ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、古典文学など好きなものについて語るところ。

月組『ダル・レークの恋』感想2

月組公演

kageki.hankyu.co.jp

グランド・ミュージカル 『ダル・レークの恋』
作/菊田一夫
監修/酒井澄夫
潤色・演出/谷貴矢

東京のライブ配信の感想はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

改めて自分の記事を読んでみても、とにかく絶賛の作品でございます。

今回は梅田の役替わりの感想が中心になります。
まずはペペル。
東京では暁千星、梅田では風間柚乃でした。
ありペペルは父がフランス人、母がインド人という混血であるが故に周囲からの目もあり、結果的にグレて飛行に走ったのに対して、ゆのペペルはなんかもう根っからの悪人で、自分から進んで楽しそう!という簡単な気持ちで悪の道に向かっていったという感じがします。
クリスナのときも感じたのですが、ゆのの演技の根っこがカラッと乾いていて、明るい感じがするからでしょう。
ゆのぺペルはパリで偶然リタに会い、復讐を思いつくけれども、ありぺペルは執念深くその後もからんマハ・ラジアのことを調べ続けて、念願の日が7年目に来た!という感じ。
なんせ、ゆのが本当にカラッと明るい太陽のような悪人のように見えるもので……笑。
ありぺペルは白いスーツが、ゆのぺペルは黒いスーツがお似合いでした。
舞台写真がないのがファンにとっては辛いですね……。

混血であることは今以上に差別の目を容赦なく投げかけられる時代、ぺペルはそもそも父親に認知されたのでしょうかね。
フランスにいたのだから、インド人の母と暮らすためのお金はもらっていたのでしょうけれども。
「王家の有り余る財産」をもっていない人間にもっている人間の気持ちなんて、まあわからないですよね。
だからこそ、もっている人間がもっていない人間を労る必要があるのかなあ。

役替わりとは関係ないですが、リタの肩に回したゆのぺペルの腕を、後ろからそーっとやす(佳城葵)ポトラジが離そうとするところ、おもしろかったなあ。
これってライブ配信の日にもやっていたのかしら。あんまり覚えがないのだけれども。
やすが出ていると場全体が安定して、見ているこちらも安心できる。貴重な人材。
一方で、こういうコミカルな芝居だって安心と信頼の人だから芸達者だよなあ。あっぱれである!

お次はクリスナ。
こちらは東京では風間柚乃、梅田では夢奈瑠音。
クリスナは「領民にそれほど重い税はかけない」一方で、「領民のためを思って政治をしている自覚がそれほどない」と僧侶に言われます。
ゆのクリスナが領民にそれほど重い税をかけないのは、打算があるからで、僧侶たちに領民のための政治をしているように見せないことも計算のうちでしょう。
その方が政治がやりやすいから。
一方でるねクリスナは優しい心根から領民に税をかけないように見えます。
だから天災やら何やらで困ったことがあれば、ゆのクリスナは税を増やすだろう。
けれどもるねクリスナはその手段をなるべく使わないように、他の手段でお金をかき集めようとするのではないかなあ。

座付きの演出家がいる宝塚では、当て書きオリジナル作品が求められるのは当然のことであって、その中で役替わりって難しいなと思うのですが、やっぱりキャストが変われば、物語の見え方が変わるものだから、どちらも後世に残したいという気持ちはある。
もっとも今回はありちゃんが美園さくらのディナーショーに出るから、という理由だったので仕方がないのかなとも思いますが、それにしたって9役も役替わりがあるのにBパターンは全編円盤化しない星組『ロミジュリ』にはやはり疑問しかない……人類の損失……。

ライブ中継で相当作品にとりつかれたので、まりこ(浅路さき)時代のプログラムやあさこ(瀬名じゅん)時代のプログラムを集め、あさこ版にいたってはDVDも購入したのですが、さすがにまりこ版のビデオは再生できるデッキがなく、春日野先生時代のプログラムは見つからず……。
まりこ版のプログラムは脚本付きですので、穴が開くほど読んでから梅田に参戦。
細かい変更はたくさんありますが、おおむね筋は変わらないですし、なんといっても「花の小舟」の曲が好きすぎて……。
本当に美しい日本語、ゆったりとしたメロディー、世界観がつまったこの曲がプロローグで流れたとき、まさかの泣いた。
まだ物語も始まっていないのに泣いた。
作品の中で出てくる場面も印象深い曲ですよね。
何よりラッチマンとカマラの二人が幸せそうに踊っているのがもう耐えられない。
作中で二人が幸せな時間ってそんなにないじゃないですか。だから余計に……。
しかしよく考えてみれば、2回目の『霧深きエルベのほとり』のときもプロローグから泣いていましたわ。
菊田先生はすごいなあ。
初演の座談会とか、どこかに残っていないかなあ。菊田先生自身の言葉を聞いてみたい。

カマラは自身も「クマール一族」という王族の一員でありながら、デリーの大公に宮仕えをする身であるのが、ずっと引っかかっていて。
お姫様だけれども、仕えられる側ではなくて、仕える側なんですよね。
クマール・チャンドラがインドの王族の中でどれくらいのランクにあるのかはよくわからないのですが、実はランク云々の問題の他にもカマラには父親がいないことも関係しているのかもしれません。
平安時代後宮でいうと身分は高いお姫様なんだけど、後見人である父親がいない、みたいな。桐壺更衣だな。
母親については言及されていませんが、だからこそ余計にカマラは自立することが求められているように見えました。
近いうちに女官長になる、ということは現在のところ女官の一人であり、王族の人間でありながら、王族とは違うやり方で自立する方法として宮仕えがあるのかもしれません。

こうなってくるとアルマは父母が健在で、両親の言われたとおりクリスナと結婚したのだろうな、と思わずにはいられません。
階級制度にもあんまり疑問なく生きてきた感じがします。
アルマの演じ方って本当に難しいと思うのです。
一歩間違えるとかなり嫌味なキャラクターになってしまい、作品の中でぺぺルとは違う意味で悪を引き受けることになってしまうけれども、そうなっていない。
あー今でもいるいる、こういう人。どうしようもないほどのおしゃべりで、救いようのないほどのミーハーな女の人って。
それを愛嬌をもって演じているなっこちゃん(夏月都)はすごいな。
『ピガール狂騒曲』ではコミカルな演技を、今回はリアルな女性を、それぞれ演じ分けられるのだから。芸達者。

アルマに比べると、インディラ大后の方が影があるかなと思わせます。
もしかしたらインディラ大后には階級制度に対する疑問があるのかもしれない、と。
あるいはそれは単なる経験によって影があるように見えるだけなのかもしれないですが。
1幕でインディラ大后は「若い男と女は鉄と磁石のようなもの。鉄と磁石が惹かれ合うことのどこに自分の責任があるのか」とアルマに言います。
けれども2幕ではカマラに「王族の誇りを忘れてはいけない。あなたはお姫様なんだから偉いんだと教え続けたのはこの私です。ラッチマンがあなたのもとから去るようなことがあれば、それは私にも責任があるかもしれない」というようなことを言います。
たとえ自分に身分違いの恋の経験がなかったとしても、経験が彼女にそう言わせるのでしょう。
ノーブレスオブルージュをインディラ大后はわかっている。
アルマからは天地がひっくり返っても聞かれない言葉でしょう。
インディラ大后の方がカマラのことをわかっている。

水の青年という配役は今までもあったのですが、こありちゃん(菜々野あり)が演じた水の少女は、今回からのオリジナルキャラクターで、谷先生の愛情が感じられる。
水の青年にラッチマンを、水の少女にカマラを重ね合わせることで、二人のつながりが強まる。
パリでのカマラに希望がもてる。
もしかしたらカマラはラッチマンにもう一度会えるかもしれないと、観客にとっては嬉しい。
あさこ版との変更点を確認すると、谷先生が今回ラッチマンとカマラの愛憎に焦点をしぼっているように見えます。
いつか論じてみたいものです。

最後のパリは一体何年ぐらい後の設定なのでしょうか。
まりこ版もあさこ版も「何年かあと」という設定が明示されていますが、今回はあの夏のすぐ後の冬なのか、それとも女官長としての地位を不動のものにした数年後なのか。
わざわざ明示しなかったのは、前者の解釈をアリにしたいからなのかもしれません。
そうするとあさこラッチマンの別れ際のセリフ「愛するあなたが人間にとって何が一番大切であるか、わかってくださったなら(それでいい)」がなくなった理由も説明がつくかもしれません。
れいこラッチマンはそれほど大人ではないようにも見えます。

前回のブログで、ラッチマンは「水の女」の属性だなと思ったのですが、そのパリで、カマラは侍女に「ラッチマン・カプールという人間はいなかったのかもしれません」と言われるあたり、なるほどやはり「水の女」だな、と。
菊田先生は『エルベ』を書いて、ドイツにも造形が深そうなので、セイレーンに由来する「水の女」の系譜になんとなく気がついていたのかもしれません。
ラッチマンに出会うことで、カマラは自我に目覚める。目覚めたカマラは前と同じようには生きられない。
寝た子が起きたら、もう二度と寝られない。
2幕の「小雨のパリ」も谷先生のオリジナルですが、「雨」というのがまた「水の女」なんですよね。この変更、私はとても好きで。
あさこ版では白いお衣装のみりお(明日海りお)やゆりちゃん(紫門ゆりや)のレビューが見られるので、それはそれで貴重なのですが、物語の全体としては「小雨のパリ」とても良かった。
谷先生も「水の女」を意識せずとも、水の少女を作っているし、少なくとも「水」は意識しているな、という感じが強くあります。

古き良き宝塚のオリジナル作品を再演するときも、そのときのメンバーに合わせて、新しい演出家の先生の解釈に合わせて、新しい作品が生まれる。
おもしろいシステムですよね、本当に。
また、素敵な作品に会えますように。
そして、本作品は本日が千秋楽。梅田版はスカイ・ステージでは放映してくださるでしょうか。
生憎の雨ですが、終演後はあがっているといいですね。