ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

星組『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』感想

星組公演

浪漫楽劇『ディミトリ~曙光に散る、紫の花~』─並木陽作「斜陽の国のルスダン」より─
脚本・演出/生田大和

原作を読んでから観劇しました。いろいろ言ってますが、久しぶりに『ル・サンク』が楽しみな作品です。買うぞ!
舞台化するにあたり、いくつかの変更点はありましたが、生田先生は本当にこじらせ人物を書くのが上手くて、今回はアヴァクに関する改変はかなり物語をおもしろくさせていたなと感じます(何目線)。
ギオルギ王を殺したのはモンゴル兵であり、チンギス・ハーンであるのに、アヴァクはディミトリが殺した、そこまではいかなくても見殺しにした、くらいには思っている。
だからアヴァクはギオルギ王の死が受け止められないし、その妹のルスダンに仕えるなんてちゃんちゃらおかしくてやっていられない。父に「国に仕えるものだ」と聞かされても納得がいかない(ひろ香祐はさすがの父親でした!)。別に自分が王配になりたいとも思っていない。ただただ、ギオルギ王が忘れられないだけ。こじらせオタクにもほどがある。だからディミトリを必要以上に疑う。「陛下の無念は私が晴らす仕える王は私が決める〜♪」と高らかに歌い上げる。「陛下の無念」はルスダンを王にしたことでも、ディミトリを王配にしたことでもなく、モンゴルに敗れたことだよ、アヴァクたん!
けれども、その結果ディミトリが消え、折悪くジャラルッディーンによりトビリシを失い、それでも毅然とした態度を崩さないルスダンとたとえどこにいようともルスダンの味方をするディミトリの二人の分かち難い絆を目の当たりにして、最終的にはルスダンに心から膝を折るに至るし、「ディミトリがもし帰ってきたら議会への出席を認める」とまで言うようになる。このラストはもうちと言葉があっても良いような印象もありましたが、ここでアヴァクの演出が完璧だと、本当に主人公アヴァクだったじゃん!になるところでしたので、まあこれはこれなのかなとも思いました(他の欠点のために、欠点に目を瞑るのもいかがなものかと思うが)。
いやはや、アヴァクの改変、良かったですよ、生田先生。さすがです。
アヴァクの信頼できる部下は兵士のかのんちゃん(天飛華音)とさりお(碧海さりお)。そして女官長のゆりちゃん(水乃ゆり)。『ベアタ・ベアトリクス』に引き続きゆりちゃんの悪い顔を拝めたのはありがたかったです。かのんちゃんは銀橋に兵士がずらりと並んだときに薄暗い中でもわかるオーラと顔立ちがすごかった。これが3列目の威力。

そういうわけで、一度目の観劇は二階席最上手で、なぜかオペラグラスの調整がうまくいかず、ほとんど肉眼で見なければならなかったのですが、二度目の観劇は大変ありがたいことにコーナンの貸切公演で、友人がSS席をもぎ取り、前から3列目下出側で観劇できたのです。ありがとう、コーナン。ありがとう、友人。
どんな話もSS席で見ればよく見えるのかと言えばそういうわけではないのでしょうけれども、アヴァクはとにかく良かった。
星組生として大劇場公演デビューを飾るありちゃん(暁千星)やそのファンの歓喜の声が聞こえるようです。

一方でディミトリやルスダン、彼らを取り巻く環境の描かれ方には疑問もありました。
ギオルギ王とバテシバの間にいたはずの王子はいなくなり、王位継承権が今誰にあるのかがよくわからない。そのわからないなかで、タマラ王女の直系であるルスダンは原作通り、外国に嫁がされようとしている。では、ギオルギ王の後は誰が継ぐのか? その話が出てこない。
ルスダンは原作によると母から帝王教育を受けていない。私は原作を読んで、なぜ母は息子に帝王教育をしたのに、娘にはしなかったのか、とても不思議に思ったのです。自分は女でありながら、父親と共に共同統治をしてきたのなら、いずれ自分の娘も兄やその配偶者と共同統治をする可能性は十分に考えられたはずなのに。ここをどう解釈するのか、ある意味期待もしていたのですが、そもそもこの設定が舞台には出てこない。ギオルギ王が母から受け継いだ書類をルスダンとディミトリに引き継ぐ場面はあるけれども、ルスダンになぜそれが必要なのから語られていない。なぜ。
家臣が殊更ルスダンを軽んじるのは女だからではなく、帝王教育を受けていないからではないのか。付け焼き刃でどうにかなるほど国を動かすことは簡単ではない。アヴァクもその他の家臣も、まずはそこの疑念があるように描かないと、ルスダンが女だから軽んじられているように見える。それは観客の大半が女性なのだから、ちょっといい気分ではないのではないか。

ルスダンが結婚式と戴冠式で廷臣たちから悪く言われる場面は描かれていて、ディミトリについては触れられないのも違和感がありました。
バテシバでさえ、ルスダンの発言の中で悪く言われていることが述べられているのに、肝心のディミトリは悪口を言われる場面が描かれていない。完全に無視されている。無視されている、言及されていないことそのものを描きたいならそこは足りないと思うし、でもやはり人質としてジョージア王国にいながらにして、ギオルギなどの王族と親しくしている様子は悪く言われるものなのではないか、と思ってしまう。
主人公なんだからさ、立場がしっかりわかるようにしてくれないと不安だよ。

しっかり描いてくれ!と思ったのは、初夜の場面も同様です。長くて大変な1日の終わりに、ようやく心を通わせたのはよいのですが、初々しいカップルはキスしただけで終わってしまう。後ろのベッドは飾りになってしまう(笑)。まあそれはそれでいいんだけど、ただ、後半に白い奴隷というかもはや白い天使みたいなミヘイルが、ルスダンをベッドに押し倒す場面があったから、「お、おう……?」みたいになってしまいました。
あの描き方だと、生まれてくるルスダンの息子が本当にディミトリとの子供かどうか、怪しくないか……? そういういかがわしいことを考えてしまうのは私だけなのか。廷臣たちはどう思っていたのか。
原作ラストのルスダンは「なんとか自分の息子に王位を継がせなければ」という意思が固かったのに対して、舞台版は「なんとか自分がこの国を守らなければ」という思いが前面に出ていたように思いますが、それならもはや息子の存在意義とは……?
ジャラルッディーンの使者としてルスダンに会ったときに一度だけ出てきたあの息子は、もちろん史実では王位を継ぐ人物ではあるのですが、舞台の脚本・演出の観点から見ると、不要のようにも思えてしまいます。前に述べたようにこの息子は、舞台版では王位継承権を争う相手(ギオルギとバテシバの子供)もいないのだから、描かれる必要さえなかったのでは、と。なんだかちょっともやりました。

あとはやはり宗教の問題でしょう。日本人にはわかりにくいでしょうけれども、あの時代のあの地域の人間にとって信仰はアイデンティティであり、だからこそジャラルッディーンも「改宗すればむごい行いをしない」と言うわけです。それくらい同じ宗教を信仰していることが肝要になってくるのです。トビリシの民衆たちを改宗させようとする場面は気合が入っていましたね。舞台全部を使って踏み絵をさせなくても、と思いましたが、多くの人が宗教から目覚めなければならない現代日本社会を反映しているのかと思いましたよ、聞いているか、壺よ。
ディミトリの二度目の改宗は、生きるための選択であり、危機が迫っているので尺としてはあれくらいなものでしょう。もっとも、心内語を録音するやり方はどうかと思っているんですけどね(『エル・アルコン』でたくさん見たわ……)。
問題は一度目の改宗の回想場面で、幼少期のルスダンとディミトリが出会うところです。教会で洗礼を受け、そこでキリスト教徒としての名前を神父からもらうべきはずのところを、なぜかルスダンが新しい名前を決めたことになっている。日本の女房名ではあるまいし、そんな勝手に名前はつけられないでしょう。
結局宗教の問題が取り上げにくいのは、上にもちょろりと書いた通り、統一教会のせいなのでしょう。宗教に疎いと言われがちなこの国で、今、宗教といえばもっぱら壺なわけですよ。トーイツ協会とソウカ学会という宗教によってダメになっていくまさに斜陽の国を目の当たりにしている我々を相手に宗教を描くのは、そら大変だとは思うけれども、キリスト教イスラム教はそもそも歴史の長さが違う、懐の大きさが違う。国を牛耳るための道具ではなく、生活に密着した、よりよく生きる方法としての宗教のはず。だからもっと真っ向から描いても良かったと思うんだけどな。
『カルト・ワイン』もそうですが、くだらん現実世界の事件のせいで作品そのものや評価が揺れるのはよくないのではなかろうか。

あとは生田先生にありがちな、前半につめこみすぎて、後半に畳み掛けるような演出は今回も健在で、本人の癖なのだろうなあ、と。
ディミトリがいなくなり、トビリシが陥落、ルスダンはそれでも氷の女王として君臨し、廷臣たちに指示を出す。この「氷の女王・ルスダン」をひっとん(舞空瞳)でもうちと見たかったなあ。わりと首都を移してすぐに使者であるディミトリが来たような印象。後半の展開が早い。
もっとも最初に見たときに「密告の連絡はルスダン側でも読み上げた方がいいのでは?」と思ったのとは打って変わって、2回目は「繰り返し読まれたら重複して展開が緩くなるからこれくらいがちょうどいいか」と思いましたので、ここは特に畳み掛けているとは思わなかったかな。
後半に恐ろしく展開が早くなるのは、前半に詰め込みすぎだからです。あかさん(綺城りか理)が『歌劇』の「座談会」で「ギオルギの死が起承転結でいうところの起」みたいなことを言っていたのですが、「起」が長い! 30分近くある。生田先生がやりたがっていたジョージアン・ダンスがもう最初に来るの! どれだけやりたかったかは十分に伝わったよ!
だけど、それだと物語としては「ジョージア王国VSモンゴル」がメインになってしまう。違うでしょ、メインはあくまで「ジョージア王国VSホラズム」ではないのかね。だから使うならここでジョージアンダンスを使う方が盛り上がると思うのだけれども、それだと琴ちゃん(礼真琴)が参加できなくなるという葛藤がある。わかる。その葛藤は共有できる。でも芝居は物語が命だよ!
起承転結の起で、ギオルギ王とバテシバとの別れ、トビリシの市場、モンゴルの襲来、ギオルギ王の遺言と死、って盛り込みすぎだよ! マモル(『殉情』)も「1本目の動画にしては情報詰め込み過ぎかな?」って言ってたよ!
ギオルギとバテシバの二人の愛ゆえに離れる姿が、のちのルスダンとディミトリにも重なるのはわかるんだけど、でも長いよ!!!

ついでに言えば、さらにその前に物乞いとリラの花の会話がある。そのあとディミトリが主題歌を歌うでしょ。プロローグ、長いよ! 長い!
そのプロローグも全員集合しないから瀬央(瀬央ゆりあ)のジャラルッディーンの初登場がえらい遅いの。私は別にプロローグに全員集合させるべき!というイケコ信者では決してないのですが、せおっちの出番が少ないのは色々と不安になるじゃん?!
いや、もちろんジャラルッディーンは、あの寛大さといい、ディミトリの庇護者になるところといい、せおっちに非常によく合った役だったと思うし、アヴァクもまたありちゃんのために描かれた役であることはよくわかるのだけど、ほら、見ている方は様々な思惑が脳裏をよぎり、気にしてしまうのよ。すいません。せおっちがちゃんとショーで2番手羽を背負ってくれたり、他の組と同じように2番手グッズが出ていたりしたら、こんな心配はしなくて済む。聞いていますか、劇団!

ラストは、ジャラルッディーンからの書状の内容が明示されないまま、トビリシのリラの花の木の前にルスダンが戻ってくる(わざわざディミトリの死を報告してくれるジャラルッディーン、優しいな)。「愛した人の愛した場所」である。よく知るディミトリの足跡が見える。もちろん幻想だから、そこにディミトリはいない。幻想のディミトリがいてもいいものだが、いない。そしてルスダンは命ある限り、ディミトリが文字通り命がけで守ってくれたこの場所を守り続ける決意を固め、次に会ったときには他の誰でもなくディミトリに褒めて欲しいと告げて、リラの花の木の前を去る。そしてルスダンが去っていった道と反対側にディミトリはいる。それはまるで天国でルスダンを見守っているかのようである。
ラストとしては美しいけれども、最後に一緒に歌ってくれても良かったかな……幻想でのディミトリに会う、としなかったのは、生田先生のこだわりでしょうが、『柳生忍法帖』のときのようなラストでも良かったのではないか。もっともその演出は、トビリシ奪還のときにやったから、二番煎じになってしまうけど、別に片方が歌って、片方が踊るでも良い。どちらも踊っても良かったけど。とにかく何か、一緒にやって欲しかった気はする。なんか、ラストが切なすぎるというか。愛ゆえの悲劇なんだけど、むむむー!

生田先生にありがちな音楽がとてもいい!というこちらの評価も引き続き、といったところでしょうか。上記のアヴァクの歌が全体の中でちょっと変わった感じの音楽であるのもおもしろい。
ギオルギとバテシバの曲「たとえこの身が引き裂かれても〜♪」が良くて、繰り返し出てくるのも嬉しい。トビリシ奪還のときにルスダンとディミトリが一緒に歌う曲「愛している〜愛し続ける〜♪」もいい。

衣装も、どれも素敵でした。エキゾチックでアジアンテイストな要素ももちろんあるのだけれども、衣装の全体はヨーロッパ的なところもあって、しかもちゃんとタカラジェンヌが着こなせるスタイルになっているのが本当にすばらしい。
ルスダンのピンクのドレス、戴冠式の白いドレス、メインのブルーのドレス、どれも好きだったなあ。
女官のドレスや廷臣たちの衣装にも気合が入っていました。前回の雪組蒼穹の昴』といい、衣装にかけているお金はすごいな。もちろん、衣装担当のセンスもあるだろうけれども、桁外れすぎて衣装経費が全く見えない。脚本にも金をかけてくれよ!

ここからは役者の感想です。
まずはディミトリの琴ちゃん。なぜこうもラストに死ぬ役ばかりが回ってくるのかは謎ですが(笑)、歌とダンスはもちろん、王族の人間がもっているロイヤルオーラは出ているし、王配としてルスダンにとって一番いい方法を常に考える賢明さもよく現れていました。当て書きかと思われるほどよく馴染んでおりましたので、これは彼女の代表作になるでしょう。
原作のタイトルロールだったひっとんのルスダンも、ディミトリとの相性バッチリで良かったです。少女時代から女王初心者、トビリシ陥落後の威厳を持った女王、愛する人を失った悲しみを抱える大人の女性、とどれも見事に演じ分けていました。原作の、ルスダンの成長物語としての骨格を上手に表現していたと思います。
結婚式のダンスも、本当にオルゴールのお人形さんのよう。白いドレスの裾がほとんど動かないの。長く止まっている振り付けもあるのですが、動き出した時の躍動感もある。というか、あれ、よく動き出す瞬間を間違えないな、と踊ったことのない私は思いましたよ。ディミトリが触れるわけでもないのに、似たような旋律が続く中、ここだ!というところで突然動き出す。すごい。
ジャラルッディーンの最初の手紙に対する「これではまるで求婚のようではありませんか、夫がある私になんという侮辱。すぐに派兵の準備を!」はなんというディミトリ強火担!と思いながらも、女王としてはまだちと青臭い部分もある。しかし後半のトビリシ奪還の際「北方に全勢力を集中させよ!」は威厳ある立派な女王の姿でしたよね。ああ、なんて素敵なの……っ!
そのジャラルッディーンのせおっちは、こちらももうピッタンコカンカンでした。お髭もよく似合う。なんでもできるな、この人。本当に適役だったと思います。うっかりすると「ルスダンや、ジャラルッディーンはそんなに悪いやつではないから、この際一緒になったらどうだろう」と私も思ってしまうほど。でもルスダンは絶対に改宗しないでしょう。

組長(美稀千種)の物乞いの独白から物語は始まりますが、これがギオルギ王の寝室に典医としているんだから、もうドクトルゼブルガーじゃんかよ!って心の中で盛大なツッコミを入れたよね。完全に『エリザ』だったよね。わかるよ、わかる。生田先生、好きなんだね。
おかげさまで、結婚式戴冠式で女側が悪口を言われる場面も、キスしかなかったんかい!と思われるような初夜の場面も、瞬く間に子供ができて女官が運んでくる場面も、もう私は全部エリザベートの幻影が見えてしまったよ。
奪還したトビリシで物乞いが、かつて少女であったルスダンからもらった髪飾りが娘のタマラ王女(藍羽ひより)に戻ってくるのはおもしろかった。それを売ったお金で生活していたわけではないんかい!とツッコミを入れたくもなるが、物語としては良かったなあ。

ひよりちゃんも可愛かったですね〜!
新人公演の感想を読んだ限りでは、とんでもない研2生が発見された!ということでしたので、東京公演の配信が今から楽しみでなりません。
世界に発見された!という感じの感想ツイートが並んでホクホクでしたわよ!
月組『ロマ劇』の花妃舞音ちゃんもそんな感じでしたね。これからが楽しみです。

そして、そんなタマラ王女を助けたことで、女王ルスダンのお気に入りになる白い奴隷ミヘイルのかりんさん(極美慎)。
原作にあった「ルスダンに花を送り続けた」という設定がないのは残念でしたが(娘の命の恩人というのもわかるけど、これがあったからお気に入りなんでしょ!)、美しく綺麗な奴隷でした。どこでそんなすんなりと女性をベッドに運ぶことを教えてもらったのかは問いただしたいところではありますが、あれだね、花組『金色の砂漠』のギィだよね、なんでこんな綺麗な子が奴隷なの、どうして王族の女性をベットに運ぶの……と。もちろんミヘイルはギィとは異なり、王族ではないですが、一方でモンゴル兵ではあります(笑)。
モンゴル兵のモブを演じているのはいいのですが、大体センターにいるし、顔小さすぎて、すごい目立っていましたよ?! びっくりしちゃいましたわ!
しかも下手でチンギス・ハーンの「敵兵は?」に対して「追ってきています」と返事をするじゃない? 喋るじゃない? いや、喋るのは他の下級生でも良かったのでは?!?!と思わないでもないのですが、このときの悪い顔しているかりんさんが……なんていうかもう……最高……これを肉眼で拝めたことがもはやありがたすぎる。私の脳内は最初からクライマックスでしたわよ! どうしてくれんのよ!

あかさんとくらっち(有沙瞳)のギオルギ、バテシバは圧巻。さすがにうまい。物語の進行としては最初に退場してしまいますが、その後も要所で出てきてはルスダンやディミトリに語りかけますし、歌も歌います。バテシバの衣装は、ジョセフィーヌの衣装だとか。谷間のラインはしっかり拝みました。ホントだ、書いてあるぞ……っ!

リラの花3人娘のほのか(小桜ほのか)、るりはな(瑠璃花夏)、うたち(詩ちづる)も非常に良かったです。安定感抜群。
特にアレですね、ディミトリと間者の朝水りょう(格好良かった! トビリシの町でも真ん中にいたね!)の会話をリフレインするところがとても印象的でした。セリフを音に乗せて、しかもハモっている、だとー?! さすがである。『BADDY』でパトロールバードがやっていたあれですね。
リラの花をイメージしたお衣装も素敵でした。うう、ここにふみちゃん(茉莉那ふみ)がいないのが淋しい。次に舞台にあがるのをいい子で待っています。

下級生娘役ちゃんでは、他に、ディミトリの幼少期を演じた乙華菜乃ちゃんや侍女として登場したアヤネ・ミランダ・カーこと綾音美蘭、鳳花るりあちゃんが気になりました。みんな可愛いぞ!

あとは兵士の中でやけにるうさん(光月るう)に似ている人がいるな、と思ったら稀惺かずとくんでした。きれいな顔立ちをしているし、下級生の中にいると化粧もうまいのがよくわかる。さすがトニー!
ショーでは完全に認知した。銀橋渡りもあったので、これからがますます楽しみですね。
新人公演のアヴァク、東京公演の配信を心待ちにしています。

長くなったので、とりあえずここまで。ショーの感想はまた別記事をあげます。