ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

月組『応天の門』『Deep Sea -海神たちのカルナバル-』感想

月組公演

平安朝クライム『応天の門』-若き日の菅原道真の事-
原作/灰原薬応天の門」(新潮社バンチコミックス刊)
脚本・演出/田渕大輔

ラテン グルーヴ『Deep Sea -海神たちのカルナバル-』
作・演出/稲葉太地

私は「在原業平」という単語を見たり聞いたりすると正気でいられない性質の人間です。だから「あのなり様は私の解釈のここと違う」とか「解釈違いも甚だしいわい!!!」とか、本当に面倒くさい人間なのです。
しかし、もともと漫画『応天の門』のなり様は「FOOO!!!解釈ほぼ一致!」みたいな感じで、かなり好感をもっていた中で、キャストが「鳳月杏」と知り、これはもう優勝☆と思っていたのですが、観劇したら国宝級の解釈一致ぶりで、ホントちなつに金一封を贈りたい気持ちです。ありがとう、ちなつ。好きだよ、なり様。
応天の門』のなり様の何が良いかといえば、一言で言えば「余裕があるところ」です。どうしても藤原高子との恋愛模様にスポットがあたると、恋に精一杯で、それを政治の力によって阻まれた悲運の貴公子みたいな感じになりがちなのですが、そもそもあれだけの数と質の和歌を、男が和歌を詠んでも仕方がないと言われていた時代に、詠みこなしたことを考えると、たぶんボケ担当というか、結構余裕があった人だと思うんですよね。心の中ではいくらでも悪態をついていたでしょうが。だからちなつが「女性を見るとすぐに愛想を振りまく一面」「高子が忘れられない一面」「検非違使としての仕事をこなす一面」「居心地の悪い、微妙な政治バランスを見定める朝廷での一面」の四つを上手に演じ分けていたのがもう本当に本当にありがたくて、たまらない。すばらしいよ、ちなつ。ありがとう、ちなつ。武官姿にブーツとか、本当、考えた人は天才だし、ちなつの脚は長かった。道真との出会いが漫画の1巻そのもので感動したし、最初から業平が上手花道から出てきてくれるのもありがたかった(そこ?)。
「もしかして、人妻ですか」と道真に聞かれて、あわてて扇で顔をあおぎ、知らんふりするところのボケっぷりや昭姫の店で女の子たちを口説く調子に乗った場面なんか、本当に最高でした。ずっと見ていたい。

あと『応天の門』において大切なのが「道真にツッコミを入れられる一面」でしょうか。このバディがマジでたまんねぇな!!!
だから最初のほう、第3場の大学寮で「鬼なんていませんよ」という道真坊ちゃんに対して、業平が「そう、鬼はいない」みたいに答えるのは、脚本的には「んー!?」とめちゃめちゃ違和感を覚えました。そこは業平に鬼の存在を信じさせておいた方がいいんじゃないの!?と。ここは東京でどうにかならんかね……原作でも業平、道真と何度も怪異事件を解決しているのに「まさか鬼!?」とか「まさか物の怪!?」とか言って、「だかからそんなのいないって言ってるじゃないですか」みたいな道真のツッコミが入る、というやりとりがとても良かったんだけどなあ。
ちなみに業平推しの私としては原作5、6巻の「長谷雄、唐美人に惑わさるる事」と14巻の「在原業平、伊勢に呼ばれる事」(「呼ばるる」ではないのね……など)が好きです。あとは6巻の「源融、庭に古桜を欲す事」(「欲する」ではないのね)も好きです。源融がまおくん(蘭尚樹)であったときの私のうれしさといったら……っ!

芝居の大筋は7巻の「藤原多美子、入内の事」をメインに、5巻「都にて、魂鎮めの祭りが開かれる事」(こちらも「開かるる」ではない)をサブテキストにして、あとは毒を飲むのが伴善男(夢奈瑠音)(小顔すぎてほとんどがもはやヒゲだった)ではなく、藤原常行(礼華はる)に変更されるなど、タカラジェンヌの番手似合わせてアレンジされておりました。原作がまだ完結していなかったり、重要人物である島田忠臣が登場しなかったりすることもあり(そして宣来子も不在。『蒼穹の昴』もそうでしたが、宝塚は原作の主人公の婚約者や結婚相手が設定されないことが多いな)、若干「解釈違い……?」と思うところがないわけではなかったのですが、基経の吉祥丸への激重感情とか高子の父兄たちの手駒にすぎないことへの在り方とかは上手に膨らませて演じていたなと思います。
そして! なんといっても! 敬語で嫌味を言うれいこちゃん(月城かなと)の道真が! これまたちょっと漫画とは解釈が違うかな、と思わないでもないのですが、まー可愛いこと、可愛いこと! 世間を知らない坊ちゃんですこと! オホホホホ! ういヤツよのう! 若いのう! 若いのう! ……と思っているところで気がついた。私、もうその意味で若くないんだ、と。黒幕が政治のドンだと気がついたら、心でどう思っていようと、手を引いてしまうような大人の側にいるんだって。そう考えたら、なんだかすごく悲しくなってしまった。そんなことには気がつきたくなかったよ、ワトソンくん……。
だからこそ、高子と一瞬だけでも目が合ってしまって「理に適わないことが嫌い」と思い直し、道真たちと再び合流する業平、最高なんだよな。まさに孔子の「人知らずしてうらみず、また君子ならずや」(他人に認められなくても腹を立ててはいけない。そういう人を立派な人というのではないだろうか)といったところでしょう。

そんなわけで楽しく見ました、平安朝クライム『応天の門』。うみちゃん(海乃美月)が昭姫と聞いたときには「おかしな恋愛要素、入れるなよ……」とか「たぶち先生、頼むで……皆殺しにしないでよ」とかいろいろ思いはしたものの、楽しかった。「双六は7割が戦略、運頼みのバカ相手にいかさまなんてしませんよ」って格好良すぎるだろ。しびれるぜ。最後に道真と昭姫とで「俺たちの戦いはまだまだ続く!」となっていたのも、まあよいでしょう。
心残りといえば高子はみちるちゃん(彩みちる)で見たかった……っ!ということくらいですかね。でもみちるちゃんの白梅、とてもキュートだった。『夢介』のひまりちゃんのたぬきメイクも可愛かったけど、今回のみちるちゃんの白梅も、決して美人の役ではなかったけれども、とても愛らしく仕上げてきた。良かった。なんなら出番は高子よりも多いくらいだったかな。
その白梅と一緒にいることが多い紀長谷雄はあみちゃん(彩海せら)。メインの台詞がないときも二人でちょこちょこ演技をしているのが可愛いにもほどがあるよ、この二人! 長谷雄が紀氏であること、紀氏と業平は婚姻関係があることについては触れられませんでした。
道真、白梅、長谷雄と並ぶと元雪組勢がそろって何組を見に来たのかと一瞬混乱し、花の色男ちなつの業平が出てくるといっそう混乱する仕掛けになっている。おだちん(風間柚乃)が出てくると、なるほど月組だったと納得する始末。
おだちんの基経、怖ぁ~>< そしてこじらせ具合が半端な~い! おもしろすぎるわ。
1回しか会ったことがないのに、たまらなく気になっている、そしてもう会えない、自分とは正反対の凡人である吉祥丸、そしてその弟の道真にラストはしっかり「アンタがやったってことはわかってんだよ!」と主上の前で釘を刺されてしまう基経くん、ねえねえ今の気持ちをお姉さんに教えて御覧?と後ろをつけて回りたい。聞き出すまでストーカーしたい。殺されること間違いないけど。「権謀術数~♪」の曲がプログラムに載っていないことが残念。

一方で、これで退団してしまう人が多いのが淋しい本作。
組長のるうさん(光月るう)の良房、めっちゃ怖かったし、あの基経に「まだ藤原はやらない」と釘を刺すところなんか冷や汗が流れるかと思ったくらいでしたが、弟の良相に先をこされて内心穏やかでない様子もまたうまい。こんなに芝居が上手い組長が抜けるなんて、淋しすぎる……。
そしてからんちゃん(千海華蘭)の清和帝、めっちゃ可愛かった。幼いながらも民のことを考えていて、そうあの朝議にいた誰よりも純粋に民の幸せを願っていて、もうもう! 末尾の「たも」とか可愛すぎて眩暈がするし、多美子のまのんちゃん(花妃舞音)と並んでも全く遜色のない若さよ。人魚の肉でも食べているのではないかしらん。まのんちゃんもめっさ可愛かった。なんという幼女っぷりよ! まさに多美子!
かれんちゃん(結愛かれん)の大師様も美しかった。圧巻の美しさだった。出番が三回しかないのがもったいないくらいだったけれども、むしろ三回目の道真の悪夢に出てきた大師様が美しいというか、妖艶で、そんなかれんちゃんを拝むことができてありがたかった。あの悪夢の場面、良かったよなあ。
そしてらんぜくん(蘭世惠翔)。若き日の高子よ。こちらも貴族の姫君として非常に美しいかった。この高子がじゅりちゃん(天紫珠李)の高子につながるの、ものすごくよくわかる……という感じでした。『伊勢物語』第六段「芥川」を、これまたロマンチックに演じてくれました。ありがとう。祭りのときの町娘も愛らしかったです。

気になったのは「高子」の発音が「たかこ」だったことと「百鬼夜行」が「ひゃっきやぎょう」だったことかな。前者は「たかきこ」が転じて「たかいこ」となった説が有力だしな……とはいえ、どちらも原作漫画準拠なんですけどね。
それにしても原作者の灰原薬が公演プログラムに寄せた文章、うまいですね。座付きの演出家の先生も見習った方がいいと思われる方もげふんげふん。
あとは高子に送られた和歌の意味がわからないと言っている観客がいましたが、あれは業平の和歌の中でも超有名だから知っておくといいですよ。もっとも口語訳はちなつが歌っていましたけどね。「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」(月は昔のままの月だろうか、春は昔のままの春だろうか、いいや月も春も昔のままではない。けれども私自身は昔のままである、まだあなたを愛しています)。在原業平は変わらないわが身を歌に詠み、小野小町は「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめさせしまに」と変わってしまうわが身を嘆く。平安時代初期の美男美女の物思いや、これいかに。

ショーは、コンセプトも好きだし、開演前の舞台装置も美しかったし、「ダイブ」を聞いただけでうっかりドキドキしちゃうくらいでしたが、いかんせん衣装が……私、この人の衣装、ダメなんだよね……今回の「深海」モチーフにはぴったりの名前なのに、デザインするものはどうしてそれなの……どうしてそれをマーメードの衣装にしようと思ったのか、怪獣じゃないか。どうしてそれを真珠の衣装にしようと思った、『BADDY』のホタテを見習って。ハットの場面が多くて顔が見えないじゃないか。マントルの場面の衣装もよくわからなかったなあ。デュエットダンスは大人っぽいタンゴで素敵だったのに、ギラギラしすぎて眩しすぎて、ちょっとオペラでは見られないくらいだった。もっと色っぽい衣装があったでしょうに。
ターバンのちなつを見れば、『金色の砂漠』のフィナーレを脊髄反射のレベルで思い出す。これは似合っているんだけどね。とはいえ、れいこちゃんの相手役をちなつにさせる必要があったのか、貴重な娘役の出番を一つ潰すんじゃないよ、いなば先生!と思ってみたり。退団者のうたうまさんと踊り子さんがれいこちゃんと歌う・踊るという場面でもよかった気がする。
娘役といえば、みちるちゃんの出番がとにかく少ないんだ、今回のショーも。『FS』のときも思ったんだけどさ。組替えは栄転であるべきでしょう! あみちゃんも単独センターの場面があってもいいのでは!? あともうちと生徒を小出しにしてくれ~! 頼む~!
こありちゃん(菜々野あり)やそらちゃん(美海そら)はそりゃ可愛かったけど、なんだかちょっとな~とモヤモヤしてしまうショーでした。「海神が収める世界の祭り」といいますが、「竜宮城の暮らし」くらいにして、もう一回別の人でやってもいいんじゃないかな。お芝居でもいいかもしれませんが。
なんだかられいこちゃん・ちなつ・おだちんの三人とそれ以外みたいになっているのが気になります。それを言ったら星組もことちゃん(礼真琴)とそれ以外という感じになっているのは否めませんが。下級生も育ててくれ~! もうちょっとこだしにしてくれ~!

栗田優香先生のショー作家デビューが控えていますが、今時宝塚の演出家を希望する人の多くはショーを作りたいのではないでしょうか。宝塚でないとできないことですからね。新しいショー作家が出てこないと、いつまでも同じようなメンバーで回すことになっちゃいますよ、それではアイデアが枯渇してしまうのも仕方が無いでしょう!と思ってしまいます。
竹田悠一郞先生もだいすけ先生に憧れているようだから、いつかショーを作るかもしれない。
指田珠子先生のショーも見てみたいな。熊倉飛鳥先生はどうかな。
演出家の先生たちにもインプットの期間、お休みの期間をしっかりあげてほしいものです。