宙組『HiGH&LOW -THE PREQUEL-』『Capricciosa!!』感想
宙組公演
TAKARAZUKA MUSICAL ROMANCE『HiGH&LOW -THE PREQUEL-』
原作・著作・構想/HI-AX
脚本・演出/野口幸作
ァッシーノ・モストラーレ『Capricciosa(カプリチョーザ)!!』-心のままに-
作・演出/藤井大介
宝塚大劇場の千秋楽で真風さん(真風涼帆)が「ルイのあとに何を喋ったらいいかわからない……」と客席をわかせながらも、「この作品は宝塚にとって挑戦だった」と真摯に話していたのが印象的でした。そりゃそうでしょうね。
発表された当初から「これはnot for meになるだろう」ということを予想していながらも、YouTubeで原作の宣伝動画のようなものを見ても全く胸が躍りませんでした(あと「ムゲン」という名を制作者サイドは「この時間が無限に続きますように」という祈りを籠めてつけたらしいですが、そのチームが解散したところから話が始まるのは、それでいいのか?と細かいことが気になる。全然ムゲンではないのでは?)。本当に楽しんだ人にとっては申し訳ないんですけど。
そんなことを言いながらも大劇場の配信を見たのは、本当にたまたま仕事の都合で見ることができた、という感じです。そして、全く最初の期待を裏切らなかったので、つまりはそういうことです。だから絶賛の人はこれから先は読まない方がいいと思います。忠告はしたからね。別に絶賛の劇評しか書いてはいけないって決まりはない、はず。
それに結局『FLY WITH ME』の感想も書けていないから、まあ、これを機に思い出しながら。『FWM』で一番感動したのは、しどりゅーが3番手にいたことだよ! そして最初に言っておくと今回、ショーは楽しかったよ。
作品を見て、「これはむしろショーの方がいいのでは?」と思ったのですが、それなら、もうそのまま『FWM』ですわな、とも思いました。
オープニングには主要メンバー5人が出てくるけれども、それぞれに絡みはなくて、THE☆プロローグって感じで芝居はしていない。
山王連合会のコブラは主人公だから、White RasclsのROCKYとも、RUDE BOYSのスモーキーとも、達磨一家の日向とも、鬼邪高校の村山とも絡む。だから真風はききちゃん(芹香斗亜)とも、ずんちゃん(桜木みなと)とも、もえこ(瑠風輝)とも、こってぃ(鷹翔千空)とも絡む。けれども、例えばこの4人の横のつながりは全然なくて、それって芝居として成立しているといえるのか?と不思議に思ってしまった。なんならそれぞれのチームに所属している人たちは、あんまり目立たない……ナニーロ(風色日向)はすごくよかったですけどね!
ずんちゃんはオープニングのあと出てくるのはほぼ1時間後ですよ?! ファンそれでいいんですか?! 仮にも3番手なのに、その出番の少なさよ……5つのグループを全部出す必要はあったのかという疑問。ここを絞れば話としてはまとまるのでは。既存のファンがおもしろいかどうかは別ですが。
だったらもういっそ、ショーの方が理由なくチーム同士がぶつかり合えるよね、出番も増えるよね、と思った次第。本当、そのまま『FWM』ですよね。
役者たちは原作を履修して、裏設定もたくさん考えているんだろうけれども、配信のせいか、そこまで楽しめなかったかなあ。
先に言っておくと、今回オリジナルのチームであったチャイニーズマフィア苦邪組はすごくよかった。よかった。
自己紹介ソングがあるから、誰が誰なのかわかるし、役者も覚えてもらえるし、役割もはっきりしている。芝居の基本だと思うけれど、それがきっちり守られている。まっぷーさん(松風輝)もさよちゃん(小春乃さよ)もさくらちゃん(春乃さくら)良かった~! チャイナ服、素敵だった。特攻服なんかよりもよっぽどよかったよ!
しかも、抗争の目的がはっきりしている。SWORD地区を乗っ取りたい。これくらいクリアの方が安心して見ることができる。だから私は彼らが出てきた後半くらいからようやく楽しくなってきた。
原作ファンにはこのオリジナルチームはどのように映ったのでしょうか。作品の中に違和感なく溶け込んでいたのでしょうか。
あとはナレーターのすっしーさん(寿司)も良かった! 原作のあのナレーションを意識したのでしょうが、こちらも原作ファンに好評だと嬉しいポイントです。ブラックジャックのような闇医者もよかった。でも闇医者なのに病院にいるんだ、ね?
職業病みたいなもので、芝居を見ると「1時間に納めるためにはどこを削るか」ということをつい考えてしまうし(特におもしろい芝居を見るとね! 60分脚本をおこしたくなる!)、あらすじの軸として「AがBを通してCになる(Cする)話」をまとめがちなのですが(小柳先生も物語を一行で表現するって言ってましたね)、それを今回にあてはめると「コブラがカナとの再会・死別を通して無口になる話」になるかな。
けれども、それって既存のファンはおもしろいのかな……いや、宝塚として役者を楽しんでもらえたならそれはそれでいいんだけど、話はおもしろい、のか……?と不安になったり心配になったりしてしまう。杞憂ならいいんですけど。
ここのところ『巡礼の年』『8人の女たち』『ベアタ・ベアトリクス』みたいに話がおもしろい、構成がよく練られている作品が多かったから、余計に、ね。
個人的には世界観がわからなかったのがとにかく苦しかった、辛かった。
ここはどこなのか。日本なのか、それとも全く別の世界観なのか、よくわからない(なんかセブンイレブンみたいなものが見えたような気もしたんだけど?)。
いつの話なのか。現代の話なのか、政府や警察が崩壊した近未来の話なのか、ファンタジーなのか(ボイスレコーダーが闇市で売られる時代っていつ)。
登場人物はいくつくらいなのか。彼らの過去も未来もいまいち見えてこない。だから生きている生身の人間という気がしない。周りにいわゆる「大人」も極端に少ない。ヤマトの母親とバーのママはいるけれども(まあこの人たちも喧嘩推奨みたいな人たちだったけど、水音志保ちゃんは美しかったよ!)、大人の男の人がいないから、主要人物たちがこれからどうなっていくかというビジョンがわからない。年を取らないみたい。みんな『ドラえもん』や『ちびまる子ちゃん』みたいな世界観で生きているってことでいの、かな? それならそれでいいんだけど、それもよくわからない。鬼邪高校で5年留年は当たり前、二十歳過ぎが通常と説明されるくらいだから、時は流れているんだよ、ね……?(鬼邪高校のトップは譲らないっていうけど、早く卒業して)
彼らの金銭感覚もわからない。美容院には来るし、行きつけのバーがあるみたいだけど、そのお金は一体どこから出てくるの? 働いていないよね、あなたたち。
同じ地区に住んでいながら、美容院にいるひばりちゃんがまた常識人だから、世界観がわかりにくくなる。
近接しているチームなのに、全然近い街という感じがしないくらい街の様子が違いすぎるし、なんなら国が違うくらい雰囲気が違うよね……?
そして、一番不可解なのは、それぞれのチームは一体何と戦っているのか。拳で守るって何を何から守っているのか(チーム同士が抗争しているわけではないっていう話でしたよね? ヨーロッパ戦争のような領土侵犯が目的ではないなら、何が目的で喧嘩するの?)。喧嘩したいから喧嘩するの? 拳で勝ったらその人がリーダーなの? 戦う方法、喧嘩しかしらないの? 野蛮人じゃん。
かろうじてホワイトラスカルズは「女を守る」と言っていますが、嫌がるカナを追いかけ回しているのは矛盾だろと思ってしまうし、そもそも「夜の女しか守らないの?」みたいな疑問も。素人女がいない街なのかもしれませんが。そもそもいやいや夜の女になる人が出ないような制度をつくった方がよくない? 言い方が悪いけど、あたまわるいの?って思ってしまう。いや、原作で説明があるようなら申し訳ないんだけど、ホント。
宝塚にもLDHにもテニプリにも造形のある友人に「世界がぶっとんでいるのは、『テ○スの王子様』も同じでは?」と言われましたが、彼らは目的がはっきりしている。全国大会に行く、世界の頂点に立つ。そしてとりあえずラケットとボールを使ってテニスで戦っている。奇抜な技が繰り広げられ、コートが凍ったり、磔刑になったりするけれども、既存のテニスのルール通りに「ラインから出たらアウト」だし、サーブの順番も奇妙ではない。まあダブルスなのに、二人になったり三人になったり分裂するのは微妙だと思うけど。
拳で戦う元気があるならスポーツした方がいいよ、彼らも。
実際に困難校ではエネルギーをもてあましている子供たちを運動部に勧誘して、悪いことを考えないように、悪いことをする体力がなくなるように、という方針もとられていますからね。今年も甲子園に出ていた学校の中にもそういうところがあるでしょう、たしか。
そもそも喧嘩や殴り合いが身体表現であることは認めるにしても、それをフィクションやエンターテイメントとして楽しめるのは、自身の人生にそういう暴力がない人、あるいはなかった人だけであって、本物のヤンキーが歩いている街に住んでいる人や家庭内暴力を目の当たりにしたことがある人にはまあ無理でしょう。戦争が行われている国で迷彩柄がファッションとしてしてもてはやされないのと同じ論理です。
だからこそ、フェアリーちゃんたちには刺さりやすいのだろう、ファン層としても重なるところがあるのかもしれない、とも思いますが、残念ながらこの国はどこまで整備されていないですよね。ヤンキーは少なくなったとしても、暴力の類いは正しい統計がとれないくらい隠蔽され、さらに隠さなければならないものだという意識が植え付けられている。
ヤンキーが少なくなったのも、別に住みやすくなかったからではなく、その分自殺に向かう人が増えたというだけ。ベクトルが変わっただけで住みやすい国とはかけ離れている。
言葉が唯一の世界把握の手段であることを前提にしたら、その国で、言葉ではなく拳で語り合おうというのは無理がある。
ダンスも音楽も絵画も言葉を使わない表現はたくさんあるけれども、その技量を高めるためにはどうしたって言葉が必要である。優秀な指揮者は「もっと大きく」「もっと弱く」という単純な指示はしない。「金魚がはねるように」とか「夕焼けが沈むくらいのスピードで」とかすごい抽象的な言葉で指示をするという。画家だったロセッティは詩人でもあったんだよ! それは考えれば、言葉が豊かでなければ、それ以外の表現は豊かにならない。
話が抽象的でわかってもらえない人もいるかと思いますが、とにかく日本のドラマ脚本の語彙レベルが低い。優れた深夜アニメの方がよほど語彙が豊かだろうと思われるほど。
あとは複雑な構成に耐えられない、複雑なものを複雑なまま受け入れることができないからすぐに単純化したがる。だから韓国ドラマが流行るし(格差が激しい社会だからドラマティックになりがち)、王道の少年漫画少女漫画に大人がこぞって群がる、のめりこむ様って異様でしょう(別に全ての漫画を否定しているわけではない)。
『花より男子』が流行したときにも思ったのですが、王道の少女漫画が国民的人気を誇るというのは、ドラマ化されたことをあわせて考えても、国の知的レベルがわかってしまうよね、って話。だから殴り合いの話が流行るのは、眉をひそめてしまう。
欲しい情報が自分の手元ですぐにわかるような時代、異質なものにそもそも触れない、出会わない、だからある程度裕福な家の子供でもおそろしく語彙力がない。「いい」「わるい」でしか物事を判断できないし、表現できない。グレーゾーンがないし、長い文章が読めないし、抽象的な議論ができない。この国の未来が悩ましい。
あと、これは完全に個人的趣味ですが、娘役ちゃんたちが好きだから、今回はあんまり出番がなかったのがつらかったし、描かれ方もな……原作ファンの方の「七姉妹がホワイトラスカルズを攻撃しているときに、苺美瑠狂が出てきたのがよかった!」「原作では絶対に見られない苺美瑠狂ちゃんたちが見られて良かった!」という声をツイッターでは結構みかけるのですが、そうなのか……?と思わず首をかしげずにはいられなかったよ。
純子がコブラを好きなのは原作通りなんですかね。どちらにしても結局女を恋愛脳にするんじゃねぇかよって思っちゃったよねー!
『カルト・ワイン』のアマンダを思い出すとね、ヒロインだからって別に恋愛主義でなくてもいいって宝塚にしては新しかったと思うけれども、でもそれがすごくよかったと思っているんだよ、私。
あえて悪い言い方をするならば「あの程度でよかったと思うって原作では一体どんな扱いされているの……」と心配になったよ。
そして特攻服しか着ないのも不満だった。私はあれをおしゃれだと思えない……。じゅっちゃん(天彩峰里)のドレス姿も見たかったよ。舞踏会の招待状って『ロミジュリ』だな、とか思っちゃったけどね。
それから、もう一つ。娘役ちゃん好きとしてはヒロインが病気という設定もね、本当にありがちだよねえ!と思ってしまった。もちろん原作の前日譚であり、原作に出てこない以上、物語の構成を考えたらカナには死んでもらうしかないのですが、それにしたって事故ではなくて、病気なのね、あえて苦しむ姿を描くのね、と長いため息が出てしまう。
さて、お次はショー。こちらは楽しかった。
宝塚ではフランス巡りは多いけれども、イタリア巡りってあまりないのかな? ナポリ、ミラノ、ヴェネチア、ローマ、これはもう次元大介の作るピザが食べたくなるぜ~!
ダイスケ先生は30作を超えたのか、すごいなあ。ショー作家がいないからすぐに回ってくるというのもあるだろうけれど。
先日の『ベアタ・ベアトリクス』の演出家である熊倉先生はダイスケ先生を尊敬しているということなので、熊倉先生のショーも見てみたい。
プロローグのあとに、ダイスケ先生にありがちな主題歌を娘役センターでリプライズがなかったから。おや?と思ったけれども、ナポリではいきなり歌い題した潤花。すごい足があがるな、本当。
じゅっちゃんやひばりちゃん(山吹ひばり)はもちろんですが、しほちゃんも見せ場があって、よき。
留依蒔世はエトワール。もう少し歌唱場面があってもよかったかな、とも思いますが(ナポリの場面やデュエダンのソロのどちらかはあーちゃんでもよかった、はず!)すばらしいエトワールでした。
しどりゅー(紫藤りゅ)とこってぃと3人で中世イタリアの画家に扮して、パスタの名前を高らかに歌い上げる場面はおもしろかったけれども、もっとごりごりの見せ場つくってやってくれ~!となりました。
ダイスケ先生にありがちな男役に娘役の格好をさせてトップスターと絡ませるというのは、あんまり好みではないのだけれども、ずんちゃんは怪しい水の女でしたね(突然の「エリーゼのために」は笑ったけど)。
後半のスカラ座の場面は「アイリーンとモリアーティなのでは?」と思いもしましたし、『シトラスの風』に似たような場面あるよね?とも思いましたが、真風さんがそっと潤花をききちゃんのもとに返す場面はしびれました。そうくるか。新しい。よき。
フィナーレの出発は、ききちゃんが中森明菜の『ミ・アモーレ』を歌って娘役ちゃんたちをぞろぞろ連れて登場。視覚的には『デリシュ』を思い出すし、聴覚的には『夢千鳥』を思い出す仕様となっておりました。
タイトルの「カプリチョーザ」はイタリア語で「気まぐれ」「勝手気まま」「わがまま」というような意味らしいですが、プロローグのあとの「ずんずん今夜はあなたを攻めます」「危機迫るほどの情熱キッス」「俺のゆりかごにきみ縛り付けて」あたりは、ダイスケ先生、自由にやっていますね!と思いました。あれは笑う。笑うしかない。
真風さん、潤花と退団発表もされました。
真風さんはなんとなく予感はありましたが、潤花はなんかちょっと早いかなという気もしなくはない。
なんならききちゃんと息を合わせたコメディ作品なんかも期待していたんだけどな。まあ彼女の決断です、仕方ない。
次期トップコンビの発表を大人しく待ちます。