ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

猫町倶楽部の読書会『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード』

猫町倶楽部の読書会に初めて参加してきました。
課題図書は『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード ジェンダーフェミニズム批判入門』(北村紗衣)(文藝春秋)です。『マリー・アントワネットの日記 Rose』『マリー・アントワネットの日記 Blue』『ベルサイユのゆり』の作者である吉川トリコさんが選書したというのがしびれる。大好きなんです、この作品たち。
ゲストとして北村先生自身も参加していらっしゃったのも感激でした。研究者でありながら、自分の好きなものに猪突猛進なところが素敵です。結局月組グレート・ギャツビー』は見られたのでしょうか。
初めてのオンライン読書会、これがまたとても楽しかったので記録を残します(読み直してみると敬体と常体が入り交じっていて読みにくい)。

最初に全体で進行や連絡、注意事項があり、その後6~7人程度の小グループに分かれました。
Zoomの機能を使ったもののようで、完全にランダムのグループ分けです。女ばかりになることもあるし、若者ばかりになることもある……そんな中、私は女性ばかりの7人グループに入りました。

●自己紹介のお題「初めて買ったCD」
最初にアイスブレイクとして、運営側が指定した「初めて買ったCDを暴露しながら自己紹介」といういきなり無茶なお題を振られて、「この読書会は一体どういうところなんだ」と興味深くなりました。
思えばファシリテーターの決め方も「猫町倶楽部の読書会に4回以上出席している」かつ「『スター・ウォーズ』をたくさん見ている人」という、わりと明後日な方向をむいた指定でした(褒めてます)。『スター・ウォーズ』は課題本でも触れられていましたし、北村先生はジェダイなので、もっとものようにも聞こえるのが、これまた奇妙奇天烈でした。
ちなみに『スター・ウォーズ』シリーズの7、8、9は『源氏物語』の宇治十帖だよね。おじいちゃんアナキンに憧れるカイロ・レンは匂宮だし(日本語吹き替えが津田健次郎って天才)、出生の秘密を持つヒロインのレイはそのまま薫の君だな、などと思っている。

グループの中には最後まで隠していたようですが、全作品を見ているという強者がいらっしゃり、ファシリテーターは難なく決まりました。スムーズな進行ありがとうございました。
初めて買ったCDを教えてもなかなかわからなかったり、「まだレコードがある時代で」とか「カセットテープでよく聞いていて」とか「まだ小さいサイズのCDでした」いう話にもなったりして、そういや私はMDに録音して聞くのが常な高校生時代だったな、などと古い記憶をよみがえらせました。
人によっては初対面の人にうっかり黒歴史をご開帳する羽目になるこのお題、ドキドキすぎる。
ちなみに私は、初めて自分で買ったCDはSPEEDのアルバムでしたね。島袋が好きでした。
親に買ってもらった最初のCDは、いわずもがな「ムーンライト伝説」です。この『セーラームーン』が好きだという話が、まさか伏線になろうとは、このときは夢にも思いませんでした。ええ。

7人中3人がわりと近くにいらっしゃるらしいということがわかったり(同じ都道府県内であるらしかった)、私を含めた3人が前日ないしは当日に宝塚を観劇していたり、親近感が湧くような情報が提示される一方で、カナダのバンクーバーから繋いでいますという方がいらっしゃって、時差を考えるとものすごい体力だわ!と感動もしました。
初読の感想をざっくばらんに話すときには『美女と野獣』になじめなかった自分の気持ちを言語化してもらえた、という人もいて、よしよし、ディズニー嫌いもいるではないかー!と嬉しくなりました。なかなかディズニー嫌いといっても共感してもらえない上に、私はなぜか「ディズニー好きそう」とまで言われてしまうのだ(なぜ)(なぜ・二度言う)。
あとは『高慢と偏見』が好きで、自分はリジーになりたいけど、シャーロットになるのだろうなということを噛みしめていたという人もいた。私もリジーになりたいわい!

課題図書129ページの「個人的なことで恐縮だが、私はこの本を読んで、女で良かった……と思った。というのも、私はこの本で指摘されている伝統的かつ有害な男性性をたっぷり備えている女性だからだ(中略)ケンカが大好きで、人と争うことが全く苦にならない」というところに、心をうたれた人もいた。わかる。だからあんなに白い鳥の中でも戦っているのね、と。
私がここを読んでそれほど驚かなかったのは著書の前作『お砂糖とスパイスと爆発的な何か 不真面目な批評家によるフェミニスト批判入門』の「心にひそむ闇のマギー」(23ページ)を読んでいたからでしょう。マギーとは英国史上初の女性首相となったマーガレット・サッチャー、別名を「鉄の女」という。私もここを読んで、「私の心にもいるわ、マギー」と思ったのをよく覚えている。

●砂埃の中、女が怒りを爆発させる
ファシリテーターの方が『マッドマックス 怒りのデス・ロード』がお好きということで、見たことある人と言われて、こっそり手を挙げたら、なんと私だけでした。え、あ、そうなの!? みんな見ようぜ、怒りのデス・ロード。ついでに見ようぜ、怒りのロケット!(宝塚月組『BADDY』)。
かといって、私の記憶は「よく踊るな」と「癒やす男の系譜」くらいしか残っていませんでした。それはどうなの。でも手を挙げてしまったから仕方あるまい。

ボリウッドは表現としてよく踊る。インドには多くの宗教があるので、ある宗教のおいてタブー視される語を使ってしまう危険性があるので、下手に言葉で表現できない。だから踊って喜怒哀楽といった感情を表現するのだ、という話を何かで読みました。何だったか覚えていなくて恐縮ですが。
一方で、韓国のアイドルはある歌の振付が、ある宗教ではタブーとされる動きだったという話もあります。
韓国は日本とは異なり国内市場が狭いので、デビュー当初から世界を目指しているという。だから東南アジアの言語の他にも英語をデビュー前から勉強させられるとか。
その後、その歌の振付は変更されたようで、今後はそういうことが起こらないように専門家に見てもらうことになったとかなんとか……だったような気がしますが、詳しくはあまり覚えていません、すいません。あんまり韓国は守備範囲ではないもので。
ただ、喜怒哀楽をダンスで表現する、といった手法はどこの国の身体表現でもよくあるもので(それこそ宝塚にもね。『ダル・レークの恋』なんてまさに男女の濃密な場面を踊っていますよ! みんな見て!)ものすごく特別ということはないのかもしれません。
でもやたらと踊るんだ。歌わないからミュージカルではないんだけど、踊るんだ。

もう一つの「癒やす男の系譜」というのが、はい、来ましたー! タキシード仮面ですねー。
課題図書134ページには「終盤でマックスは、自分の血を弱ったフュリオサに与えることで生き延びさせるという極めて思いやりに富んだ重要なケアを行う」とありますが、まあこれを読んだときも叫んだよね。「タキシード仮面さまー!」ってw
タキシード仮面こと地場衛は、原作ではヒーリング能力や予知能力といった「不思議な力の持ち主」として描かれる。これは、いわゆるゴレンジャーの中で長く女戦士が担わされてきた役割である。白魔術的な。
つまり、『セーラームーン』は「戦う女+癒やす男」という構図になっているのだ(そして近年ではプリキュアが戦うのも癒やすのも女という構図になっているように思える)(それはまた別の話)。
思えば「史上最弱の仮面ライダー」というキャッチコピーで登場した『電王』の野上良太郎も、こういう癒やす男という設定があれば、もっとおもしろかったのかもしれない、なんて思った。ただな、イマジンと一緒に戦うときは普通に強いからな、良太郎。

ただ地場衛のこの能力はあまり知っている人がいなくて、なぜならアニメではその設定が採用されなかったからである。
こういうオカルト能力をもった人間が正義の味方であることに世間が不信感を募らす時代であったからだ。1995年3月といったらわかるだろうか。わからない人は『輪るピングドラム』(幾原邦彦)を見ましょう。おすすめのアニメです。
当然原作よりもアニメの方が多くの人の目に触れる。アニメで人気をぐんぐん伸ばした作品でもある。だからアニメしか見ていなかったり、アニメから漫画に入って漫画の印象があまりない人には、あまりピンと来ない設定かもしれない。実際に同じグループにいた人の中にも「なかよし、読んでました!」という人もいたけれども、記憶が曖昧だったよう。そうですよね、完全版を何度も読み直している私は変態だから(真骨頂は百合界のカリスマたち)。
その代わりといっては何だが、アニメスタッフからは非常に愛されて可愛がられて、ちょっと変態的なセリフも言わされるようになるタキシード仮面、おちゃめで大好きです。
タキシード仮面登場の台詞集なんてものも、むかしニコニコ動画にMAD動画としてよくあがっていましたね。荒れ狂う弾幕が懐かしや……。

●副タイトルで損をしているのでは?
北村先生の本を積ん読には入れていたけれども、読むのはこれが初めてというカナダにいる女性は「副題でちょっといいかなて……とひいていたけれども、読んでみたら、とてもおもしろかった」と言う。
なるほど、ある世代においては「フェミニズム」という単語に拒否反応を示すものだというところだろうか。
なんでも「自分が学生時代にフェミニズムフェミニストが一つの大きな思想となっていたので、フェミニストを自称すると反対に格好悪い、流行り物が好きと思われた」という。なるほど、これは時代もあろう。そして常にアウトローを行こうとする人はどこにでもいる。
これは後に北村先生から明かされたことであるが、「ジェンダーフェミニズム批判入門」というのは編集者の意向らしい。「○○入門」と書いてある本は売れるとか(笑)。しかし実際は『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』や『批評の教室 チョウのように読みハチのように刺す』の方が入門らしいといえば入門らしい。
ついでにいえば副題だけでなく、主のタイトルも編集者が持ってきてくれたようで、最初にご自身が考えたのは「ストリッパー スターリン」とか意味不明なものだった、ということ。『批評の教室』でも同じことを言っていましたよ、北村先生! 気になる人は読んでください。宣伝ですか? 宣伝です。
でも本の中の小見出しとかは結構おもしろいんだけどな……映画タイトルのパロディになっていたりして。ちなみに『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の各話タイトルも映画タイトルのパロディになっているので、気になる人はチェックしてね。

一方で、日本では人種差別や宗教的な差別は起こりにくく(ないとはいわない、数が少ないから社会的問題として取り上げられにくい。本当は数の問題ではないはずなんだけど)、だから差別といったときに一番矢面に立たせるのが男女差別なのではないか、という人もいた。
これはものすごくわかる話だなと思って聞いていました。差別が多重構造になりにくい、とでもいうのでしょうか。もちろん差別なんてない方がいいわけだから、多重構造にならないのはいいことなのだろうけれども、その変わり、一番目立つ差別の構造がもっとも忌み嫌われ、ある種のタブーとされてしまうという傾向は確かにあるでしょう。
だからこそ、発言力のある人でも「私はフェミニストではありません」とわざわざ言う人がいる。話をよく聞いてみれば、ジェンダー・バイアスに踏み込んだことを言っているのに、どう考えてもフェミニストなのに。
「私はフェミニストです」と胸をはって言えない世の中であるこの国が、どうして男女平等だといえるのだろう。
その中で北村先生は「フェミニストであることを後悔したことは一度も無い」というからすごい。鋼の意志である。しびれる!という人がいるのもわかる。

ヒューマニストではダメなのか」と聞かれたことがある。結論から言えばダメだ。なぜならば「フューマニズム」という考え方に含まれる人間はすべからく「男性」であるからだ。
もし仮に、万が一でもこの「ヒューマン」のニュアンスに「女性」が入っていたとするならば、そもそも「フェミニズム」という考え方は生まれてこないだろう。
「ヒューマン」からこぼれ落ちた女性を救う、「フェミニズム」にはそんな側面もあるはずだ。
でも、そもそもこの「ヒューマン」は他にもいろいろなものをこぼれ落としている。たとえば「非白人」「障害者」「子供」「老人」……数えればキリがないだろう。まあ、日本国内に限って言えばもしかしたら「老人」はヒューマンに入っているかもしれないけどね。あの国会の平均年齢を見てみると。

私が人生でもっとも人種差別を感じたのは新婚旅行でフランスの郊外に出かけたときのことだ。夫が大好きなサヴォア邸を見るためにパリから離れたところに電車とバスを乗り継いで出かけていった(わたしはヴェルサイユ宮殿が好きなので、趣味は正反対である)。バカンスのまっただ中だったようで、バスが全然こなかったのを覚えている。日本人ももっと休んだ方がいい。
帰りはお腹が空きすぎていて、駅のチェーン店とおぼしき店に入った。フランスに来てまでチェーン店?と思うかもしれないが、そのときはもうなんでもいいから食べたかった。
店員は黒人で、なぜか注文のときから厚い待遇を受けた。ポテトを山盛りどころかトレーいっぱいに出してくれたのだ。とても食べきれる量ではないと思ったのを覚えている。
なんとか食べきって店を出たが、よく考えてみると、フランスの田舎のチェーン店で、黄色人種が入ってくるのが珍しく、かつ黒人でない人が入ってくるのがよほど嬉しかったのだろう。それはもう大盤振る舞いのサービスをしたくなるほどには。
しかしこの優しさの裏には、白人から日常的に不当な扱いを受けている痛みがあるのだろう。そう思うと、お腹だけでなく胸まで苦しくなった。

●私、ディズニー嫌いなんです!
美女と野獣』の野獣はモラハラ男にしか見えない、という人がいた。わかる。それな。自分を監禁した男にどうして恋に落ちなければならないのか。頭おかしいんじゃないか。まさにストックホルム症候群ではないか。
これは『花より男子』にも同じことが言えて、お金で雇った男に自分を襲わせようとした道明寺なんかにどうして惚れるんだよ、つくし……と私はつくしにまったく共感できない。絶対に嫌。
野獣を少しでもマシに見せるようにガストンというキャラクターは作られた、と言うが、そもそも私の周りにはガストンファンさえ多い始末だ。なんでだよ、なんでそんな男がいいんだよ。ガストンも最低だよ。

『ピーターパン』のウェンディにも共感できないという話が出た。弟がいる人はウェンディに共感せざるを得ない境遇だが、それでも全く共感できないし、女は弟の面倒を見ろ、家の中にいろ、というメッセージが本当に昔から腹が立ったし、そのせいで実際の弟たちのことも憎らしくなる、と。
わかるーってね。私は弟がいるわけではないけれども、ウェンディには全く共感しなかったな。むしろウェンディにいじわるするティンカーベルに共感してしまった部分があるから、きっと私の心の中にもやっぱり「闇のマギー」がいるんんだろうな、なんて。
普通に嫌な女ですからね、ティンカーベルも。

アナと雪の女王2』に出てくるエセ科学「水の記憶」もつらいところ、というのは課題図書で指摘されている通り。
中小企業の社長なんかが好むのよね、このエセ科学。水に「ありがとう」と言い続けるとおいしい水になる、とかアホちゃうか?って思いますよね。水は水素元素が二つ、酸素元素が一つくっついただけの代物でっせ?
しかし小学生、中学生、高校生が社会見学に行くような場所でも、きっとこういうのを進行している社長はいるのだろうな、と。
私が聞いたことがあるのは、発酵系の会社だったな。化学の授業をやり直してきた方がいい。そういう精神論、まじでいらないって思った。

自分が子供の頃はディズニーはいいところのお嬢さんの趣味のようだった、だから子供には一生懸命ディズニーを見せている、という人もいたし、実はディズニーランドができたばかりの頃にバイトをしていたという人もいた。本当にいろいろな人がいておもしろかった。どうしてみんなそんなに人生経験が豊富なんだ。
ディズニーというよりも『マーベル』シリーズは好きなので、ディズニーチャンネルには登録している、という人も。
『マッドマックス』が好きなファシリテーターの方だったので、これはさもありなんだなと思いながら聞いていた。
そういや、私の周りには『マーベル』好きってあんまりいないな……ディズニー好きはわりといるんだけど、これがとても残念なことに。でもちゃんと「ディズニーが嫌い」とも言っているし、その理由も明かしている。タカラジェンヌも好きなんだよね、ディズニー。まあ、ええとこのお嬢さんばっかりだし、様式美の世界だからな。

北村先生の『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』の132頁には、そのものずばり「なぜ私はディズニーが嫌いなのか」という項目があり、まさに私がディズニー嫌いなのも、これそのものです。引用します。「私がディズニーを嫌いなのは、ディズニーはシンデレラや白雪姫など、人類共有の遺産としての民話や古典を再利用しまくることでお金を稼いできたのに、他のクリエイターにはなかなか自分の著作物を自由に使わせたがらないからです」まさにこれ。著作権法ミッキーマウス法とも呼ばれるほどだ。
ウォルト・ディズニー自身が幸せウサギのオズワルドの著作権を会社に奪われ、自分では自由に使えなかったという暗い過去があるのはわかるのですが、だったらなおのこと共有財産として自分たちの作ってきたものも広く提供するべきでしょう。そうでなくと文化は先細りしてしまう。

それでも、いくら守ろうとしても守れるものでもなくて、実際に手塚治虫はディズニーが好きすぎて、映画に通って毎日のようにスケッチしていたという。だからお茶の水博士の顔の造形と『白雪姫』に出てくる七人の小人の一人の顔の造形はよく似ている。特に鼻のあたりが。
キャラクター造形だけでなく『ライオン・キング』と『ジャングル大帝レオ』を見比べれば、物語の構造にも影響関係は認められる。もっとも『レオ』はパクり返され、新しい『ライオン・キング』が作られましたが。
超絶余談ですが、手塚はディズニーだけでなく、宝塚も好きでした。

ただ、ディズニーの経済モデルが嫌いなだけで、最近の作品は頑張っているように見える、という人もいた。
そこにあげられたのが『モアナと伝説の海』なんですけど、これはまた別の意味で私は辟易する問題がありまして。
というのも、白い鳥でおなじみのツイッターでも一時期話題になりましたが、映画の宣伝ポスターですね。
原作のポスターではモアナはいさましい表情をして、オールを手にしている。超絶格好いい。けれども日本のポスターではモアナはにっこりわらって、しかも手でハート型なんかつくっちゃっている。なんだかもう眩暈がしそう。
しかも原作のポスターにいるマウイは国内ポスターには欠片も姿を見せない。あ、あのさ……全然違う話に見えるんだけど……。
これはディズニーっていうか、我が国の問題だけどね。韓国の映画も日本に輸入されるとなぜかポスターがださくなる、ピンクになる、すぐ男と女の恋愛話にしたがる……問題が山積みだ。

●あのときの感想はあながち間違っていなかったけど無知だった
個人的には「不条理にキラキラのポストモダン~『マリー・アントワネット』が描いたもの、描かなかったもの~」も結構おもしろく読んだ。
2006年にソフィア・コッポラが撮った映画である。当時高校生だった私は「マリー・アントワネット」という名前だけを見て、これだ!と思った。ヅカオタとしてはフランス革命は避けて通れまい。況んやマリー・アントワネットをや。
しかし内容はまるで期待していたものと違った。だってキラキラなドレスやキラキラや宮殿やキラキラな人間しか出てこなくて、革命は描かれないし、逃亡も描かれないし、これは一体何なんだ、意味がわからないぞ……いや、自分で歴史を補完できる程度ではあったけれども、これは「マリー・アントワネットの映画でいいのか?」とさえ思った。
「美術館にいるようだ」というのが唯一の感想らしい感想だった。

課題図書ではこの映画を「因果や連続性を無視して断片をクローズアップする語り口、さまざまな引用に意味を追わせる演出、史実の省略や改変といった点で伝統的な歴史映画からはかけ離れており、個性的かつポストモダン的な歴史叙述に挑戦していると言える」(101頁)という。なるほど、意味がわからなかったわけだ、と思った。そして「意味がわからない」という感想は、それほど的外れではなかったらしいということがわかった。

一方で、音楽については全く気がつかなかったし、わからなかった。だから96頁からは胸を躍らせて読んだし、なるほどそうだったのか!という発見もあった。
無知って本当に悲しいな。物知らずって本当に嫌だな。最新のものを楽しむためには、過去の作品をたくさん知っていた方がいい、というごく当たり前のことを再認識した。でも、これがわからない若者は今、とても多いのではないだろうか。たくさん知識があった方が世界の解析度が上がって人生はぐっと楽しくなるはずなんだけど、そういうことに気がつかない、気がつく機会をもらえない子供って、今、たくさんいるような気がする。この時間に終われた資本主義の中で暮らさなければならない子供たちは。
「好きなものを見よ」ではなく「好きなものが見ているものを見よ」というのは言い得て妙である。

○おまけ1
北村先生と一緒にやったネットワーキング、とても楽しかった。
そして、あの場に出てきた作品の一つ『少女革命ウテナ』は、個人的にめちゃめちゃおすすめの作品です。

○おまけ2
スプラッター』が好きな中高生がいたら『地獄の黙示録』(と『カサブランカ』)を勧めましょう、という話がおもしろかったのですが(東京大学の学生でも見たことがある人が少なかった様子)、2000年代後半に地方で大学生をやって、『風と共に去りぬ』を見たことがある学生が重宝されたので(これもやはり周りに見たことがある人がいなかった)(宝塚でも上演しているし、私は続編映画『スカーレット』も見た)ホラーが苦手な人はよろしければこちらもどうぞ。

◯おまけ3
シェイクスピアの『テンペスト』を下敷きにしていると言われる今期の『機動戦士ガンダム水星の魔女』を北村先生がどう見るから気になるところです。