ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

花組『DEAN』感想

花組公演
『DEAN』
潤色・演出:谷貴矢

 いやあ、いい脚本・いい芝居でしたよね。私はオリジナル版も宝塚版も今までの分は見ておらず、この『DEAN』が本当に初めてでした。現実と空想が見事に融合していくかなり抽象的で難しいお芝居でしたが、花組メンバーはよく頑張っていました。かりんさん(極美真)もよい主演作に恵まれて、円盤化もして(『にぎたつの海に月出づ』とは違って……頼むよ、これも円盤化してくれよ)本当にめでたいと思います。思えば初主演『ベアタ・ベアトリクス』から数えて3回主演をやりましたが、どれも良い作品で嬉しい限りです。
 さて、私はホラー・グロテスク・バイオレンスが苦手なので、ジェームズ・バイロン・ディーンが主演の3本の映画も見ていません。一番有名な『理由なき反抗』はザッツ・バイオレンスな映画と聞いており、少なくとも私向きではないなと思いましたが、このお芝居を観ると、一番気になるのは『理由なき反抗』だよなあ、なんて思ったり思わなかったり。
 いつの世もどの作品でも多くの男連中は「母」なる概念から離れられず、ディーンももれなくそういうアダルト・チルドレンみたいな枠に入るのかもしれませんが、嫌味なく演出さえていたと思うのはさすがタカヤ先生……っ!ありがとう!と気持ちでいっぱいです。そんなわけで以下、ディーンを取り巻く母なる概念を3つにわけて考えてみたいと思います(例によって以下、台詞はうろ覚えです)。

①抱擁系…ディーンを聖母マリアのように包み込む女性たち
 (例)ディーンの実の母親(糸月雪羽)、ピア・アンジェリ(美羽愛)
②拒絶系…ディーンに対して攻撃的な態度を示女性たち
 (例)ママ・アンジェリ(詩希すみれ)、『エデンの東』のキャルトラスクの母(詩希すみれ)、ナタリー・ウッド(初音夢
③包括系…ディーンと対等に話ができる女性たち
 (例)ヘダ・ホッパー(美風舞良)、アイリーン(朝葉ことの)、エリザベス・テイラー(三空凜花)

 私が考えたのはこの3つの分類です。この分類名が妥当かはわかりませんが、だいたい女性を描こうとすると多くの作品は①と②のみで、しかもそれが対立して描かれることが多いものだから辟易してしまうことが多いのですが(例えば『ドン・ジュアン』も聖女と娼婦しかいない世界線だったと思われる)、③の清濁あわせのむぜ!なんでもこいや!みたいな豪快なビッグ・マザー的な存在、ディーンの帰る所、みたいな存在があったことが、それぞれがそれぞれを相対化する、善し悪しにとどまらない価値観の提示になっているように見えたのが良かったのではないかと考えています。本作がいわゆる「3人ヒロイン」と言われるのも、それぞれ違うところに属しているからでしょう。③を配置したことが本当にすばらしい。

 ①はわかりやすくディーンが美化している女性たちで、温かく包み込んでくれる存在ですが、母親は亡くなってしまうし、ピアはヴィック・ダモン(遼美来)と結婚してしまう。意図的であるかないかにかかわらず、ディーンが愛した女性たちはみんなディーンから離れていってしまう。だから一幕のディーンは「さびしい……」と言う。この場面、最高でしたよね、本当。絶品……っ!
 この二人を結びつけるのがディーンが子どもの頃によく聞いた子守歌です。ピアがたまたま歌っていた曲はディーンの母親がよく歌い聞かせてくれた子守歌だったというのはご都合主義のようにも見えますが、ディーンの意識の中で2人が上手下手から登場し、デュエットする姿は幻想的であり、また美しかった。この子守唄こそ、ディーンにとっての永遠の女性の象徴であり、精神的な臍の緒なのでしょう。だから終わりの方にはあまり出てこない。ディーンは大人になってちくから。
 恋人ごっこも楽しかった。なんならここが一番幸せな場面だった。わたあめを食べ、射的をし、鏡で遊び、観覧車に乗る。「これからここで起こることがドラマさ」というディーンの誘い文句もいい。『ゲーテ!』でロッテが「芝居よりもドラマティックね、人生は」と言っていたことを思い出す。役者であろうがなかろうがみんな、誰かを演じている。雪組ボー・ブランメルのように。ドラマは虚構だけど、でも現実を生きる私たちに力をくれる。そして入れ込み過ぎれば、現実の人間の方が蝕まれてしまう。それはピアがディーンと一緒にいられないと気がついたように。
 ピアはディーンに言う。「私以外の誰かを見ている」と。それはピアが本当にディーンを愛していたから気がついたのでしょう。そして「あなた、怖いわ」というのは絶品だった。ディーンはニューヨークを抜け出して、二人しか存在しない世界に行こうとする。二人だけの世界を夢見る。けれどもピアはその夢を一緒には見られない。だってその夢は到底現実離れしているから。観客の私たちが見ていても、ディーンが思い描く夢は非現実的である。ピアはディーンを愛している、愛しているけれども、その夢は一緒に追いかけられない。だから辛い。
 ディーンが『星の王子さま』が好きというのも、彼女たちを象徴しているように思います。母親に読み聞かせてもらった経験もあっただろうし、実際にピアに本をプレゼントしている。ピアはその本を自分の子どもに読み聞かせるでしょう。あたたかい話です。そういう結びつきを連想させました。
 ディーンを聖母マリアのごとく見守る女性たちは、しかしすべて彼から去って行く運命にある。母親は不可抗力としても、ピアはディーンが大人になりきれていないことが原因である以上、それは仕方のないこと、美しい思い出にとどまるのみです。

 ②はわかりやすくディーンを拒絶し、攻撃する女性たちです。ママ・アンジェリ(この名前はどうなのとは思った)は娘可愛さにディーンは拒否される。このママもなかなかで自分が娘のボーイ・フレンドを決められると思っているのはどうなの……という気もしますが、イタリアから一緒に渡ってきたならどうなるものなのかな。ピアに父の話が出てこないのも気になりますし、結婚式にもいなかったから母子家庭のようにも見えた。そうなると、娘の幸せを過度に願ってしまうのも仕方がないのことなのでしょうか。
 ここでママを演じたすみれちゃんが映画『エデンの東』で売春宿を経営しているキャルトラルクの母を演じているというのが本当におもしろかった。この売春宿の女性四人(美空凜花、朝葉ことの、初音夢、湖春ひめ花)は良かった……っ! そのキャルトラスクの母は「このガキをつまみだしておくれ」と言い、わかりやすくディーンを拒絶する。あの迫力はすごかったわ~。
 なお、ハリウッドのスタジオでは、一人の女優として登場しますが、ここディーンの実の母親を演じたおいとちゃんとシンメトリーになることが多くて、それはそれでまた興味深く見ました。偶然なのではあろうけれども、おもしろいですよね、こういうの。
 2幕から本格的にディーンと絡むナタリーは、ギャングのリーダーの恋人、強気な女の子でしたが、登場早々ディーンにかみついていて、格好良くて、威勢がよかったですね~。けれどもそんなナタリーとも撮影をしていく中で人間らしい交流に変わっていく。だから最後のパーティーの場面では、憎まれ口はたたいているけれども、そこには愛情がにじんでいるのがわかる。ディーンは3本目の映画『ジャイアンツ』の撮影のときにベン(希波らいと)に「愛する者は去って行ってしまうけれども、それは敵も同じこと」と言う。この「敵」に該当するのが②の女性たちで、ママ・アンジェリとは当然交流は立たれ、撮影が終わればキャルトラスクの母とも会わない。その中でナタリーは「敵」から「味方」よりに変化するという形で敵としては離れていったタイプのキャラクターといえるでしょう。そうよ、人間関係って変化するものなのよ。だから楽しいし、悲しい。ディーンはそれにようやく気がついたんですよね。生まれたての赤ちゃんが言葉を覚えたような感動がありました。
 ディーンを拒絶する女性たちはさまざまに姿を変えて、ディーンのもとから去って行く。去って行くからこそ、ディーンは大人になる。大人になってからピアに出会っていれば、もしかしたら何かが違っていたかもしれないと思わせるほどに一気に大人になっていく。

 ③はレベルの差はあれ、地母神のような存在。一番大きいのは言うまでもなくハリウッドの新聞女王ヘッダ。ディーンのダメなところも、良いところもまるっと呑み込んでしまうような、包み込んでしまうようなそんな懐の人差がある。実の母にもその気はあるけれども、彼女はそこまで大きくはなれないし、客観してできるほどの視野の広さも感じさせなかった。ディーンの中の母しか登場していないのはそのせいで、ディーンの母親はえらく美しく優しいけれども、ちまっこい印象を受ける。それに対して、母なる大地を連想させるこのグループの女性たちは現実が見えていて、その上でディーンと相対する。格好良い女性たち。3人全員が仕事を持っている女性であることも関係しているでしょう。
 ヘッダが『ジャイアンツ』の撮影現場までわざわざ足を運んで、お叱りをするかと思えば、「あなたはそれでいいのよ」と言う。「私たちが自由にできない分、あなたは自由でいていい」というようなことを言う。ふ~! しびれる台詞だぜ! さすがレディ・ハリウッド! 器の大きさが違う! 最高! ヒューヒュー! 私はこの場面がとても好き。ちなみに『エデンの東』の撮影時、エリア・カザン(紫門ゆりや)に「信じているよ」と言われ、「黙れ!」というディーンも相当好き。1幕終わりとあわせて大好きな場面3つなのです。
 話がそれましたが、ヘッダはディーンを叱ることもできる存在。だからディーンと対等である。聖母マリアに収まっている実の母にはできないし、ピアも怖くてディーンを叱ることはできない。このあたりも①との違いでもあるかな。
 ヘッダと比べると器の大きさは劣るけれども、売れる前のディーンと仲良くしていたためにディーンと対等に話せるアイリーンはおいしい役だな~と思ってしまう。え、だっておいしすぎません? ニューヨークの最初に出て来て、二幕の最初に出て来て、あとは最後と3回くらいしか出番はないけれども、「あなた、いつもそうやって私が待っていると思っているの?」とディーンに問いただし「違うのかい?」と甘えたような顔で言われたら、そりゃ「ずるい人!」ってなるわよね。わかる~! 二幕の最初にニック(一之瀬航季)と出て来たときも「どんな顔したらいいかわからなくて」と正直に言うし、ディーンに「ベイビー」と言われて「もう私の名前、忘れちゃったの?」っていうのも可愛いし、冒頭の「歩き疲れたら戻ってくれば良い」と言ったのに対して「もう歩き疲れちゃった?」とおしゃれな言葉遣いもできる。4人目のヒロインともいえるのではないか。出番は少ないけれども、ディーンとの絡みで言えば小さな幸せが積み重なっている印象があって、日常の幸福がここにある!と思いましたね。もちろん、ディーンはそんなことで満足できる男ではないのだけれども(このあたり、ゲーテと一緒だな)。
 ニューヨークには他にもたくさん女優の卵がいるはずだけど、その中でちょっとだけアイリーンはディーンに特別扱いされている、そんな姿が微笑ましく、けれどもこちらは大女優になる運をつかめずにいるのでした。『ジャイアンツ』ではカウ・ガールとして歌っていたけれども、あれはアイリーンとは別の役ってことでしょうしね(なお、この場面の常和紅葉ちゃんが可愛かったです)。
 エリザベス・テイラーはディーンにとっての最後の映画『ジャイアンツ』のヒロイン。夫も子もいて、家族を愛している一方で、ディーンの濃やか心情にも分け入っていける人物でした。いや、たぶん普通の人は「もうすぐ赤ちゃんが生まれるんでしょう、ピア・アンジェリのところに」なんてそう簡単に言えないと思うんですよ。叶わぬ恋、破れた恋なわけですから。それをさらっと言ってしまうところにエリザベスの懐の大きさがあり、エリザベスに母の存在を感じさせる。けれども彼女もまた監督(涼葉まれ)の姿を借りてではあるけれども「声が聞こえない!もっとはっきりしゃべるんだ!」とディーンにダメだしをする。そういうことができる。だから①よりは③に属するかなと思っています。
 ウィキペディアの情報ですが(ちゃんと出典は明示してあった)、リジィは「彼は傷つくことをとても恐れていました。彼は万が一にもそれが裏目に出て自分自身に対して行使されることを恐れていたのです」とディーンについて述べていたともいいます。こういうところが上手に演出されているように見えましたし、相手を包み込む器の大きさを感じさせるのです。
 ディーンはこうして多くの女性に囲まれて、そしてまた監督たちに育てられて、大人の階段を上っていきます。ベンと仲良くデュエットしたときに、「あ……これはフラグ……」と思ってしまったくらいです。このあたりは男の友情物語でしたね。けれども、ディーンが大人である時間はほんのわずかに過ぎなかったのです。語り手でカメラマンのパット(天城れいん)はいい仕事をしていました。私みたいにディーン初心者でも話がわかるようになっていたのは、ひとえに彼の存在のおかげです。ありがとう、パット。パットのディーンへの愛情表現も良かった。あれだけの追いかけは仕事だから、だけでは説明がつかないでしょう。
 この話は母親の愛しか知らなかったディーンがいろいろな人と交流することによってさまざまな愛の形を知っていく物語とも言えるでしょう。周りの女性を概ね三種類に分けましたが、もちろんその中でも少しずつ違っているし、男性もまた、父性愛的なエリア・カザン、ジョージ・スティーブス、友情を育んだベン、パット、ニック、古馴染みのモーゼス、実の父(南音あきら)とさまざまだったと思います。いろいろな愛情に囲まれて大人になることができてよかったね、ディーン!

 それから舞台装置(國包洋子)もおしゃれでしたね~。同時進行の花組ゲーテ!』もまた非常におしゃれな装置(松井るみ)でしたが、こちらが曲線を生かした装置であった一方、『ゲーテ!』は直線を生かした装置だったと思います。『理由なき反抗』のプラネタリウムのドームにもなるような曲線は、裏側は映画のフィルムのようになっている。動きが自由なのがいい。少し高さもあり、上ることもできる。おっしゃれ~! 真ん中は平らで回りに傾斜のある八百屋舞台もダイナミックに見えて素敵でした。映画の撮影所の場面も多かったので、役者たちがいろいろなものを用意したり、片付けたりしているのも自然に見えてよかったです(特に珀斗星来くんよかった!)。しかし、ピアとの恋人ごっこの場面で出て来た不思議な鏡の登場シーンはおもしろかった(笑)。上手から突然にゅっと出てくる。
 それほどお着替えが多い芝居ではありませんでしたが、ヴィラ・カプリでみんな白黒を基調とした色使いなのにデザインが全然違い、キャラクターに合わせていたのはおしゃれでした。「それじゃまた!」というラストの台詞も映画でいつでも会えるよ!という意味にも天国で待っているよ!という意味にも次の公演で待っているよ!もいうメタ的な意味にも受け取れて、楽しかったです。いい笑顔だった〜!

 それからショーがついているのも良かったです。謎の少年(ディーンの少年時代の幻影みたいな)を演じていた彩葉ゆめちゃんが思いの外身長が高くて、おお!と驚きでした。帽子を被っている場面が多かったので気がつきませんでしたが、けっこう垂れ目のご様子。ピックアップ勢の中にいましたね。新人公演のヒロインも演じたことですし、今後も抜擢が期待されるでしょう。
 そしてなんと言ってもデュエットダンスですよ、奥さん……っ!(誰) かりんさんとあわちゃんのデュエットダンス、もう本当に本当に本当に幸せでした。ありがとう、劇団。あわちゃんがまたザッツ花娘☆みたいな白からピンクのグラデーションのドレスだったのがまたたまらん。眼福でした。幸せを噛みしめる時間でした。かりんさんが正統派黒燕尾だったのもたまらんかった。本当に最高だった。

 冒頭にも書いたとおり、難しい脚本だったと思いますが、本当にいいお芝居でした。組子たちもいい勉強になったと思います。『ゲーテ!』との対照もおもしろかったです。どちらも実際にいた男性を主人公にし、表現者として生きる喜びを見つける話だったと思います。ただ片方はそこがスタート地点で、もう片方はそこが人生のゴールであったという違いがあるだけです。ああ、この対称性みたいなの、本当に興味深い! 好き!
 次の花組公演も楽しみにしています~!(しかしチケットはない)(なぜなら友なのに友になってもらえないから)