がいて、というところは同じ。
こうしてみるとほとんど同じ。
『スイニートッド』という作品はいまだにオペラかミュージカルかという論争が繰り広げられている。
しかし音楽で分類しようとするのは難しい。
あえていうなら、ミュージカルは演劇のカテゴリでオペラは音楽のカテゴリなのではないか、と。
例えば「トニー賞」は演劇の賞であるから、オペラの作品がノミネートされたことはない。
もう一つ理由を挙げるとスタッフの序列が違うことが挙げられる。
ミュージカルは「演出家」「指揮者」の順番で、オペラは「指揮者」「演出家」の順番である。
オペラになくてミュージカルにあるものとしてはBGM。
ボールを投げる音の「ヒュー」とかボールをキャッチするときの「ポン」とかいう音はオペラにはない。

ミュージカルの場合、稽古中に音を合わせる。
何小節目にはどんな台詞か?というようなことを2小節とか4小節とか毎、楽譜をメモしていく。
本番では楽譜に書いてあるキーワードよりも早いな、と思ったらテンポを速めるし、遅いなと思ったら遅くするということをする。
役者の芝居に合わせて指揮をふるのが仕事である。
けれども、事はそう簡単なことではない。
例えば「お前○やめろよ、それは!」の○のための部分が日によって異なる。
さらにその後の台詞の後の台詞でまかれるときもある。
ある一つの台詞だけでは指揮のスピードを決めることはできない。
その日の芝居が始まってからの芝居の流れであればこうなるだろう、冒頭の感じからするとこうなるのかな、ここまでの雰囲気だとこういう流れになるかな、といろいろ考えてやっているけれども、正直なところメカニズムはない。
そういう流れを汲み取る能力をもっていないといけない。ざくっといえば「山勘」。
東京芸術大学の人がミュージカルの指揮をふりにきて、一回クビになって戻ってくるということはよくある。
だからちょっとばりかり特殊な才能が必要なのかもしれない。
そういう才能が自分にあったことに感謝している。

●『サウンド・オブ・ミュージック』について
これがミュージカルの指揮者として初の仕事。
座長である大事真央さんに78回公演中77回楽屋に呼び出しされた。
そこで「今日のあのナンバーは遅かった」とか「あのナンバーはもう少しまきで」とか「ちょっと速いのよね」とか、とにかくいろいろ言われて、こちらとしても初の仕事だから、こちらも謝りまくって。
毎回呼び出しされると、さすがに「えーまたー」という気持ちにはなるけれども、言われたことは全部聞いてきたつもり。
千秋楽だけ呼び出しされなかった。毎日ではなく毎公演。2回公演の日は2回呼び出された。

さて3年後、再演があり、初演のときのビデオを見直したところ、「これ、呼び出されても仕方がない」と思った。
初日あけて10日くらいのビデオだと思われる。
つつがなく、ちゃんとやっているように見えるけれども、確かに呼び出されるレベルだと感じた。
けれども、そのビデオをそういう風に反省して見ることができたのは77回呼び出しをされたからである。
再演は名古屋公演の3日目くらいに1回ダメだしの呼び出されたけれども、その後大阪公演の千秋楽まで呼び出しはなかった。
そのときに本当の意味で感謝した。
普通40回くらい呼び出ししたら諦めそうなものなのに、座長としての意気込みもあったのだろうと思われる。
77回の叱咤激励に感謝である。

再演の大阪公演のとき、一回すごい頭が痛くなった日があった。まだ30歳前だったから気合いで無理して指揮をふった。
そのとき、オケのメンバーは誰も気がつかなかった。
けれども1回目の公演が終わったあと、楽屋に真央さんからスポーツドリンクがおいてあった。
楽屋にお礼にいったところ「上から見ていてちょっと体調悪そうだったから」という。
もうそのときから大ファンになってしまった。
今でも会うと緊張する。10何年ぶりかにたまたま宝塚の舞台のが区や裏ですれ違ったときに知らないうちに「きをつけ」の姿勢をしていた。
真央さんは「良かったわよ~」と一言。そこでダメだしされたらどうしようと思ったけれども、そんなことはなかった。

劇団四季美女と野獣
サウンド・オブ・ミュージック』を通じて知り合った人が、塩田明弘さんにつないでくれたらしく、劇団四季の『美女と野獣』の四季をすることになった。
稽古中からいろいろなことを教えてもらって、足を向けて寝られない恩人二人目となる。
ここで今井清隆さん、石丸幹二さんらと始めて仕事をすることになる。
指揮者にとってロングランというのはしんどい。
美女と野獣』も3人くらいで回してした。一人抜けては一人入って……そういうことを繰り返していた。
その中で当時一番年下で、他の仕事がなかったため、一番時間のある自分が2年半の中でもっとも『美女と野獣』の指揮をふった。
おそらく300回とか400回とか。おそらくこの作品で指揮をした数は空前絶後のものになるだろう。

塩田先生からは「毎回新鮮な気持ちで指揮をしなければならない」と教えてもらったが、これがなかなか難しい。
スランプに陥ることもあるし、思うようにオケが動かないこともあるし、自分がうまくふれないときもある。
けれども、自分にとってこれが千秋楽だ!という日になったとき、この演目の指揮をもうしないかもしれない、と思ったら開始からうるうるしてしまった。
これが新鮮という本当の意味なんだなと感じた。
今までもいい加減な気持ちでふっていたわけではないけれども、いかに義務感から「新鮮」をつくっていたのかと思った。
実際は毎回「新鮮な気持ち」になるのは無理ではあるけれども、「新鮮な気持ち」の間違った作り方はわかった。
だから今は違うアプローチをしている。

劇団四季オペラ座の怪人
そして『オペラ座の怪人』の指揮をふることになる。
ここでお世話になったのが上垣聡さん。ここでもいろいろ教えてもらい、恩人三人目。
塩田さんと上垣さんは指揮者の中で東西の両横綱というイメージ。
この人達に追いつけ追い越せで若手の指揮者たちは頑張っているが、なかなか追いつけない……。

オペラ座の怪人』は1年半~2年くらい指揮をふった。
そこでは自分よりも年下の指揮者がいて、お正月は久しぶりに10日も休みがもらえた!のだが。
音楽チーフからお正月に電話があって「東京で指揮ふって」となる。
なぜそんなことが起きたのかといえば、ダブルキャスト、トリプルキャストが当たり前の四季では、新しいキャストが本番を迎えるときに本番前に打ち合わせをするのだが、今回の沢木順さんは一癖も二癖もある。
ものすごく歌をゆらす人で、感情の赴くまま歌う。
若手の指揮者では難しいよ~ということで自分がふることになり、東京に行く。
沢木さんとの打ち合わせは思いのほかスムーズに進んで、これならいけるなと思ったけれども、楽屋に戻ったときオケの人たちが寄ってきて口をそろえて「気をつけた方がいいよ~!打ち合わせと違うことをやるよ~」と言われる。
え~!と思っていて、打ち合わせと違うことをされたらどうしよう、と1幕はめちゃめちゃ集中してやったらどっと疲れた。
けれども2幕では、怪人が顔を黒いマントで隠しながら歌い始める場面がある。ここが肝。
そういうときは動きをつけて音と合わせることが多く、打ち合わせでも確認したけれども、打ち合わせ通りやらない人と聞いているので、その場面が近づいてくると緊張する。
こればかりは指揮者だけではどうしようもない。
そして2幕の例の場面で沢木さんがフリーズした。これでもう合図はないな、と思った。
ずれてもいいや、とええいや!と指揮をふったら偶然ピタリと合った。あのときは良かったー!と心底思った。
それから沢木さんが主演のときはすごく集中して四季をふったけれども、これがまたどっと疲れる。
けれども音楽チーフもオケのみんなも「打ち合わせと違うことをやる人」というので、おそらく指揮者が何を言っても無駄なのだろうと思った。

しかしこれが最後の方では快感になってくる。
ここで芝居の勉強をとてもさせてもらった。演者を見るということについて鍛えられた。
今日はこのテンションで楽屋入りしたから芝居ではこうなるだろう、とかここはちょっと速くなるだろうとか、舞台にたっていないときも、ものすごく観察した。そういうのが勉強になった。

この後四季では指揮をすることがあまりなくなる。
というのもこの後控えている『ライオンキング』の塩田さんにも誘われたのだが、自分が『ライオンキング』に入ると、『オペラ座の怪人』を仕切る人がいなくなってしまう、ということで残念ながら見送ることに。

東宝エリザベート
ウィーンミュージカル、日本では宝塚が初演の『エリザベート』。
ここではタイトルロールのエリザベートを宝塚初演でトートを演じた一路真輝さんが演じた。
トートを演じた山口祐一郎さんとはここで始めて出会った。
祐一郎さんはとてもいい人で、祐一郎さんがメインキャストで演じている芝居を最多で指揮をふっている。
とにかく優しい人で、稽古後、汗をかいて着替えのアンダーシャツを忘れたときに、なぜか祐一郎さんがTシャツをくれた。
祐一郎さんは190センチ、自分は164センチ、サイズが合うはずがないのに、なぜか祐一郎さんはMサイズをくれた。
風邪をひくといけないから、といって。
「クリーニングしてお返しします!」といっても「いいよ、いいよ、あげるよー!」と。
また、風邪をひいたときに成城石井の蜂蜜生姜を冷蔵庫から出してくれたり、息子を連れて行ったら山ほどお菓子をくれる。
これは自分にだけではなくて、誰に対してもそうで、スタッフに対しても大変な気配りをしている。
そんなやさしい人が歌えばすごい! 踊っている姿は……あんまりみたことないけれども、演技ももちろんすごい。

ただちょっと困ったこともある。たまに歌詞を忘れてしまうことが。
エリザベート』でトートのソロ曲「愛と死のロンド」で、最初の歌い出しはよかったけれども、なんだか途中から知らない歌詞になっていき、最後はよく知った歌詞に戻っていくということがあった。
「奪いさるー♪」か「消えさるー♪」かは忘れてしまったけれども、歌詞を作ってしまった。
それを袖で聞いていた一路さんが「私は『さる』じゃないわよ」とおっしゃったとかなんとか。
祐一郎さんは歌詞を忘れても絶対に歌うことをやめない。そこから「作曲大王」みたいなあだなもついた。
ちなみにこの公演は昭和40年生まれの世代が多く、楽屋や稽古中もとても盛り上がった。


とりあえず長くなったので、これでいったん終わり!
ここからは『モーツァルト!』、シアタークリエで初のミュージカル、『三銃士』、宝塚の和物の話になります。