ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

雪組『海辺のストルーエンセ』感想2

雪組公演

ミュージカル・フォレルスケット『海辺のストルーエンセ』
作・演出/指田珠子

前回の大枠に関する記事はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com今回はもうただひたすら萌え語りです(笑)。
神奈川公演は箱が大きいかなと思いましたが、梅田公演では神奈川公演であったはずの余韻が全体的にぎゅっと凝縮されてしまったような印象を受けました。余韻は欲しいが、箱は小さめがよかったな……箱を選ぶのも難しい。

開演五分前に緞帳があがり、海の映像と波音、上手と下手に高さのある舞台装置、上手の装置上には椅子(玉座のようなもの)が置かれている。タイトルの「海辺」、そして芝居の舞台の大半を占める「王宮」を連想させる。もうたまらん。
開演アナウンスは優しめの声。最初に出てくる好青年ヨハンを少し大人にしたような。よきよき。どきどき。

【第Ⅰ幕】
●第1場 朝 海辺
最初に出てくるのはヨハンでもカロリーネでもクリスチャンでもなく、名もなき「召使いの女」。白綺華ちゃん。す、すごい舞台度胸だ、まだ何も始まっていない中、デンマーク語で「おはよう」を意味する言葉から始まる主題歌を歌い出す。しかもうまい。なんだなんだ、『デリシュー』初舞台107期生の噂の主席。きぃちゃん(真彩希帆)が憧れの人であるだけあって、歌がうまい。ビックリしたわ。しかもマイメロが好きというところは親近感が湧く。歌がうまい。梅田になってからまたうまくなっている。すごい。どこまでうまくなるんだ。天井知らずだ。歌うまい(n回目)。
どうやら彼女は海辺で恋人を待っていたようです。やってきたのは「男爵」としか表記されていない男性貴族、苑利香輝、108期生ということで『グランカンタンテ』が初舞台。つい最近じゃないか、去年じゃないか、背中で幸せを語る恋人の役って研1で与える役かよ……しかもこの二人はずっと、人目の忍びながら秘密の恋人であり続ける。そう、これが「あったかもしれないヨハンとカロリーネの物語」だと思わせるの。なんて象徴的なんだ。すごい。この発想がすばらしいし、しかも二人には台詞はないんですよね、はなちゃんの歌と二人の表情、背中が全てを語る。少なくとも語らせようとしている。す、すえおそろしい……。初日からまたぐっと成長しているのがすごい。

ヨハン(朝美絢)はドイツの病院(と思われる場所・舞台センター)で医者(壮海はるま)に叱られる。「窓を開けるな」「シーツは破れるまで使え」「少し学があるからといってデカい面をするな」「ここのやり方に従え」と。古いしきたり・伝統・魔法、を嫌い、科学・理性・自由を求める。当時流行の啓蒙思想である。
しかしこの好青年のヨハン、この病院を追い出されて、次に出てくるときは「愛の錬金術」を歌うまでになるのですが、一体その間に何があったんだと思うほどの豹変振り。え。あの好青年はどこに行ってしまったのか? なんかいかがわしい医者が出てきたんですけどwと笑ってしまった。

一方同じ頃、舞台上手のデンマークではクリスチャン(縣千)が椅子に座って王になるための勉強をしている。間違えると家庭教師のレヴェントロー伯爵(一禾あお)に鞭でしばかれる。「静かに静かに目を閉じていたい~♪」と歌うが、そうりゃそうだろうなという気もする。しかし家庭教師からはフランス語の勉強もまだ残っていると叱られる。この時点で腕が痛いようで、腕をおさえるクリスチャン。後に、ヨハンに言われるがままにサインをし、腕をいいため、体調不良になることにつながっている。そちゃクリスチャンにとってはトラウマだろうな、この痛みは。
その周りではクリスチャンの父・フレゼリク5世(真那春人)が宮廷の男女と楽しく遊んでいる。男とはお酒を、女とは愛情をそれぞれ楽しんだのでしょう。
そして、それを王妃ユリアーネ(愛すみれ)が冷たいまなざしで見ている。この視線がまた冷たいんだ……物語の最後にユリアーネは「愛することも愛されることも何も知らなかった」と自身のことを言う。フレゼリク5世相手でも愛を得られず、カロリーネ(音彩唯)やゾフィア・ドロテア(白峰ゆり)のように異国の貴族と劇的な恋に落ちることもない。毒薬と間違えて惚れ薬を飲む前のトリスタンとイゾルデ。のちのカロリーネの台詞にも「愛を知らない方が淋しいかもしれない」とあり、ユリアーネが暗示されているように見える。
フレゼリク5世はクリスチャンには話しかけるが、ユリアーネはほとんど無視。ユリアーネが話しかけようとした瞬間、フレゼリク5世はクリスチャンに話しかけ、その後もユリアーネは視界に入っていないかのよう。ようやくユリアーネが「陛下」と声をかけて振り返る。その瞳にユリアーネを写す。フレゼリク5世はユリアーネに無関心であることがこの一場面でわかる。すばらしい。まなはるもあいみちゃんもうまいんだよ~!
ユリアーネはようやくフレゼリク5世と話をしようとするのに、宮廷人の女が邪魔をする。フレゼリク5世は「待て~」と追いかけ、ユリアーネは再び一人ぼっちになる。上手にはけるときには下を向いて、うつむいている。つらそう。

さらに下手の舞台装置の足下のイギリスでは、兄のジョージ3世(霧乃あさと)の狩りについてきた妹カロリーネが「待て~!」犬と戯れている。同じ言葉で場面をつなぐ方法がうまい。
兄に「大きくなったらどこかのお姫様になる、だからお勉強を」と言われたカロリーネは「お姫様になって軍隊に入る!」と無邪気に言う。どうやら射撃や乗馬がお好きなよう。
「馬に乗ります」「ダメよ♪」「危ない♪」「皇后らしくない♪」「そうです♪」「なぜなの♪」「古いしきたりを守らなくてはいけない~♪」と一瞬のうちに脳裏をよぎる『エリザベート』「皇后の務め」ですわ。いや、一瞬のうちに脳裏をよぎってびっくりした。自分でも。シシィの時代でダメなら、そりゃカロリーネの時代はもっとダメだろうな……。
日本では女性のやんちゃな幼少期を示すのに「木登り」が使われることが多いですが(シシィもそうでした)、ヨーロッパだと乗馬や狩りなのでしょうね。大河ドラマのヒロインは大抵第一話で木に登っている。
はばまいちゃんのこの白いドレスがまた可愛いんだな……最高なんだな……超絶可愛い。えらい健康的なメリーベルのような。ソーキュート。大正解。白いドレスにピンクのリボンとか反則だろ。

ヨハンは解雇、フレゼリク5世は亡くなり、クリスチャンが王となる。妃としてカロリーネがイギリスからデンマークへやってくる。運命の歯車が狂い出す。
「神よ、なぜ異国の地に生まれた三人を、このフランスで結び合わせたもうた」とオスカル様の声が聞こえるよう。『愛の巡礼』が流れるよね。「見知らぬ国をただ一人愛を求めて今日も彷徨う♪」というのは、まさに後半で男装するカロリーネにぴったりなのではないかと。すごいな。オープニングだけで『エリザ』も『ベルばら』も出てきたよ。
異国の地の三人の三重奏。お見事。オープニングとしても美しい。
幕前芝居では、ベルンストッフ(奏乃はると)が下手に去った後、ユリアーネとその息子フレゼリク(風立にき)の家庭教師であるグルベア(叶ゆうり)が「静かに静かに今は目を閉じて♪」と歌う。耳が幸せな二人。しかし、ここのグルベア、見るたびにユリアーネへの下心が増してくるようで。それは権力だけではなさそうな。ユリアーネに愛を教えることができるとしたら、もしかしたらこの人だったかもしれないと思わせる演出でした。
さらにユリアーネはしきりに「今まで通りでいい」と言います。ゆくゆくは自分の子供を王座につけることを目論みながらも、あくまでその過程はゆっくりと慎重にということでしょう。これはのちに急速な改革を進めるヨハンとの対比となっております。ただ史実ではユリアーネの子供のフレゼリクは身体障害を持っていたようで、ヨハンが追放されたあと、クリスチャンの摂政となり、あくまで摂政という形でのみ政治に関わり、王にはならなかったようです。摂政といってもユリアーネの操り人形だったようですが、その母の慎重さが仇となって、彼は王になれなかったのかもしれません。やがてクリスチャンの子供のフレゼリクがメガネ・ベルンストッフ(紀城ゆりや)とクーデターを起こして、王になったようです。ここでヨハンの政策が息を吹き返すのがまたドラマチック。

●第2場 ドイツ アルトナの病院
アルトナで怪しい錬金術。くるくると機会仕掛けの人形のように登場する紳士淑女のみなさんがすばらしかったです。目が回らないのかな、大丈夫かな。バッスルドレス、可愛いよ。公演プログラムには「ドイツ アルトナの病院」とありますが、淑女りなくる(莉奈くるみ)の歌によると「デンマークアルトナにある日舞い降りたあなた♪」ということで。調べてみると1640年から1864年までアルトナデンマーク領だったようで。現在はドイツハンブルクの一地区だそうです。ころころと国が変わる地域といえばドイツとフランスの間にあるアルザス地方、アルトナもそんなところだったのでしょうか。
りなくるの「あなた♪」の歌い方が見るたびに違っていて感心しました。美人で歌が上手い。

ランツァウ伯爵(真那春人)とブラント(諏訪さき)とこの地を離れるときも「では行こう!」「どこへ?」「デンマーク、の郊外」と言っていたので、どっちかなーという悩みは尽きない。
そしてプログラムを読んで驚いたのは、ここ、病院だったのね!?ということ。最初に見たときはてっきりいかがわしい酒場か何かかと。だってソフィーが「お忍びで」とかいうからさw
もっとも迷信深い中世の世界で、科学や理性に基づいた医療行為は、あながちいかがわしい行為だったのかもしれません。病院内の換気や清潔なシーツの使用の徹底はナイチンゲールの登場を待たなければなりません。

「きっと私前世で恋人だった♪」の歌詞は個人的に優勝。頭韻脚韻同音異義語を使った歌詞が多く出てきますが(「政治軍事愛の情事」「酒を飲んで酒に飲まれて皿割って騒いで」「これは何か使える再び王に仕えるこれは何か掴める」などなど)、私にもっとも刺さったのはこの歌詞です。すばらしい。オタクの心がよく分かっているわ、指田先生。うふふ。
老若男女問わず診察しているところは、もはや『シルクロード』の「千夜一夜」の場面を思い出しますわ。既視感バリバリ。赤い宝石たちをもてあそぶシャフリヤール様。あれの西洋の医者版でしたな。
治療に訪れたソフィー(妃華ゆきの)に聞こえないように「どうせ不摂生だろ」という毒を吐くのもいいし、すぐさま医者(錬金術師)の仮面をつけて胸に耳を当てる姿も麗しい。当時はまだ聴診器がなかったとはいえ、あっても使わない演出が正解と思わせるほど。ソフィーが「今日は良い子にして早く寝ます」というとき、後ろでランツァウ伯爵が両手を合わせて眠るジェスチャーをしているのがなんとも可愛らしい。これが「流行り物好き」といわれるゆえんなのか!?
それにしても前回『ほんものの魔法使い』で主演の魔法使いの役をやった人に「魔法なんてない」「魔法が嫌い」と言わせるの、本当にすごい。そして『ほんまほ』が刺さらなかった私は、そうだよね、まやかしだよねとやはり思ってしまうのでした。

続くランツァウ伯爵やブラントとのやりとりも、歌いながら合間に台詞をはさんで話が進んでいく。いいね、いいね。歌うように台詞をいい、台詞をいうように歌う。こういうの、好きなのよね。そしてさすがすわっち。初日からしっかり歌詞が聞こえる! すばらしい! ユニークな歌詞がちゃんと生かされている!と実感できる。
というか、ここのブラントがめちゃめちゃいいんだよね〜王宮を追放されてなんとかもとの地位に戻りたいという考えは下衆なことこの上ないのですが、明るく溌剌した雰囲気を感じ取るし、すわっちがまたそれを嫌味を残しつつも清涼に演じてくれるから、ヨハンも魔法や錬金術といった怪しげなものが嫌いという「身の上話」をついしてしまうのが、すごくよくわかる。迷信深い貴族たちにはその方がウケるという話には「なるほど」と納得するものの、それをヨハン自身が「馬鹿馬鹿しい」と言うのを聞いて咳払いをするランツァウ伯爵は結構冷静で、ブラントは王宮に返り咲く夢を見る。二人は一緒にいることが多いけれども、決してニコイチのような扱いを最初からされていないところもミソですな。最終的に二人が決定的に別の道を選ぶことになることは、すでにここで暗示されている。
ブラントの衣装、ストライプに金箔が散っているけれども、柄物の生地に金箔が舞っている布地を使っているのは彼だけかな。ジャケットが長いのは他の貴族と同じですが、ブラントもタイツではなく、ブーツのあたり、しっかり三番手という感じがしてよい。そしてこのときの歌が客席挨拶のときにもきちんと流れていて、ブラントのテーマソングとなっているのが非常によい。
三人はデンマークの郊外の酒場へ、仲良く腕を組んで舞台上手奥に去っていく。ランツァウ伯爵がヨハンに行き先を聞かれて「デンマークの、の郊外」というところは狂言回しのルキーニのようでもあるし、その直後から次の場面の音楽の前奏が流れ始め、実に場面もスムーズ。そうね、「計画通り上手くいかない」とブラントとランツァウに教えてあげたいところです。

●第3場 デンマーク郊外 酒場
クリスチャン7世のテーマソングはやたらと激しい。「愛してくれ愛が足りない一人だけなんて時代遅れだろう♪」と歌うクリスチャンはどれだけ人と一緒にいても埋まらない心の隙間を抱えている。これは史実のクリスチャンが「王妃を愛さない。一人の妻を愛することは時代遅れ(unfashionable)」と宣言したことにちなんでいるのでしょう。ちなみに最後のフレーズは何と言っているのだろう……「女神触れる矢をかき抱く男♪」と聞こえるのですが、意味が全く通じない。
失脚したときのヨハンが孤独に歌う「私ひとり~♪」という歌詞にも通じるものがありますね。伏線貼りまくりですな! 楽しい!
酒瓶をまるでマイクのように持ち、酔っ払いの千鳥足演技もすごいな、あがち……と思って見ていましたが、酔っ払って倒れているのに、そこから足の遠心力?と腹筋で起き上がるのもすごいな、と。身体の作り、どうなってんだ。体幹をわけてくれ、と体の衰えを感じつつある私は心底思いました。トレーニングして、私。
クリスチャン以外も、スサンナ(白峰ゆり)、ヒルガ(りなくる)、ミラ(千早真央)も爆踊り。すごいなーみんな可愛いなー三者三様なんだよ、ここ。スサンナは公演スチールのパイプを上手で吸うところがあるのだけれど、これもたまらん。
最高。そして座長のヘンリック(一禾あお)もうまいんだな、これが。いい声! 本当に彼、芸達者ですよね。この後もフリードリヒ2世を演じますが、うまい。いつの間にこんなに演技がうまくなったんだ、と目を瞠る。ちなみにフィナーレは色っぽかった。驚いた。

王立劇場の役者たちと一緒に馬鹿騒ぎをしているけれども、クリスチャンの心は埋められないのね……クリスチャンのテーマがフェードアウトしていくなかで、台詞が入り、すんなりと芝居に移行する手腕もお見事。脚本を考えた指田先生もそうだし、それを演じるタカラジェンヌも、音響さんも照明さんも上手くやっているわ。
スサンナに手を挙げるクリスチャンを見て淋しい気持ちになったところに現れるヨハン、ブラント、ランツァウ伯爵。
クリスチャンは「医者だ」と自己紹介したヨハンを完全にスルーして、ブラントとランツァウ伯爵に「会いたかった」と告げる。これもいくらかは酔っ払った勢いでしょうし、またいくらかは本音でもあるのでしょう。ユリアーネのつばのついたホルク(日和春磨)が侍従長では息の詰まる思いは以前と比べるまでもない。

とはいえ、観客的にはホルクも憎めない愛嬌のあるキャラクターでした。クリスチャンからどちからがひどい被害にあったか、でブラントとマウントを取り合うところは小物感もある。なるほど、ユリアーネ様がいなかった本当に君は侍従長にはなれなかったでしょうねwという感じがする。クリスチャンに「こいつらみんな拷問にかけろ!」と言われてホルクはすぐに「はい!」と答えてしまう。そこをスサンナがドスの効いた声で「え?」と聞き返すから、「いいえ、陛下!」となる。流されやすい人だ、ホルク。そして退場するときも「暴力反対~!」とか言いながら逃げていく。憎めないな……。
梅田では舞台のサイズの問題でしょうか、この台詞があるときとないときがありました。
ダンスのあと上手の椅子のところで、急いで決闘用の剣を腰につけているところも目撃してしまいました。あれは尺の都合で間に合わなかったら大変だからな。

酔っ払ったクリスチャンに絡まれたブラントが、少しばかり目でヨハンに助けを訴えているように見えるのもおもしろいところです。帰って来たくて帰ってきたのではないのか。このときはまだクリスチャンを、自分の地位を取り戻すためのものとしか見ていなかったのでしょう。これがちゃんと「人間」として認識していく過程が、マジで痺れる。
おいたが過ぎるクリスチャンにヨハンは「遊び」と称して決闘を申し込む。「死が怖くて医者が務まりますか」という言葉は最もだけど、初日に見たときは、まさかこの展開がラストに見事につながるなんて夢にも思わなかったよ、私は。ただの乱痴気騒ぎの描写だと思っていたよ、すんすん。

ここでランツァウ伯爵はカロリーネのことを「可愛そう」とも言います。王と王妃が愛し合っている国は少ないけれども、まだ「お若い」とそれとなくかばう。ランツァウ伯爵は恋愛や情愛に人一倍敏感で、だからこそ、後半、ヨハンの不義不貞を最初に外から指摘できるキャラクターなのでしょう。「流行り物好き」というのもこのあたりが所以かな。よく練られている。

●第4場 王宮 枢密院
ものすごい気合いの入った四重奏で始まる。すごい。厳かな世界。まさに「機械仕掛けの宮廷人」たちが集まる場所でありました。そしてユリアーネの「祖国に栄えあれ とこしえにとこしえに 愛するこの国~♪」は圧巻でした。あいみちゃんが歌がうまいのなんてみんな知っているけれども、あの厳つい顔で一人高らかに違うパートを高い場所で歌う愛すみれって本当にすごい。あと貴族服のタイツにより、みんなの足首の細さがわかるが、しっかり筋肉がついているふくらはぎである。すごい(どこ見ているの)。
ちなみにこの場面では、冒頭で男爵の役を演じた苑利香輝くんは「貴族の男」というくくりになっています。これはきっと、男爵がランツァウ伯爵側の人間だからでしょう。第Ⅱ幕冒頭のテニスのシーンで明らかになります。つまりランツァウ伯爵が王宮追放されている時間軸では、男爵もまた宮廷にいない、と考えるのが妥当かと。細かいな、指田先生。
召使いの女はベルンストッフについていますので、二人は決して同じ派閥にはいない者同士。こんなところもヨハンとカロリーネのあったかもしれない世界線を連想させる仕組みになっている。すごい。

機械仕掛けの宮廷人たちから「眠り姫」と呼ばれるカロリーネは自室からほとんど出てこない模様。「啓蒙」の観点から言えば、寝ているのはどっちか、と聞きたくなるような気もするが、誰もが自分は「目が醒めた場所にいる」と思いたがるものなのでしょう。
しかもオペラ歌手との浮気というゴシップ付き。おそらくこれは宮廷人たちがカロリーネを蔑視することを表す噂にすぎないのでしょうけれども、すわん(麻花すわん)になかなか品のないことを言わせるのもすごかった。水色のカツラ、とても不思議だったけど、よく似合っていた。どうやったらあんな色の髪にしようと思いつくのかわからん、すごい。
そしてユリアーネは「眠り姫」に「発音が耳障りだからデンマーク語の勉強をするように」と侍女エイベン(華純沙那)に伝える。黄緑と白のストライプのドレス、可愛いな。どの国でも異国の者は忌避される。まずは言葉を嘲笑される。これ、別に今でも私たちの身の回りにあるよね。宝塚の外国人表象そのものを考えさせられてしまう。そういえば最近、星組でも外国人が議会に出席できませんでしたね、ディミトリ……。

貴婦人たちの話を聞いていたカロリーネは、うっかりここで枢密院の様子をうかがっていたヨハンと出会う。「あの、みなさん行かれましたか」とカロリーネが扇で顔を隠しながら聞き、「ええ、実にイカレた連中です」とヨハンは巧みに返す。なんて気の利いた台詞なんだ、みんなこういうの真似したいよね。
カロリーネは話し相手がいかがわいい医者だとわかると態度を厳しくする。「ユリアーネ様に怒られるのは自分だ」と。なぜカロリーネが怒られるんだ、そんな理不尽だな。

●第5場A 王宮 王の部屋・第5場B 王宮 庭
ヨハンはクリスチャンもカロリーネも短気であり、宮廷人は「機械仕掛け」、王宮内の「病」の深さに半ばあきれているところで、王の部屋へと向かう。ここも場転がスムーズなんだよね。舞台装置の入れ替えはこのあともあるけれども、ずっとヨハンが舞台上にいることで観客の意識が途切れない。そしてあーさは場面と場面をつなぐ力をもっているという証でもあるでしょう。舞台にいる時間もかなり長いような気がします。
王の部屋では、すでに別の医者によって血を抜かれたらしいクリスチャンがソファで横になっている。血の気の多いヤツの血は抜いてしまえ、ということか。なるほど、確かに古い。
ここでのヨハンとクリスチャンの問答がお互いのテーマソングになっているのもいい。「聞かせてあなたの鼓動を♪」「喉を焼き尽くせイカしたコイツで♪」とな。ヨハンが話すときは青い照明、クリスチャンが話すときは赤い照明になるのもいい。ここは照明さん、めっちゃ忙しいだろうな。

ヨハンによる診察をサポートするためにどこからか現れたブラントは黒い帽子に黒いマント、まるでヨハンが嫌いな魔法使いではないかwという出で立ち。一方で、スムーズに場転し、王宮の庭に出てくるランツァウ伯爵は農民の姿で王宮に忍び入っている模様。王宮追放されたわりには楽しそうで何よりです、二人とも。
ヨハンに理想とする人を聞かれ、あからさまに「そんなやついない」というクリスチャン、昔懐かしツンデレというやつですな。そして登場するフリードリヒ2世。「君主は人民の第一の従僕にすぎない~♪」一禾あおがこれまた高らかに歌い上げます。すげぇな、本当。
そしてヨハンは「案外センスがよろしい」と上から目線。おもしろいな。

ところでクリスチャンがフリードリヒ2世に憧れていたのは史実なのでしょうかね。第Ⅱ幕にあるように「友人を殺してでもその地位を守った人」で「啓蒙君主」だから今回選ばれただけなのでしょうか。
フリードリヒ2世、ヨハン、クリスチャンの順番で銃を撃ち、堂々たる気風を示す。一体何を撃っているんだ、鏡の中のプリズナーでも助けるのか、と脳内は『ジャガービート』。しかしこの場面、センター後方席に座るとタカラジェンヌ三人から打ち抜かれるという、確かにある意味「心臓が走りだ」しそうになりますな。

騒ぎを聞きつけたカロリーネとエイベン登場。クリスチャンに「オペラ歌手がベッドでお待ち」と言われて、「あなたと一緒にしないで」と、もっていた本を投げ飛ばすカロリーネ。噂は噂でしかないのでしょう、その噂をよりにもよってクリスチャンが、王が信じていることに我慢がならないカロリーネ。そりゃそうだろう。クリスチャンとカロリーネで「「冗談じゃない!」」とぴったりタイミングを合わせて話すところは、意外と似たもの同士……と観客にも思わせます。あそこ、たくさん練習したのだろうな。
カロリーネを叩こうとするクリスチャンをヨハンは「暴力はよくない」といってとめる。しかし「ヤブ医者!」と言われてしまうw カロリーネ、罵るところも可愛いな。ところでエイベンがここで「先生のことはご報告させていただきます」というが、一体どこに報告するのだろう。

「一緒に勉強しましょう」というヨハンに「鞭で殴ったりするのか?」とクリスチャン。だいぶあの教え方がトラウマになっている模様。しかしヨハンは「私のレッスンは愛を教えるがごとし」という。これは観客みんな受けたいレッスンなのでは?
おもしろいのは鞭で殴ってクリスチャンにトラウマを植え付けた伯爵とクリスチャンの理想の君主であるフリードリヒ2世をともに一禾あおが演じているというところ。すごい芸達者だよ、本当、すごい。そしてフリードリヒ2世のあとのヘンリックもすぐに登場。早着替え、すごい。

●第6場 王宮 劇場
後日、劇場ではすっかり大人しくなったクリスチャンが大使(稀羽りんと)とにこやかに話をしながら観劇をしている様子。しかし、そこにカロリーネの姿はなく、大使に「明日はご一緒できるとよいです」と言われると、さっそくカロリーネに文句を言いに行く。クリスチャンに「なぜ同席しない」と聞かれたカロリーネは「フレゼリク(子供)の熱が下がらない」と答えるが、「そのために乳母がおります」とグルベアに言われ、追い打ちを掛けるように「子供を育てることは王妃の務め、ではありません」とユリアーネから有無を言わせない威圧をかけられる。まさに『エリザベート』の世界。そう思っている間に場面はスムーズに枢密院へと移り変わる。ストレスのない場転よ、ありがとう。

役者たちの歌もいいですね。「我らは役者気ままな仕事さ♪」と。りなくるが高い音ではもるのも素敵です。エアマイクのようなものも素敵。
ところでスサンナの「私○○○拍手もない!」という台詞、ちょっと間が聞き取れなかったな……何と言っていたのでしょうか。クリスチャンに向けられた言葉だと思うのですが。
アンコールで幕が上がったときは、クリスチャンに投げキッスしていたと思うんだけど。

枢密院ではほぼ初めてといっていいでしょう、クリスチャンが自分の意見を述べる。検閲の禁止や拷問の廃止をしてもいいのではないか、と。一瞬枢密院はどよめく。クリスチャンが自分の意見を述べたことにも驚きだが、それ以上にその内容が今までの価値観とは全く異なるものであり、貴族の特権を奪いかねないものであったから。「わからんちんはお前達だ」とヨハンは言う。突然コミカルな「わからんちん」の台詞には驚きましたが、それくらいの清涼剤がないと、この場面は重たかったでしょう。
メガネ・ベルンストッフは、叔父上ベルンストッフ(奏乃はると)に「時代は変わっています」と助言もする。彼がゆくゆくはクリスチャンの息子フレゼリクを補佐すると思ってみると、今はまだ頼りないけれども、考えの基礎がどこにあるのかはよくわかる。
一方、宮廷に戻ってきた男爵は、召使いの女にすれ違いざまにプレゼントである貝を渡す。召使いの女は貝に耳をあて、幸せそうに波の音を聞いている。本当に心の癒やしのカップルですな。

●第7場 昼 海辺
波の音を聞いて幸せになる召使いの女とは異なり、カロリーネは「こんな音(波の音)、淋しくならない?」という。明るい日の光のあったイギリスとは違い、曇り空の多い暗いデンマークに馴染めない彼女は、波の音を楽しむことができない。イギリスもだいぶ霧が多いイメージがありますし、気候区分でいえばイギリスとデンマークではそう変わらないような気もしますが、実感としては大きく違ったのでしょう。ヨハンが作中で海を訪れるのはここが最初でしょうか。クリスチャンではなく、カロリーネと最初の海辺の場面を過ごすことが意味深ですね。ここで歌われるのがカロリーネのテーマソングかな。はばまい、本当に歌上手いよな、すごいな。あーさの相手役には歌の上手い人を!という人がいるけれども、気持ちはわかる気がする……。
「青い海をすくったビロードのドレス♪」と歌い出すと、舞台後ろでは、ビューロー男爵夫人(天咲礼愛)の娘テレーサ(瑞季せれな)が、幼少期のカロリーネを象徴するかのように出てきて踊ります。ここは王妃大集合の場面でもあり、カロリーネの理想である前王妃ルイーセ(美影くらら)、カロリーネの曾祖母にあたり、正確に問題のある王をもち、外国人貴族と恋に落ちたことで孤城に幽閉されたゾフィア・ドロテア(白峰ゆり)(しかしなんでもやるな、ゆりちゃん。宮廷の女、貴族の女、スサンナ、ゾフィア、勅令兵、劇中劇の姫と七変化)、そして舞台の後ろを下手から上手に向かってゆっくり歩く現在のデンマークの王太后ユリアーネ、もちろんカロリーネも王妃である。そう考えるとテレーサもいずれどこかの国の王妃になる、ということの暗示なのでしょうか。
この場面でヨハンもドイツの病院にいたとき、人々のためにやっている自分の行いが誰からも理解されなかったことの悔しさを吐露する。そう、ヨハンはクリスチャンには自身の気持ちを打ち明けることがあまりないけれども、カロリーネには思わず伝えてしまうんですよね。うう、愛の萌芽が見えるぞ、見える。

その一部始終をクリスチャンはブラントとともに見ている。観客には見える愛の萌芽はもちろん彼らにはまだ見えない。今のクリスチャンは王妃を気遣うことで精一杯なのだ。観客はここでクリスチャンのカロリーネへの愛の萌芽を見てしまうが、花を咲かせなさそうなことも同時に知り、つらくなる。
ブラントはブラントで、ホルクに見つかり逃げていく。ホルク、本当に小物感がたまらんな。

●第8場 王宮 広間
クリスチャンはすっかりヨハンの「愛のレッスン」を会得したようで、「ストルーエンセ先生」の教えに従い、役者と共に大人しくお茶を飲む。地べたに座ってお茶も何もあるかいなwという感じですが。もっとも役者たちはお茶ではもちろん物足りない。酒を飲みたいが、クリスチャンが我慢している手前、そうもいかない。「俺がこんだけ我慢しているのに!」と怒り散らしたときは、むしろ役者たちは喜んでいた。それでこそクリスチャン!と。

その後ろではユリアーネ、ベルンストッフ、グルベアがお行儀良く椅子に座ってお茶会を開いている。同じお茶会なのに全然趣が違うのだもの、笑ってしまうわ。「陛下が政治に関心を抱くことはよいことかと」と言うベルンストッフに対して、「発言が誰の入れ知恵によるものなのか、気になります」というユリアーネ。続けて「(ヨハンが)薬の量を間違えないよう、我々がしっかりと見張っていなければ」と。監視社会を感じました、怖い。でも今だってSNSで充分相互監視社会だよね、と思うなどした。

クリスチャンのお茶会では、ディドリックが昨晩強盗に襲われてけがをして遅れてやってくる。街頭があれば犯罪は減る、と思い至ったクリスチャンはここで初めて「ヨハーン!」とファーストネームでヨハンを呼びながら下手に去って行く。仲良くなっているではないか。クリスチャン発案の政策があるのがこれまたよい。

●第9場A 王宮 王妃の部屋・第9場B 海辺
その頃ヨハンはカロリーネの部屋を訪れる。「いちいち口の減らない小娘だ」と悪態をつきながらも、与えられた「医者」の役割を全うするために、「訛のように重たい」カロリーネを部屋の外に誘い出す。本を追いかけるカロリーネがくるくる踊るように回るのも可愛いし、しんどいふりをしてヨハンに心配させて本を取り返そうとする知能派なところも愛らしい。すばらしい。二人は追いかけっこの末に海辺に辿り着く。二人で過ごす海辺その2です。かつては「馬にだって乗った」「柵を跳び越えることだってした」「誰よりも上手にできたんだから」というカロリーネは宮廷にいるカロリーネとはまるで別人のようであり、ヨハンは彼女がありたい形の彼女を引き出すことに成功、男装の姿のはばまい、可愛かった。
娘役大集合で、「みなさん素敵な笑顔ですよ」と真ん中のヨハンに言わせる演出、天才だな。みんなヨハンにめろめろになったわ。傘をくるくると回しているのも可愛らしい。デンマークの日差しがそれほど強いとも思えないけれども、おしゃれアイテムとしては大切です。ここの「フォレルスケット」の曲も好きです。いいよな、可愛いよな、未来が明るいことをこのときはまだ信じられる。夏至祭のころになると、海辺で炎が焚かれることを教えてもらうヨハン、「炎が悪い者を追い払ってくれるの」というカロリーネに「あなたに炎は必要ない」という。それはつまり、自分が守るからってことですかー!?と思っていると、夏至祭の舞踏会に出席するようにお願いする。それはクリスチャンのためでしょう。クリスチャンの病もカロリーネの病も、治すのが自分の役だと思っている。それはそうなんだけどね……うう。クリスチャンが王である前に人間だと言いたいように、カロリーネが王妃である前に人間だと言いたいように、ヨハンも医者である前に人間だと言っても良かったのではないですかね。もっとも言ったところで、傷つくことはあったと思いますが。

●第10場 王宮 夏至祭の舞踏会
夏至祭の舞踏会の音楽、ノリノリで楽しいなと思っているとユリアーネが「なんですか、この音楽は!(怒)」とお怒りのご様子。しかし、保守派も意外とノリノリで、義弟フレゼリクやグルベアは身体がリズムを刻むし、ベルンストッフは仮面を薦めてくる。意外とコミカルですな、あなたたちw
ユリアーネ様も結局あとで一緒に踊ってくださるし、猫ちゃんの仮面はよく似合っています。
他の貴族も楽しそうにしているのは、クリスチャンが最初に自分の意見を述べたときと同様で、「新しいもの、珍しいものに初めは食いつく」という習慣によるものでしょう。そして来年の夏至祭の舞踏会は、きっと以前と同じような音楽が流れるのでしょう。そう思うと、いろいろはかなくて涙が出てくるよ、すんすん。次の舞踏会にはヨハンもいないだろうからな。
この曲とクリスチャンのテーマがツイッターで「フレンチロック」と言われるゆえんでしょうか。指揮者のような振りをしているヨハンもいい。自分がこの宮廷の病を治療するぞという意気込みが感じられる。舞踏会のこの曲はフィナーレ以外でリプライズがないのが淋しいかな。しかし「指を滑らせ骨砕く~♪」という歌詞は結構過激ですよね。音楽というアリプロジェクトを思わせました。

カロリーネはまさかの男装のまま登場。ドレスアップしたエイベンを相手にしているのもいい。
あがちクリスチャンのこの場面のピンクタイツ、赤革手袋、とても素敵です。そして高らかに宣言する「ここで一つ、遊戯をしよう」と。ユリアーネは「そんな話聞いていない!」と再び怒りを露わにしますが、王の決めたこと、話は進んでいきます。そしてユリアーネ様もそれに付き合ってあげます。本当に優しいんだから、もう。
ここでヨハンが勝者となったのは、別にクリスチャンと図って行ったことではないでしょう。結果的にそうなったというだけの話で。もちろん観客の私たちからすれば、「これはヨハンが勝つなw」とわかるわけですが、それとはまた別次元の話です。
見事グルベアを生け贄にして勝者となったヨハンは、ここぞとばかりに先日の枢密院で一蹴されてしまった陛下の改革の実現を跪いて願う。けれどもあっさりユリアーネに折られてしまう。「先生は遊戯をご存じないのですね」と。さらにベルンストッフが「ましてや先生は陛下の主治医にすぎない」と言う。保守派の勢力に結局は丸め込まれてしまう。

配信のとき、ちょうどこのあたりの台詞を聞いているヨハンの顔が映ったのですが、ナイスカメラワークです。とてもショックだという顔をしている。話をしている人の顔ではなく、聞いている彼の顔を映すの、大正解の場面でした。指田先生から指示があったのかもしれません。
一方、ユリアーネに公開叱咤されているヨハンを周りの貴族たちは我関せずといった様子でおのおの近くの貴族たちをおしゃべりを始める。ああ、王宮ってこういうこと、よくあるのだろうな、ということがよくわかる。つらい。仮面をつけなければ宮廷でなんて暮らしていけなかろうことがよくわかる。
ここでも男爵ではなく貴族の男として出てくる苑利くん。ランツァウ伯爵はこの舞踏会に参加していませんからね。この演出がにくいな。

●第11場 海辺
お茶のために他の貴族は去って行く(よくお茶するな、最初の枢密院の場面でも去って行くときに「あちらにお茶の準備があります」とかなんとか言っていた。第Ⅰ幕だけで三回)。残ったのはヨハン、カロリーネ、クリスチャン、ブラントの改革派のメンバー、場所は移り変わり海辺、本当に場面転換がスムーズだ。すばらしい。ここにランツァウ伯爵がいないのがのちの決別を暗示していますね。
ヨハンはすぐさま「医者」という仮面をつけ、役者になってクリスチャンと話す。「私は敵が多い方が楽しい」とはいかにも野心家の発言。そしてカロリーネは「私は今日初めてこの場所が怖くなかった」という。きっと炎(ヨハン)が悪いものを遠ざけてくれたおかげでしょう。重ねて「私は先生のように勉強をしているからきっと役に立つ」と。ブラントも「法律を勉強していたからきっと陛下の改革の役に立つはず!」と協力する姿勢を見せます。四人で見たこの朝焼けが、四人それぞれの胸に鮮やかに刻み込まれたことでしょう。梅田では思わずこの場面、泣いてしまったよ……うう。

●第12場 王宮 海辺
ヨハンとカロリーネだけが四角のスポットの中にいて、上手では枢密院が開かれる。そこでクリスチャンはホルクを解雇、ブラントを再雇用することを宣言、さらにはヨハンを自分の右腕に任命する。
ユリアーネの「子供達もいずれ夢から醒めるでしょう」という。四人は「自分たちだけが目を覚ましている」と考える一方で、ユリアーネたちは自分たちこそが「現実を見ている」と思っている。この乖離が見事である。

そして翻って考えてみると、今私たちの生活をとりまとめている政府は本当に現実を見ているのかと疑いたくなるが、自分たちは「自分たちこそが目を覚ましている」と思っているのでしょう。つらぁ……国民主権って知っているか。
カロリーネは「まだ何も始まっていないのに、私いまものすごく楽しい」と言い、ヨハンは「本当だね、カロリーネ様」とおそらく初めてファーストネームで呼ぶ。お互いしか見えない、二人だけの世界に没頭、それはエイベンがカロリーネを探す声も聞こえないほどで、二人の距離は急速に縮まり、口づけをかわすこととなる。キャー!><
そしてここでも男爵と召使いの女の逢瀬がある。実に象徴的だ……木琴のような音で水のポコポコという音を連想させながら、溺れていくままに第Ⅰ幕が終わる。

【第Ⅱ幕】
●第1場 王宮 テニスコート
うっかり違うミュージカルを見に来たのではないかと疑われるほどのテニスっぷり。ただし、クリスチャンにも「怒りは運動と遊びで解消♪」と医者としてスポーツを勧める歌詞の歌はありましたし、おそらくこれはのちの1789年6月20日のテニスコートの誓いを意識したものでありましょう。当時のデンマーク王宮でどれくらいロココのドレスが流行していたかわかりませんが、ここでロココのドレスを着た貴婦人がたくさん出てくるところも、たぶんフランス革命を意識しているのだろうな、と。

初戦は舞台手前センターで、クリスチャンの息子のフレゼリク(星沢ありさ)とメガネ・ベルンストッフVSユリアーネの息子のフレゼリクとテレーサのダブルスが向かい合ってテニスをする。
ベルンストッフが二人いるからという理由でクリスチャンに「メガネ」と呼ばれるアンドレアスも可愛いし、みんながそれに倣うのも滑稽だし、フレゼリクが同じ名前であるけれども、観客が混乱しないような工夫もあって、『PoR』のときもこれくらいわかりやすければよかったのに……と思うなどしました。ちゃんとキャラクターが判別できるって大切。特にヨーロッパは同じ名前が多いからね。
メガネとフレゼリクがサーブを決めていきますが、これはあれか、義弟フレゼリクに対して王太子フレゼリクがアンドレアスとともにクーデターを起こすことの暗示なのかな。それならテレーサは、義弟フレゼリクの結婚相手となり、ゆくゆくは王妃になる予定だったのかな、とかいろいろ妄想が膨らみます。
王太子フレゼリク役のありさちゃん、可愛い! ストップモーションのときは、これまたビックリするくらいキリッとした格好いい表情をしているんだよ!

お次の試合は舞台上手と下手に別れて、高さのある舞台装置の上で行われるダブルス。ユリアーネ&グルベアVSブラント&ホルクの戦い。ブラントとホルクがペアなんだ!?という驚きがまずありましたね。「優秀なホルク殿の後任は荷が重いですなあ」という嫌味よ!
グルベアは「ユリアーネ様は運動音痴」といいますが、当時の運動の概念はよくわからないし、グルベアだってそんなに運動神経良さそうには見えないのだけれども、ユリアーネが「どこからでもかかってらっしゃい」と、最初はヨハンにラケットを突っ返すくらいやる気がなかったのに結局は付き合ってあげちゃうんだからもう! 優しいんだから!!! 舞踏会のときと同じですな!とたぎる。
そして「どうにでもなれ」という気持ちでホルクが打ったサーブが決まる。おお、こっちが勝ちそうなのか。このダブルスは、本当に見物。
その間に次の試合のメンバーが準備体操をしている。ラジオ体操をやったり、ストレッチをやったり……日替わりでした。

最後は舞台センターで、客席に向かって打つよ。ヨハン&エイベンVSクリスチャン&カロリーネですね。打ち合いになりますが、クリスチャンのスマッシュが綺麗に決まる。
「怒りは運動と遊びで解消♪」と最初にヨハンがクリスチャンにアドバイスした通りになりましたね。いや、もういっそここが一番幸せだから、ここで時を止めて欲しい。のちにヨハンに「戻れるならいつに戻りたいですか」と聞かれたカロリーネが「みなが笑い合っていた頃に」と言いますが、まさにこのあたりの時期ですよね、みんな幸せそうだよ。

テニスが終わると、メガネが「街灯計画はつつがなく進んでおります!」と真面目に報告すると、舞踏会の一件のことがあるため、クリスチャンは「ここは真面目な話を持ち込むところではありません~」とちゃかす。でも、いつでもそういう話ができるのが本当はいいいんだよね。本当、この国もさ……。
そしてクリスチャンの下手くそな(笑)取り回しにより、エイベンがヨハンに気があることがばれてしまう。ブラントはそのあたりをよく心得ているようで、性急すぎるクリスチャンに適切なアドバイスをします。
もちろん、ヨハンにその気は全くない。ここのカロリーネの表情がたまらんのですわ。そしてその隣でひとり上手の王太子フレゼリクのありさちゃん、可愛いわ。ラケットが立つかどうかで遊んでいるし、立ったときにはカロリーネママに見てもらいたいのに、ママはそれどこどろではない。手をつないで去っていくが、母子には見えんな……これは難しいだろうが。

クリスチャンがブラントに「ヨハンと二人きりにしてくれ」というと、照明が落ち、テニスは終わったのかと思われたが、音響では、どこからともなくボールの音が。あれ、まだテニスはやっているの?と思ったところで、クリスチャンの恋心が示され、戸惑うヨハン。時期を自分が考えると言って、二人は舞台奥に去っていく。
ボールの音が鳴り止まない中、上手下手でシングルスの客打ちが残っていました、ベルンストッフVSランツァウ伯爵。場面転換がうまい。ずっと同じ音響を使い続けているため、観客の意識が途切れない。
「やはりあの医者を陛下に会わせたのはあなたでしたか、流行り物好きなあなたらしい」と言われる王宮復活したランツァウ伯爵。けれども彼もヨハン一辺倒ではなくて「もちろんこの王宮に合うかどうかは別の問題」みたいなことを言います。このランツァウ伯爵の立ち位置が絶妙なんだよね、完全に改革派ではないけれども、完全に保守派というわけでもない。芝居に深みを与える役どころです。また、まなはるがうまいのよね~。
後ろにはそれぞれ召使いの女と男爵が控えていて、退場するときに男爵はこっそり召使いの女に手紙を渡す。そうそう、これくらいつつましやかに秘密の恋は進めないとね、という感じ。

●第2場 街
街灯が完成する。これは映画『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』にはなかった設定でよきよき。「光をあてる」という意の「啓蒙」とも引っ掛けているのもうまい。
クリスチャンとカロリーネの仲が良くなったのも「先生のおかげ」とか言われて、少しその幸せに影が差す。でもある意味本当にその通りで、ヨハンの「治療」のおかげで二人の距離は縮まった。カロリーネは別の「病」を得てしまったかもしれないけれど。こういうのは一度自覚すると、瞬く間に落ちていくのよね。坂道を転げ落ちる石のように加速度が増す。

人々がいなくなり、ヨハンとカロリーネの二人きりになる。カロリーネに先日(第Ⅰ幕の終わり)のことを謝ろうとするけれども、やはり謝るのはやめたというヨハン。最初は「なんのこと」ととぼけていたカロリーネも、それを通すことはできなくなり、「エリサベートとの結婚の話を、どんな思いで聞いていたと思っているの」と言う。ここの言い方、はばまいちゃん、可愛かったな~。そしてめっちゃキスするな、この二人~初めてキスシーンを書いたとは思えないよ、指田先生。
続けて「あなたが作る世界にいられると思うと私は何も怖くない」という。ヨハンが「悪いものを避けてくれる炎」だからでしょう。カロリーネのこの素直で善意の本音は、しかし、ヨハンにとっては「呪いの言葉」となる。王宮のあらゆる病を慎重に治療していたはずのヨハンは、この言葉に縛られ、直後に「保守派の賛成を得る必要はない」と言い始める。考えを変えない人たちと手を携えるのは無理だから、自分たちだけで政治を行おうとクリスチャンに提案する。
カロリーネの幸せを守るために、ヨハンは医者に必要なはずの「慎重さ」(あとからベルンストッフにも忠告される)を失ってしまう。「無敵だ」と思ってしまう。夏至祭の舞踏会のときは「私は敵が多い方が楽しい」と言っていたけれども、ここではいるはずの敵を認識できなくなっている。そりゃ選択も間違えるわな。

●第3場 勅令
「検閲の撤廃」「拷問の禁止」「捨て子のための施設設立」と次々とヨハンが勅命を出す中、唯一この場で「慎重さ」を保とうとするランツァウ伯爵は「予算は?」と現実的な訴えをするが、「貴族の馬車に新しい税金を」というカロリーネの声でかき消される。そんなものでは足りないだろう、脱税する貴族も出てくるだろう、ということは観客にもわかる。つまり、この改革が上手くいかないだろうことは、別に史実を知らなくても想像がつくということ。それくらい、カロリーネの言葉がヨハンを縛っているのがよくわかる。

不思議の国のアリス』のトランプの兵士のような勅命たちのダンスに翻弄されるユリアーネ、グルベア、メガネ・アンドレアス、ヘンリック――王宮側の人間だけでなく、民衆側の人間もいることがいい。次々と出される勅命に立ち往生をさせられているのが、王宮の人間だけではないということがわかるのが、ものすごくいい。国民も困っている。

ベルンストッフはヨハンに忠告する。「誰もがすぐに変わりたいわけでも、変われるわけでもない」正論だな。
「悪いところは当然取り除かれた方がいいでしょう。でもそれは大変気を遣う慎重な作業のはずです」はまさしく釈迦に説法。
続けて「どうか、この国を愛してください」という。しかしどの言葉もヨハンには届かない。「役を間違えて」いる今のヨハンには。カロリーネ! なんてことしてくれたんだ!

とうとうクリスチャンは疲労の果てに倒れる。腕を押さえている様子がプロローグと重なってつらい。
医者であるはずのヨハンが誰よりも心配しなければいけない、治療しなければいけないにもかかわらず、今、ヨハンの医者の目は曇っている。人間の治療よりも国の治療を先んじてしまう。そこで暮らす人が幸せでなければ、国は豊かにならないのに、いつの間にかヨハンは順番を間違えてしまう。カロリーネの呪いの言葉はそれほどまでに重くヨハンにのしかかる。
今のヨハンにクリスチャン個人は見えていない。王であるクリスチャンしか見えていない。でもそれはかつて枢密院がクリスチャンに上手に名前を書くことだけを求めたのと、何も変わらないんだよ。ヨハンはクリスチャンが名前を書かなくてもいいように、自分の署名は王と同じ価値があることをクリスチャンに同意させるにいたる。つらいわ。映画でもこの場面、心臓がぎゅーってなった、ざわついた。つらかった。

ここでピンクのロココのカロリーネきたー!!!
もうこれで完全に彼女も立派な「宮廷人」ですよ。髪の毛も高く結い上げちゃってさあ! この変わりようよ! もう破滅の香りしかしない! 完全に宮廷あるあるうかれぽんち貴婦人なんだよね、怖い物は何もないっていうあれ。人間としてのバランス感覚を完全に失っているやつ。めっちゃキスするやん。宮廷内やで。危ないで。
しかしはばまい、本当に顔が小さい。髪を結い上げたので、余計に小顔が目立つ。

●第4場 王宮 執務室
天気の悪い日、ヨハン一人だけの枢密院。ひたすら一人で書類仕事。神奈川公演後半から、この場面ではメガネをかけていらっしゃることが多い。しかし書類仕事のときだけにメガネをするのは、もしかしてろうg……げふんげふん。
ランツァウ伯爵が友人のフレミング伯の解任の取り下げを願いにきた。そしてこのときのランツァウ伯爵はすでにヨハンと王妃との関係に気がついている様子。
「王宮に連れてきたのは誰だったかな」「恩義はないのかな」と冷静に詰め寄るランツァウ伯爵にヨハンは「だからこそ伯爵が過去に行った着服に目をつむっている」という。ちゃんと知っていると釘を刺す。けれども「とりわけ情愛にはお気をつけください」と反対に釘を刺され返す。うまいやりとりだ。
罷免されたランツァウ伯爵は「成り上がりがっ」と吐き捨てるように暴言を吐いて退場。もっとも現実的な人間なので、気持ちはわかる。思いあがっているのは間違いない。「なんでも一人でできるわけではない」というメッセージもまさしくその通りである。

●第5場 王宮 ヨハンの部屋
「雨雲に隠れている月よ、その姿を見せておくれ」という芝居じみた台詞でカロリーネ登場。「ここが花のしとねでないことを許してください」と、これまでのヨハンからは考えられないような台詞。こういうことを言っているときには、大体腹の中でせせら笑っていたからな、ヨハン。今は真面目に言っている。破滅の香りしかしない。
苦手なことに「うるさがたを黙らせる」ことを挙げ、しかし今はその話はやめようという。そう、遊びに仕事を持ち込んではいけない。でもここは本当に「遊び」の場面なのかー!? あ、火遊びですか? ヨハンの部屋だしな! だからちゅーする。本当によくキスする(n回目)。でも「みなもいずれあなたを理解する」「でもそれもなんだか嫌だわ」「私だけのヨハンにしたいから」なんてあんなカロリーネに言われたら、ヨハンでなくても狂いそうな予感はしますけどね!!!

ずいぶん小さくて薄そうなベッドが出てきて、これに二人で寝られるのか?と思っていたら、案の定横やりが入って、紛らわしいことにクリスチャンが『オセロー』の台詞を言いながら、ヨハンを襲う。雨や雷のせいもあるけど、これは結構ガチで怖い。カロリーネが声も出ないほどになるの、わかる。いや、言い訳くらいちゃんとしてよ!と思う場面なんだけど、照明の関係もあってか、ものすごく怖い。
この混乱の中で、医者であるはずのヨハンが、クリスチャンを噛む。医者なのに、治さないどころか、傷つける。ついでに心も傷つけた。決定的瞬間でしたね。直前のピンクの雰囲気とがらりと変わる。

ヨハンもヨハンで「野盗かと思いました」って。そんな宮廷の、しかも枢密官房長官という王に代わる存在の部屋に野盗が入り込むかよ……もっとうまい嘘があっただろうに、賢い人じゃなかったのか。「夜盗」「野盗」どちらもあるけれど、どちらだろう。時間は夜だったのかな。
「王妃様の具合が悪いので」ととってつけたように言うのも、あの場の雰囲気としては、最悪だったでしょうね……それでも本気でカロリーネの体調を気遣うクリスチャンは優しい夫だった。カロリーネのこと、ちゃんと好きだもんな、このクリスチャンは。普段はふざけていてなかなか言えないけれども、でも形だけの王と王妃以上に愛しているんだよね。
クリスチャンに「芝居の練習をしておけよ」と言われるヨハン。オマエモナー!クリスチャン!
傷つくクリスチャンを見て、ブラントはヘンリックたちとある芝居を上演することを決意する。たとえクリスチャンを傷つけたとしても「目を覚まして」もらわなければならないのだ。
梅田ではクリスチャンはもう少し自分のことで精一杯で、あまりカロリーネを気遣う余裕がなさそうな態度に代わっていたのが印象的です。

●第6場 王宮 劇場
貴族の特権が次々となくなることで、役者たちも豊かになったのか、豪華な衣装で現れるヘンリック。民衆は少なからずヨハンの政策の恩恵を受けているという証でもありましょう。まあ、次の場面への着替えの時間の問題かもしれませんが。
芝居を見るヨハン、クリスチャン、カロリーネの三人は最初こそ気まずい雰囲気を出すが、「おけがは大丈夫ですか」「大丈夫」らしい会話をかわきりに芝居がおもしろくなって柔らかい雰囲気になる。束の間の穏やかな時間でしたが。
ここで! 白峰ゆりが! ソロを! 歌ったー! あー!!! すごい場面に出くわしたと思いました。ダンスのゆりちゃんのソロだよ、ソロ。全部同じ歌詞だから、何を言っているのかよくわかる!(こら)
公演プログラムにあった「北欧の神話」がここの劇中劇に活きていて、「化けるのが得意♪」と歌われるオーディン北欧神話の代表的な神様だそうな。
「いにしえの歴史書」にある「恋の物語」の主人公オーディン、一目惚れした王妃に取り入ろうと、騎士や宝石商に化けるもどうもお気に召さない様子。最後に医者に化けて、王妃の心をゲット、二人で楽しくダンスをしているところ見て王は衝撃を受ける――観客はみな、これがヨハンとカロリーネのことだとすぐさま察知し、クリスチャンはいたたまれなくなり、その場を出て行く。周りの貴族たちは冷たく笑う。ユリアーネ様の笑いのすごいことといったらないわ。

劇中劇のとき、ブラントはずっとクリスチャンを見ている。凝視している。ヨハンのことなんかまるで見ていない。ブラントにとってクリスチャンが「王である」こと以上に大切な存在になっているのがわかる。いい!
「なぜ上演を許可した」とヨハンはブラントに詰め寄るが、「王に必要なのは自分ではなく名医のヨハンだから、これ以上、ヨハンはクリスチャンを傷つけないで欲しい」というブラント。なんて不器用なんだ。でもとても優しい。だってブラントにはちゃんとクリスチャンを故意に傷つけたという自覚があるんだもの。

動揺の激しいカロリーネの背中をエイベンは優しくさする。このとき、エイベンはどういう気持ちだったのだろう。自分が思いを寄せていたヨハンと自分の女主人がまさか不倫なんて、と思ったのだろうか。それとも噂はやはり本当だったのかと薄々気がついてはいたのだろうか。どちらにせよ、カロリーネを見捨てないあたりが温かい。「気立ての良い子」ということですね。

役者たちは「新しい思想や政策なんかどうでもいい」と言うし、虚構の記事に惑わされてヨハンがクリスチャンに怪しい薬を飲ませていることを信じてしまう。検閲がなくなったので、ヨハンはこれを認知していなかったし、この虚構の記事をばらまいているのはユリアーネ側の人間であるグルベアっていうのが、また……っ!
映画では、ヨハンとカロリーネの不倫の記事が多く出回ったことで、ヨハンは苦し紛れに検閲を復活させるにいたる。くそったれ!という気持ちを表すために、あらあらしく椅子を蹴り飛ばすマッツ・ヨハン。本作品ではその場面がないのもよかったな、あれは心が締め付けられるから……映画でもざわついちゃったからさ、私……。

ヘンリックの「ロクに日(太陽)が昇らない」デンマークには「絶対の光、王が必要」といい、スザンヌが「クリスチャンが日に日に沈んでいくのを見ていられない」という台詞のかけあいが実にうまい。
国民にも改革が受け入れられていないことに気がつくヨハンは口をぽっかり開けている、なんて間抜けな顔なの、でも美しいよ。すごい顔だった。
そのとき、舞台下手前方で思わずうずくまってしまうヨハン。ここの舞台写真、欲しかったな。「私ひとり♪」「いつから全てがいつから愛しかった♪」と力なく歌う。
ヨハンにのみスポットがあたり、後ろでは場面転換。仮面舞踏会へ。

●第7場 王宮 仮面舞踏会
この仮面舞踏会はつなぎのような感じで、全員大集合で豪勢に、という感じではない。仮面舞踏会にやってきた子供達が騒いでいるところで、ビューロー男爵夫人が「庭師まで」とさげすみ、「仮面を被っているのだからわからない。あなたが黙っていてさえくれれば」とヨハンは言う。そう、ヨハンは「黙っていてもらえなかった立場」の人間である。
ヨハンは人混みに消えていき、この場面の主人公はブラント。愛人であるソフィーに「君は自分が何者か、考えたことある?」と。それに対するソフィーの名回答よ!
「買ったドレスは覚えていても、領収書は忘れたわ」という名回答たるや! すばらしい! この台詞のセンスよ! 本当に指田先生、信頼している!!! 使う!!!
続けて「そうね、でも最初に王宮を歩いたときの景色は忘れないわ」と「ソフィーらしい」回答をし、仮面をつけて二人で踊る。仮面をつければ、今は「何者でもない」のだから。おーおー! 盛り上がってきたぞ!
この間、クリスチャンとカロリーネの二人は舞台奥の装置の上で仲良くしている子供達三人、王太子フレゼリク、テレーサ、ハンス(月瀬陽)を見ている。芝居の中心はブラントとソフィーなのに、二人は子供たちを見ている。子供たちが大人になるときには家柄や身分など関係なく人と人が結び合わさりますように、自由な世の中になっていますようにという願いや自分たちのように傷つかないようにという祈りのようなものを感じる背中でした。もっとも男二人と女一人という配分は不吉でもありますが。観客は悪いことも予感してしまう。テレーサは「ハンスと先生、二人を恋人にする」とテニスの場面で無邪気に言いますしね。

仮面舞踏会に仮面をもたずにやってくるヨハンに、すっかり意気消沈したクリスチャンはまともに顔を合わせられず、逃げていく。さらに枢密院からはフリードリヒ2世を引き合いに、彼の暗殺まで薦められる始末で、自分の身の処し方がわからない。どんな顔をして会ったらいいのかわからない。やりきれない。
ロココを脱ぎ捨てたカロリーネ、そして赤い衣装を脱ぎ捨て、理性の色を取り戻したヨハン。衣装も印象的です。

●第8場 王宮
うっかりヨハンとカロリーネは二人きりになってしまう。さらにうっかりが続いて泣いてしまうヨハンは「私は泣いてはいけない」という。それは「医者」だからでしょう。そう、ヨハンはここでもう「医者」に戻っている。医者は他人の病を治療するのが役割であり、自分が病を得ても、治療をしてくれる人はいない。つまり「傷ついてはいけない」ということなのでしょう。他方、カロリーネにはまだ少し未練がある模様。
そこに狙っていたかのようにランツァウ伯爵が登場、「これであなたも功績が残せますね」というヨハンにランツァウ伯爵は「この期に及んでまだ強気でいらっしゃるとは」と。ここのランツァウ伯爵はヨハンを本当に強気だと思っているのか、芝居の強気であると思っているのか。これは観客によって意見が分かれそうです。順当にいけば前者でしょうが、まなはるが演じていることを考慮すると後者の解釈もおもしろいかもしれません。ただ「国を負うものは君ほど甘くない」という台詞を考えるとやはり前者でしょうか。

兵士たちがヨハンとカロリーネを取り囲みますが、そこに助けに現れるブラントが! もう! これが!!! たまんねえええええ!!!!! ありがとう、指田先生。
「お前のやったことは許せねぇ」「でもあの日、見たことのない朝焼けを見せてくれた!」っていうんだ。ヨハンをかばってくれるんだ。もう、この演出に涙だよ、私は。最高だよ、ブラント。ありがとう、すわっち。あなたの代表作にもなるわ、これ。
ここの兵士と次の場面に出てくるクリスチャン率いる兵士のメンバーが若干違うのは、着替えのためもありましょうが、こちらがランツァウ伯爵の私兵で、次の場面が王直属の兵士と考えると、もしかしたらまだこの時点でクリスチャンは処刑の書類にサインをしていなかったのかもしれないとも考えられますね……つらい……。

●第9場 朝 海辺
ブラントのおかげでヨハンとカロリーネは逃げることに成功したものの、海辺に辿り着くヨハンにカロリーネは不信感を覚える。こんなところに来ている場合ではないのに、と。つまり、未練がまだ残っているカロリーネは逃げる気でいるのに、ヨハンはもう逃げるつもりがないのである。この対比がお見事!
カロリーネのケープは『1789』のアントワネットや『シラノ・ド・ベルジュラック』のロクサーヌがまとっていたものでしょうか。
ヨハンは「最期にあなたとこの海を見たかった」と。やはりヨハンはもう覚悟が決まっている。海にはもう夏至祭のときのように「悪いものを避けてくれる炎」はない。「何者にもなれなかった、なろうとしてはいけなかった」「今はもう何も見えない」という。でもあなたは確実に医者であったし、クリスチャンやカロリーネの人生の光であったことは間違いないんだよ~~~>< 見えていたときもあったはずなんだよ~~~><

海辺には兵士をつれたランツァウ伯爵ではなくクリスチャン自ら登場。「今まで王として自分で考え、行動したことはなかった。今がそのときだ」と。もう……芝居が下手なんだから、クリスチャン……そんなこと、思ってないでしょ、本当は。芝居が下手なんだからもう……。
ヨハンがクリスチャンの言動が芝居だとわかっているかどうかは定かではありませんが(わかっていて欲しい!とは思う)、「愚かな王妃」「等しく愚かなブラント」悪人ぶりながらカロリーネやブラントを許すように口悪く彼らを罵りながらクリスチャンにお願いする。本当、ここが耐えられない。腹の中で思っていることと全然違うこと言っているんだもの、彼らを救うために。つらすぎる。苦しい。
「こんな国、愛してはいなかったんだよ」という台詞もクリスチャンとだまし合いになっているみたいで、つらい。だってヨハンだってそんなこと思っていない。ベルンストッフが頼むまでもなく、ヨハンは確かにこの国を愛していた。
「身体と心を学んでいたからどんな人間も意のままに」できたというけれども、じゃあなんで「うるさがたを黙らせることが苦手」とか言っちゃったのよ、矛盾しているでしょ、嘘つき!>< もうひたすらここは苦しい。
「悪人にはふさわしい幕切れ」というのもオシャレな台詞でした。幕切れって、あなた……。演劇は苦手のくせに……。

それでも最後のふんぎりがつかないクリスチャンにヨハンは「私たちがやり残した遊びをしましょう」といって、決闘へと持ち込む。刃を挟んで向かい合うヨハンは、むしろ嬉しそうな顔をしている、微笑んでいるのだ。決闘の直前なのに、殺されるのに。だからヨハンはクリスチャンに殺されて幸せだったと思わないとやっていられないんだよ><
梅田になってからは、殺されようとしているヨハンはもう少し真面目な顔をしていたかな。個人的には微笑んでいる姿が好きでした。
決闘と言いながらもヨハンは全然戦う気がなくて、あっさり殺される、というかむしろ積極的に殺されにいく。切ない。

この場面、第Ⅰ幕の第1場と呼応として「朝 海辺」なんですよね。「朝」なのはこの二つの場面だけなんだよ……うまいな、本当、指田先生。
「美しい」という言葉を残して息絶えるヨハン。同時に海は赤く染まる。これはヨハンの胸に血がにじんで赤が広がっていくことの比喩でもありましょうし、炎が悪いものを燃やし尽くしきったという証でもありましょう。ヨハン(悪)を飲み込んだ「海」――最後の場面は「海辺」ではなく「海」となり、エピローグへと続く。

●第10場 海
ヨハンの死体が兵士によって引きずられて退場する一方、センターではスポットを浴びながらずっと客席に背を向けているクリスチャンの周りをユリアーネ、グルベア、ランツァウ伯爵、メガネ・ベルンストッフ、宮廷の女3人娘がぐるぐると回る。国は急激に時計の針を元に戻していく。
ここでソフィーがブラントの処刑を悲しんでいる様子がないのが怖い。もしかしたら仮面をつけているのかもしれないけれども、悲しむ余裕もないなら、それはそれで悲しい。
それにしても「死刑囚から似た者を見つけ出し」というのは随分無理があるな、とは思いました。ユリアーネ様よ。

カロリーネの処置に対して「お気の毒に」というランツァウ伯爵だが、ユリアーネは「愛することも愛されることも何も分からなかった私には」「伯爵のお考えがわかりかねます」と言われてしまう。ユリアーネとカロリーネは確かに対照的な生き方をした女性だったといえるでしょう。
「正しい王妃にはほど遠かった」とカロリーネは言いますが、ではユリアーネが「正しい王妃」かどうかはわかりません。ヨハンの処刑を促すグルベアの台詞にも「国民は正しい王を求めています」とありましたが、何が「正しい」かなんて、そう簡単にはわからないし、それは時代によっても残念ながら変わってしまうものなのでしょう。
ベルンストッフは亡くなり、メガネが報告に来る。王太子フレゼリクとの未来を語るのは、逆行する時代の中で一部の人にとっては一筋の希望だったでしょう。
中世世界へと時間を逆回しにする貴族たちにクリスチャンは「ありがとう」という。感謝の気持ち、なんだよな。つら……めっちゃつらい……。「ありがとう」ってあなた……自分に形だけの王を強いる人たちに「ありがとう」って……どんな気持ちになったら言えるのだろう。

孤城に幽閉される直前にクリスチャンはカロリーネと会えるよう、密かに手を回していた。
囚人服のようなカロリーネにクリスチャンを穏やかに迎える。そして二人はヨハンに思いを馳せて芝居は終わる。
海辺で友情を育み、愛情を知る。トリスタンとイゾルデが誤って飲んでしまった毒薬はヨハンにとっては「海辺」だったのでしょう。望んだ通りに、カロリーネとの思い出がつまった海辺で、クリスチャンの手で殺され、海に還っていけるのだから、彼を幸せだと思わないと本当にやっていられない。史実通りにしないでくれて、本当にありがとう、指田先生。

ヨハンの沈んだ海の近くで召使いの女と男爵は相変わらず密会を続けている。穏やかな愛情の炎を感じる。派閥が違ってもかなえられる恋はある。身分が違っても叶えられる恋があったかもしれない。少なくとも21世紀の現代ではそうあってほしい。そんな希望を感じました。

●フィナーレ
ここは! 唯一! 愛すみれが笑っている顔が見られるよ! めっちゃ貴重な場面だわ。カーテンコールの挨拶が終わると、また優しく笑ってくれますが、本編ではここだけなんだよ!
ユリアーネのときはもうずーっと怖い顔しているし、低い声を出しているし。
まなはるが娘役を呼ぶときに、指でちょいちょいするのもキャー><ってなるし、その髪の色はちゃらすぎるぞって感じだし。
あーさも黒い衣装、髪の毛もほぼ黒かな? オールバックで、きめきめです。おらおらです。あーさがあがたと二人で踊っているところにすわっちが合流するのですが、その直前に一回転するの、あれ、本当にいかん……すわっち、それはいかん、なんて色気を振りまくの、あなた……意識が飛ぶかと。

デュエットダンスの最初がこれまた神ですね! 去って行くはばまいちゃんの手を、前を向きながらすっととる。逃さない。やり手だよ、これ、すごい。
デュエダン自体も素敵でした。はばまいが後ろからあーさに抱き着いて、スリットの入っていない方の脚をあげる振付がとても好きです。
歌がなかったのが残念かなーと思うけれども、本編で沢山歌っているので、いいとします。

指田先生、この作品を朝美絢主演で書いてくれて、本当にありがとうございました。はばまいもしっかりあーさに食らいついていこうとしている様子がうかがえました。あとは場数を踏んで芝居がもっとうまくなるといいですね。度胸は充分にありますから。台詞回しもちょっとクセがあるので、それが凶と出るか吉と出るかは賭けになってくるかと思われます。
そして劇団よ、頼むから脚本付きの『ル・サンク』を出してください。魅力的な近代の要素をちりばめつつ、きちんと近代批判も取り入れている演劇なんて、外部でも滅多にお目にかかれないですよ。

そしてここまで読んだ人がいるかどうか知りませんが、2万8千字超えですわ。あほなのか?w 感想記事としては二本目なのにw とにかくとても良い作品であったと思います! 私は大好きです! 最前列で観劇できて、本当に幸せでした。