ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

花組『舞姫』-MAIHIME-感想

花組公演

Musical『舞姫』-MAIHIME-~森鴎外原作「舞姫」より~
脚本・演出/植田景子

 毎度のことで前置きが長くなって申し訳ないのですが、私の大学での師匠は、存命かつ現役の先生の中では、たぶん森鷗外について五本の指に入る研究者で、私自身も「舞姫」について話をすることでお金をもらっていた時期があるくらいなので、作品自体は好むと好まざるとにかかわらず相当読み込んでいる(読み込まざるを得なかった)立場の人間で、だからどうしても豊太郎や相沢、天方伯やエリスのモデルになった人が脳裏を過るのですが、とはいえ初演『舞姫』(愛音羽麗、野々すみ花)はオリジナルの演出も光っていて、丁寧に作られており、映像で見る限りは好印象でした。つまり何が言いたいかというと、今回の再演『舞姫』のいい観客ではなかったかもしれない、ということです。いや、見られなかった人もいるだろうに、本当すいません……。
 初演の宝塚オリジナルの演出として大きく五つ挙げるとすれば「①豊太郎が舞扇をエリスにプレゼントする」「②エリスの精神を柱時計の音で表現する」「③豊太郎を日本で待っている妹を設定する」「④原田芳次郎とマリーとの交流を描く」「⑤大日本帝国憲法発布をゴールとする」と考えており、そのどれもがよくぞやってくれた!と思っていた演出でしたし、特にその中でも私は②がすばらしいと思っていたので(その他の項目については、他の人でも思いつきそうな上に、舞台でなくても表現できるため)、よりにもよって今回の再演でその②がなくなっていたことが、もうものすごくショックで……舞台芸術であるからこそ表現できるエリスの不安定さみたいなものがものすごくわかりやすくなったし、そもそも豊太郎とエリスの出会いは「金時計」(東京帝国大学首席卒業者に送られるもの)で始まっているから、柱時計の音が止まることによって、二人の未来の時間がなくなってしまう、関係が壊れてしまう、さらにエリスは豊太郎と過ごした幸せな時間に閉じこもってしまう、まさにジュリアンとは異なるやり方で「未来と現在を交換した」ことが端的に表されていて、エリスが「永遠の少女」になったことをこういう方法で演出するけーこ先生すごいな!これぞ宝塚ロマン!と思っていたタイプの人間なので、いやはや繰り返しになりますが、本当に惜しいという気持ちでいっぱいで……。
 『歌劇』「てい談」(いつも思うがなぜ「鼎談」と書かないのだろう)でも「エリスは、今回脚本上の変更点があり、初演の貧しいが故にセンシティブなエリスから、原作に近づけて一途にまっすぐに豊太郎のことを思っている…という風にしています」とけーこ先生が述べており、これがあわちゃん(美羽愛)が演じるから変更したのか、初演から15年以上経ち、「舞姫」という作品をとりまく環境が変わったから変更したのか、はたまたそれとも別の何かが理由なのかはこの部分だけではわかりませんが、「一途にまっすぐ豊太郎のことを思っている」というスタイルにたとえ変更したとしても、柱時計の演出はあってもよかったと思うよ……としみじみ思ったのでした。
 ついでにけしからんと思ってしまったのは(何目線ですか)、エリスが「流産」したという台詞があったことですかね……どうしてそんなわざわざ女を苦しめるような単語を入れるの……別にその言葉がなくても、エリスが流産しただろうことくらい、あの演出で、あるいは役者たちの演技で十分に伝わったと思うのだけど、え?わからない人、いる?いないでしょ?って感じなのだけど、ダメかしら。相沢が「豊太郎は日本に帰る」とエリスに伝えたタイミングで、というのもあまりにも豊太郎と相沢側に都合が良すぎて、なんだか違和感を覚えました。同じ場面は初演で、エリスが発狂しきってしまい、「(ようやく柱時計の音が)とまったぁ……」という野々すみ花の白眉な演技があっただけに、ナンテコッタ!と観劇中心の中で頭を抱えてしまったのです。『源氏物語』でいうなら六条御息所が生き霊となって葵上を苦しめる場面のような、作品の中で本当に美しい場面だったんだよ。初演のこの場面はマジで迫力がすごいからみんなぜひ見て。そして私はそれをあわちゃんで見たかったよ、見たかったんだよ!なんならそれを見に行ったはずだったんだよ……っ!
 他に男性目線におもねったのか?と思われる演出としては、ヴィクトリア座での踊り子の衣装ですかね。どうして昨今の日本のアイドルみたいにしたのだろう。キャバレーではないのだからさ。初演のあの可愛らしいお人形さんたちの衣装がよかったな、私は。

 と、初演を見た私はぐちぐち言っていますが、世間では評判もよく、主演のあすか(聖乃あすか)は鷗外と誕生日が同じ上に、初演が憲法記念日ということもあり、よかったのではないでしょうか。個人的に『花より男子』の花沢類を超えられないのが難点ですが、まいてぃ(水美舞斗)が専科に行き、花組では3番手として支えていかなければならないスターさんですからね、頑張っていただきたいところです。
 あわちゃんは、もともとお芝居の人というイメージが強かったですが、今回は更に一つ殻を破った印象がありました。これまでは彼女が出てくると「あわちゃんだ!」と脳裏を過ってオペラをあげたものですが、今回は「エリスだ!」と思うことが多く、役を自分に近づけて役作りをしたのではなく、自分が役に近づいて役作りをしたのだろうということがうかがえました。世間では「エリスになりきれていない」「少女漫画のヒロインが限界」というような厳しい意見もありますが、作中にもあったように「出る杭はうたれる」わけですし、私はこの作品でだいぶ脱皮したのではないかなと思っています。
 宝塚において、役を自分に引き寄せて役作りをすることは、それほど悪いことではないと思っています。なぜなら座付き演出家が当て書きオリジナル脚本を書くことができるからです。だから特に主演級、メインキャストの人たちは、役を自分に引き寄せて役作りしてもそれほど違和感はないというか、むしろそれが真っ当なやり方のようにも思えてしまうのです。
 一方で今回のように再演ものとなると、どうしても役に自分が近づいていかなければならない、それは演技の勉強をする上ではとても大切なことではあるけれども、なまじ初演があるだけにプレッシャーは半端ではなかったでしょう。それでもそのプレッシャーや圧力をはねのけて、新しい『舞姫』という作品に生きる人間として、あすかもあわちゃんも奮闘していたように思います。
 相沢から手紙が届いて嬉しそうに無邪気に話す豊太郎を見て、すでに一抹の不安を覚えているエリスの表情、すばらしかったです、あわちゃん。みんなに見て欲しい。相沢が自分から豊太郎を奪うことに気がついている。もうこのときすでにトライアングルが観客にも見える。豊太郎とエリスと相沢、そして相沢は国を背負っているし、まさしく次期総理大臣になる天方伯を後見としている。一介の踊り子が叶う相手でないのは自明のことだ。
 一方で、舞扇をプレゼントされたときのエリスはとても愛らしかったなあ! 要返しができなくて、「むずかしーいー!」といって自分の得意な踊りをするエリス、超絶可愛かった。白いドレスのお衣装も夏の避暑地みたいで、「一時の恋」って感じが出てますよね。あの場面の舞台写真、めちゃめちゃ欲しい。あわちゃん、とてもよかった。

 さて、同じじように、その初演の圧力をはねのけて光り輝いていたのはやはりその相沢謙吉を演じたほってぃ(帆純まひろ)でしょう。いや、誰があの相沢に勝てる? ビックリだよ。エリスと豊太郎と奪い合うソングを歌うときも危機迫るものが伝わってきてどうしようかと思っちゃったよ、私が(なんで)。賀古鶴所(相沢のモデル)に見せてやりたいよ。
 しかし豊太郎の悲劇というのは相沢に代表されるように、「豊太郎のためを思って近づいてくる人が、もれなく全員豊太郎とエリスの愛を否定すること」「豊太郎の能力は見ているが、豊太郎の心を見ていないこと」にあり、母も天方伯もこのあたりが共通しており、地獄だな、と。当時の船便のことを考えれば、あのタイミングで母からの手紙が届いていたら諫死ではないだろうが、文脈から見たらあれはどうみても諫死だろうからなあ。一幕終わり、圧巻でした、組長(美風舞良)。
 あとは天方伯のひろさん(一樹千尋)がさすがすぎてですね。初演では星原美沙緒が演じ、次期総理大臣と目される人間として説得力のある佇まいが印象的で、月組ベルサイユのばら』(涼風真世天海祐希)を死ぬほど見た幼少時代を過ごした私としては永遠のジャルジェ将軍であり、本当にもういろいろたまらんのですが、ひろさんが事もなげに乗り越えてきてくれたのはさすがです!と思ったし、一生ついていきます!となった。宝塚の専科としての伝統が感じられたのがとても嬉しかったです。

 私費留学生としてドイツにやってきた馳芳次郎はだいや(侑輝大弥)。その恋人ミリィは咲乃深音ちゃん。なぜ初演通り原芳次郎、マリーにしなかったのか、もっといえば初演もなぜ巨勢(『うたかたの記』の主人公)にしなかったのかは謎ですが(モデルその人である原田直次郎にしなかったのは、原田は帰国したからだと思われる)、今回は恋人の名前まで変えてきたので、『うたかたの記』から離れようとしたのでしょうか。とはいえ、この『舞姫』としては、オリジナルキャラクターの馳がなかなか厄介で、自分もドイツでミリィという恋人がいて、日本人の面汚しを言われながらも自分の絵を描き続けようとしたにもかかわらず、亡くなる直前に豊太郎に「日本を任せたぞ!」とか言ってしまうのは、豊太郎にとっては呪いでしかないでしょう。日本に帰りたいのに帰れない俺の分も頑張ってくれ、というのは、このときの豊太郎にとって重荷以外でも何でもありません。豊太郎を国に回収しようとする姿勢は相沢も母も天方伯も同じですが、お前もか……となってしまう。もっとも馳自身には悪気はないのでしょうが、だからこそなおのこと悪いという言い方もできます。ミリィはどうしたらええねん、って話ですよ。
 ミリィはどんな気持ちだったでしょうか。一緒に暮らしてきて、愛し合って、そんな相手が死ぬ直前にもうドイツ語もわからなくなって、自分の言葉が通じなくて、近くにいる自分ではなく遠い母国を見ている恋人ってなかなか残酷だと思います。とりわけ二人の登場が明るくポップな感じで「ないないない~♪」と歌っているので、ギャップがしんどいですよね。この別れは、豊太郎とエリスに匹敵するくらいつらいものがあります。
 そして『うたかたの記』、誰かやりませんかね、巨勢とマリーとルードヴィヒ2世。2時間半まで話は延ばせないだろうから90分~100分と考えると大劇場サイズですが、それほど登場人物もいないので、トップコンビの別箱とかでどなたか書き下ろしてくれないかなあ。鷗外のドイツ三部作ならこの『うたかたの記』が一番好きなのです。

 一方で、国費留学生でありながら、唯一豊太郎の心に寄り添おうとするけれども、生来の気弱さが目立って、けれども自分の学問である衛生学に対してはひたすら一途な岩井直孝は泉まいら。何をやっても面白い。座っていても笑いがとれるし、立っていても笑いがとれる、歩いていてもおもしろい。すごい。「みんなが柏餅を食べるなら、自分が桜餅が食べたくても柏餅を食べる」という表現は言い得て妙で、それを茶化しながら言っていた豊太郎もまた、その長いものには巻かれろ精神で帰国するんだから、本当にもう……って感じになってしまう。でもそんなこと言っているからいつまでたってもこの国は壺から抜け出せないんだよ!と思ってみたりもする。この性質、決して過去のものではないということです。
 エリス母のゆずちょ(万里柚美)は相変わらず美魔女で、本当にドイツ人かと見紛う彫りの深さや貧しいとはいえ、娘を日本人なんかにくれやらないという意志の強さを上手に演じていましたし、ドクトル・ヴィーゼのしぃちゃん(和海しょう)もまた豊太郎を悪意なく国に回収させようとする役どころをいい案配で演じていました。そして明治天皇の声もすばらしかったよ、しぃちゃん。すごい。ヴィーゼの娘のマチルダのゆゆちゃん(二葉ゆゆ)も可愛かったです。前髪オン眉ぱっつんが素敵。なぜ公演スチールがないのか。
 ホットワイン売りのまる(美空真瑠)は美声を轟かせ、ワインが飲めない私も飲みたくなるほどでしたが、ラストの青木英嗣もまた良かったです。豊太郎に対して「先生の『独逸日記』を拝読してこのたび留学を希望しました。もしよろしければお言葉をたまわりたく!」と言うあの素直でまっすぐで一途な瞳が、冒頭の豊太郎と重なりますね。目の前にいる豊太郎ではなく。ええ、人生の酸いも甘いも知った豊太郎ではなく。
 言葉を求められて豊太郎は一度断る。しかし「ぜひに」と再度請われて「こころざし~♪」と冒頭の曲を歌う。大日本帝国憲法発布のあたりから泣いていた私は、しかしついこの場面で、「ここの病院に時折顔を出してエリスという女性を見舞って欲しい、くらい言ってやれよ!」と豊太郎の首根っこを掴んで言ってやりたかったです。男の志なんてどうでもええんじゃわい! 自分の意志を貫き通すだけの強さがないなら、桜餅を選べないなら、現地の女に手を出して子供をつくるな、と。豊太郎は自分がそうであったにもかかわらず、あやうく自分もまた「父なし子」をつくるところだったんですよ、罪深い(そしてそれが流産という形でなかったことになるのも許せないから、あの言葉は本当にいらなかったと思う)。
 あとは前回の『殉情』で幼少期春琴を演じた真澄ゆかりちゃん。ドレス姿、かわいかったなー! どこにいても見つけることができました。こちらもまた期待の若手スターさんです。少女役のときは『めぐあい3』カストルのワンピースを着ていましたね。

 さて残る問題は豊太郎の妹・清です。いや、すみれちゃん(詩希すみれ)はとてもよく演じていたし、本当はミリィをやって欲しかったとも思うけれども、狂言回しみたいな役回りが多く、しどころがないといえばない役であるにもかかわらず、しっかりと印象を残したなという感じがして、本当に今後が期待できるスターさんです。だからここで問題だといっているのは脚本上の問題です。
 この清をどのように捉えたらいいのだろう。作中の人物がことごとく豊太郎の能力を買って、豊太郎をエリスと別れさせ帰国させようとしている中、清はどの立場なのだろうかと考えれば、そりゃもちろん清だって、お兄様に帰ってきて欲しいに決まっているのですが、彼女は一度決まりかけた有栖川宮家との縁談が、おそらく豊太郎が免官された時点で白紙になっており、似たようなタイミングで母も亡くし、父はもちろん豊太郎同様に幼い頃に亡くしている。頼りにできるのは豊太郎しかいないのに、その豊太郎がドイツにいるという日本では寄る辺なき身の上に他なりません。その豊太郎がドイツでエリスと一緒に暮らす道を選べば、清はいよいよ天涯孤独となり、おそらく身を売るより他に生きる手段はないでしょう。だから清にとっては豊太郎が帰国するか否かは、登場人物の誰よりも身に迫った問題であるはず。むしろ清がいるからこそ豊太郎は帰国したのだと言われても納得するくらいの勢いで。しかし実際はそんなことをミリも考えていないだろうな、あの豊太郎は。だからラストは大日本帝国憲法発布なんだもの。わかりやすいラストではあるけど、国家の犬はそう簡単に野良犬にはなれないことを見せつけられたような気がするよ。
 そう考えると、清には、むしろ清だけにはエリスを恨む権利があるでしょう。エリスと清のデュエットは、自身の危機を歌い上げるものとして見事にシンクロしていました。だからこそ、宝塚で上演するときに清の存在にはとても意味があると思う。作品の構成としては納得できる。ただ、私は小金井喜美子があんまり好きではないというだけなのかな。モデルから離れてみるには、「舞姫」は身に馴染みすぎているのがつらい。
 清にエリスを恨む権利があるように、エリスにも日本の近代化を恨む権利があるはずなのだが、精神を病んでしまうことで、その権利さえも奪われるのだから、全くひどい話だよ。だいたい男に振られたくらいで発狂なんかしないよ、大抵の女は。とはいえ、やっぱり豊太郎がエリスと最後に舞扇をもって面会する場面は泣いてしまったわ。彼女が犠牲になってできた日本の近代のなれの果てがこれかよ!って思うこと、最近多すぎて余計につらい。新聞の見出しを変えさせたって、それもう検閲ですよ。

 本公演は14日まで。無事に最後までできますように。配信は見ます。思えば前回のバウホール公演『殉情』も原作は『春琴抄』というタイトルで、今回は『舞姫』、どちらもタイトルロールを、しかもどちらも再演という作品を、連続で演じているあわちゃんのプレッシャーはいかほどのものでしょう。体調も気になりますが、メンタルもあまり追い込まれすぎないように、と願うばかりです。こういうのは終わった後が心配だよな……。大事に育ててね、劇団さん。
 もう一方の花組『二人だけの戦場』の配信は見られませんでしたが、梅田公演は良い作品だと評判が高く、こちらも嬉しい限り。何かの間違いで東京公演が見られるようになるといいのだけれども、まずは無事に舞台の幕が開きますように。