ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

花組『冬霞の巴里』感想

花組公演

kageki.hankyu.co.jp

Fantasmagorie『冬霞の巴里』
作・演出/指田珠子

モチーフとなった古代ギリシアアイスキュロスの悲劇作品三部作「オレステイア」は私は知りません。モチーフ程度なので知らなくても観劇できるだろうと思っていましたし、指田先生の本は最初はノー知識の方が楽しめるかなとも思ったからです。
そして思った通りで、にんまりしました。良い作品でした。「Fantasmagorie」という角書き(ショルダータイトル)も良かった。
前回の『龍の宮物語』も大変に好きだったのですが、芝居が終わった後のざらつき感がたまらんのですよ……っ!
『龍の宮物語』の感想はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com


今ならラストの雨は玉姫の涙だと自信を持って言えるな。しかもうれし涙。
作品としては和物洋物の違いはあれど、個人的にはもう一回頭から再生してもいいですか!?と食い気味になるところが共通していました。いつものことですが、ネタバレがありますので、気をつけてください。まとまりはいつもよりありません。とりあえず思いついたものをつれづれなるままに書いています。同じことが繰り返し出てくることもあります(笑)。
2幕の終わりはフィナーレの後ですから、少しほっとするところもあるのですが、1幕の終わり、幕間は本当に居心地が悪い。幕が下りる直前のオクターヴがエルミーヌに言う「君は優しいね。でも、優しさは……苦しい」と言ってエルミーヌの手を振り払い、アンブルのもとに行く。その言葉が刺さるし、その静謐な絶望の空気を充満させたまま舞台の幕が下りる。
この居心地の悪さが指田先生ですね。すばらしい。とても好きです。

「復讐劇」と銘打っていますし、「復讐の女神たち」(これがとてもよかった!)(そしてこれがハムレットっぽいと思っていたのですが、個人的にはいいミスリードになりました)も出てきますので、一見すると憎悪に満ちた話かと思えば、やはり憎悪は愛情と紙一重、憎悪ががなければ愛情も生まれませんから、これはむしろ愛情の物語だなと思いました。愛憎渦巻くともいえるかもしれませんが、個人的にはいろいろな愛情の形が提示されていたと考えます。
それに付随する形で「秘密」と「本心」がキーワードかな。「秘密」を分け合ううちに、あるいは激しい「憎悪」によって「愛情」が生まれる。

非常にオーソドックスな愛情の形はらいと(希波らいと)演じるミッシェルとその婚約者のエルミーヌでしょう。エルミーヌには『元禄バロックロック』の新人公演で見事にツナヨシを演じきったみこちゃん(愛蘭みこ)が起用されました。大変嬉しかったです。
資産家の息子とその婚約者、身なりから察するに、そしてまたアンブルがうらやましく思うように、おそらくエルミーヌ自身もどこかいいところのお嬢さんなのでしょう。
お金持ちのお坊ちゃんとお嬢さんというのは絵に描いたようで、今後も幸福が約束されたカップルであることが容易に想像つきます。
正統派の恋人同士はどこまでも幸せそうで、けれども浮浪者を差別することもない。エルミーヌはオクターヴとアンブルが姿を消した下宿に手作りお菓子の差し入れまでする。
法学部生としての理念を語るミッシェルは、アンヌ=マリーに自分の考えを「いかにもブルジョワのお坊ちゃんが考えそうなキレイごと」とバカにされても、声をあらげて怒ったり、むっとしたりしない。勉強している彼は、そして義兄の姿を目の当たりにしたあとは、彼らがそう考える理由も思い当たるから。むしろエルミーヌが「それの何がいけないんですか?!」と声を上げたのはなんだか泣けちゃったな……そうだよね、そう思うよね。
『金色の砂漠』では、主人公二人の愛憎が重くて濃い中、ビルマーヤとジャーのカップルが一種の清涼剤のようでしたが、今回は彼らがスーッと物語に光を感じさせてくれました。
らいとはこういうお金持ちのボンボンというキャラクターは初めてなのでしょうか。もうちょっと演技がこなれるといいのですが。あとはかつらかな。

一方で主人公のオクターヴとその姉(ということになっている)アンブルとの愛情は憎しみこそ入ってこないものの、歪んでいる。歪んでいる(2度言う)。
アンブルは自分がオクターヴとは血がつながっていないこと、自身と血がつながっている姉であるイネスが義父のオーギュストが勧める結婚を避けるために自殺したことを知っているにもかかわらず、あくまでオクターヴの姉として、彼に接し続ける。彼の傍にいたいから。
オーギュストが亡くなったときのオクターヴの感情の爆発はすさまじいものだっただろうと想像される。そこからギョーム、クロエ、ブノワの会話を聞き、復讐を誓うのに、そう時間はかからなかっただろう。おもしろいのは最初に疑うのはオクターヴではなくアンブルというところですかね。
オクターヴは一人でも復讐をやろうとしただろうし、いっそそのほうがやり遂げただろうという気さえする。
アンブルはオクターヴの復讐の共犯になることを誓うことで、その秘密を分け合うことで、オクターヴの傍にいようとした。
それは結果的に復讐の完遂の妨げになったものの、彼女は「戦いは新たな戦いを生むだけ」と高らかに歌い上げるアイーダとも「忠義ってそうまでして果たさなければならないものかしら」と争いごとに疑問をなげかけるキラとも異なり、愛するオクターヴと共にありたい、できれば彼を犯罪者にはしたくないという極めて利己的な理由が行動の原理となっている。でも人間の行動原理なんてそんなものでしょう。
復讐に駆り立てられるオクターヴを、おそらく止めたい気持ちはあっただろうが、それを全面に出したら振り落とされることはわかっているから、あくまで見た目は復讐を共にするという名目で横に並ぼうとする。だから、復讐の一手(ブノワに近づくこと)を先に打つのは彼女なのである。彼を危険な目に遭わせないために。だからオクターヴが剣術でギョームと相対したときは身体中の血が沸騰するような気持ちに襲われる。
それはそれで歪んでいるようにも見えるけれども(笑)、アンブルの方が幾重にも「お姉さん」である。精神的に大人である彼女に対してオクターヴは「甘えた弟」にすぎない。

2幕冒頭で歌われる「もし血がつながってなければ~♪」ソングは、アンブルであるみさきちゃん(星空美咲)が主旋律を歌い、そのあとをオクターヴであるひとこ(永久輝せあ)が追いかける形になっている。
宝塚では珍しい。娘役に歌のアドバンテージがあるときはこういうこともあるが、みさきちゃんがいくら歌がうまいとはいえ、相手はひとこである。その配慮はいらなかったはずだ。
ここから「もしかしてこの二人、血がつながってないのでは?」と考えるのは、それほど難しくないですが、それを自明としているアンブルと自認が曖昧なオクターヴという対比は、娘役が主旋律を歌うという違和感に気をとられて最初は気がつかなかったけど、これもうまいよな。
1幕でも「似ていない姉弟」と言われてオクターヴは怒り、アンブルは「背中の同じところにほくろがある」と強引な理由を口にする。オクターヴがエルミーヌに「とっても似ている」と言われてホッとしている。オクターヴ自身もうすうすその事実に気がついていたんだよね、結局。でも繋がりを減らすわけにはいかないから認められない。ガキだなあ。

回想の中でイネスが繰り返す「本当の願いをかなえるために」という言葉は、オクターヴにとっては呪いだったのかもしれない。姉と一緒にいたい、一緒になりたい、もっといえば「人類補完計画」ではありませんが、一つになりたいという願いは、外から見れば異常だろうから。血がつながりがありさえすれば「一つになる」あるいは「一つである」というイメージはつきやすいですが、父も母も異なる本当に赤の他人であったことをいよいよ受け入れなければならなくなったとき、オクターヴはアンブルに「姉弟でいいいの?」と問いかける。血のつながりがないことが明白になっただけでなく、復讐という共通の目標を失ったアンブルとの関係をもてあまし、自分で決められない。
そして、アンブルはそれでいいと答える。どこまでいってもアンブルは精神的に大人びているお姉さんで、オクターヴはどこまでいっても子供である。
いくら別箱とはいえ、宝塚の舞台で主演の二人がそう簡単に姉弟という関係であることはないのでは?と思っていましたが、やはりその通りでしたね。

オクターヴはなぜアンブルと共にありたいのか。それはオーギュストを失ったことで、一つ同じ屋根の下に暮らしていながら、誰とも繋がりを感じることができなかったからだろう。
オーギュストはオクターヴを愛した。使用人と子供であろうが何だろうが、自分と血を分けた男児が彼だけだったから。
一方で娘2人を連れてなんとか生き延びるためにオーギュストと結婚したと思われるクロエは、オクターヴを愛することができなかった。
オーギュストの黒い影に気が付いてからはいっそうオーギュストが可愛がるオクターヴは憎かったろう。クロエはオクターヴに冷たく見つめられたとき、そこにオーギュストの影を見ていた。オクターヴが幼い頃から、どこかオーギュストに似たものを感じていたのかもしれない。
これはよくある「使用人の子供を愛せるものか」「跡継ぎにさせるものか」というようなマダムの気持ちともやや趣が異なる。クロエはそもそもオーギュストの人間性に不信感を抱いているから。
そういう家の中で、イネスがいなくなり、オーギュストもいなくなり、オクターヴはいよいよ家の中で誰とも血がつながらない、誰とも絆を感じられず孤独感を深めていき、そこに手を差し伸べてくれたアンブルはオクターヴにとって貴重な救いの手だっただろう。
オクターヴはその手を離すわけにはいかなかった。一人ぼっちにならないために。同じ痛み(オーギュストを失ったこと)を抱えている彼女の手であることが重要だった(実際にアンブルが失ったのはオーギュストではなくイネスなのですが、それにオクターヴは気が付いておらず、同じ人を失った同じ痛みと思い込んでいるのも興味深い)。
エルミーヌも手を差し伸べてくれたけれども、大切なものを失ったことないエルミーヌの手はとれない。それはあまりにも眩しすぎて、絶望の淵にいるオクターヴにとっては火傷の可能性があるから。
2幕でオクターヴがミッシェルに対して「うらやましくてたまらなかった」というようなことを言う。それが彼の本心だろうし、好きで絶望する人はおそらくいまい。悲痛な叫び声がつらかった。でもそれに加えて「妬ましかった」とまで言わせる脚本はすごい。
そして同じようにアンブルもエルミーヌが羨ましかっただろう。精神的に大人びている彼女は自分の気持ちに気がついていたでしょうから「もし違う方法でオクターヴと出会えていたら」と何度も考えたことでしょう。

1幕でイネスの存在は語られないけれども、舞台には亡霊として、幽霊として出てくる。オクターヴの深層心理に彼女がいかに深くかかわっているか、それがいかに不可解なものなのか、という興味が観客を前のめりにさせる。うまい。
イネスと貴族(資産家と結婚を決めるような貴族ですから、おそらく没落貴族でしょう)を無理矢理結婚させることでオーギュストは貴族の称号を得ようとした。
それを拒絶したイネスは自ら死を選ぶ。クロエの嘆きは激しかった。
アンブルは、おそらく次に利用されるはずだったのだろう。アンブルを手ごろな貴族と結婚させ、貴族の称号を今度こそ得ようとオーギュストは考えていただろうから、それが決定する前にクロエはオーギュストを殺さなければならなかった。イネスの悲劇を繰り返してはいけない、と。
なぜそんなクロエがオーギュストと一時的ではあれ、結婚したかといえば、そういう黒い部分を見抜けなかったのはもちろんだろうが、たとえ少し見え隠れしていたとしても、未亡人となり娘を二人立派に育てていくためには、お金のある人間と結婚する必要があったのでしょう。
そこに愛は育たなかったから、二人の間に子供は生まれず、オーギュストは使用人との間にオクターヴが生まれる。オーギュストとクロエの関係が愛情の形なのかはわかりませんが、夫婦の形の一つとしては数えられるでしょう。

イネスの悲劇を繰り返さないために手を汚したクロエは、その共犯者であるギョームとの間に子供を生んだ。
憎悪で結ばれた二人が、愛を育て、やがてミッシェルが生まれる。これが、最後にパリの街を出ていくオクターヴとオルガンの希望になる。復讐の目的を失っても二人が一緒にいられるのは、そこにまぎれもない愛があるからだ、と思える。
復讐の共犯でもなく、ましてや血のつながりのない姉と弟でもなくなった二人が「姉弟」といいながらも一緒にいられる。やがてそこに愛が育つかもしれない。これがとても幸せだった。復讐劇というけれども、これは様々な愛の形が提示された物語だったと私は受け取った。
前作『龍の宮物語』のラストよりも希望があるように見える。パンドラの箱に残された最後の光のように。

ここにきてまさか娘役紫門ゆりやを見ることができるなんて思っていなかったので感動しちゃったわけですが、声はいつも通り少し低めではあるものの、佇まいがもう貴婦人のそれ。最高。
クロエ自身の思いと主人公であるオクターヴから見るクロエ像があまりにもかけ離れているので、演じるのはさぞ難しかっただろうと思います。でもよかったなあ。
同じ意味でオーギュストも演じるのは難しかったでしょう。何を考えているかわからない亡霊のときのしぃちゃん(和海しょう)と弟のギョームに対してにやりと嫌な笑みを浮かべながら理不尽な要求をするしぃちゃん、どちらもすごみがありました。
なんならフィナーレのときもちょっとゾッとしてしまったよ。私、しぃちゃんの群舞、好きなんだよね、だからつい見てしまうのだけれども、今回は背筋に悪寒が走ったわ。
笑っているときでさえゾクゾクした。
フィナーレでは、しぃちゃんとつかさくんの2人をたぶらかして登場(笑)。いいものを見ました。
つかさくんもいい役に巡り会えましたね。最近、渋めの男役ってあまりなかったから、ファンは嬉しいのではないでしょうか。

うららちゃん(春妃うらら)はクロエとの友人。ちょっと空気の読めない貴婦人という感じでしたね。『ジェントルライアー』のゆりちゃんと似たようなポジションですが、さすがにうららちゃんは演技でやっていたし、うまかった。
少年オクターヴの初音夢ちゃん、少女アンブルの湖春ひめ花ちゃんの2人は『元禄バロックロック』のツナヨシの小姓コンビ。今回も愛らしかったです。
特に夢ちゃんの方は芝居がうまいなと思いました。
剣術披露をしたのは夏希真斗くん。すごいな、こんな下級生なのにつかさくんと対等に戦ったのか。
復讐の女神(エリーニュス)たちの中ではみくりん(三空凛花)がよかったな。男役の芹尚英くんが入っているのも印象的だったし(剣術の「はじめ」の声のトーンが1回目と2回目が違うのがすばらしかった)(カメラをかかえているとルキーニを思い出してしまうw)、咲乃深音ちゃんの歌声も素晴らしかった。
このお役、とても印象深い役だわ。ああいう象徴的なお役が時折使用人になって現実の人々の中に混ざっているのもおもしろかった。人が足りないということもあるのだろうけれども、それくらい日常に近いところにおぞましいものがあると感じることができるから。
人生、何があるかわからない。どこで転落するかわからない。私たちの人生にもひょっこり顔を出すかもしれない。観劇できる日常がありがたい。

転落したのか、そもそも生まれたときから貧困だったのか、それは人それぞれですが、うらぶれた下宿屋はそれでも自ら命を絶とうと考えている人がいなさそうなのが救いでしょう。
亭主に旅立たれても後を追わず、残してくれた宿屋を経営し続けるルナール夫人。しかもまともに下宿代を払ってくれない人間もいるのだから大変だ。
組長(美風舞良)の歌声は相変わらずすばらしいし、舞台全体のコーラスの厚みや深みは彼女のおかげでしょう。
何を考えているかわからないヴァランタン(聖乃あすか)、元医学生のシルヴァン(侑輝大弥)、傘売りのバルテルミー(紅羽真希)、レースやリボンを売るアンヌ=マリー(凛乃しづか)、踊り子のテレーズ(朝葉ことの)彼らはみんな目の下のメイクが濃い。
貴族との対比もあるのでしょうが、単なる不衛生とはまた別の意味でなかなかに不気味でゾッとして良かったです。
ひろさん(一樹千尋)のジャコブはしゃべるたびに『桜嵐記』の後醍醐天皇を連想させましたが、こちらは貧しくはあるけれどもいい人で、かつてのオーギュストの主治医だったというのだから、やはり人間いつどこで転落するかわかりません。オーギュストにクビにされたことだけが原因で宿屋にいるわけではないと思いますが、裏を返せば屋敷の主治医でさえい続ければこんなところにはいなかったはずの人です。
それでも彼もまた今日を生きる、明日を生きることに疑問がない。自ら死を選ぼうとしている様子もなければ、誰かを恨んで殺そうとしているわけでもない。
それはかつてオーギュストを憎んでもどうにもならなかった、あるいは時間が解決してくれるということを人生の中で知ったからでしょう。大人だ。
下宿の中でヴァランタンやシルヴァンを「格好いい悪党」といって英雄扱いする子供はシャルル。美空真瑠くん。今回の拾い物でしたね。
娘役が大好きな私にしては珍しく男役に引き込まれました。
「号外だ!」ではなく「プティパリジャン!」と声をかけていましたね。新聞の名前でもありました。

衣装も別箱のわりに新しいものが多くて白黒プラスワンカラーのマーブルの布地が沢山使われていて印象的でした。これこそまさに「本当のことなんて誰にもわからない」という象徴のような柄ですね。
楽曲も良くて、冒頭の「悲しみの終わりはどこ〜罪の始まりはどこ〜♪」も宿屋の住人紹介ソングも「この男と同じときこう笑えていただろうか」もギョームとクロエのデュエットも良かったなあ。
脚本もそうですが、全体の仕上がりがまだ2作目だとは思えないよ、指田先生……っ! これから期待大ですね。
プログラムでは「パリ」と「巴里」が使い分けられていて、前者は土地を指し、後者はオクターヴの心象風景ではないかという意見をツイッターで見かけました。こんなところまで芸が細かいんだな、指田先生。ありがたい。感謝の合掌。
芝居では精神的に大人な姉と甘えた弟という設定でしたが、フィナーレのデュエダンはさすがにひとこがグンと大人になってきましたね。
もしかしたら数年後のしっかりしたオクターヴだったのかもしれません。よかったなあ。将来こうなっているだろうオクターヴとアンブルの姿を見ることができたのも希望でした。
フィナーレの娘役のお衣装もよかったな。深紅のベルベット。髪飾りもみんな素敵だった。
さきちゃんを連れてくるのがらいとなのは、おお?どいうポジション?と思ったけれども、単なる番手の関係かな……。

キャラクターとしては本当にロクなやつが出てこないのだけど、でもどれも愛しく思えるのは脚本家の力でしょう。人間の残念な姿、ダメな姿も愛おしいと考える人間としての器がでかいぜ、指田先生……こういう姿勢を見習った方がいい演出家の先生、いますよね?
別に全員にこういう暗い話を作ってほしいわけではないし、暗い話なら感動するわけでもないのですが、人類への愛情が不足しているから、恋に落ちた時にキラリンとか効果音を入れちゃうし、外国人設定のキャラにはカタコトで喋らせちゃうし。頼むよ、ホント。