ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

花組『巡礼の年~リスト・フェレンツ、魂の彷徨~』感想2

花組公演

kageki.hankyu.co.jp

ミュージカル『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』
作・演出/生田大和

2日目のざっくりした感想はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

足りないと思っていたところを妄想してから見るととても豊かな話に見えました。でもどうせならやはり一度見ただけで感動したいところですね。そして相変わらず長くなったのでショーの感想は別で。
多くの言葉を尽くしているあたりをみると、なんのかんのいいながら、私はこの作品が好きなようです(笑)。

見直して思ったのは、スイスのジュネーヴにおいてリストはマリーを前にピアノを弾いていましたね。この場面欲しいと思っていたんだ!と思わず力が入りました。
もっとも初見の友人は「そんな場面ありましたか?」と言っていたので、やはり印象にはあまり残らなかった模様。
さらに芸術家たちも自己紹介はしないものの、オランプとの初対面のときに結構尺をとって歌を歌っていましたね。それならなおのこと名乗らせてあげなよ、とも思いましたが。あとウィーンの夜会でもすでに登場して真ん中で踊っていますね。オペラであわちゃん(美羽愛)マダムばかりを追いかけているので、いまいち真ん中で何が起こっているのか知らなかったわ。
ラストで神父になるのは何回見ても唐突な感じはありましたが、生きる道に迷って、一つの悟りを開いた人間が神父になるのは、西洋世界ではごく自然なことなのかもしれません。物語の中でのフラグは欲しいですが。
あとは、リストとマリーとの恋は本当に衝動的なものだったのだから、すぐに別れが来るのもある意味当然の流れなのかな、と思うようにもなりました。
だからこそ、1本ものでやろうぜ!と思った所感とは異なり、ちょっと手直しをして台詞を足しさえすればもっとよくなるのでは?と思ったよ。台詞ちょっとつけたそうよ、生田先生。

以下、キャラクターと役者中心の感想です。

リストの有名な肖像画の髪型は、普通の日本人がやるとちょっと地雷の予感もしますが、さすがれいちゃん(柚香光)、先行画像からしっかり自分のものにしていました。
私は最初のリストの演奏会の場面がとにかく好きです。ピンクのライトにミラーボールがくるくる回って「今夜は特別な夜〜♪」と歌う出す、あの場面です。
ウィーンのマダムたちも非常に愛らしい。扇子を振り回させる生田先生のセンスがジュリアナですが、ウィーンのマダムにふさわしい振り付けになっているのはさすがです。
れいちゃんリストはここで銀橋に出てきますが、そのあたりになってくるとリズムが早いせいか、歌詞が聞き取れないのが残念ですかね。舞台に戻ってきて「君と二人で♪俺のピアノで♪」はハッキリしているのですが……。
ここの歌詞をしっかり知りたいので、早く『ル・サンク』出してくれないかなあ。脚本が早く見たいなあ。

ダグー伯爵夫人のマリーはまどか(星風まどか)。屋敷の中にも社交界の中にも居場所を見つけることができず、ジョルジュ・サンドに感化されて、自分が書いた文章が新聞に載るようになり、ようやく居場所を得る。他者を気にすることなく、心の翼を広げられる場所を見つける。それはマリーの1日24時間の中では本当に一時のことだったかもしれないけれど、その時間があるからこそ、伯爵の浮気にも気がつかないふりができたし、社交界で多少浮いていても多少気もまぎれたのでしょう。
それなのに「女がモノを書くとは何事だ」と伯爵の逆鱗に触れ、マリーの預かり知らぬところですでに伯爵は編集部と連絡を取り、今後はダニエル・ステルンの記事を掲載しないよう伝える。
ジョルジュ・サンドもどきを妻にした覚えはない」という伯爵の言葉からは、サンドちゃんがどれだけ理不尽な言葉を浴びせ続けられたかを思わせます。この飛龍つかさの演技もうまい。退団公演のわりには役不足にも思えるけれども、短い場面でバシ!と決めてくる安定感はさすがですし、くりすちゃん(音くり寿)とのデュエットもすばらしかった。
伯爵は男装することに対しても強い反発を示していましたし、これが世間一般のジョルジュ・サンドへの眼差しだったのでしょう。
エミールにそういう偏見がなかったのはすばらしいし、だからこそダニエル・ステルンを快く迎えたのでしょう。一方でそれはデルフィーヌの功績かもしれません。

ダニエルとしてマリーが筆を執ることは自分の中から自然と出てきた欲望かもしれませんし、旧知の仲であるらしいデルフィーヌの薦めだったのかもしれません。
マリーとデルフィーヌがどういう仲なのかはわかりませんが、こちらとしては女学校時代の友人かしら?と妄想が捗ります。伯爵家に嫁いでも満たされない気持ちを相談したときに、デルフィーヌが「今の気持ちを書いてみたら? あなた、昔から文章がうまかったじゃない」た薦めて、書いたものを見たら、なるほどやはりうまくて、そこからエミールにつながり、記事を書くようになったのでしょうか。
エミールはジョルジュ・サンドと知り合いだからダニエルへの抵抗も少なかったでしょうし、根底に自由を求める気持ちのある彼がそもそもそんなことで差別はしなかったのかもしれません。

このエミールのあすか(聖乃あすか)も良かったですね。主演作品は脚本が残念でしたが、『元禄バロックロック』『冬霞の巴里』など、それからこちらの作品は輝いています。
今回も前半はあまり出番がありませんでしたが、屋根裏部屋ではしっかり存在感を放っていましたし。
オランプに投げキッスするところをデルフィーヌに見咎められたり、仲直りのキスを本に隠れてしたり。なんなのこのカップル。
二人の出会いなんかも気になります。
後半の『1789』の「誰のために踊らされているのか」を彷彿させるラップも立派でした。
デルフィーヌはみさきみゃん(星空美咲)。キャストボイスに登場、スチール入りも果たし、今回が新人公演初主演ですが、すでに外部で2本ヒロインを演じているツワモノです。しかし、やはり表情が固いのが気がかりなところ。
出てくるわりに台詞が少なかったり、出ている役者との関係性がマリーとエミールだけに見えてしまったのが残念でしたが、こちらは脚本の問題でしょう。

そして屋根裏部屋の女王ジョルジュ・サンドと彼女とリストを心配し続けるフレデリック・ショパンはそれぞれひとこ(永久輝せあ)とまいてぃ(水美舞斗)。まいてぃは役作りのためにだいぶ痩せたのでしょうか。
プログラムを見て、頬のこけ具合に慄きました。
ショーではたくさん踊る場面があるのに、病弱なショパンを演じるためにここまでやるのか、と恐ろしくなりましし、病弱なショパンにそこまで心配をかけさせるなよ、リストとサンドちゃん……とも思いました。元気な人ならともかくさあ、相手は病人だよ。
ショパンはリストとマリーを追いかけるサンドちゃんを「僕も音楽の取材旅行をするさ」みたいなことを言って付き添うことを最初に明言します。
この優しさよ……! 器のデカさよ……! おい、見ているか、リスト! 君に足りないのは、まさしくこれだよ!となりましたね。

ショパンは最終的にサンドちゃんのお屋敷で、リストと再会、のちに亡くなる設定になっていますが、すでにこの頃からサンドちゃんが気になっているのでしょうか。リストを救うことさえ、半分くらいはサンドちゃんのためにやらなければ、と思っている節がありそうです。
「お前の絵筆でもう立派に自分を描くことができるのに、なぜ他人の絵筆を使おうとするのか」という疑問は痛烈です(しかしなぜ2回言うのだろうとは思います。1回でいいのでは?)。ショパンには天才なりの悩みがあったでしょうが、自分には音楽が全てと父に教えられ続けられたのに、貴族でないが故に音楽院には入れず、わかりやすい技巧にこだわることでなんとか社交界の花となったリストには、ショパンの悩みは理解できませんし、逆もまた然りです。
ただ、二人は唯一無二の友人であり、音楽について語ることができる同志である。だからこそ、ショパンは幼少期のリストを呼び出すことができる。リストがかつて見限った幼少期のリストを、大袈裟な称号や勲章を取り去ったリストに返す場面は美しい。この場面、良い場面なんだよなあ。泣く。
野心を分かち合ったサンドちゃんには同じことはできないでしょう。

サンドちゃんは屋根裏部屋に集まる芸術家たちとは一通り夜を過ごしていそうですが(タールベルクを諌めるときに一人だけファーストネームを呼ぶし、ショパンが「曲ができた!」と言ったときにごく自然にドラクロワに本を渡しているし、後の場面でベルリオーズはでこを本で叩かれている)、そこから「王子様」と言われるのはリストとショパンだけ。
この話で「王子様」と呼ばれるためにはサンドちゃんの特別な相手役にならなければならない。
マリーの相手役でも「じいや」止まりだからな……もっともこれは、リストが貴族になれない痛いところをついているような言葉のセレクトのようにも感じますが。
「おはよう、王子様」で始まり、「おやすみ、私の王子様」でサンドちゃんのセリフが終わるの、とてもいいですね。やはり生田先生の台詞は信頼できる。
すでに何人かが指摘していましたが、ショパンが亡くなってから音楽が流れるのが少し早いような気がします。もう少し余韻に浸らせてくれ~! ノクターンはもちろんいい曲なんですけどね。

問題のサンドちゃんは『ひかりふる路』で生田先生の性癖ぶっこみ丼だったサンジュストを連想させるほど、生田先生の好みが詰まっている印象があります。
夜会から酔っ払って帰ってきたリストが新しく継いだお酒は一口飲んだだけでピアノの上に置かれますが、サンドちゃんはちゃっかりそれを飲み干しています。
リストとショパンが「何のために音楽を♪」と銀橋で歌っているあとだったかな。サンドちゃんのリストへの傾倒ぶりがこんなところにも現れている。
冒頭から怪しい雰囲気を漂わせすぎてドキドキしてしまうサンドちゃんとリストですが、いきなり弾き語りもあるといういろいろ情報量が追いつかない状況に(笑)。夜会に行かなければならないのに、なぜ! ソファに! 押し倒すの?!

ジュネーヴに追いかけてきたときも最高でした。
マリーにちょっと意地悪して(このすれ違いの台詞のやりとりもうまい)、機嫌を損ねたリストは自分しかあやせないかのような言葉を残して外に出ていく。
「ねぇ、本当にそれでいいの?」と台詞から淀みなく歌につなげる。これがたまらなくいい!
「そんなものなの〜♪あなたの野心は〜♪」と声が裏返るのもよい! ドキッとする!
途中から冒頭で歌っていた曲「フランツ・リストジョルジュ・サンド〜♪」に戻る。すばらしい演出。
リストが少しずつ野心を思い出していく様子がよくわかる。

革命が深まっていく頃にはサンドちゃんはリストのことなどとうに見限って、ショパンに気持ちを寄せるようになる。これがどういう経緯でそうなったのか、本当に気になるのですが、サイドストーリーとかやってもらえませんかねえ、生田先生と劇団や。
気になっていたのは最近、バウホールがちょっと使われなさすぎませんか。もっともまいてぃとひとこでバウホールってのもチケット取れなさすぎて酷な気がしますが。
サンドちゃんのための演奏会はパリからノアンの屋敷へと会場変更。ここではずっと水の音がする。これが幻想的。近くに川が流れているのでしょうか、それとも心象風景を表しているからでしょうか、後ろの垂れ幕はジュネーヴと同じですが、照明効果もあり、全く別の場所のよう。
黒いドレスは喪服でしょう。ショパンは亡くなり、サンドちゃんは手厚く葬ったことでしょう。
ところでサンドちゃん、プログラムのお写真の中では馬をたたくムチみたいなものを持っていたような気がしますが、これは一体……ドSであることや女王様であることを示しているの? 生田先生の趣味? 馬に乗る場面は無かっと思うのだが。

リストはショパンと幻想の中で再会する。プログラムには「魂の彷徨2」とあり、その前にはマリーと再会する場面がある。マリーはその場所を「ここがそういう場所だから」と言いますが、どういう場所やねん……とは思いましたよね。いっそこの場面は現実でも良かったかな。ショパンとの再会がいかにも幻想であるのに対して、こちらはちょっとリアル味が残っているような気がしました。
でも現実で会ったら、マリーの仲間はリストを捕縛してしまうから、あかんのかな。
各国で勲章や称号をもらってリストが演奏会を開いている間に、革命の火種が切って落とされる。リストは貴族として、マリーは革命側の人間として、再会する。
「君から会いにきてくれたのか!」と喜ぶ一方で、マリーが革命家たちと共に行動していることがわかると「まだ戻れない」と言う。マリーはただリストがジュネーヴで言っていた「人と人との間を隔てる壁」のない世界を築きたいだけだったのに。
回る盆でせり下がりながらマリーは「私は今でもあなたを――」と言葉を最後まで言い切らないまま去っていく。
そして水音、上手から黒いドレスのサンドちゃん登場。よく考えたら、革命からショパンと共に逃れたときは下手にはけたのに、お着替えして上手から登場するとは、これも大変そう。どこで着替えているのだろう。
このショパン、少なくとも後半はしっかりサンドちゃんに愛されていたと思うし、だからこそサンドちゃんはドレスをまとっているのだろうけれども、ショパン自身はどこまで自覚があったのかなあ。
ラストでも神父になったリストはショパンの幻を見ているような場面があります。最後の全員集合は『神々の土地』を連想するので、うっかりすると泣きそうになります。リストもマリーに再会したことでいろいろ思い出すということですね。どうせならピアノの椅子に座ってリストが何かを弾き始めるあたりで緞帳がおりてもいいかなと思います。
主題歌の「巡礼の年(愛の夢)」はリストとマリーのジュネーヴでの幸せなときに生まれ、ラストでリプライズされますが、歌詞にも入っている「愛の夢」がどうしてもショパンを連想させていかんな。
リストの「愛の夢」はショパンが亡くなったときに捧げられた曲であり、それを生田先生も知っているだろうに、なぜ副題や歌詞に入れたのか、不思議です。

リスト、マリー、ショパン、サンドちゃんでベルベットの素材を共通で使用したお衣装も素敵でした。
リストがネイビー、マリーがブルー、ショパンがブラウン、サンドちゃんが深紅、美しかったなあ。
この4人の写真がプログラムでは見開きで掲載されていますが、サンドちゃんは本を読み、マリーはリストの方を向いているけれども、リストはショパンと向き合っているんですよね……キャストの欄でも写真はリストとショパンがピアノの前で向かい合っている場面で、マリーは不在。なんでやねんw
生田先生の趣味かな。知っています。信頼できます。
衣装といえば、ウィーンのマダムたちも素敵でした。ゴールドやベージュを基本に、みんな少しずつ違うドレスなのがよかったです。

今回で退団のくりすちゃんはウィーンマダム筆頭のラプリュナレド伯爵夫人。リストの歳上の愛人役で、本作ではリストを社交界デビューを飾った第一人者として出てくる。
物語の構成上、前半しか登場するタイミングがないのは残念ですが、舞台にいるときの存在感は圧倒的華やかさで目を惹きつけられます。
歌唱はいうまでもなくすばらしい。くりすちゃんが率いて歌う「一度パリを捨てたなら二度とここには戻れないここはそんなに甘くない〜♪」の歌は、作中で最も好きな曲と言っても過言ではありません。銀橋に出てくるタイミングもあってよかったです!
彼女がリストに腹を立てるのは、リストとの幸せな時間があったからこそでしょう。そういうことを感じさせる演技でしたし、きっとラプリュナレド伯爵夫人はジョルジュ・サンドのような女性を侮蔑の目で見ていることでしょう。
なんなら伯爵夫人自らが歌って社交界の華になればいいのに!と思うくらいですが、貴族はあくまでパトロンということでしょうか。
衣装が一着しかなかったのはもったいない気もしますが、豪華なドレスでした。

伯爵夫人は「ピアニストは替えが効く」と言ってリストが去ったあとはタールベルクをお抱えの音楽家にする。
タールベルクは、今度『殉情』の主演が決まりましたほってぃ(帆純まひろ)。リストとの対決は勝たなければ、という焦る気持ちがまた悪い方に転がってしまい、心のどこかで「リストに勝てるはずがない」と思っていることが見え隠れする。
タールベルクは作中でリストと「速さ」「強さ」「激しさ」を競い合いますが、本来ピアノってそういうものではないでしょう。技巧に走るのはやはりなんらかのコンプレックスを感じずにはいられませんし、リストがそういう流行をつくってしまったのも罪かもしれません。
歴史では確かに当時はリストやショパンと並んでタールベルクも実力者と謳われていましたが、その後メッテルニッヒに近づいてしまったこともあり、一時期歴史から忘れ去られることになります。今ではピアニストのレパートリーに入っていることもありますが、リスト、ショパンに比べたら数は圧倒的に少ない。
本作は、そこまでは描かず、リストに負けたことによって表舞台から姿を消したみたいに見えるところが秀逸です。主人公のリストをよく際立たせているという意味で。
サンドちゃんに「ジギスモンド!」とファーストネームを呼ばれて咎められるところは、「ねぇ、今どんな気持ち?」ってあの背中に聞いてみたいです。
タールベルクはラプリュナレド伯爵夫人のつばめにはなれたけれども、サンドちゃんの王子様にはなれなかったのね。

同じく今はリスト、ショパンほどに名は知られていないけれども、ヅカオタは『fff』で予習済みのロッシーニははなこ(一之瀬航季)。今回めでたく大劇場のたまごにも仲間入りしました。いや、本当におめでとうございます。
バウワークショップで『殉情』の主演も決まりましたね。
とはいえ、あまりやりようがなかった役かなとも思います。ここちゃん(都姫ここ)のオランプとのバカップルぶりは可愛かったんですけど、オランプちゃんにももう少し台詞とかください!!!
花組104期製娘役は、『冬霞』で多くの人に覚えてもらったみこちゃん(愛蘭みこ)や高身長でキュートな表情のみさとちゃん(美里玲菜)、そしてわたくしのご贔屓あわちゃんと充実しているんですからね〜!!!

さてここからはあわちゃん日記です。
冒頭のウィーンの貴婦人、すばらしくないですか?
マダム方が一列に並ぶときに一番下手にいるので! みなさん! 見てください!!!
前の胸のあたりにリボンがあるドレスを着ている娘役が多い中、あわちゃんは後ろの腰のあたりにリボンがあります。つまり何が言いたいかというと後ろ姿でも発見できます。
リストの演奏会で、ピアノを囲んで半円になっているあたりでは上手にいます。だいたいみさきちゃんとシンメトリーでございます。
このあわちゃん、本当に可愛い。写真とかないんかい……。
ラプリュナレド伯爵夫人をはじめとする社交界のみなさんとどんなお話をしているのか、気になってたまらん。

ウィーンの貴婦人役は冒頭で終わり、続いてリュサンド嬢として登場。マリーの小間使いということですが、出てくるたびに「奥様!」と台詞があるのはファンとしては大変嬉しいし、3回奥様と呼ぶその3回がどれもニュアンスが違っているのが、やはり演技がうまいなあと。
最初は編集部に向かうときですからダニエル・ステルンの小間使いとして、任せておいてちょうだい!という得意げな感じですし、2回目のジュネーヴでは旦那様のお友達がたくさんきてちょっと困った感じですし(ここは『M!』か?と見紛う場面。「ダンスはやめられない」をマリーが歌わない代わりに、サンドちゃんが歌うw)、3回目はリストの手紙を持ってきて、きっと奥様が喜ぶだろう!という感情が滲み出ています。ああ、すごいわ。
リュサンド嬢自身は貴族なのでしょうか、それともブルジョワの娘? マリーとはどういう経緯で知り合って主従関係を結ぶことになったのでしょうか、革命にマリーは参加しますが、パリジェンヌとしてリュサンド嬢が出てこないのも気がかりですし、リュサンド嬢自身は恋人がいるのでしょうか、いるならエミールの編集部やロマン主義たちの芸術家の中でしょうかとか、そんなことも気になってしまう。
ジュネーヴでもユゴーと何を話しているのか、大変気になるところでございます。
こういう細かい裏設定を本来ならお茶会で聞けたのだろうと思うと辛くてたまりません。これは他のジェンヌを応援している人にも言えることでしょう。

リストとタールベルクの勝負のときは、マリーの後ろにいるものの、基本的には台詞なし。
でもマリーがリストを応援していることはわかるから、リュサンド嬢もリストを応援していることでしょう。
マリーはパリに行くのは「嫌な予感がする」と言い、ここでの勝負に勝とうが負けようが既に別れを予感しているので、もしかしたら心の底からまるっとリストを応援しているわけではないかもしれないけれども、でも負けても欲しくないですからね。
そんな奥様の気持ちをリュサンド嬢も感じ取っていることでしょう。

お衣装は水色の襟がついたベージュっぽいワンピースと黄色っぽいワンピースの2着。主人のマリーが着替えると、小間使いのリュサンドも着替えます。
マリーの出奔はいつ知ったのだろう……一緒に出て行ったわけではなさそうですので、あとから手紙で呼び出されたのかな。ダグー伯爵に見つからないよう、ドキドキだったことでしょう。

しばらく出番がなくて、ラストはリストの回想の中で兵士たちと一緒に出てきます。いる場所がないからここなのか、やはり貴族の娘なのか。謎は深まる。気になって夜も寝られん。
あわちゃんがすばらしかった新人公演の感想はまた別に記事を立てますね!