ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、古典文学など好きなものについて語るところ。

月組『桜嵐記』感想

月組公演

kageki.hankyu.co.jp


ロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』
作・演出/上田久美子

あほみたいに長くなったので、とりあえず芝居の感想のみ。

まさか、お百合さんがあんなことになるなんて……という感想に尽きるのですが、いかがでしょうか。
歴史ものである以上、楠木三兄弟の運命は決まっているし、わかっている。うえくみ先生は時折歴史改変をするけれども、このあたりの改変をするとは思えない。けれどもオリジナルキャラクターである百合はそうではない。
登場回数としては、正時が帰還するときと正時に離縁されるときの2回しかない。けれども、圧倒的な存在感を残した。すばらしい。
最初の「阿倍野の合戦、勝ったと聞きますが、帰ってきませんね」からの正時帰還までの流れは、楠木の郎党の子供たち(ここのそらちゃん可愛い)ではないですが、アー!となってしまいましたね。甘すぎるで。糖分高めや。
百合が郎党の子供たちに優しいのは、いつか正時と自分の子供もここに混じるだろうと思っているからなんだよな……と思うと、それだけでギュッとなる。つらい。
「何があっても生きてください」という百合の言葉に正時は答えない。答えられない。敵兵を追いかけるよりも猪を追いかける方が自分には向いていると思っていても、自分が敵兵を殺さなくても、敵兵は自分を殺しにかかってくる。戦場に出たら何が起こるかはわからない。

二度目に出てきた時はすでに父親が南朝を裏切って北朝についたあと。
尊氏や師直が訪ねてきて、師直が百合のことを大変下衆な目で見ている。本当、もうなんていう師直。
脚本には「嗚咽」と何度か書いてありますが、百合にとってはあまりにあまりな現実。
父親とベタ惚れした相手とが敵対する現実。
南朝を裏切って、裏切り者と罵られても、2人で一緒なら生きていける。そう思っているし、できるならそうしたい。
けれども正時は兄につく決断をする。
そして百合を助けるためと思って離縁して、北朝に送り届けさせる。
観客は誰もが正時が百合のために百合を北朝に送ることをわかっている。
おそらく大田父もわかっている。
北朝に百合がやってきて、それに気が付かなかったのは弟だろう。
弟が最期に正時に斬られるとき「本当は姉上のためだったんだろう?!」と言うのは、最初は蛇足だと思ったものの、弟自身があの場面でようやく気が付いたと考えれば納得がいくし、しかし実際には百合を助けることができなかった事実をつきつけられた正時は、そんなことを言われても、弟に刃を振り下ろすしかない。守れなかったやりきれなさがしんどい。

その直前の義父との対峙が何より涙なしでは見られない。
師直と師泰が乗っていたセリから大田父子が登場。
そもそもそのセリで、ついさっきまで正行と弁内侍が小宵一夜と寄り添っていたんですけどねえ!と怒りさえ湧いてくるのですが、それはさておき。
大田から「婿殿」と言う。だから大田父は、正時が百合に愛想を尽かしたわけではないことをわかっていることになる。
そして弟の口から百合が自害したことを知る。
一瞬の隙をつかれて、正時は腕を斬られる。
大田は阿倍野の合戦のときに言っていたように、男の花であるはずの戦場で敵兵を追わず、猪を追って料理なんかをしている正時を見て、自分は婿選びを間違えたと言う。
けれども四條畷の合戦では、実は正時は武士としてもやり手であり、刀の腕前も確かであることが、よりによもって自分が討たれることで証明されてしまう。
ずっと婿として情けないと思っていたのに、自分の婿選びが実は間違っていなかったことが、敵兵となってようやくわかった。
これが辛い。これに私は泣かずにはいられない。大田父は百合が自害した時点で、正時に殺されるつもりだったのだろう。その覚悟で四條畷に来たのだろう。うう……。
正時の気持ちもそうだけど、大田父の気持ちを思うとやり切れない。
大田は百合について「もののふの娘として天晴れ」という。でもそんな形で天晴れでも全然嬉しくないんですけど〜?!と思うのと同じくらい、正時も天晴れで、そしてそんな形で天晴れでもこれまた全然嬉しくないというシナリオなんですよね。
ひどい脚本だ……(褒めてます)。
そういうわけで、いつもこのあと満を辞して登場する正行に対して満足いく拍手ができませんでした。申し訳ないです。
ここはもうずっとハンカチを握りしめているんですよ、私……。

正時と百合の話だけでどれだけするつもりか、と言われそうですが、延々とできるわ、このカップル……幸せになって欲しかったし、三途の川を一緒に渡って幸せになった妄想をいくらでもしたい。
そうでないとあんまりすぎてね。
うえくみ先生は愛し合ったもの同士の愛の証としての子供はあまり描きませんね。
トップコンビやセンターコンビの子供って、そういえばできたことないのでは?と思うほど。
そう考えると『ヴェネチアの紋章』のラストで明かされるアルヴィーゼとリディアの間に生まれた子供の存在を明かす設定はやはり蛇足だったと思わずにはいられない。

さて、物語は月組が誇る組長るうさん(光月るう)の語りから始まります。
最初は拍手の誘導があったらしいですが、私は見た頃にはそれはなくなっていました。
南北朝時代は宝塚にとってもあまり馴染みがないので、背景説明を入れることは劇団からの要望もあったのかもしれません。
たまきちのサヨナラ公演だから最初に拍手を入れるのが正行の場面がいい、という思いもあったのかもしれません。
いずれにせよ、拍手の誘導文句はなくて正解かと思いますが、拍手くらい好きなときにさせて欲しいという気持ちもあります。
ここに登場するまゆぽん(輝月ゆうま)正成がでかい。数で不利でも勝ったという説得力のあるフィジカルよ。すばらしい。
御門跡様が登場して、るうさんも役に入り込む。
口調が変わったからわかるけれども、それ以上に雰囲気が変わる。芸達者だなと思わずにはいられません。
この部分、ドキっとしたもんな……変に緊張したと言うか肌が粟立ったというか。
キャストを把握した上で公演を見ているので、御門跡が老年の弁内侍であること、そしてるうさんが老年の正儀であることがわかっていますが、これ、知らずに見たらおもしろかっただろうなという思いはあります。
『ロミジュリ』でも、薬売りが死だと最初にわかったあの瞬間って変え難いものがありますからね。
2人が銀橋を渡り、舞台でたまきちが真ん中から振り返ってライト、大拍手!というこの流れはたまんね〜!宝塚見てる!って気がしますね。たぎる。
主題歌の歌詞をよく見ると、花は咲くものの「春」を全く想定していない。
「冬に咲け」だし。春まで生きられないことをすでに暗示している。怖い。
このプロローグである日は泣けてしまった。これはご贔屓にはさぞしんどい公演でしょう。
そのあと、正儀、正時と名乗りをあげて戦場に出てくる華々しいプロローグ。すばらしい。
プロローグが全員大集合!キャラクター紹介!に留まらず、ちゃんと物語上の進行も見据えているのがよい。さすが。

場面は変わって師直の湯殿。これがまた人非人なんだな、師直よ。
見た目はどうみてもゆりちゃん(紫門ゆりや)ではないのに、声がゆりちゃんだから脳がバグを起こす。
何度見てもバグる。胸毛はえてそう。しかもがっつり。濃いやつ。タカラジェンヌなのに、ロイヤルなのに。
可愛い蘭世ちゃん(蘭世惠翔)の祝子が師直に夫の無実を訴えにやってくる。
そして裸になれという。正確に言うと「裸身を晒してみよ」なんだけど、言葉で意味するところが最初からしっかりわかった観客はどれほどいるか。
だあら、演劇のセリフとしては微妙なんだけど、しかし直裁的に言うのはあまりにもあまりな言葉であることも間違いなく、物語の流れできっちりそれがわかるように作ってあるのは、なるほどと感心……しましたが、師直、あんまりだよ、あんた。
しかも祝子が打掛を奪われて震えている横で、別の女を攫う算段が整ったと言う話をしている。鬼かよ。
もっとも師直としては、公家そのものにも恨みがあるのでしょう。そもそも好色であることを除いても、武家対公家の構造を最初に紹介されていますからね。
ここのさちか姉さん(白雪さち花)とアキちゃん(晴音アキ)ささすが〜!色っぽ〜い!遊女と紙一重やんけ。公家の娘よ、それでええんかい。
ようやく自分の話に戻った祝子は嬉しいんだか、嬉しくないんだか、もはやわかりませんが、夫のために自分から帯に手をかける。それを追う師直のいやらしいことよ。
いらやしすぎてドキドキしちゃうわ。
言葉を選ばずに言うなら、下半身がうずいた女性観客がいてもおかしくないと思っている。

いらやしい場面がようやく終わるとヒロイン弁内侍が登場。ちと声がキンキンするのが気になりましたが、そんなことよりもジンベエのからんちゃん(千海華蘭)がとてもよい。
人情味溢れる人足がとてもよいし、説得力がある。
やはり、北条高時あんぽんたんぶりを冒頭一瞬で観客に理解させた演技力はたまらんな。
助けられた弁内侍は、師直の寝首をかくところだったのに余計なことを、と言い、あくまで正行は頭を下げる形で応対する。
南朝は公家中心の世界ですからね。
ここで内侍が師直に恨みを持つのは設定として無理があるのではという人もいましたが、武家への恨みが積もり積もって報復のために武家に一泡吹かせることができるなら、相手は武士なら誰でもよくて、それが力ある武士ならなおよし、師直ならうってつけだと考えたのなら、私は納得がいくかなと。
もちろん弁内侍の母親を殺したのは師直であると言うフィクションを織り交ぜてもいいと思うし、後の「なぶり殺された」という表現から母親が犯されたあと殺されたことがうかがえるので、まあいかにも師直のやりそうなことではあると思うんですけどね(ちなみになぶり殺すの意味がわからない人のためか、その前に師直の場面で「おなぶりあそばすな」という言葉が2回も出てきます、ああ……)。
ただ、武家全体を憎んでいないと、最初に正行と対立する理由も薄くなるので、これはこれでいいのではないかと個人的には思っています。
そんなことよりも、戦になると女が必ず不幸な目に遭うということを『サパ』『fff』と3連続描いてくるとは恐ろしい。今回も「野盗に犯される」とか言うし……描き方によっては腹を立てかねないし、男性作家が書いたら……と思うと薄寒い気持ちになる。でも次は一回お休みしてもいいのよ、うえくみ。

そして正時の3分クッキング。
あまり描かれることはないのですが、これが戦場のリアルなんでしょうね。猪の丸焼き。
料理の惚れるの情けない!と大田父は言いますが、それこそが人間の、人間としての幸せなんだよ!と拳を握り締めました。特に2回目以降は……。
出汁を知らないお姫さんとしてこのあと弁内侍が出てきますが、牛の出汁でさえ臭いと思う私としては猪の出汁なんてとても臭いだろうなと思う次第です。
ちなつ(鳳月杏)の和のお化粧も美しいですよね点々たまんないわ。顔立ちとしても似合うのでしょうが、やっぱりうまいんだよなあ。美しい。

料理が板についてきたと皮肉を言われる弁内侍ですが、あれは案外本当に「板についてきた」のであって、最初の最初は包丁すら握れなかった説もあるのでは?と思ったのですが、のちに「料理以外はなんでもおできになる」という正行の台詞がありますので、なんだやはりただの料理下手か……と。
思えばさくら(美園さくら)はあんまり料理が得意そうな役ってないですね。トップお披露目のときの役くらいかな。

コミカルな場面を挟んだので、次は当然シリアスな場面がやってきます。
北朝の雑兵たちを助ける正行と正儀たち。
「なんや、兄貴に指図してんのか」と正儀は言うけれども、この時点で内侍がただの生白いお姫さんでないことの萌芽は示されている。
そして公家に仕えるのが南朝の武士のあり方だから、と正行は内侍の指示としてせっかく助けた雑兵たちを殺そうとする。しかし、最終的に助けるときも「弁内侍様が御慈悲をくださった」と内侍を立てる。すごい、骨の髄まで公家に仕えている感が出ている。
ここのジンベエもいいんですよね。早口なのに何を言っているのかもきちんとわかるのもさすがだわ。
ここで歌われる楠の歌もこのあと何度も出てくるし、象徴的なんですよね。
もともと敵兵の雑兵を助けたという話は正成にもある逸話で、食べ物を分け与えてくれる農民たちも正成にお世話になったという。
正成は登場していないけれども、その器の大きさがわかる。登場するたびに正行の大きさは説得力を持っているし、本当にもうまゆぽんよ……。
ジンベエが「旦那のために働きたいから武士になる」と言い、弁内侍の護衛の任を与えられ、それを正行が死んだ後も、内侍が出家した後も続ける。感無量だわ。泣ける。これが本当の忠義ってやつだよな……。
「お姫さんの護衛は俺が!」「お前がいる方が危ない」という正儀、正時のやりとりが最高に面白いし、そのあと台詞はないけれども2人のやり取りがまたよいですね。
ある日は、正儀があ!と正時の後ろを指差し、正時が振り向き、なんでもないよ〜!とかやっているし。
かわいなあ!本当にもう!!!
正儀は派手に戦場で活躍したいと思っている一方で、この場面では雑炊を雑兵たちに配るんですよね。
優しい……自分がやりたいことはあるけれども、それとは別に兄について行く、という強い意志を感じる。

ここから楠木の実家へ舞台がまわる。
ここでちと不満なのは久子が「楠木久子」って名乗るんですよね。
だって夫婦別姓が当然の時代じゃないですか。
源頼朝北条政子足利義政日野富子。その時代の間にあるのだからね。
いや、同族で結婚した可能性もありますけれどもね。
それにしても、「楠木正成が妻、久子!」とかでも良かったような気もするのですが、ダメですかね。細かいことで申し訳ありません。
なんせ戸籍名と職場名が違うものとしては、死活問題なもので……。
正行、正時、正儀の母については詳しいことはわかっていませんが、武家に嫁いだ女としての強さはあったのでしょうね。
大河ドラマ太平記』では、ヘタをすると楠木正成よりも肝が据わっておりました。ありゃたまげたものだった。
正時が一足早く帰還して兄弟の無事を告げて百合とのスーパーラブラブタイム。
ここが甘ければ甘いほど、後の展開で受ける打撃が強くなる。しんどい。

一方もう少しで吉野に到着する正行、正儀一行は最後の休憩をとる。
内侍は歩きすぎて足にマメができ、挙げ句の果てにつぶれて歩くのがしんどそう。
正儀は水を差し出して「どう?」とだいぶライトにチャラい感じで内侍に声をかける。もうこの時点では気になっているんだよなあ。
そしてその軽いノリが許せない弁内侍(笑)。無礼者!と罵りますが、復讐に燃えていたお堅い女性ですから、さもありなん。
「バシッ!」と内侍が正儀をたたく場面はSEが入りましたが、なくても愉快な場面だと伝わるだろうと思えるのは流石の月組
そのあと丁寧に正行が内侍の足を診るときに「無礼者」と言われないのが、正儀はは不服のようですが、下心の有無がわからない内侍ではないのです(笑)。
正行に水を催促される正儀の反応も楽しくて、ある日はすんなり渡したかと思えば、ある日はぎゅっと強く掴んで渡すものか!と態度で表してみたり。
それに伴い正行も、受け取った後にっこり笑うか、睨むかが変わってきて、楽しいなあ、と。
「兄貴、そういうのは2人だけのときに言った方がええで」の台詞の前ですから、どっちとも取れますよね。おもしろい。
こういう余白っていいですよね~見た後、あれやこれやと語り合える。演者もその日によってパターンを変えられる。楽しい。
ジンベエは正行が坂東武者口調で、正儀が河内弁であることに疑問をもつ。
「無理」という語は当時ないような気もしますが、内侍に頼まれて河内弁を口にする正行には微笑ましいものを感じるし、観客へのサービスの意味もあるのでしょう。
きっと兄二人が亡くなった後の正儀は、これまでとは人が変わったように働かざるを得なくなるでしょう。
当時、家督を継ぐというのはそういうことです。
その中で、河内弁ではなく坂東武者の口調でしゃべることが多くなっていくのかもしれません。
そういう正儀を、周りはどう見るのだろう。
けれども正行の「里を焼かず、民を死なせず、国を一つにする」ためには、そうするより他にないのかもしれません。
もっとも、単純にれいこ(月城かなと)の東訛も聞いてみたい、とかそういうそういうことでは……決してない……断じてない、たぶん。
脚本にはないけれども、ジンベエが正儀に「ほな、行きまひょか」と言いながら去って行くのもおもしろい。

そしてこういうほのぼのぼ場面の後には悪い奴がやってくる。BADDYではありません、師直です。
上手に師直、下手に尊氏。ホント、ジェンヌ人生何回目?という貫禄のおだちん(風間柚乃)。八幡太郎義家公の血を継ぐ源氏の頭領。風格が違う。
連れている花一揆の華々しいことよ。こありちゃん(菜々野あり)が可愛い。ひたすらにかわいい。
私は尊氏が男色家で、一晩共に過ごした美青年たちを自分の護衛隊にしているというのを知っていて観劇しましたが、友人はそんなこととは露知らず、けれども「あれって、そういうことだよね?」となんとなく察すことができたようで。
一揆は楠木の家を尋ねるときと2回しか出てこないのに、それがちゃんとわかるような演出にしてあるのは、さすが……なくても話は進むだろうに。
それにしても、織田信長よりも前にそういう親衛隊を作っていたのは気持ち悪いですね(にっこり)。
もっとも今回は女好きの師直との対比も鮮やかだったと思います。
「女性の脂は腹の毒ぞ」という台詞が、よくもまあスミレコードを通過したと思います。
そもそも足利家はバンコラン家とならぶホモの家系だと思っているからな、私。

吉野行宮ではまさかのさちか姉さんとアキちゃんの公家装束を見ることができて眼福。
ここの、後醍醐天皇登場からの幻想場面が大好きなんですよ。
日野俊基北畠顕家楠木正成と次々と死んでいく場面。
そして超有名な「骨は南の苔に埋まっているけれども、魂はいつだって北を目指しているんだからな!」という後醍醐天皇の恨み言。
はあああああああ。なんという演出。血の猿楽舞が最高。おぞましいというか、おどろおどろしいというか。
音楽もあいまって、怖いんだ、演出が。
戦うのは嫌だけど、南朝のために亡くなった多くの人のために、戦いをやめるわけにはいかない、和睦などは考えられないという後村上天皇。父の期待はかくも重い。あと母の思いも。
阿野廉子もたんちゃん(楓ゆき)もいいんだよね~これまた。国母としてのプライド、後醍醐天皇とともにここまで落ち延びてきたという過去が彼女を強くさせる。だから和議など認められない。
北畠親房のやす(佳城葵)もいいんだよ。息子である顕家が亡くなって、もう北朝との和議なんて認められない、南朝の亡霊のようになってしまったあの姿がなんともいえない。
そう、この時点ですでに南朝は亡霊の塊であって、未来なんて見えていなくて、そりゃ圧倒的な武力の差以前の問題だろう、という気がするんですよね。
公家一統の世の中を目指すとはいえ、武士がこれほど力を持ってしまった時代に、村上・醍醐天皇平安時代のような統治はまるで望めない。それが南朝の人間には見えていないんですよね、かわいそうなことに。正行が見つけた戦う理由である「大きな流れ」が南朝にいるえらい人たちにはまるで見えていないし、見ようともしない。北朝の人間のほうがまだ見えているようにも見える。だから南朝は滅びざるを得ない。
皮肉ですよね。その流れがはっきりと見えた人間は南朝側にいるというのに。

でも、そこに生きる人にだって幸せになる権利はあるわけで。だから顕子は苦労の多かった内侍の幸せを願うわけですよ。
後村上天皇も正行に結婚をすすめるわけですよ。
ここの内侍の「はっ」という返事もかわいいですよね。料理以外は何でもでききると言わしめた内侍とはまた違う内侍なんですよ。
正儀の言葉を借りるなら「色の白いお姫さん」なわけですね。あの内侍でさえも緊張することがあるのか、と。すごい。
ここで正行はつれなく節もメロディーもつけずに和歌を詠んで、申し出を辞退する。
せっかくの和歌なんだから、せめて節つけてやれよ……と思ったけれども、むくつけきもののふだからね、無理だわ、と後から思い直しました。

ただ、猪を狩っておいしいものを食べるように、人間の幸せって本当はこういう些細なところにあるよね、決して戦場にはないねと強く思いました。
そのためには為政者にしっかりしてもらわなければならないんだよね、という怒りもあわせて。
大きな流れが見えていない為政者って、怖いし、それは今でも同じことなのかもしれません。
だから大きな流れのために戦うという正行の言葉が、本当にそれでいいの?と響いてしまう。
あなたのつむいだ先の世界は累進課税をゆるめ、消費税をあげ、貧富の格差を助長する政治家が跋扈していますけど???と思ってしまう。
正行が見た大きな流れは今でも続いていて、けれども決して正行が望んだ方向ではないだろうなと思ってしまうから。
もっとも、これも宝塚という100年以上の歴史の中にトップスターとして名前を刻んで退団するたまきち(珠城りょう)の背景を考えると納得いくところもあるんですけどね。
ところでここのぐるぐるの場面もすごいですよね。
八の字に回っている人もいれば、本当にただ円を描いているだけの人もいるようですか、2階席から見るとたまらないほど美しい。
集団行動と一言でいえばそれまでなんでしょうけれども、一人一人が歴史の歯車になっている様子がよくわかる。
「巨大な歴史の歯車の前には無にも等しい」という個人たちがあつまって歴史を紡いでいると感じられる。
当然ですが、誰一人ぶつかることなく、誰一人セリフに遅れをとることなく。

阿野廉子は言う。自分もかつては花を愛でていたけれども、後醍醐天皇がなくなってからは「春も色を失った」と。世の美しさは失われてしまった。
一方で弁内侍は一度は花など見向きもしない時期もあったけれども、「恋を知り、限りを知って、世の美しさを知った」と言い、さらには晩年の内侍は恋の相手を失った後も世の美しさを認められた。
桜が美しく咲いている様子を見て、出陣式を思い出す。このラストに出陣式をもってきたのが最高に天才だと思う演出です。
後述します。

武士なのに、和歌さえ節をつけて読まなかったのに、美しい狩衣姿で登場した正行は、弁内侍と今宵一夜と共に過ごす。
美しい。むくつけきもののふと自称しておきながら、こんなときばっかり狩衣姿なんて反則だ~!と思ったけれども、美しいからなんでもありです。
ひたすらに美しい。舞もすばらしい。圧倒的である。盆もよく回る。それもよい。うっとりする。
個人的にたまさくはあんまりささらないコンビなのですが、それでもあの平舞台になって猿楽たちが出てきた瞬間に泣いてしまった回があるくらいです。
ここのコンビのファンはこの場面、さぞお辛かろうに……。
うえくみ先生は大事な場面は平舞台にするのがマイブームなのでしょうか。『fff』のときもルイとナポレオンの場面が平舞台でしたしね。

しかしこんな甘く切なく美しい場面をぶち壊しにするのは、そう師直。必ずいい場面をつぶしてくるのが師直。そういう意味で作品のラスボス。
正行と弁内侍がいちゃついて降りていったセリで上ってくんなよ~!というツッコミは最初にもしたけれども、師直は正行と直接対決はしないんですよね。もう、なんてひどいシナリオだ(褒めています)。
正行たちが相手にするのは雑兵たち。圧倒的な数の違いのために、大将にまで行き着かない。
歴史の大きな流れが見えている正行は、それでも数の論理に負けてしまう。そもそも勝てる見込みなんて最初からなかった。
師直は高みの見物。物語としてはそれでいいのでしょうけれども、あんまりだ~!
正行と師直の直接対決とかあったら、逆に私はしらけていたと思います。
当時すでに戦の功績をバンバンあげて全国に名をとどろかせていた師直と南朝にボロ雑巾のように使い古されようとしている正行とで一騎打ちなんて、作品の進行上、ちょっと考えられない。
そのほうが華やかになる物語は確かにあるかもしれないけれども、少なくともこの作品はそれまでの流れから考えてそうはならないだろうことが読める作品だったし、そうなっていたらオイ……ってなっていた作品だとも思う。

三兄弟が戦っているときに下手で過去場面が入るのも最初に見たときは、ちょっと蛇足か?と思ったけれども、何度も見るうちにじわじわと来て、最終的には正成の台詞で泣いちゃったものなー。あ、ちづるちゃん(詩ちづる)可愛かったです。
そして宇宙人のまゆぽんに歌わせたのに、人間の役のまゆぽんを歌わせないわけがない!ここで楠木の歌を歌うまゆぽんの大きさよ!
万感の思いで、正時の刀を手に二刀流で戦う正行。この場面も最後は平舞台になり、しかも正行一人になるんですよね。
二刀流で戦う姿はさながらオスカル様のよう。
思えば、廉子が息子にひざまずいて「主上……っ!」という場面は、ルイ16世が処刑された後アントワネットが息子を前に「ルイ17世陛下……っ!」という場面と似ている。
『星逢一夜』でも、村を抜けて一緒に暮らすことを提案された泉が結局は村に残るのは子供たちの声を聞いたから。それは、さながらフェルゼンが迎えに来ても「子供達をおいて自分一人だけ逃げるわけにはいきません」と拒んだアントワネットのようだし。
うえくみ先生は最初に見た宝塚作品が『ベルばら』だったようですが、その影響か『ベルばら』が息づいているなと思う場面はいくつかありますね。
それもまた長く続いてきたからでしょうし、今後、うえくみ作品がそういう本歌取りの本歌になっていくのが楽しみです。

そして冒頭に戻る。回想話から40年後の場面。
兄の最期の言葉をようやく伝えることができたという正儀。やはり内侍のこと、好きだったんじゃないか~!と思わせてくれる。にやり。
れいことるうさんが地続きになっているのが演技でわかるのがすごい。ちゃんとれいこの正儀が年をとったらるうさんの正儀になるって思える。
そして年をとったジンベエも登場。自分の命の最期まで正行からもらった最初で最後の任務を全うしようとしている。泣ける。
副組長(夏月都)の内侍も「あの方が何のために生き、死んだのか、もう自らに問うことはいたしません」という潔さは、さくらの内侍と通ずるものがありますよね。いや、本当にすごいし、この場面で「そうだったのか!」と新鮮な感想をもつ人とぜひ一緒に観劇したい。

さて、ラスト。
これが反則なんだよ。天国エンドができない以上、どうやってカタをつけるのかな、と思っていたし、今宵一夜の場面のあと大きな音が鳴って一気に四條畷の合戦になって、おいー!出陣式はどこいったー!?と思ったいたので、ラストにこの場面になったときは、そうきたかー!!!と目玉が三つくらい落ちそうになった。二つしかないのに。
出陣式といっても、勝ち目のない戦いに出るわけで、気持ちとしてはそんなに華々しいはずがないのですが、とにかく画面が華やかであることに助けられるし、これぞ宝塚!って感じがするのがまたイイ!
その列に大田父子がいないことがまた私を泣かせる! 行宮に戦勝報告に行ったときにはいたのに! もうやってやんないよ>< これが現実かよ!
後村上天皇の「戻れよ」が蛇足だという人もいますし、私も最初はそう思ったのですが、今ではその場面でも号泣する始末です。
戻らないかもしれない人間に、負けるくらいなら戻ってくるなという人間に、それでも後村上天皇は「戻れよ」という。
それに対して正行は答えない。正時が百合に「必ず生きてください」と言われたとき同様に答えないし、答えられない。
その代わりに「咲け咲け咲け咲け~♪」と主題歌が入る。反則すぎるだろ。しかも歌詞の最後は「咲きて散れ~♪」だよ? あんまりじゃない??? 本当にひどいシナリオだよ……!(褒めてます)
よかった、本当によかった。ありがとう。うえくみ先生。

ところで今回の『ル・サンク』に掲載されているは、ものすごい量のルビでしたね……固有名詞もさることながら、そこにもルビがと思うところもあり、うえくみ先生の稽古に辞書が必要だという話に納得しました。
ありがとうございました。
ご縁があればまた東京で見たいけれども、どうかな。難しいかな。