ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

「芸能の在る処~伝統芸能入門講座~宝塚歌劇編」メモ3

芸能の在る処~伝統芸能入門講座~宝塚歌劇
ゲスト:上田久美子、松本俊樹
案内人:木ノ下裕一
主催:ロームシアター京都
2022年11月30日(水)18:00~

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【第三部】木ノ下さんと上田先生と松本先生の三人でトーク

○木ノ下さん
上田先生の話、どうでしたか?(松本先生にむかって)

○松本先生
ファンとして作品の裏側を知ることができておもしろかったです。
挙げられた三作品の題材はわかるのですが、『金色の砂漠』のインスピレーションはどこから来ているのでしょうか。

○上田先生
んー……ボリウッドにはまっていたときがあって、そこでインドにおける『ロミオとジュリエット』といわれる古典小説を映画化した『デーブダス(Devdas)』という作品が、あえていえば、どこかで作品の種になっているかな、と。お互いを支配しようとし合う愛、というモチーフを男女逆転にしました。

○木ノ下先生
松本先生から見て、上田作品というのはどうなんですか。

○松本先生
非常に宝塚に適している特徴があるなと思っています。宝塚から離れたと思われるところももちろんあるのですが、基本路線や枠組みがちゃんと「宝塚」になっていて。それは、今のお話を聞いていると、娯楽を作りたいという上田先生の気持ちが、宝塚的なウェットさがありながら、単なるメロドラマに陥らないというところが、娯楽性と相性が良かったのかな、と。

○木ノ下さん
松本先生は宝塚における楠正行の表象についても研究されていますが、そのあたりはどうですか。

○松本先生
以前、正行の表象について、公共性を考えて戦に行く正行を描くこととプロパガンダの違いは、どこにあるのだろうと考えていた時期があって。やっぱり公共心と共同体、忠誠みたいなところは一緒になりがちではないかな、と。だから公共の民のために正行が戦にいくのはどこかでプロパガンダにつながってしまう恐れがあるのではないかと。
けれども、正行はあくまで「民のため」に戦に行く。「民がお腹を膨らませるため」という、これが公共性。つまり、戦う動機が南朝の貴族たちと正行とでは違う。ピラミッドとしての共同体を守るために戦いにいくわけではない。行動が同じであっても、動機が違えば、それはプロパガンダにならないと上田先生がおっしゃっていて腑に落ちた記憶があります。

○木ノ下先生
忠義の物語、と読むと、やばい本になりかねない。現代ならこう解釈できるよ、と新しい解釈を提示することに意味がある。古典をどう読むか、というのは一つの課題ですよね。
一方で、先生の発表では宝塚の戦争協力についても触れられていましたが、それはやぱり娯楽性というものと関わってくるのでしょうか。

○松本先生
たぶん娯楽性を関わっているでしょうね。国からの要請もあるでしょうけれど、観客にウケるから作る、流行だから作る、という側面はあったでしょう。だから戦争責任はあるでしょうね。
ただ、当時の作品の実際の評判はよくわからないところもあって。というのも、『歌劇』が休刊になって、そもそも劇評があまり残っていないのです。戦後になってから「あれはおもしろくなかった」という劇評があるのですが、戦後というバイアスはかかっているでしょうし。どの程度本当につまらなかったかどうかはよくわからないのです。
「おもしろい」という評判が残っているものもあるのですが、大衆娯楽としておもしろいから宝塚で上演する、という要素もたぶんにあったでしょう。軍部との積極的な関わりもありましたし。

○木ノ下先生
ドラマや映画で、普通の男女でやりとりしても泣かないだろう、というところで、宝塚だと泣ける、ということもありませんか。

○上田先生
ありますね。他愛もない純愛すぎるようなもので目頭が熱くなるような。そんなことあるいかな、と思いながらも。例えば普通の男女が演じていたら見られないような子供だましのものでも、宝塚だとちょっと幼稚な感じというか、稚拙でナイーブな感じがあって、それに包み込まれて泣いてしまうことが。それも宝塚の特徴でしょう。

○松本先生
まさしく草創期の宝塚は「インセンス」が売りだったんですよね。「イノセンスこそが売りである、宝塚の命である」というように。

○上田先生
イノセンスって実際に言っていたのですか?

○松本先生
実際に使っていましたね。歌劇団の中の人が、「イノセンス」について議論している資料もあります。ある種の無邪気さというものが戦前から継承されているといえるでしょう。

○上田先生
15歳やそこらで親元離れて少女だけで過ごしていたら、メンタリティとしてもイノセンスになりやすいというところはあるでしょうね。
私、初めて宝塚を見たのはお正月にBSでやっていた『ベルサイユのばら』だったんですけど。演出「長谷川一夫」とあって。役者が西洋人の格好をしているのに、もう何もかもが歌舞伎調でびっくりしたんですよ。スターが台詞を言って見栄を切るところとか。曲も演歌調だし。でも金髪で白タイツ、なんなら時代が古かったから、金髪のクオリティもちょっとアレで、黄色いカツラみたいな? 相当異常のものにみえて。
でも見ているうちに山場の場面で泣いてしまったんですよ。ネットと違って、存続するのが難しい、劇場の中でしか収益を得られない不利な収入源が限られたメディアであるにもかかわらず、助成金ももらわず、関西の片隅で、いつも満員御礼でここまで続いているって本当にすごいな、奇跡だなと思ったんですよ。

○木ノ下さん
『ベルばら』初演のときはどういう評判だったんですか。歌舞伎っぽいね、という感じだったんですか。

○上田先生
もともと宝塚が歌舞伎的なところがあるので、特にそういう評判があったというわけではないでしょうね。

○松本先生
歌舞伎から題材をとっているところもありますし、小林は歌舞伎を継承していくことにも価値をおいていましたし。特に宝塚の中で異質、特殊という感じではなかったと思います。海外公演も歌舞伎を意識している演目もありますし。

○木ノ下さん
ベルサイユのばら』を長谷川一夫演出の宝塚って、なんだか異種混合試合みたいですね。
さて、では「宝塚の課題」って何だと思いますか。まずは興業の面で。

○松本先生
あえていえば、成功しすぎているところでしょうか。本当はロングランが理想的なんですよね。けれども宝塚はそうではなくて、だからチケットがあまりにも瞬殺すぎて、ビギナーはチケットをゲットしにくい状況になっています。
まあ、あるところにはあって、私設のファンクラブを経由することも考えられるのですが、初心者はなかなかそこにはたどり着けないでしょう。親や友人がディープなファンでないと、なかなか手に入らない。
僕自身は当日券を学割がきいた時期にはまったこともあって、わりとそのころはチケットがとりやすかったんですけど。

○木ノ下さん
なるほど。そういうところを配信が上手に補っていけるといいですね。
他に、表象の面ではいかがでしょうか。

○松本先生
やはりジェンダーステレオタイプすぎる、というところでしょうか。しかし男役と娘役とわけて、全員女性でやっている以上、ある程度強調しないと、男に見えない、ということもありますし、難しいですね。
娘役が退団すると歌がうまくなるという現象があるのですが、これは宝塚にいたころ、いかに無理して高音を出していたかということとも関わってくると思います。つまり、男役中心なんですね。
舞台がオフのときにも娘役が娘役になりすぎてしまうことも問題かもしれませんが、でもそうかっといって、それがなくなったら宝塚は成立しない面もあるだろうとも思いますし、難しいですね。
ただ、外国人の表象はステレオタイプすぎるものから、最近少しずつではありますが、改善しているところもあります。

○木ノ下さん
歌舞伎なんかは時代が違うということで許容されているところもありますが。理想化された女性というのは、古典だから目をつむってもらえるところがあるけれども、宝塚は新作主義ですからね。
上田先生もやはりそのあたりは意識して作られましたか?

○上田先生
いえ……(会場笑)。
それについては、何も深く考えていなかったというか、それを言い出したらそもそも成立しないのが宝塚の舞台ですよね。
ただ、舞台の男役に観客が求めるものは確実に変わってきているだろうな、と。
昔(『ベルばら』四天王時代)の宝塚の裏舞台を取材する番組で、舞台の上では王者みたいに一番強くて美しかったトップスターが袖にはけて、男の演出家の先生と顔を合わせると「えー! 先生みてはったんですかー! ありがとうございます。いややわー! 私、大丈夫でしたかー?」みたいな感じに急にしたでに出る様子があって。言ってしまえば、大阪のおばちゃんみたいな。すいません、おばちゃんとか言って。本当によくある、絵に描いたような男女のコミュニケーションって感じで。なんか袖にはけたら百獣の王も猫になる、じゃないですけど。
今は別に同じことがあっても、もうちょっとえらそう、というか。もちろん最低限の礼儀は尽くすけれども、へこへこすることは全然なくて、普通に「あ、先生見に来てたの」みたいな感じで。
相撲とは反対に、女しか上がれない舞台の袖で一番強くて美しくてえらいという女性が、男を演じることで溜飲が下がる思いがあったでしょう。ただ、そういうカタルシスは、今はもう別のものに変わっていて、別に社会としてフェミニズムは全然浸透はしていないですけど、昭和の女性観客に与えていた影響とは今の女性観客に与えている影響や効果とは違うものでしょうね。

○木ノ下さん
女が男を演じるからこそ、見えてくるものがあるのでしょうね。
例えば『桜嵐記』を男女で上演したら、全然違う作品になると思います。暑苦しいというか。女性が男性を演じることの批評性、なんというか宝塚はマッチョにならないという感じがありますね。ある程度脚色されている、虚構性が高くなって。女性がやることで男性が作ってきた歴史に対するアンチテーゼにもなりますよね。
いろいろまだ話したいですが、そろそろ時間なので……あ、オーバーしてますね、それではここから質問コーナーにいきたいと思います。

○質問1 上田先生へ
上田先生がいろいろなことに興味をもっているということがわかっておもしろかったです。トップスターさんにはいろいろな持ち味があると思うのですが、上田先生があてる役はその持ち味とはちょっと違うような気がしていますが、スターと役をどのように結びつけていますか。

○上田先生の回答
それ、よく言われるのですが、私自身はスターに持ち味に適した役をあてているつもりなんですよ。でも、周りからは「ちょっと違うのがおもしろいね」みたいな反応をもらうことが多くて。私の感覚がやっぱりみなさんと違うのかな……。

○木ノ下さん
宝塚は複数の演出家の先生がいるところが魅力ですよね。そうやっていろいろなスターの顔を見ることができますから。
では、次の質問。(たくさん手があがる)あら、たくさん。やはり次は五時間コースですかね(笑)。

○質問2 上田先生へ
次のオペラの演出についてとこれからの活動について教えてください。

○上田先生の回答
オペラは偶然、演出の話をもらっただけなんです。これから留学するし、自分にできることをやっていきたいと思って引き受けました。でも、何が自分にできるかもよくわからないところもあって。
アバンギャルド的なものをやると門戸が狭くなって来る人が限られてくるから、多くの人に見てもらえるような。そして、見た人が何か持ち帰れるものを作りたいと思っています。ちょっと教育的なことも。遠くの世界に気がつくような作品を作りたい。

○質問3 上田先生へ
宝塚とジェンダーの話がありましたが、男役が娘役を演じるときの配役がすごくおもしろいと思って見ていました。どうやって決めているのですか。

○上田先生の回答
ケースバイケースですかね。本人の持ち味を考えることもあるし、娘役のテクニックで演じない方がいい女性の役のときとか。あとは大人の事情ですよ。スターの序列を決めるための劇団からの要請とか。

○木ノ下さん
では、質問コーナーはこれくらいにして。
私、いつか木ノ下歌舞伎を上田演出でやりたいです!

○上田先生
(目をぱちくりさせて)今初めて聞きました。

○木ノ下さん
ここで言おうと思っていました!(したり顔)

○上田先生
ありがとうございます。

○木ノ下さん
そのときはみなさん、見に来て下さい。
それでは今日はこれで終わりにしたいと思います。上田先生、松本先生、ありがとうございました。
(拍手)

***

「世界に資する作品を作りたい」といって退団した上田先生が、多少教育的になろうとも娯楽作品を作り続けると言ってくれたことは深いなと思ったし、何よりも「今ここ」ではなくて「あるかどうかもわからない遠くの、未知の世界」を想像できるような作品を作りたいとおっしゃっていたのが印象的でした。
世界に資する作品は娯楽でもできるし、それは私たちに今とは違うものの味方を教えてくれるはず、と私も信じたい。
あとは郡上のお城の案内板や吉水神社の立て看板が創作のヒントになっているという話は、前回の上田先生の講演会で、演出家になりたいと思っている学生に向けて「言語が分からない舞台を見る。そうすると話の構成で理解するしかなくなる。それで泣けるようになれば、旧跡の案内板でも泣けるようになる」というようなことをアドバイスしていたことが思い出されます。
要は話の筋が大切なんだな、と。
小柳先生も、作品をつくるときはまず「(主人公)が○○する話」と一文で、一行で、話の骨格をつくると言っておりました。その骨の部分がしっかりしていないと、やはりいくら肉付けしたところで、たいした作品はつくれないのでしょう。

私個人としては宝塚歌劇団を「未婚の女性だけで構成された劇団」というのをウリにするのは、もはや時代遅れだなと思っているところも確かにあります。
でも、100年以上続いた宝塚をこれからも残していきたいとも思っています。
では、何をウリにするかといえば、松本先生がおっしゃっていたように「新作主義、オリジナル作品を上演する」というところなのではなでしょうか。
過去の作品を再演することにも意味があると思いますが、それは少なくとも本公演ではなるべく避けた方がいいのではないかと思うことがあります。もっとも最近はバウホールなどの別箱でのオリジナル作品がかなりおもしろいとも思っているので、再演なら別箱で、とも簡単には言えないのですが。
一方で、木ノ下さんが指摘したように、同じ劇団にたくさんの演出家たちがいる。座付きでいる。これが宝塚の強みなのではないでしょうか。トップスター、トップ娘役に当て書きができる、ってとても素敵なことだと思いますし、他ではなかなか真似できないことだと思います。だから常に私は当て書きオリジナル良質脚本を求めているのです。
それから「レビュー(ショー)を上演できること」これもまた宝塚の大きな特徴でしょう。OSKなど他の劇団もやっていないわけではないですが、大きい規模でレビューやショーを上演しているところはありません。もっともこちらの要素は、最初に松本先生がお話したように、宝塚の舞台そのものがレビュー向きであることを考えれば、なくなることはあるかもしれませんが、もっとアピールすることはできると思います。
この二つを劇団側がもっと認識して、持ち味として活かしていこうとしなければ、宝塚歌劇団の存続そのものも危ういと考えています。それは創設者の思惑とは異なるかもしれないけれども、でも今だって草創期とは異なる部分があるのだから(今、『どんぶらこ』を上演したら、観客は「宝塚で見たいのはこれじゃない」と言うでしょう)、少しずつアップデートしていけばいいのではないでしょうかね。ダメですかね。
劇団のお偉いさんの中にどれだけ女性がいるのかもよくわからないのですが、組プロデューサーも女性が担当したことってあるのでしょうか。舞台の上からは見えない、そういう内部のところも変えていく必要があるのかもしれません(もし、今の段階で女性の管理職がたくさんいたらすいません)。

最後に書くのはあれですが、これはあくまでも私が聞き取ったメモであって、ご本人たちの考えと異なることもあると思われますので、そのあたりはゆるく読んでいただきたいと思います。
一人の方がずっとお話されている講演会ならともかく、対談や鼎談の速記はあまり経験がないので(誰の発言かを明記したり、一度に複数人が話をしたりするところもあって思っていた以上に大変だった)(しかもスライドがある発表を記述するのは初めてだった)、ちょっと自信ないな、と思われるところはカットもしましたが、あしからずご了承ください。

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