ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

「芸能の在る処~伝統芸能入門講座~宝塚歌劇編」メモ2

芸能の在る処~伝統芸能入門講座~宝塚歌劇
ゲスト:上田久美子、松本俊樹
案内人:木ノ下裕一
主催:ロームシアター京都

yukiko221b.hatenablog.com

【第二部】木ノ下さんと上田先生のお話

○木ノ下さん
上田先生、どうでしたか、松本先生のお話は。

○上田先生
すごくおもしろかったです。私自身、宝塚のコンテンツというよりは劇場という空間にやっぱり興味があって。一種不思議じゃないですか、舞台に演者がいて、客席に観客がいて、それで一緒になって一つの作品をつくっていく空間って。しかもそれが地方というか、今って文化が一極集中になりがちで、観客も劇場も東京が多いと思うんですけど、大阪のような地方都市でもない田舎でずっと存続しているのが不思議だったんです。だから松本先生のお話を聞いて、すごく腑に落ちた部分があります。できた当時は普通のことが残されている、ガラパゴス的な魅力なんだな、と。

○木ノ下さん
そうですね。小林一三が宝塚を創設するのに、歌舞伎を参考にしている、というのはよく言われて、なんなら本人が歌舞伎の特徴を七つにわけて、歌物、舞踊、題材が幅広いなどの項目があるんですが、それを宝塚にも応用しようとしていたと言っているんですね。
銀橋といわれるエプロンステージなんて、まさに歌舞伎の花道をぐぐぐーって舞台と並行にさせたもので、使い方も似てますよね。本舞台と花道で違う場面をやってみたり。

○上田先生
まさに。なんならちょっと見得を切って渡っていくというのは、歌舞伎と同じですね。

○木ノ下さん
あ、やっぱりそうなんですね。
さて、実は私今日初めてうえくみ先生にお会いするのですが、ここからは私の独断と偏見による「ここが胸アツうえくみ作品!」というコーナーです。(会場拍手)ご本人を目の前に、ラブレターを読むよう那感じですかね。

○上田先生
ありがとうございます。私も木ノ下歌舞伎のファンなのに、なんだか一方的に申し訳ない……。

○木ノ下さん
うえくみ先生の作品はたくさんありますが、ここでとりあげるのは三作品。『月雲の皇子』(2013、月組バウホール)、『星逢一夜』(2015、雪組本公演)『桜嵐記』(2021、月組本公演)です。
まずはそれぞれの作品の題材を確認していきたいと思います。
『月雲の皇子』は『古事記』の衣通姫伝説、『星逢一夜』は金森頼錦と郡上一揆、『桜嵐記』は南北朝時代を描いた『太平記』ということですが、この題材の選び方がね、まず絶妙なんですよ!!!
衣通姫伝説はまず選ばない。確かにロマンチックな恋の話はあるけれども、なんせ原作での二人は兄妹ですから、近親相姦ですからね。テーマのタブー度合いが半端ではない。しかも原作の『古事記』では歌物語として展開していて、事象としては非常に地味でシンプル。だからこそ、脚本にしにくいはずなんですよ。それを宝塚ならミュージカルとして上演できるという発想がすごい。
二つ目も、すごい。大体誰が宝塚で一揆を描こうと思いますか? だいたい一揆なんてものは負けるんですよ、負けが分かっていて、これまた地味なんですよ。でもちょっとシリアスなところもあって。それが上手に宝塚をマッチしたな、と。
そして最後の『太平記』ですよ。もうこれは難物。タブーのど真ん中。現代にもつながる天皇制にもかかわってくる。日本に帝が二人いたという悩ましい時代を、後世の人間もどう位置づけるか非常に頭を抱えているというこの扱うのが難しい時代を、あえてもってくるというこの姿勢。
この三つに共通しているのは、一見扱いやすくないテーマに突進していっているということです。これはなぜでしょうか、先生。

○上田先生
タブーに突進していくというよりは、ある意味無知だからできることではないか、と……。
『月雲』に関しては、歌物語では無理かなとかは思わなかったかな。そもそもこれを知ったのも、ネット上の物語の要素辞典みたいなものがあって、それを見るのが好きで。その中で「近親相姦」というのをぽちと推したら、出てきた話で。要素だけで見るとこれでもう物語が作れるなと。なんかすいません、台所を見せると汚いみたいな夢がない話で。
『星逢』については、ちょうどその頃洞窟探検が趣味で。格好良い言葉でいうとケービングっていうんですけど、懐中電灯のついたヘルメットをかぶって匍匐前進をしていくんですね。それで名水の里といわれる郡上八幡に行ったときに、城下町のお城によった。そこにあった立て看板に、お殿様が天文にはまった結果、足下がおそろかになったと見えて、一揆が起こったという歴史を知った。江戸時代に星を見ていたお殿様がいるっていうことがおもしろいな、と。この人なら百姓と仲良くなれるのではないかな、と。
大抵宝塚なら何をしても格好良いので、一揆をやっても格好良くなるかな、とも思ったかな。
『桜嵐記』は、あんまり自分自身に南朝がMADな感じがしない。それは地元ということもあるかもしれない。吉水神社なんかにもよく言っていた。タブーだということに気がつかず、むしろ立て看板を読んで気の毒だなーと思うような子供時代だった。だから、調べていくうちにあとから楠がプロパガンダ的に使われていたということを知って、でもまいっかー!となりました。
そもそもタブーと思われていることそのものが疑わしくて、それはある一面的な価値付けでしかない。当時からそんなタブー扱いされていたわけではないでしょう。だからあまり気にしていないです。

○木ノ下さん
なるほど。ありがとうございます。ではここからはそれぞれの作品についてみていきます。

○木ノ下さん作成スライド
『月雲の皇子』2013、月組バウホール
衣通姫伝説、『古事記』など)
"ことば”
●正史←→物語
 記録/歴史
 国家/個人
 文字/歴史
 武力/文化
●民族(ヤマト、渡来人、土蜘蛛)

○木ノ下さん
これを見るとね、大変ヘビーなテーマを娯楽やエンタメに昇華する演出家だな、と思うんですよ。

○上田先生
そう、だったかな?
自分の作品を見るのが好きでないので、ちょっと……。

○木ノ下さん
物語が最後は『古事記』の記述にかえって行くじゃないですか、ナレーションで。
だから『古事記』成立、編纂の物語とも見える。
そして「物語とは何か?」という問いを物語そのもので宝塚で魅せていく。これがメタ的でおもしろい。
ヒロインが本当の妹ではなく、民族間での争いによってうまれた戦争孤児としているますが、これはやっぱり近親相姦はまずいと思ったからですか?

○上田先生
そう、だったかな。ヤマトと土蜘蛛の物語だから、恋のカップルのどちらかが土蜘蛛の方がおもしろいかな、と。
言葉はもともと、政治、経済のための道具として生まれてきたはずなのに、それを物語や歌のために文字を使うようになる、という過程に興味を持ちました。人が哀しみを記録するのはどういう瞬間だろう、と。だから、実際の妹であるとかないとかについてはそれほど重要視していなかった。
それから兄弟の対立も描きたかった。でも宝塚だから恋の話にもしなければいけなかった。

○木ノ下さん
このヒロインの設定の変更に関して、私は「あ、この先生ひよったな」とは全く思わなかった。むしろ、もっと話が、話のテーマが大きくなったな!と感じた。
正直、兄と妹で恋に落ちて、どこかに流罪になって、一緒に死んだ、なんて話、知ったこっちゃねえって感じだと思うんです。だからヒロインを土蜘蛛出身にしたのはものすごくよい改変だと思ったんです。なんなら『古事記』よりおもしろいです。

○上田先生
古事記』はおもしろさを重視してはいないと思うんですけど(笑)。
とにかく物語や感情を記録しようと思った瞬間を描きたい、文字のありかたに対する気持ちがぼんやりあって。
別のところで衣通姫伝説もひっかかっていた。一人は文字を国家のために使っていきたい人、もう一人は感情を記録しようと挑戦する人。
このぼんやりした二つがちょうど「文字が伝来した時代」という点で重なって、相性がよかった。
しかも、そもそも『古事記』と『日本書紀』では、記録が異なっているんですよね。後者は事務的、前者が物語的がうりになっていて。だから『古事記』を読んでいると、これは脚色しているな、とか感傷的すぎるなというのが、というのが伝わってくる。そのあたりのことを描いてみたかった作品です。

○木ノ下さん作成スライド
『星逢一夜』2015、雪組
(金森頼錦と郡上一揆
"権力と民"
●大きなものと小さなもの
 天体/人間
 星座/流星
 江戸(中央)/地方(三日月藩
 富士山/櫓

○木ノ下さん
さて、お次は『星逢一夜』です。
同形状のものが大小のモチーフになっているように見えるのですが、このあたりはいかがですか。

○上田先生
もっと感覚的にモチ0府というものは浮かんでくるもので。
江戸時代の人が星を見ているというのがすごくおもしろくて、ロマンチックだった。どうしても近視眼的になりやすく、身近な問題で頭がいっぱいになるのに、遠い空を見ている。そういうお殿様がいたというのが可愛らしいな、素敵だな、と。
子供達が櫓を立ってて山の向こうの星を見ようとするけれども、見えるわけがない。けれども、遠くにある不確かな物を想像しようとするのがおもしろう。しかも子供達がそれを共有する。自分もそういうものを見て欲しいtと思う。あるかないか、わからないものを想像する力って必要だと思うんです。
一揆を大債にすると今と結びつきにくいと思うかもしれないけれども、現代人が感情移入しやすくするために中央に対する反発というのを描き足しました。よく「中間管理職の悲哀がつまった作品」と言われるのですが、まさにその通りです。
一般企業で人事をやっていたので、世の中の仕組みが見えてくるんですよね。企業の利益と社員の幸せを両立させるのは本当に難しい。組織が大きくなればなるほど。

○木ノ下さん作成スライド
『桜嵐記』2021、月組
南北朝時代、『太平記』)
"生きる意味、死ぬ意味"
●国の終焉
 前時代の呪い
 負の精算
天皇

○木ノ下さん
前二作品が争いを描き、戦が出てくることが共通しているのですが、それぞれ主人公には戦う意味がある。けれどもこの『桜嵐記』にはそれがない。主人公の楠正行は戦うモチベーションを探すところから苦悶している。暗い。一番派手だかえど、一番救いがない作品になっていて、これも現代に通じるな、と。
自分のせいでないのに自分が戦いに巻き込まれていく。さらには天皇制を問う作品にもなっている。
あえて正行が主人公なのはなぜでしょう。

○上田先生
恋のエピソードがある人で、美男。美女を天皇からもらうけれども、自分は戦いで死ぬ身だから、といって断る。もうこれだけで物語になるな、と。
プロパガンダ的に使われているのは後から知ったけれども、なぜ正行が死にに行くのか、ということについては、単なる忠義のためとか天皇を守るとか、特攻隊みたいにはしたくないなと。この頃になってくると、掘っていけばなんか出てくる、なんかあるという自信みたいなものもあったから、骨格が決まったらあとはどうやって現代と関連を持たせていくか。現代から見ても、現代に提示して意味のあるものを上演したかった。

○木ノ下さん
「大きな流れ」というものは明示されていないですよね。あらがえないとわかっていても件名に生きる。
子供時代に楠正成と赤坂の歌というか、楠の歌を歌うじゃないですか。「大きな木の下に集まれば地震も水害も怖くない」って。理不尽な死に向かって進んでいく姿が、災害というものと重なってみえました。避けては通れない死というものに向かって生きていくということは現代にも通じるのだな、と。

○上田先生
ヒーローとしての目的がない、けれども理不尽な死に向かっていく。こういうのって意外と普通の人も同じですよね。戦ではないけれども、生きていくために仕方がなく働いて、戦っている。やりがいを感じなくてもやっていく。だから正行はサラリーマンみたいなところがあって、実は一般的なのではないか、と。正行の死によって時代が大きく変わるわけではないんですよね。

○木ノ下さん
どの作品にも現代に刺さるメッセージがある。最後の作品は特にトップスターコンビの退団公演という文脈もあったかなと思うけれども、ゴリゴリの強くて重たいテーマは一貫しているように見えます。テーマと娯楽性のバランスはどれくらい考えていますか?

○上田先生
あんまり考えていません。基本的には娯楽を作ろうと思っています。でも演者にも納得して演じて欲しいし、あんまりしょうもない理由でほれたはれたをやっても仕方がない。リアリティをもって演じるときにしかでないエネルギーがあると思います。娯楽だからテーマはいらないということはなくて、テーマと娯楽のどちらか片方を選択するのではなくて、二つの要素が補強し合っているんですよ。

○木ノ下さん
なるほど。テーマと娯楽の両方が必要ってことですね。