ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

宙組『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-』『Délicieux!-甘美なる巴里-』感想

宙組公演

kageki.hankyu.co.jp

Musical『シャーロック・ホームズ-The Game Is Afoot!-』
~サー・アーサー・コナン・ドイルの著したキャラクターに拠る~
作・演出/生田 大和

タカラヅカ・スペクタキュラー『Délicieux(デリシュー)!-甘美なる巴里-』
作・演出/野口 幸作

あ~! とっても! とっても!! とーっても楽しかったですうううううう!!!!!
劇団宙組ありがとう。やはり私は当て書きオリジナル脚本が好きなんだなということを再認識しました。しみじみ。
幸運にも初日の翌日に観劇できました。幸運すぎるだろ。後からとったチケットなのに。それでこんなに満足しているなんて。ああ、すばらしきかな人生。
もともとあまり通う予定の演目ではなかったのですが、なんとなーくずっと気にはなっていて(今思えばそれもオリジナル脚本だったからでしょう)、月組観劇の興奮が冷めやらないまま、ホームページにちょうどアップされたばかりの生田先生の公演解説を読み、そのままするするーとチケットを追加していました。なんでだよ。
あまりいい席ではなかったのですが、これ、SS席なんかで見た日にゃ、もうその日が私の命日でもいいわ。いや、だめです。もっと見たいもん!
見に行って大正解でしたわ。遠征組ですので、マチソワダブル観劇が基本なのですが、上記の理由でマチネのみ。ソワレも見たかったー! 残念><

とはいえ、やはり当て書きオリジナル脚本っていいですね……。思えば真風さん(真風涼帆)は大劇場のオリジナル脚本は『異人たちのルネサンス』『エルハポン』とありますが、今回のホームズが一番よかったなあ。もう群を抜いてよかったわ。
個人的には前の2つがいまいちだったので、今回は楽しく観劇できてよかったです。いや、もう本当に。

もっとも原点のホームズは自分のことを「名もなきヒーロー」とは、絶対に言わないだろうなとは思うのですが、でも真風ホームならそれが許されるし、言いそうだし、言ってもらいたいのでしょう、生田先生が(笑)。本当に心が乙女なんだからもう、この人は……。
ディープなシャーロキアンにとっては、ラストの台詞が賛否大きく分かれそうだなとは思うのですが、私は真風ホームズならありだなと思いました。いい塩梅で変人の名探偵と市民のヒーローの両方の面をもっていましたから。

あと、これは芝居でもショーでも同じなのですが、観劇している最中は少なくとも一度も「これがまどかだったら……」と潤花のことを思わなかったのも幸せでした。これだよ、これ。当て書きオリジナル脚本の醍醐味はこれでしょう! やっぱり!
ありがとう、劇団さん。
個人的な話をすれば、あんまり潤花ちゃんは得意ではないのですが(台詞の言い回しとか・あくまで好みの問題です)、『HSH』のときよりも歌がうまくなっているなあとは思いましたし、『HSH』に引き続きお芝居も頑張っている様子が見られました。
まだまだ成長してくれることでしょう。楽しみなファンも多いことかと。

だから、というわけではないけれども、やはり夏から秋にかけての花組の全国ツアー公演のショーはやっぱり心配です。
私はまどかも好きだけど、華ちゃんも大好きだから、ショーを見ているときに「これが華ちゃんのときは」と思ってしまいそう。いっそトップコンビが二人とも別の人に変わったなら、新しいトップコンビのために調整したのね、と思えるのですけれども、そうでないのがキツイ。今からキツイ。いや、もうチケットは確保してあるのですが。
いや、でもそれにしてもあんまりな演目だろうと思ってしまう。
お芝居も、柴田先生がやりたいのはわかるし、『コルドバ』は好きな作品でもあるけれども、ちと再演のペースが速いのも気になる。
それ、ちぎみゆでやったばかりでしょう、と思ってしまいました。すいません。

話がずれましたが、そんなわけで『SH』も『D!』もとても楽しかったです。
漫画『憂国のモリアーティ』がアニメ化されているろことですし、舞台にもなり、ちょうどアイリーン・アドラー/ジェームズ・ボンドの役は大湖せしるが演じてしまいしたね。ツイッターで流れてきたビジュアルを見た瞬間はうっかり変な声がでました。夫に心配されましたw
アイリーンが美女なのは間違いないのですが、あの美女があのイケメンのボンドになるってすごいな。
しかし言ってみればボンドって宝塚の男役のようなものだし、配役としては天才的だったかとも思います。
大正解。ビジュアルだけで優勝できるわ。
私は原作漫画のウィリアムの容姿がダントツ好み過ぎて(目つきの悪い金髪)わりと初期から読んでいるのですが、ディープなシャーロキアンである夫に言わせると「ホームズを不良という設定にした時点で優勝確定」ということだそうです。言われてみれば、あくまでも身なりは英国紳士として描かれることが多いですからね、ホームズって。
雑にまとめた髪、常に裾が出ているシャツ、品なくくわえられたタバコ、という出で立ちは、汚い部屋で怪しい化学実験を繰り返ししているホームズには、むしろぴったりだったのではないでしょうか。
というか、今までなぜ紳士として描かれてきたのか、逆に疑問の持ってしまうほどです。
書いているのが、ホームズ贔屓のワトソンであることを差し引いても、ホームズの行動って不良とあんまり区別がないなというところは確かに多い。
ちなみに三谷幸喜の舞台『愛と哀しみのシャーロック』で、ホームズは不良ではないものの、発達障害というかADHDというか、そういうキャラクターとして描いていたのが興味深く、おもしろかったです。再演してくれないかな。

とはいえ、宝塚のトップスターが不良ホームズや発達障害ホームズを演じるわけにはいかないだろう、と踏んでいたので、キャラ作りはまっとうにしてくるだろうし、それよりも気になるのはモリアーティだな、と思っていたところで、あのキキアーティでした。
これはなんていうか予想と全然違って、いい意味で裏切られたので、大変満足しております。ありがとうキキちゃん。ありがとう生田先生。
モリアーティのキャラ作りのお礼だけで生田先生に手紙が書けそうです(やめなさい)。
『異人たちのルネサンス』のメディチのように「俺がエライ! 俺が正義! 俺が法律!」みたいな感じではなく、無邪気で赤子がそのまま大きくなったような素直さで「みてー! ぼくのなかまがつくったじゅうだよ! すごいでしょ! これをいろいろなくににうってほろんだどころで、ぼくがきゅーせーしゅとなってあらわれるよー!」みたいな方向でイっちゃっている役作りだった。すごいな。
つか、チームモリアーティは武器なんか使わなくても、その美貌で村里の一つや二つはすぐに手に入りそうだけどな。だってキキちゃん、しどりゅう、まっぷう(松風輝)、もえこ(瑠風輝)、こってぃ(鷹翔千空)だよ?
世界を今すぐに手に入れるのはちょっと難しいかもしれないけれども、それがやりたいのか、そうか、それならば致し方あるまい。
っていうかもえこおおおお!!!!!
なんてこった、あのメガネ。おかしいな、『SAPA』では何も響かなかったのに、今回のメガネはたいへんによろしい。なんでだよ。
その顔の小ささに似合うメガネをよく探してきてくれました、衣装部さん、小道具さんありがとう。グッジョブ!
ショーでもまさかのメガネシーンがあるし、そんなの聞いてないよ~!ってなりました。ごちそうさまでした。
あれ、おかしいな、別に私、今までもえこにそこまで意識したことなかったんだけどな……どうしようと思っているところです。
動悸息切れ養命酒かよって感じです。

モリアーティの純粋さの一方で、勝手に拾った美少女を手塩にかけて(意味深)女スパイとして育てたのだから、もう本当にどういう趣味してるの?って感じ。きち〇いの所業やで?
アイリーンは「救ってもらった」というようなことを言いますし、モリアーティも救ったつもりかもしれませんが、常識的な意味での「救った」ではないのでしょうね……怖い。バウホールあたりで番外編はいかがですか?
完全にイっちゃっている人だから、仕方ないのかな。自然にそう思えてしまうモリアーティの役作りがすごいわ。
しかもアイリーンからしたら元カレに命を狙われた上に、その元カレと好きな人を奪う羽目になるのだから、これが本当のトライアングル・インフェルノって感じですよね。地獄だな。
もっともボヘミア貴族を強請るのに失敗したのにモリアーティのもとからどうやって逃げたのか?とか、そもそもなんで大臣から船の設計図を奪ったのか?とか、そもそも船の設計図だって知っていて盗んだのか?とか、せっかくモリアーティから逃げ出したのに、また危ないことにクビを突っ込んでいるのか?とか、少なくとも作中では語られていなかったような気がするのですが、とりあえずボヘミアンの事件で敵として知り合ったはずのホームズに、自分の命である船の設計図を預けるくらいにはアイリーンはホームズを信頼しているということがわかれば話は進みます。
進みますが、ちょっと雑ではないか?と思わないでもない。ライブ中継で初めて見ていたら、こんなに楽しめなかったかもしれないと思うので、劇場のありがたさを痛感。やはり生の舞台っていいわ。
そういうわけで、ディープなシャーロキアンである夫をどうやって巻き込むか、それが思案のしどころです。

ともあれ、アイリーンの衣装もどれもいいんですよ。よりどりみどりで目が幸せなんですよねー。
ポスターにある異素材を組み合わせた青いドレスは、アイリーンのちぐはぐな心をよく表しているし、オペラ座での舞台衣装の白いは言うまでもなく素敵だし、スイス行きのカントリー風のドレスなんかはいくつの設定!?とは思うものの、まあ変装の名人だしとも思えたし(もっともその設定は今回の作品では生かされていない)、喪服も良かったです。あー眼福。帽子もどれもかわいかった。
まじでもえこといい、衣装さんがよい。小道具さんがよい。

ホームズはアイリーンの過去に嫉妬する一方で、女嫌いだといわれているのに自分にもちゃっかりかつての恋人がいて、なんなんだよ、もう!と思うし、しかもその名前で送られてきた手紙に動揺しまくっているんだから、もうなんなんだよ、と思いますけどね。キキアーティからだってすぐに気が付くけれども、最初の一瞬は本気で信じたでしょう? ねえ、信じたでしょう?
でもこれがあるからヅカのホームズとしては人間味があって、キャラクターが成立して、最後の「名もなきヒーロー」につながるわけですね。
かつての恋人を脅迫するモリアーティといい、本当男ってロクでもないなって思っちゃいますよね。
でもそれを女性が演じているから、私は安心して見ることができます。
本当に劇場で見ることができてよかった。家で見ていたらめっちゃツッコミ入れまくっていたわ。

ラストはホームズとモリアーティの一騎打ち。原典にもあったライヘンバッハの滝ですよ!! うはうはです。
ホームズが人殺しをしない以上、あの結末は仕方がないし、でもちゃっかり、生き残っているのもわかるし、キキアーティだってもちろんそんなことでは死なないのはあきらかだから、なんていうかひたすらワトソンが不憫で可哀想でしたね……いや、そんなことで僕の名探偵が死ぬはずがないって思ってやってよ~!とは思うけれども。

ところでポスターの鎖、生田先生の趣味か?とこれまた多くの人が思っていたように私も思ったのですが、インタヴューでは「物語の鍵になる」と生田先生は仰っておりました。
で、実際に作品を見てみるとどうかっていうか「生田先生の趣味だな」という結論にいたりました。いやだってそうでしょうw
最初の鎖の暗号の意味も観客は教えてもらえず、最後のホームズとモリアーティが滝に飛び込む場面は鎖というかちょっと鎖が長い手錠のように見えたし、中盤でモリアーティがホームズを鎖で絡めとるのはもう趣味以外の何物でもないなwと。趣味の真骨頂やんけー!
まあ、観客も楽しく見たことでしょう。これもオリジナル脚本のいいところです。
おかげでショーの群舞で二人がタンゴを踊り始めたときに「ホームズとモリアーティ?」と錯覚しました。おもしろかった。

メアリーのじゅっちゃん(天彩峰里)も良かったです。
ワトソンの二人で夜会の後の夜道を歩いているときにアイリーンに出会いますが、気が立っているアイリーンからワトソンがかばうようにするものの、メアリーは大丈夫、と答えて前に出る。
続けてアイリーンに「重そうな荷物をもっているから」という。
もちろん実際にもっている物理的な荷物の話をしているのではない。
精神的に背負っているものの話をしているのである。それとなく優しいのがいい。
221Bの部屋にいるときも、ハドソン夫人がホームズに命じられて鍵を閉めに行くときについていってあげる。
メアリーが優しい。いい奥さんになるよ。ワトソンとメアリー、いいカップルだわ。

今回が退団公演となるハドソン夫人役のららちゃん(遥羽らら)もよかったです。
『fff』の家政婦を思い出しました。これからまだまだ進化していくでしょう。楽しい場面になりそうです。
イレギュラーズを最初は汚い子供たちとして嫌がっていましたが、いつの間にか仲良くなっていて、ホームズの葬式では一緒にいる。
ホームズが事件を解決していく中で、イレギュラーズが役に立っていることを認めたってことですよね。
ただの汚い子供ではないってわかってもらえたイレギュラーズたちもよかったね。

そらくん(和希そら)のレストレーブ警部はちょっと、役不足のような気もしましたが、真風との学年差を考えると、きっちり警部を演じることも難しかったのかもしれません。
同じくしどりゅう(紫藤りゅう)のモリアーティ大佐も、キキアーティの兄というのは学年差を考えると、やはり難しかったのかもしれません。
そういう意味で、りんきら(凛城きら)はすばらしかった。
ちゃんとホームズの兄だった。これで専科にいっちゃのか……淋しいな……。
『夢千鳥』でもいい味を出していたのに。
娘役ちゃんたちは『夢千鳥』で見つけたしほちゃん(水音志保)やひばりちゃん(山吹ひばり)を追いかけていました。
愛未サラちゃんも可愛かったなあ。これからが楽しみな娘役ちゃんたちです。

ショーは、プロローグ(豪華なカンカン付)、王妃のお茶会(一から十からコメディ)、SM(危険なスパイス)、中詰(ターバン)、キャンディ・ケーン(きらきらのききらら)、虹色(退団者……涙)、ロケット(おいしそう~!)、3色旗の男役(格好いい~!)、2番手と上級生娘役(最高、大好き)、男役群舞(まさかのタンゴ)、デュエダン(めろめろ)、パレード(おなかいっぱい)という構成で、詰め込み過ぎ~!という声もちらほら聞こえますが、私はむしろこれくらいの方が退屈しないし、飽きないし、超楽しいし、たまらなかった。特に中詰のあと。ここが退屈~!となることが多いから、すごい楽しかった。
何より少人数ずつで出てきてくれるから、下級生も探しやすい、見つけやすい。いや、別に『DC』に恨みがあるわけではありませんが……。
やはり隅から隅まで見ることができるのが、ショーの醍醐味です。

今回は特に中詰めではららちゃんとじゅっちゃんが娘役二人だけで銀橋を渡ります。
最高。私はもっと銀橋を軽率にみんな渡るべき!と思っている人間なので、とても嬉しかったし、娘役だけというのもたまらなかった。
そのうえキャンディ・ケーンで、ららちゃんがセンターでまた娘役ちゃんたちを引き連れてセンターで銀橋渡るし、渡り終わった後、男役さんたちと合流して、またデュエダンするし、最高だった。
娘役ちゃんたちの場面がただのつなぎではなくて、ちゃんと一つの大きな場面につながっているのがとても嬉しかった。
そしてこのキャンディ・ケーン、超絶可愛いね?! やばい可愛いね!? 語彙力死んだ。

王妃のお茶会は、実はあんまり男役の女装(言い方)って得意ではないのですが、もうあの場面はまるっとコメディだからよいでしょう。
キキちゃん、あなたって人はスカーレット・オハラマリー・アントワネットの両方を演じたのね。すごいわ。
うわさに聞くところによると、トップ娘役でこの2つを演じたのは花總まり星奈優里だけ。
スカーレットⅡまで含めると、白羽ゆりも演じましたし、新人公演まで含めても花乃まりあの4人だけ。
ここに入るのだからすごいぜ、芹香斗亜。万歳。
ドレスが二段形態になっているのも気合が入っている。主に野口先生の(笑)。
すっしーさんとかまっぷーさんとかりんきらの輪っかのドレス姿が見られるなんて思いもしなかったよね。すごい。

問題のSM場面は、まあすみれコードはギリギリだろうなという気はしましたし、「清く正しく美しく」に反している~!と思っている観客もいるかなと思いますが、あれはあれで楽しかったです。他の場面とのメリハリもあったし、たまにはこんなのもいいよね~!という感じでした。
千秋楽のころにはダンスがおとなしくなってしまうのでしょうか? それはそれでスパイスの役割~!と思ってしまうのですが。
ずんちゃんのファンがいいかどうかは結構きわどいかな。
真風さんのファンはどうかな。危険だけどOK!って感じなのかな。
美少年に運ばれてくる潤花のあの勝ち誇った笑みよ……。
SM場面が終わって、中詰の始まり、上手奥から下手手前に向かって男役と娘役が一列ずつに並ぶところは「おや、四条畷の合戦か?」と思いました。失礼しました。

ロケットも可愛かったな~おいしそうだったな~!
衣装もベリ-キュートだし、3段ケーキの舞台装置も素敵だし、107期生、本当におめでとうございます!
男役群舞もまさかのタンゴだし、『HSH』のビリヤード、『夢千鳥』SM、からのタンゴ、楽しめました。ありがとうございました。ちょっと風変わりなのがおもしろかったなあ。
今回はわりと全体を見ていたので、次は細かいところ、下級生の活躍なんかを追いかけようと思います。楽しみ!

月組『桜嵐記』『Dream Chaser』感想

月組公演

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ロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』
作・演出/上田久美子
スーパー・ファンタジー『Dream Chaser』
作・演出/中村暁

『桜嵐記』の一つ目の感想記事はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

こちらはショーの感想を、と思ったのですが、その前に『桜嵐記』と『fff』の共通点について。
とても同じ演出家が描いた脚本とは思えないくらいタイプが違って、私はどちらも好きなのですが、やはり前者がザ!宝塚!であるのに対して、後者は外部でもできるのでは……?という声はよく聞きますし、まあその通りかなとも思います。もっとも「不幸」の役を女性が演じる必然性がなくなるので、ちょっと難しいのでは?とも思っていますが。
ただ、『fff』で「勉強は好きか?」とルイはナポレオンに聞く。人間の時代としての近代の幕開けを生きた人々は勉強を、学問を、学ぶことをそのものを愛した。一生懸命自分の頭の、心の畑を耕した。
晴耕雨読」という言葉はよくできた言葉で、晴れた日は畑を耕し、雨の日は書を読む。書を読むことは己の頭や心を耕すことに通じる。なるほど、と膝を打つ。
『桜嵐記』も学問の大切さが描かれている、ような気がする。というか学がなければ、兵糧がなくなったときに略奪するだろうな。それをしない時点ですでに学がある、というような気がする。
北畠顕家は奥州から京に神業の速さで戻ってくるのですが、これ、実は補給を考えておらず、現地で略奪しているからなんですよね。そんなこと、作中には描かれておりませんが。
古語の「しる」には「領地を治める」の意味があって、主が目で見て知っている土地はそのまま主人が治めている土地であった。領地内を歩くというのは、散歩の意味だけでなく、領民の生活ぶりを観察するためでもあった。
そう考えると正成が賀名生まで三兄弟と出かけて行ったことにはとても意味があると思うし、土地を目で見て知ることはそのまま学問につながっていたのではないでしょうか。
正時は猪を狩るけれども、『神々の土地』でも冒頭では狩猟をしているし、フェリックスが貴族の意義を語るときも人々が田畑を耕していた時代から語る。
うえくみ先生の講演会で、たしかおばあさまが大きな魚を見事に3枚におろしていたり、おじいさまが野鳥を狩ってきたりという野生みある雄々しい話を聞いたような気がするのですが、生きることと狩り、農業が固く結びついているような気はします。
『金色の砂漠』では娯楽としてですが、鳥を狩っています。「生きること」が本来持っているある種の凶暴性や暴力性を感じます。

まあそもそも学がない人間に「歴史の流れ」なんてものは見えないでしょう。そう考えれば、やはり正行には学があったなと思うし、学ぶことの大切さを説いているとも見えます。
作中には和歌が3首出てきますが、正行の詠んだ和歌しか解釈がつかない。こういうところにもうえくみ先生の「わからなければ自分で調べてね?」という声が聞こえる気がする。それほど難しい和歌ではありませんでしたが。
モノが溢れすぎて、大抵のことがお金で解決してしまい、人間の底力といいますか、生きるパワーみたいなものが現代には決定的に欠けているのでしょう。

さて、ようやくショーの感想。
よくある中村Aショーだとは思いましたが、『エクレールブリアン』でも『シルクロード』でも、次期トップコンビに1つの場面が与えられていたにもかかわらず、今回はそれがなく、大変悲しい気持ちになりました。
れいこ(月城かなと)とうみちゃん(海乃美月)が組んで踊るのは、プロローグと中詰のほんの少しだけ。一緒に歌いもしない。
もっともこっとん(礼真琴、舞空瞳)コンビは歌いはしなかった。ただ、一緒に踊っただけだった。それでも彼らがメインの場面だったことは疑いようもなく、ダンスがウリの2人にとっては、トップになる前の立場としては、願ってもない場面だっただろう。
どうしてれいうみの場面はないのだろう。
こっとんやさききわ(彩風咲奈、朝月希和)のコンビのように祝福されていないのではないか、コンビの発表も遅かったし、実は劇団側があんまりよく思っていないのではないか、とうがってしまう。なんせ、性格が悪いから。
もちろん次期トップコンビに場面が与えられて当然!とは思っていないし、今までもそういう場面があるサヨナラ公演ばかりではなかったけれども、なんせ、そういうショーが続いたこともあって、しんみりしてしまったのです……。
賛否あるのはわかっていますが、やっぱり私はれいうみコンビが好きなんだな、と改めて思いました。
『瑠璃色の刻』『ラストパーティー』『アンナ・カレーニナ』『ダル・レークの恋』、今まで大変よい組み合わせだと思い知らされてきたんだな。

できればスパニッシュのありちゃん(暁千星)の役をれいこちゃん、さくら(美園さくら)の役をうみちゃんにして、ちなつ(鳳月杏)との三角関係にして、続くミロンガの場面のうみちゃんの役をさくらにしてはいかがでしょうか、ね。
たまきち(珠城りょう)とうみちゃんがミロンガで踊るの、とても嬉しいし、たまきちがラストだからいろいろな人と組んで踊るのもわかるのですが、でも、たまきちにうみちゃんの組み合わせはない、と劇団が判断したからさくらがちゃぴちゃん(愛希れいか)のあとを継いだのではないの?とも思ってしまう。
今更ここで組んで踊られても、何も感じることができないのです。悲しすぎて。
スパニッシュの場面もミロンガの場面も好きなんですけれどもね。
ありちゃんとちなつがひたすら忙しいし、れいこちゃんは出番少なすぎだし、なんだかなあ……。

れいこちゃんはプロローグで101期以下、かな?下級生男役を連れて大階段から登場。これは貫禄があってすごくよかった。次期トップです!て感じもした。
「空の青さに全てが溶けて見えた」という歌詞は『カルーセル輪舞曲』の「海と空の蒼が結ぶ遥かな国へ」という歌詞を連想させる。たまきちの船は、ここまで来たんだなと思わせてくれる。
れいこちゃんが引き連れているのは、『カルーセル』のときにはまだ月組にいなかった学年の組子たちなのね……たぶん。

スパニッシュの場面は、ちなつの銀橋渡のあとは、後ろの娘役ちゃんたちばかりをオペラで追っていて、実は正直いつありちゃんがはけたのか、いまだによくわかっていないのですが、さち花姉さん(白雪さち花)、はーちゃん(晴音アキ)、たんちゃん(楓ゆき)、こありちゃん(菜々野あり)、おはねちゃん(きよら羽龍)とまあ後ろが豪華でね。最高に豪華でね。好き。
こありちゃん、時々困り眉みたいになるのが気になるけれども、キリッとした表情もできるようになったのね〜!可愛いだけじゃないのね〜!と嬉しくなる。
困り眉、苦手なんですよね。それこそ夢白さんが困り眉なんだ……。

ミロンガも最高だよね。
ありちゃんから始まったときには、ええ?!分身!?ってなったけれども、あの早着替え、すごいなあ。
銀橋でかれんちゃん(結愛かれん)と蘭世ちゃん(蘭世惠翔)を侍らせて、まあ色男ですこと。
蘭世ちゃん、マジでキュートだな。あの体の大きさであの目の大きさは本当に反則。
彼女にしかできない、彼女のためのピッタリのお役があるはず!って思わせる個性。すばらしい。
どこにいてもわかるものなー。
芝居で活躍する日が楽しみです。
下級生ではそらちゃん(美海そら)に注目。青いドレスがよく似合うし、体の柔らかさをこれでもかと見せつけられております。可愛いなあ。
おはねちゃんは前場面に続いて登場。こちらもお着替えが忙しそうですね。
ミロンガの場面の何が最高って、男女のダンスなんだけど、主導権が女にあるように見えることです。
男役の帽子を奪って前に出て踊る娘役ちゃんたちのスタイリッシュさよ……っ!
格好いい。可愛く愛らしい娘役も、もちろんそりゃいいんだけど、それだけじゃないのがよい。
男役同士で踊るのも躍動感があってよいし、銀橋に出てきてずらっと並ぶのも壮観。
お衣装も好み。曲も好み。気がつくと脳内再生している。
ちなつとからんちゃん(千海華蘭)の絡みも良い。じゅりちゃん(天紫珠李)がちなつを振ってたまきちのところに向かうと、「なんだよ、あいつ」ってからんちゃんに言うんですよ。で、からんちゃんは「ほっとけ」って返すんですよ。言葉がなくてもわかるやりとり。楽しい。

お次の男役だけの場面はれいこがセンター。その脇をるねぴ(夢奈瑠音)とおだちん(風間柚乃)が固める。
この3人の並びの何がすごいって、女性の好みの9割はこの3人でまかなえているのではないか?と思わせてくれるところです。
『炎のボレロ』のときの、咲ちゃん、あーさ(朝美絢)、あがち(縣千)の3人も相当網羅しているな、と思ったのですが、今回も綺麗系、ベビーフェイス、男前と見事なまでに全員タイプが違う。すごい。
この3人でセンターをやらせたのは大正解。
まあ『エストレージャス』で見たことがある場面だなとは思ったのですが。

中詰は決めポーズがカンフーのようななんと言うか、まあ格好いい系に振りたかったのはわかりました。
最初にありちゃん!ちなつ!たまきち!の登場は『All for One』の三銃士のようでもありました。
ちなみに久しぶりに『AfO』見たのですが、『ホテルスヴィッツラハウス』を見た後だと、同性カップルへの反応があまりにもあまりで、ちょっと見るに堪えなかった。アップデートするというのはこういうことなのね……。
まさかのアフロ祭りにも遭遇しまして。
私、音に聞くアフロ祭りとは集団幻覚なのではないか?とさえ思っていたクチなので(ひどい)そりゃもうビックリしましたし、オペラどころの騒ぎではなかった。手拍子をせずにはいられなかった。
いや、ありちゃんのシルエット、おかしかったしね?最初から。ライトついてもやけに青いし。衣装が青とはいえ、と思っていたらアフロだった。笑った。
ちなみにアフロはこんな感じでした。

たまきち→黄緑に黄色の二段重ね。さくらとデュエットのときはシルバーに大きな三日月の飾り。
さくら→白に紫のリボン。キティちゃんのようだった。
れいこ→蛍光ピンクに小さな三日月の飾り。そのピンク、似合ってしまうんですか?!
ちなつ→紫。大人の色〜でもアフロ〜!
ありちゃん→青。お衣装と同じ感じの色の青。
おだちん→蛍光黄緑。そんな色のアフロ、あるんかーい!って感じで、なぜか似合っていた。その色、似合うの?
退団者→白アフロ
その他→黒アフロ
まゆぽん(輝月ゆうま)→デカ黒アフロ

アフロかぶっているのに、超真剣にデュエットダンスするたまきちとさくらに時折笑い声が入ったのは、もはや致し方ないことだと思いましたね。
ちなみに蘭尚樹くんのこの場面の髪型がイカしているわ〜と思ったのに、アフロで出てきたときにはやはり噴き出さざるを得なかったのだよ……。
まゆぽんの1人だけ大きなアフロもすごかった。
思えばまゆぽんもゆりちゃん(紫門ゆりや)はこれで専科に行ってしまうのだから、もっと彼女たちの出番があっても良さそうなものなのに、とも思いました。欲張りなんですね、すいません。
階段降りは対称で降りてきましたが、あれだけでは足りないよね。
せめてもう一つ場面を作って、彼女たちの餞別みたいな形にはできなかったのでしょうか。
専科に行くとあんまりショーにも出ないし、出ても群舞にはいないことが多いし、なんだかなあ。もっとショーで活躍する彼女たちを期待していたんだな、私。

エストレージャス』でショートカットあーちゃん(綺咲愛里)が娘役を引き連れてやってくる場面が大好きなので、さくらの真紅のドレスに娘役ちゃんたちの赤いドレスの場面はそりゃもう大好きなんですが、その直前のおだちんの真紅の衣装の場面もいいですね……すごい昭和歌謡の香りがするのですが、昭和なんて少しも生きていないはずのおだちんが、なぜかこれまたよく似合う。なぜ。
銀橋渡ってさくらと踊って娘役ちゃんたちがずらっと出てくるの!これは!たぎる!好きなやつ!
うみちゃんのポニーテールが健康的で赤いお衣装が情熱的で、言うまでもなく最高に美しい。
こありちゃんも回を重ねていく毎に成長していて、上級生の娘役についていっているのがわかって、大変良い。いいぞ〜!頑張れ〜!応援しているぞ〜!
ここのこありちゃんの髪飾りもとても豪華で好きなんだ。
おはねちゃんもいますね。劇団からの期待大なのでしょう。
博多座ではどうなるのでしょう、この場面。うみちゃんが深紅のドレスをまとってセンターで踊るのが、今から楽しみでなりません。

ロケットではうみちゃんが可愛いー!
ちづるちゃん(詩ちづる)も見つけました。愛らしい。パレードでは歌手も担っていましたね。これからまたどんどん頭角を表してくるでしょう。楽しみでなりません。

群舞、デュエダンと続き、たまきちがさくらと一緒にはけないな?と思ったらもう一場面。
月組の神7(るうさん、れいこ、ちなつ、ありちゃん、おだちん、ゆりちゃん、からんちゃん)に囲まれて、というか、たまきちがそれぞれのところに行って、踊る。
るうさん(光月るう)はたまきちの汗を拭ってあげる。優しい。涙を拭ってあげているようにさえ見える。
だって雪組では次にようやく93期のトップスターですからね?!山あり谷ありのトップ就任で、現在サヨナラ公演をやっているたまきちは94期。泣きたくても泣けないことなんて、たくさんあったろうに……ぐすん。組長、優しい。
たまきちが近づくのそれぞれのスターが動き出す。この演出もニクイ。
7人がはけたあと、舞台上にあったライトがたまきちに集まるのも大変良い。
混沌としたカオスのようなものが、トップスター珠城りょうのものでコスモス、秩序だったものになる、という感じがして、とてもよい。この演出だけで泣ける。

欲を言えばもう一つ場面を作って欲しい、ということですかね。
個人的にショーの醍醐味は光る下級生を新しく見つけることにあるので、みんながずらっ!と出てくる場面ばかりでは、それがしにくいかなと。全員出てくるとどうしても下級生は後ろや隅に追いやられてしまいますからね。それはスターシステム上、仕方がない。
だから、もう少し人数減らして、場面を増やして、下級生にも見せ場を作って欲しい。
今でさえ月組は上級生男役と下級生娘役を追いかけるのに必死なのに、全員集合したら、好きな人を追いかけるのに時間も足りないのだ〜!

博多座でどう生まれ変わるのか、構成は変わらないだろうけれども、れいうみトップコンビの作品として楽しみにしています。

雪組『ヴェネチアの紋章』『ル・ポァゾン 愛の媚薬 -Again-』感想

雪組公演

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ミュージカル・ロマン『ヴェネチアの紋章』
原作/塩野 七生『小説イタリア・ルネサンス1 ヴェネツィア』(新潮文庫刊)
脚本/柴田侑宏  演出/謝珠栄

ロマンチック・レビュー『ル・ポァゾン 愛の媚薬 -Again-』
作・演出/岡田敬二

お前、いつの話してんだよ……と思われそうですが、月組の大劇場ショーの感想よりはこちらが先かな、と。
母親がなつめさん(大浦みずき)も大ファンでしたので、なんとなーく見た記憶はあるのですが、なんとなーくで、よくは覚えておりません。
30年振りの再演ですので、いろいろ改変はあるでしょうなあ、と思っておりましたが、歌詞はそのままで楽曲の変更となるとは思いませんでした。そんなことができるのね、すごいわ。
それにしてもあのラストの改変はいかに……。
謝先生は、「二人の間にできた愛娘の存在」を明かすことで、「二人の愛の未来は存続した」ことになると言いますが、本当にそうですかね?
例えば、うえくみ先生の作品ではギィとタルハーミネの間に、晴興と泉の間に、正行と弁内侍の間に子供はできませんが、二人の愛を観客は感じることができるもではないでしょうか。ええ、トップコンビの間には無慈悲といえるくらい子供がうまれないんですよ、うえくみ先生の作品は。
初演はアルヴィーゼに似た男性とリヴィアに似た女性がカーニバルで踊っているところをマルコが見て、終わり!だったと思うのですが、そっちの方が余韻があったかなーと。

マルコがリヴィアの娘と結婚しようというのも、原作にあるようですが、芝居の中では唐突のように思いました。
もちろん、リヴィアの娘が尼僧院から出るためには結婚しかなく、貴族と結婚すれば、アルヴィーゼが欲しくて欲しくてたまらなくて最後まで手に入らなかった貴族の紋章を与えることができる。
でもそれをリヴィアの娘が望むのだろうか。
リヴィア自身は望まない結婚をして、悶々とした10年を送ったのに、貴族とさえ結婚すれば娘が幸せになると思っているのでしょうか。
カトリックなのに、わりとあっさりとプリウリとリヴィアとは離婚できたなと思ったのですが、カトリックでは基本的には離婚できないですし……。
リヴィアが最期に言うべきだったのは「尼僧院に預けてある娘に、アルヴィーゼから合図としてもらった指輪を渡してほしい」ということで、マルコがリヴィアに会って思うべきだったのは「この子が大人になるころには、好きな人と結婚できる世の中にしよう」ということだったのではないですかね。
アルヴィーゼとリヴィアの二人が望んだことって、まさに「どんな身分であれ好きな人と結婚すること」じゃないですか。
別に貴族の紋章をリヴィアは望んでいない、アルヴィーゼだけだよ。
上記のことがとっても気になってしまい、2回目3回目の観劇でも魚の小骨がのどにひかかったような漢字でいまいち泣けなかった。いや、泣いている人が多かったからさ……。
天国エンドはありがちですし、まるく収めるための定石かとも思いますが、プロローグとの対応も考えるとなあ……やはり全員集合しているところによく似たカップルが出てくるという方が今回については、まとまりがよかったように思います。

もっとも、プロローグはよかったですね~!
抽象的な青い影たちが物語を誘導し、主人公アルヴィーゼが登場して歌い、リヴィアがゴンドラから登場(愛知のホールは奥行きがかなりあって、奥のゴンドラの説得力が増します!)、そこから全員(青い影だったキャラクターの早着替え、お疲れ様! あみちゃんはダンスでわかるで!)舞台に大集合というのは、いかにもいかにも宝塚という感じで、全国ツアー向きだったと思います。
全国ツアーやはり初めて宝塚を見る人もいるでしょうから、掴みって大事ですからね。
どうせだったら、カーニバルという設定で全員集合すればよかったのに~!と思いこそすれ、些末なことです。ラストもカーニバルで対応させれば1年経ったことがわかりますが、そういえば時間軸はよくわかりませんでしたね。
色とりどりのドレス、豪華な大道具、美しいタカラジェンヌたち! たまんね~!
アルヴィーゼ役の咲ちゃん(彩風咲奈)のスタイルお化け具合もすごい。トップスターになってまた足が伸びた?
タカラジェンヌとしての圧倒的な説得力よ。すばらしい。

リヴィアとのモレッカも圧倒的な宝塚の世界の美しさを体現しているように思いました。はあ、すばらしい。ため息が出るわいのう。
もっともモレッカで「情熱的だった」と言われるリヴィアは、それまでにもっと冷静沈着であるという設定を全面に押し出してもよかったとも思いますが、きわちゃん(朝月希和)のドレスさばきもすばらしくてね。
ドレスの裾が前後に揺れず、すすすーと前にだけ進む。すごい。あの輪っかのドレスで。なんでもできる娘役や。オールラウンダーや。頼もしすぎる。系統としては白羽ゆり野々すみ花彩乃かなみあたりでしょうか。
アルヴィーゼとリヴィアは息をするようにチューをして、いちゃいちゃして、それはそれでいいのですが(見ているこっちは恥ずかしいのですがw)、二人とも過去ばかり見ているのがちと気になる。今のお互いをお互いがどう思っているんだよ!とは思いましたね。
二人とも過去に縋り付いているように見える。過去の夢を追っている。亡霊では勝ち目がないことは『桜嵐記』でも同じことである。
コンスタンチノープルに来たリヴィアは「コンスタンチノープル一の商人であるアルヴィーゼの妻であるだけでいい」と言い、ここではちょっと地に足の着いた感じがありますが、アルヴィーゼはそれを振り払って過去の夢を追いかけていってしまうし。
いや、男のロマンは悲劇だな。
もう十分だっていっているじゃないか、人の話を聞いてくれよ。
そう思ってしまうから、アルヴィーゼの後を追い、白い蝶になったリヴィアに共感できないのかな。

マルコは、アルヴィーゼとモレッカを踊るのを見て「あんなに情熱的なプリウリの奥方は見たことがない!」という一方で、アルヴィーゼとの関係には気が付かない。
それより前にオリンピアに、アルヴィーゼに想い人がいるらしいことを聴いていたのに、気が付かない。
モレッカの後のアルヴィーゼの寂寥を見ても、気が付かない。
そもそも10年前にアルヴィーゼがヴェネチアを出た理由にも気が付かない。
とにかくマルコが鈍いというかどんくさいというか、貴族のボンボンにありがちな無神経というか、そう見えてしまうのがちょっともったいないなあ、と。
あやなちゃん(綾凰華)の演技がロイヤルで、これまた美しくて、咲ちゃんとの並びもバランスがいいから、あんまり気にならない人もいるかもしれないけれども、久しぶりに会ったアルヴィーゼに対して「政治家になっていれば」と言ってみたり、はぐれ組に対しても「どれも名門貴族だ~!」と言ってみたり、おい、そりゃちょっと無神経なのでは……?と肝を冷やしたよ。
いかにも貴族のボンという感じはするんですけど、ね~。
それほど鈍ちんのマルコは、これまた息をするようにオリンピアとチューしまくりますが、オリンピアに騙されていないか、不安になりますな。
あとマルコの台詞が説明的すぎるのが、ちと気になる。

まなはるのアルヴィーゼパパもよかった。組長が貴族で一番偉い人ではないというのも新鮮で、あとでまなはるを追い詰めるのも楽しそうでした。
「アルヴィーゼはヴェネチアとは無関係な人間である。無関係な人間のためにヴェネチアは兵を……出せないっ!」というのは苦しかったですね。
最後の「ヴェネチアは兵を出せない(出さない)」だけでもよさそうなのに、前の一文を入れないと、言葉が続かないのでしょう。
息子を自分の国と無関係であると言わねばならぬ父の心境とはいかに。つらかろう。くのうのまなはる。かわいい。

結婚は望まないけれども、貴族の舞踏会には興味があるというオリンピア、あの場面転換は美しかった。
青の影と踊りながら、少しずつ貴族たちが出てきて、舞踏会に変わっている。
思えば『ほんものの魔法使い』では場面転換が気になったというのもあるんだよな。暗転が多すぎた。

咲ちゃんのプレお披露目ということで、新生雪組の新しい歌姫として希良々うみちゃんにも大注目! ともか~!
義経妖狐夢幻桜』のシズカ以来注目していましたが、ここにきてすばらしい歌声、演技、ダンスを見せてくれました。
レミーネ、とてもよかったです。もうレミーネが出てくると、レミーネしか目に入らない。ほかで何が起こっているのか全くわからない。
紫のダンスのお衣装も大変すばらしかったし、2回目に出てきたときの緑のお衣装もエキゾチックでよかった。
「男性が女性を仲間だというときは、その女性に魅力を感じていないということですわ」「ほら、魅力的な方があちらに」「それでもあなたが好きですわ」はあ~! 好き! そろそろスチール写真出してやってくれ~! 劇団、頼む~! 『うたかたの恋』のマリンカとか、『はばたけ黄金の翼』のロドミアとか、そういう役がもっと見てみたいぞ。
100期だし、新人公演はどうなるかな。
仙名の彩世を連想させる格好良さです。好き。クールな娘役トップがいてもいいじゃない~!
今回はエトワールをやってもよかったのでは?と思う。
ありすちゃんとはタイプの違う歌姫であることも心強い。

エトワールを演じたありすちゃん(有栖妃華)も、もちろんすばらしかった。
プロローグの歌姫、よかったわ~。リヴィアの娘もかわいかったわ~。
そしてエンリコのあみちゃん(彩海せら)との並びも、超キュート。最高だった。いくらでも見て居られるわ。緑のカップル、最高だったわ。美しい。うたうま。
ありすちゃんは、ゆきのちゃん(妃華ゆきの)とりさ(星南のぞみ)とともに遊女という設定でしたが、遊女のわりにはわりと軽率に結婚願望があるのは、おや?と。
オリンピアがそのあたりを諦めているのは現実的だなと思いましたが、スパイなら、そりゃそうよね~と。
はぐれ組は貴族の血を継いでいるとはいえ、嫡流ではないのだから、結婚しても貴族にはなれないし、3人は何を求めているのやら、これまた脚本に謎が深まる。
そしてゆきのちゃん、できるんだから劇団側はもっと有効活用してあげて~! こちらもまた頼む~!
はぐれ組のすわっち(諏訪さき)、はいちゃん(眞ノ宮るい)とあみちゃんはうたうま3人組で、もう「そのままYouたちデビューしちゃいなよ~!」と思いました。
下級生が光りまくっている。人数が半分だから、隅々まで眼が行き届く。いいわ。

下級生といえば、ヴェロニカ役の莉奈くるみちゃんもよかった。すごいよかった。
ちゃんと毎回笑いがとれていた。うっかりすると一人芝居みたいになってしらけるところ、ちゃんと回していた。
ショーでも見ていたわ。お相手の一禾あおのカシムもよかった。このカップル、なぜ幸せになれないの……。
音彩唯ちゃんは早くから注目されていましたが、ここでしっかり足場を固めた感じですし、カップルのお相手であった聖海由侑もひときわ輝いて見せました。セバスチャーノとラウドミアはこの話で唯一生き残った幸せなカップルですし、これからの二人にも幸あれ……。
これで『ほんものの魔法使い』組も合流したら、雪組はどうなってしまうのでしょうか。
男役も娘役も豊富ですなあ、安泰ですわ。

ロクサーナのあんこ(杏野このみ)もよかった……っ!
『fff』のナポレオンの后ジョセフィーヌに続く王妃の役でしたが、圧倒的な存在感。強い。
またあのトルコの衣装がまたよく似合う。すごいな。奴隷上がりの王妃よ。喋らなくてもいるだけで威圧感がある。たまらん。

サンマルコ殺人事件、物語の横糸としては必要なのかもしれませんが、いまいちうまく活かせていないような気もします。
このせいでマルコの説明台詞が多くなっているようにも思いますし。
芝居慣れしていない人にとってはちょうどいいのかな。そして警官はヴェネチアに殺されたのではなく、自分に殺されたのでは?と思う。だって強請っていたのはダメじゃないですかw
アルヴィーゼは主人公補正も入りますし、まあ、ヴェネチアに殺されたかなとは思うんですけどね。

月組『桜嵐記』と続いて見たので、心底「男のロマンと忠義は煮ても食えぬ」と思ったものです。
これを本当の男性に演じられた日にゃ、辟易するかもしれんな。『ダル・レークの恋』もそうですが、あれはまたちょっとタイプが違う。
男役の美学!みたいなものにあんまり興味がないらしい私ですが、でも女性が演じる意味ってあるよなあ。
本当に私はこんなところばかり理屈っぽくて、実は宝塚観劇向きではないのでは?と思うくらいなんですが、そこは譲れない。
全国ツアー(とはいえ、3か所しか回っていないですが)のわりにはセットも衣装も豪華で、とくに衣装は『ダル・レークの恋』だったり、『はばたけ黄金の翼』だったり、思い出すものが多く、ファンとしては嬉しい限りです。

ショー『ル・ポァゾン』はビデオ時代に涼風ファンだった私は擦り切れるほど見ましてね……。
どの場面でもかなめがちらついてしまう。もっとも、初観劇はかなめさんには間に合いませんでしたが。
プロローグで世界観の誘導、美しい歌姫の美声、舞台の真ん中にトップコンビ! 最高の構成だよ、何度見てもわくてかする構成だよ。ときめく。全国ツアーにはもってこいですね。
プロローグのともかの歌声がすばらしいのは言うまでもないですが、きわちゃんがここでにこりとも笑わないのが、またよくてですね。
娘役にありがちなトップスターの隣でにこにこしている、という構図、嫌いではないのですが、笑う理由があるか?と思うときもあって、きわちゃんは理由がないときはにこりともしない。愛想笑いをしない。すごい。「ナルシス・ノアール」の場面も然り。
ひたすら真顔でクールにスタイリッシュにきめている。格好良い。好き。こういうトップ娘役がいてもいいじゃなか。強い。ひたすらに強い。なんでもできるスーパー娘役だわ。 『BADDY』の「怒りのロケット」を思い出しました。

ともかが出てくる場面は、ともかしか見ていないし、あみちゃんが出てくると、オペラはあみちゃんをロックオンしてしまうのですが、娘役はほぼ把握したぞ!と思うくらい堪能しました。
りりちゃん、ありすちゃん、くるみちゃん、あやねちゃん、はばまい、娘役ちゃんたちがいっぱいだよ。可愛いよ。
「愛の歓び」では、竪琴の歌姫は夢白あやさんでしたが、ともかにしなかったのは、まあ、わかる。
亜麻色の鬘と薄いピンクの衣装は、あれだけクールな顔立ちのともかには悩ましいものがあったかと思います。
ともかがプロローグや中詰めといったひたすら格好いい場面の歌手起用なのは納得だし、大正解だし、これからもそれでよいと思う。
夢白さん、芝居ではあまり歌わなかったし、劇団としてはここで歌わせたかったのでしょう。
あとこの場面で気になるのは「白馬に乗った王子様が迎えに来る」ときわちゃんは歌うものの、実際には白鳥とともに咲ちゃんが登場しますし、当然白鳥に乗っているわけではなく、なんなら歩いて出てくるだけだし、何が何だかもう……ちょっとチープだよ! もっとなんとかならんのかい!とツッコミがおいつかない。あれ、私だけではないよね?
しかしこの場面ではあみちゃんとともかが組んで踊っているんだなあ。
世界平和の象徴かよ。階段降りも一緒で最高だな。

ともかは『パッションダムール』でも中詰のジゴロの曲を歌いましたが、また歌がうまくなっている。紫のドレスもすごく似合っている。
りりちゃんとくるみちゃんとの3人の組み合わせもよかった。重層感マシマシだし、色っぽいし、最高だった。
ここのはばまいの髪型も可愛かった。娘役ちゃんたちを見るのに、マジで目が足りない。

「ジュテーム」の場面で踊る3つのカップル(はいちゃんとりさ、あみちゃんと夢白、いちかとともか)は「愛のロマンス」の場面でも踊りますが、だったら、ともかのドレスもラベンダーにしてあげて~!と思いました。なぜピンク。
こういうときになんで気が利かないの、劇団。
「ジュテーム」の場面では、ともかの髪飾りが超豪華ですばらしかった。青のドレスも似合っている。ああいうパンチのある色の方が似合うよね! あーん、本当に大切にしてくださいよ~!
そしてせっかくなら組み合わせを変えて踊ってくれても良かったのよ。欲張りですかね。ファンとは欲張りなものです。

男役さんたちも忙しくて、プロローグがきめきめなのはもちろんですが、「若さ、スパークリング!」の場面はもうその名の通り、下級生たちが輝いていた。
あみちゃんにピンクが似合いすぎるので、友人は「花組に行ってしまうのでは?」と言いましたが、やだ、そんなの淋しい……と思う一方で、あわちゃん(美羽愛)とのコンビは見てみたいかも?と業が深いことを思いました。すいません。
組長(奏乃はると)のアルルカンもかわいかった。超キュートだった。見るたびに何か違うことをやらかしてくれたし、滑稽というのがうまい具合に伝わってきて、でも嫌いになれなくて、愛らしかった。さすがだわ。
そして階段降りのまなはる。娘役と一緒でかわいい。娘役に負けないかわいさ。
同じ92期のからんちゃんもそうですが、かわいいなあ。あんまり男役さんに使っていい言葉ではないのかもしれないけれども、そう思ってしまうのです。

上級生の頼もしさも下級生のフレッシュさも堪能できた芝居とショーでした。
大劇場公演が一層楽しみになりました。なんで演目はあれなんだ……という気持ちは今でもありますが、見に行きます。
愛知のあのホールは5階までありましたが、オペラ専用なのか、縦に長く、5階だと後ろのサンマルコ聖堂の映像も見えないので、売り止めにしてもいいかなとは思いましたが、いかがでしょう。
さすがにサイドは見にくいせいか売り止めになってしましたが。
上から見ると、後ろの下級生たちはわかるのですが、さすがに5階だと、大劇場の2階席BB列と同じとはいきませんし。
逆に愛知のホールの2階席は急な勾配の1階席うしろという感じで大変見やすかったです。
座席運にもめぐまれたい今日この頃ですなあ。欲張り~!

月組『桜嵐記』感想

月組公演

kageki.hankyu.co.jp


ロマン・トラジック『桜嵐記(おうらんき)』
作・演出/上田久美子

あほみたいに長くなったので、とりあえず芝居の感想のみ。

まさか、お百合さんがあんなことになるなんて……という感想に尽きるのですが、いかがでしょうか。
歴史ものである以上、楠木三兄弟の運命は決まっているし、わかっている。うえくみ先生は時折歴史改変をするけれども、このあたりの改変をするとは思えない。けれどもオリジナルキャラクターである百合はそうではない。
登場回数としては、正時が帰還するときと正時に離縁されるときの2回しかない。けれども、圧倒的な存在感を残した。すばらしい。
最初の「阿倍野の合戦、勝ったと聞きますが、帰ってきませんね」からの正時帰還までの流れは、楠木の郎党の子供たち(ここのそらちゃん可愛い)ではないですが、アー!となってしまいましたね。甘すぎるで。糖分高めや。
百合が郎党の子供たちに優しいのは、いつか正時と自分の子供もここに混じるだろうと思っているからなんだよな……と思うと、それだけでギュッとなる。つらい。
「何があっても生きてください」という百合の言葉に正時は答えない。答えられない。敵兵を追いかけるよりも猪を追いかける方が自分には向いていると思っていても、自分が敵兵を殺さなくても、敵兵は自分を殺しにかかってくる。戦場に出たら何が起こるかはわからない。

二度目に出てきた時はすでに父親が南朝を裏切って北朝についたあと。
尊氏や師直が訪ねてきて、師直が百合のことを大変下衆な目で見ている。本当、もうなんていう師直。
脚本には「嗚咽」と何度か書いてありますが、百合にとってはあまりにあまりな現実。
父親とベタ惚れした相手とが敵対する現実。
南朝を裏切って、裏切り者と罵られても、2人で一緒なら生きていける。そう思っているし、できるならそうしたい。
けれども正時は兄につく決断をする。
そして百合を助けるためと思って離縁して、北朝に送り届けさせる。
観客は誰もが正時が百合のために百合を北朝に送ることをわかっている。
おそらく大田父もわかっている。
北朝に百合がやってきて、それに気が付かなかったのは弟だろう。
弟が最期に正時に斬られるとき「本当は姉上のためだったんだろう?!」と言うのは、最初は蛇足だと思ったものの、弟自身があの場面でようやく気が付いたと考えれば納得がいくし、しかし実際には百合を助けることができなかった事実をつきつけられた正時は、そんなことを言われても、弟に刃を振り下ろすしかない。守れなかったやりきれなさがしんどい。

その直前の義父との対峙が何より涙なしでは見られない。
師直と師泰が乗っていたセリから大田父子が登場。
そもそもそのセリで、ついさっきまで正行と弁内侍が小宵一夜と寄り添っていたんですけどねえ!と怒りさえ湧いてくるのですが、それはさておき。
大田から「婿殿」と言う。だから大田父は、正時が百合に愛想を尽かしたわけではないことをわかっていることになる。
そして弟の口から百合が自害したことを知る。
一瞬の隙をつかれて、正時は腕を斬られる。
大田は阿倍野の合戦のときに言っていたように、男の花であるはずの戦場で敵兵を追わず、猪を追って料理なんかをしている正時を見て、自分は婿選びを間違えたと言う。
けれども四條畷の合戦では、実は正時は武士としてもやり手であり、刀の腕前も確かであることが、よりによもって自分が討たれることで証明されてしまう。
ずっと婿として情けないと思っていたのに、自分の婿選びが実は間違っていなかったことが、敵兵となってようやくわかった。
これが辛い。これに私は泣かずにはいられない。大田父は百合が自害した時点で、正時に殺されるつもりだったのだろう。その覚悟で四條畷に来たのだろう。うう……。
正時の気持ちもそうだけど、大田父の気持ちを思うとやり切れない。
大田は百合について「もののふの娘として天晴れ」という。でもそんな形で天晴れでも全然嬉しくないんですけど〜?!と思うのと同じくらい、正時も天晴れで、そしてそんな形で天晴れでもこれまた全然嬉しくないというシナリオなんですよね。
ひどい脚本だ……(褒めてます)。
そういうわけで、いつもこのあと満を辞して登場する正行に対して満足いく拍手ができませんでした。申し訳ないです。
ここはもうずっとハンカチを握りしめているんですよ、私……。

正時と百合の話だけでどれだけするつもりか、と言われそうですが、延々とできるわ、このカップル……幸せになって欲しかったし、三途の川を一緒に渡って幸せになった妄想をいくらでもしたい。
そうでないとあんまりすぎてね。
うえくみ先生は愛し合ったもの同士の愛の証としての子供はあまり描きませんね。
トップコンビやセンターコンビの子供って、そういえばできたことないのでは?と思うほど。
そう考えると『ヴェネチアの紋章』のラストで明かされるアルヴィーゼとリディアの間に生まれた子供の存在を明かす設定はやはり蛇足だったと思わずにはいられない。

さて、物語は月組が誇る組長るうさん(光月るう)の語りから始まります。
最初は拍手の誘導があったらしいですが、私は見た頃にはそれはなくなっていました。
南北朝時代は宝塚にとってもあまり馴染みがないので、背景説明を入れることは劇団からの要望もあったのかもしれません。
たまきちのサヨナラ公演だから最初に拍手を入れるのが正行の場面がいい、という思いもあったのかもしれません。
いずれにせよ、拍手の誘導文句はなくて正解かと思いますが、拍手くらい好きなときにさせて欲しいという気持ちもあります。
ここに登場するまゆぽん(輝月ゆうま)正成がでかい。数で不利でも勝ったという説得力のあるフィジカルよ。すばらしい。
御門跡様が登場して、るうさんも役に入り込む。
口調が変わったからわかるけれども、それ以上に雰囲気が変わる。芸達者だなと思わずにはいられません。
この部分、ドキっとしたもんな……変に緊張したと言うか肌が粟立ったというか。
キャストを把握した上で公演を見ているので、御門跡が老年の弁内侍であること、そしてるうさんが老年の正儀であることがわかっていますが、これ、知らずに見たらおもしろかっただろうなという思いはあります。
『ロミジュリ』でも、薬売りが死だと最初にわかったあの瞬間って変え難いものがありますからね。
2人が銀橋を渡り、舞台でたまきちが真ん中から振り返ってライト、大拍手!というこの流れはたまんね〜!宝塚見てる!って気がしますね。たぎる。
主題歌の歌詞をよく見ると、花は咲くものの「春」を全く想定していない。
「冬に咲け」だし。春まで生きられないことをすでに暗示している。怖い。
このプロローグである日は泣けてしまった。これはご贔屓にはさぞしんどい公演でしょう。
そのあと、正儀、正時と名乗りをあげて戦場に出てくる華々しいプロローグ。すばらしい。
プロローグが全員大集合!キャラクター紹介!に留まらず、ちゃんと物語上の進行も見据えているのがよい。さすが。

場面は変わって師直の湯殿。これがまた人非人なんだな、師直よ。
見た目はどうみてもゆりちゃん(紫門ゆりや)ではないのに、声がゆりちゃんだから脳がバグを起こす。
何度見てもバグる。胸毛はえてそう。しかもがっつり。濃いやつ。タカラジェンヌなのに、ロイヤルなのに。
可愛い蘭世ちゃん(蘭世惠翔)の祝子が師直に夫の無実を訴えにやってくる。
そして裸になれという。正確に言うと「裸身を晒してみよ」なんだけど、言葉で意味するところが最初からしっかりわかった観客はどれほどいるか。
だあら、演劇のセリフとしては微妙なんだけど、しかし直裁的に言うのはあまりにもあまりな言葉であることも間違いなく、物語の流れできっちりそれがわかるように作ってあるのは、なるほどと感心……しましたが、師直、あんまりだよ、あんた。
しかも祝子が打掛を奪われて震えている横で、別の女を攫う算段が整ったと言う話をしている。鬼かよ。
もっとも師直としては、公家そのものにも恨みがあるのでしょう。そもそも好色であることを除いても、武家対公家の構造を最初に紹介されていますからね。
ここのさちか姉さん(白雪さち花)とアキちゃん(晴音アキ)ささすが〜!色っぽ〜い!遊女と紙一重やんけ。公家の娘よ、それでええんかい。
ようやく自分の話に戻った祝子は嬉しいんだか、嬉しくないんだか、もはやわかりませんが、夫のために自分から帯に手をかける。それを追う師直のいやらしいことよ。
いらやしすぎてドキドキしちゃうわ。
言葉を選ばずに言うなら、下半身がうずいた女性観客がいてもおかしくないと思っている。

いらやしい場面がようやく終わるとヒロイン弁内侍が登場。ちと声がキンキンするのが気になりましたが、そんなことよりもジンベエのからんちゃん(千海華蘭)がとてもよい。
人情味溢れる人足がとてもよいし、説得力がある。
やはり、北条高時あんぽんたんぶりを冒頭一瞬で観客に理解させた演技力はたまらんな。
助けられた弁内侍は、師直の寝首をかくところだったのに余計なことを、と言い、あくまで正行は頭を下げる形で応対する。
南朝は公家中心の世界ですからね。
ここで内侍が師直に恨みを持つのは設定として無理があるのではという人もいましたが、武家への恨みが積もり積もって報復のために武家に一泡吹かせることができるなら、相手は武士なら誰でもよくて、それが力ある武士ならなおよし、師直ならうってつけだと考えたのなら、私は納得がいくかなと。
もちろん弁内侍の母親を殺したのは師直であると言うフィクションを織り交ぜてもいいと思うし、後の「なぶり殺された」という表現から母親が犯されたあと殺されたことがうかがえるので、まあいかにも師直のやりそうなことではあると思うんですけどね(ちなみになぶり殺すの意味がわからない人のためか、その前に師直の場面で「おなぶりあそばすな」という言葉が2回も出てきます、ああ……)。
ただ、武家全体を憎んでいないと、最初に正行と対立する理由も薄くなるので、これはこれでいいのではないかと個人的には思っています。
そんなことよりも、戦になると女が必ず不幸な目に遭うということを『サパ』『fff』と3連続描いてくるとは恐ろしい。今回も「野盗に犯される」とか言うし……描き方によっては腹を立てかねないし、男性作家が書いたら……と思うと薄寒い気持ちになる。でも次は一回お休みしてもいいのよ、うえくみ。

そして正時の3分クッキング。
あまり描かれることはないのですが、これが戦場のリアルなんでしょうね。猪の丸焼き。
料理の惚れるの情けない!と大田父は言いますが、それこそが人間の、人間としての幸せなんだよ!と拳を握り締めました。特に2回目以降は……。
出汁を知らないお姫さんとしてこのあと弁内侍が出てきますが、牛の出汁でさえ臭いと思う私としては猪の出汁なんてとても臭いだろうなと思う次第です。
ちなつ(鳳月杏)の和のお化粧も美しいですよね点々たまんないわ。顔立ちとしても似合うのでしょうが、やっぱりうまいんだよなあ。美しい。

料理が板についてきたと皮肉を言われる弁内侍ですが、あれは案外本当に「板についてきた」のであって、最初の最初は包丁すら握れなかった説もあるのでは?と思ったのですが、のちに「料理以外はなんでもおできになる」という正行の台詞がありますので、なんだやはりただの料理下手か……と。
思えばさくら(美園さくら)はあんまり料理が得意そうな役ってないですね。トップお披露目のときの役くらいかな。

コミカルな場面を挟んだので、次は当然シリアスな場面がやってきます。
北朝の雑兵たちを助ける正行と正儀たち。
「なんや、兄貴に指図してんのか」と正儀は言うけれども、この時点で内侍がただの生白いお姫さんでないことの萌芽は示されている。
そして公家に仕えるのが南朝の武士のあり方だから、と正行は内侍の指示としてせっかく助けた雑兵たちを殺そうとする。しかし、最終的に助けるときも「弁内侍様が御慈悲をくださった」と内侍を立てる。すごい、骨の髄まで公家に仕えている感が出ている。
ここのジンベエもいいんですよね。早口なのに何を言っているのかもきちんとわかるのもさすがだわ。
ここで歌われる楠の歌もこのあと何度も出てくるし、象徴的なんですよね。
もともと敵兵の雑兵を助けたという話は正成にもある逸話で、食べ物を分け与えてくれる農民たちも正成にお世話になったという。
正成は登場していないけれども、その器の大きさがわかる。登場するたびに正行の大きさは説得力を持っているし、本当にもうまゆぽんよ……。
ジンベエが「旦那のために働きたいから武士になる」と言い、弁内侍の護衛の任を与えられ、それを正行が死んだ後も、内侍が出家した後も続ける。感無量だわ。泣ける。これが本当の忠義ってやつだよな……。
「お姫さんの護衛は俺が!」「お前がいる方が危ない」という正儀、正時のやりとりが最高に面白いし、そのあと台詞はないけれども2人のやり取りがまたよいですね。
ある日は、正儀があ!と正時の後ろを指差し、正時が振り向き、なんでもないよ〜!とかやっているし。
かわいなあ!本当にもう!!!
正儀は派手に戦場で活躍したいと思っている一方で、この場面では雑炊を雑兵たちに配るんですよね。
優しい……自分がやりたいことはあるけれども、それとは別に兄について行く、という強い意志を感じる。

ここから楠木の実家へ舞台がまわる。
ここでちと不満なのは久子が「楠木久子」って名乗るんですよね。
だって夫婦別姓が当然の時代じゃないですか。
源頼朝北条政子足利義政日野富子。その時代の間にあるのだからね。
いや、同族で結婚した可能性もありますけれどもね。
それにしても、「楠木正成が妻、久子!」とかでも良かったような気もするのですが、ダメですかね。細かいことで申し訳ありません。
なんせ戸籍名と職場名が違うものとしては、死活問題なもので……。
正行、正時、正儀の母については詳しいことはわかっていませんが、武家に嫁いだ女としての強さはあったのでしょうね。
大河ドラマ太平記』では、ヘタをすると楠木正成よりも肝が据わっておりました。ありゃたまげたものだった。
正時が一足早く帰還して兄弟の無事を告げて百合とのスーパーラブラブタイム。
ここが甘ければ甘いほど、後の展開で受ける打撃が強くなる。しんどい。

一方もう少しで吉野に到着する正行、正儀一行は最後の休憩をとる。
内侍は歩きすぎて足にマメができ、挙げ句の果てにつぶれて歩くのがしんどそう。
正儀は水を差し出して「どう?」とだいぶライトにチャラい感じで内侍に声をかける。もうこの時点では気になっているんだよなあ。
そしてその軽いノリが許せない弁内侍(笑)。無礼者!と罵りますが、復讐に燃えていたお堅い女性ですから、さもありなん。
「バシッ!」と内侍が正儀をたたく場面はSEが入りましたが、なくても愉快な場面だと伝わるだろうと思えるのは流石の月組
そのあと丁寧に正行が内侍の足を診るときに「無礼者」と言われないのが、正儀はは不服のようですが、下心の有無がわからない内侍ではないのです(笑)。
正行に水を催促される正儀の反応も楽しくて、ある日はすんなり渡したかと思えば、ある日はぎゅっと強く掴んで渡すものか!と態度で表してみたり。
それに伴い正行も、受け取った後にっこり笑うか、睨むかが変わってきて、楽しいなあ、と。
「兄貴、そういうのは2人だけのときに言った方がええで」の台詞の前ですから、どっちとも取れますよね。おもしろい。
こういう余白っていいですよね~見た後、あれやこれやと語り合える。演者もその日によってパターンを変えられる。楽しい。
ジンベエは正行が坂東武者口調で、正儀が河内弁であることに疑問をもつ。
「無理」という語は当時ないような気もしますが、内侍に頼まれて河内弁を口にする正行には微笑ましいものを感じるし、観客へのサービスの意味もあるのでしょう。
きっと兄二人が亡くなった後の正儀は、これまでとは人が変わったように働かざるを得なくなるでしょう。
当時、家督を継ぐというのはそういうことです。
その中で、河内弁ではなく坂東武者の口調でしゃべることが多くなっていくのかもしれません。
そういう正儀を、周りはどう見るのだろう。
けれども正行の「里を焼かず、民を死なせず、国を一つにする」ためには、そうするより他にないのかもしれません。
もっとも、単純にれいこ(月城かなと)の東訛も聞いてみたい、とかそういうそういうことでは……決してない……断じてない、たぶん。
脚本にはないけれども、ジンベエが正儀に「ほな、行きまひょか」と言いながら去って行くのもおもしろい。

そしてこういうほのぼのぼ場面の後には悪い奴がやってくる。BADDYではありません、師直です。
上手に師直、下手に尊氏。ホント、ジェンヌ人生何回目?という貫禄のおだちん(風間柚乃)。八幡太郎義家公の血を継ぐ源氏の頭領。風格が違う。
連れている花一揆の華々しいことよ。こありちゃん(菜々野あり)が可愛い。ひたすらにかわいい。
私は尊氏が男色家で、一晩共に過ごした美青年たちを自分の護衛隊にしているというのを知っていて観劇しましたが、友人はそんなこととは露知らず、けれども「あれって、そういうことだよね?」となんとなく察すことができたようで。
一揆は楠木の家を尋ねるときと2回しか出てこないのに、それがちゃんとわかるような演出にしてあるのは、さすが……なくても話は進むだろうに。
それにしても、織田信長よりも前にそういう親衛隊を作っていたのは気持ち悪いですね(にっこり)。
もっとも今回は女好きの師直との対比も鮮やかだったと思います。
「女性の脂は腹の毒ぞ」という台詞が、よくもまあスミレコードを通過したと思います。
そもそも足利家はバンコラン家とならぶホモの家系だと思っているからな、私。

吉野行宮ではまさかのさちか姉さんとアキちゃんの公家装束を見ることができて眼福。
ここの、後醍醐天皇登場からの幻想場面が大好きなんですよ。
日野俊基北畠顕家楠木正成と次々と死んでいく場面。
そして超有名な「骨は南の苔に埋まっているけれども、魂はいつだって北を目指しているんだからな!」という後醍醐天皇の恨み言。
はあああああああ。なんという演出。血の猿楽舞が最高。おぞましいというか、おどろおどろしいというか。
音楽もあいまって、怖いんだ、演出が。
戦うのは嫌だけど、南朝のために亡くなった多くの人のために、戦いをやめるわけにはいかない、和睦などは考えられないという後村上天皇。父の期待はかくも重い。あと母の思いも。
阿野廉子もたんちゃん(楓ゆき)もいいんだよね~これまた。国母としてのプライド、後醍醐天皇とともにここまで落ち延びてきたという過去が彼女を強くさせる。だから和議など認められない。
北畠親房のやす(佳城葵)もいいんだよ。息子である顕家が亡くなって、もう北朝との和議なんて認められない、南朝の亡霊のようになってしまったあの姿がなんともいえない。
そう、この時点ですでに南朝は亡霊の塊であって、未来なんて見えていなくて、そりゃ圧倒的な武力の差以前の問題だろう、という気がするんですよね。
公家一統の世の中を目指すとはいえ、武士がこれほど力を持ってしまった時代に、村上・醍醐天皇平安時代のような統治はまるで望めない。それが南朝の人間には見えていないんですよね、かわいそうなことに。正行が見つけた戦う理由である「大きな流れ」が南朝にいるえらい人たちにはまるで見えていないし、見ようともしない。北朝の人間のほうがまだ見えているようにも見える。だから南朝は滅びざるを得ない。
皮肉ですよね。その流れがはっきりと見えた人間は南朝側にいるというのに。

でも、そこに生きる人にだって幸せになる権利はあるわけで。だから顕子は苦労の多かった内侍の幸せを願うわけですよ。
後村上天皇も正行に結婚をすすめるわけですよ。
ここの内侍の「はっ」という返事もかわいいですよね。料理以外は何でもでききると言わしめた内侍とはまた違う内侍なんですよ。
正儀の言葉を借りるなら「色の白いお姫さん」なわけですね。あの内侍でさえも緊張することがあるのか、と。すごい。
ここで正行はつれなく節もメロディーもつけずに和歌を詠んで、申し出を辞退する。
せっかくの和歌なんだから、せめて節つけてやれよ……と思ったけれども、むくつけきもののふだからね、無理だわ、と後から思い直しました。

ただ、猪を狩っておいしいものを食べるように、人間の幸せって本当はこういう些細なところにあるよね、決して戦場にはないねと強く思いました。
そのためには為政者にしっかりしてもらわなければならないんだよね、という怒りもあわせて。
大きな流れが見えていない為政者って、怖いし、それは今でも同じことなのかもしれません。
だから大きな流れのために戦うという正行の言葉が、本当にそれでいいの?と響いてしまう。
あなたのつむいだ先の世界は累進課税をゆるめ、消費税をあげ、貧富の格差を助長する政治家が跋扈していますけど???と思ってしまう。
正行が見た大きな流れは今でも続いていて、けれども決して正行が望んだ方向ではないだろうなと思ってしまうから。
もっとも、これも宝塚という100年以上の歴史の中にトップスターとして名前を刻んで退団するたまきち(珠城りょう)の背景を考えると納得いくところもあるんですけどね。
ところでここのぐるぐるの場面もすごいですよね。
八の字に回っている人もいれば、本当にただ円を描いているだけの人もいるようですか、2階席から見るとたまらないほど美しい。
集団行動と一言でいえばそれまでなんでしょうけれども、一人一人が歴史の歯車になっている様子がよくわかる。
「巨大な歴史の歯車の前には無にも等しい」という個人たちがあつまって歴史を紡いでいると感じられる。
当然ですが、誰一人ぶつかることなく、誰一人セリフに遅れをとることなく。

阿野廉子は言う。自分もかつては花を愛でていたけれども、後醍醐天皇がなくなってからは「春も色を失った」と。世の美しさは失われてしまった。
一方で弁内侍は一度は花など見向きもしない時期もあったけれども、「恋を知り、限りを知って、世の美しさを知った」と言い、さらには晩年の内侍は恋の相手を失った後も世の美しさを認められた。
桜が美しく咲いている様子を見て、出陣式を思い出す。このラストに出陣式をもってきたのが最高に天才だと思う演出です。
後述します。

武士なのに、和歌さえ節をつけて読まなかったのに、美しい狩衣姿で登場した正行は、弁内侍と今宵一夜と共に過ごす。
美しい。むくつけきもののふと自称しておきながら、こんなときばっかり狩衣姿なんて反則だ~!と思ったけれども、美しいからなんでもありです。
ひたすらに美しい。舞もすばらしい。圧倒的である。盆もよく回る。それもよい。うっとりする。
個人的にたまさくはあんまりささらないコンビなのですが、それでもあの平舞台になって猿楽たちが出てきた瞬間に泣いてしまった回があるくらいです。
ここのコンビのファンはこの場面、さぞお辛かろうに……。
うえくみ先生は大事な場面は平舞台にするのがマイブームなのでしょうか。『fff』のときもルイとナポレオンの場面が平舞台でしたしね。

しかしこんな甘く切なく美しい場面をぶち壊しにするのは、そう師直。必ずいい場面をつぶしてくるのが師直。そういう意味で作品のラスボス。
正行と弁内侍がいちゃついて降りていったセリで上ってくんなよ~!というツッコミは最初にもしたけれども、師直は正行と直接対決はしないんですよね。もう、なんてひどいシナリオだ(褒めています)。
正行たちが相手にするのは雑兵たち。圧倒的な数の違いのために、大将にまで行き着かない。
歴史の大きな流れが見えている正行は、それでも数の論理に負けてしまう。そもそも勝てる見込みなんて最初からなかった。
師直は高みの見物。物語としてはそれでいいのでしょうけれども、あんまりだ~!
正行と師直の直接対決とかあったら、逆に私はしらけていたと思います。
当時すでに戦の功績をバンバンあげて全国に名をとどろかせていた師直と南朝にボロ雑巾のように使い古されようとしている正行とで一騎打ちなんて、作品の進行上、ちょっと考えられない。
そのほうが華やかになる物語は確かにあるかもしれないけれども、少なくともこの作品はそれまでの流れから考えてそうはならないだろうことが読める作品だったし、そうなっていたらオイ……ってなっていた作品だとも思う。

三兄弟が戦っているときに下手で過去場面が入るのも最初に見たときは、ちょっと蛇足か?と思ったけれども、何度も見るうちにじわじわと来て、最終的には正成の台詞で泣いちゃったものなー。あ、ちづるちゃん(詩ちづる)可愛かったです。
そして宇宙人のまゆぽんに歌わせたのに、人間の役のまゆぽんを歌わせないわけがない!ここで楠木の歌を歌うまゆぽんの大きさよ!
万感の思いで、正時の刀を手に二刀流で戦う正行。この場面も最後は平舞台になり、しかも正行一人になるんですよね。
二刀流で戦う姿はさながらオスカル様のよう。
思えば、廉子が息子にひざまずいて「主上……っ!」という場面は、ルイ16世が処刑された後アントワネットが息子を前に「ルイ17世陛下……っ!」という場面と似ている。
『星逢一夜』でも、村を抜けて一緒に暮らすことを提案された泉が結局は村に残るのは子供たちの声を聞いたから。それは、さながらフェルゼンが迎えに来ても「子供達をおいて自分一人だけ逃げるわけにはいきません」と拒んだアントワネットのようだし。
うえくみ先生は最初に見た宝塚作品が『ベルばら』だったようですが、その影響か『ベルばら』が息づいているなと思う場面はいくつかありますね。
それもまた長く続いてきたからでしょうし、今後、うえくみ作品がそういう本歌取りの本歌になっていくのが楽しみです。

そして冒頭に戻る。回想話から40年後の場面。
兄の最期の言葉をようやく伝えることができたという正儀。やはり内侍のこと、好きだったんじゃないか~!と思わせてくれる。にやり。
れいことるうさんが地続きになっているのが演技でわかるのがすごい。ちゃんとれいこの正儀が年をとったらるうさんの正儀になるって思える。
そして年をとったジンベエも登場。自分の命の最期まで正行からもらった最初で最後の任務を全うしようとしている。泣ける。
副組長(夏月都)の内侍も「あの方が何のために生き、死んだのか、もう自らに問うことはいたしません」という潔さは、さくらの内侍と通ずるものがありますよね。いや、本当にすごいし、この場面で「そうだったのか!」と新鮮な感想をもつ人とぜひ一緒に観劇したい。

さて、ラスト。
これが反則なんだよ。天国エンドができない以上、どうやってカタをつけるのかな、と思っていたし、今宵一夜の場面のあと大きな音が鳴って一気に四條畷の合戦になって、おいー!出陣式はどこいったー!?と思ったいたので、ラストにこの場面になったときは、そうきたかー!!!と目玉が三つくらい落ちそうになった。二つしかないのに。
出陣式といっても、勝ち目のない戦いに出るわけで、気持ちとしてはそんなに華々しいはずがないのですが、とにかく画面が華やかであることに助けられるし、これぞ宝塚!って感じがするのがまたイイ!
その列に大田父子がいないことがまた私を泣かせる! 行宮に戦勝報告に行ったときにはいたのに! もうやってやんないよ>< これが現実かよ!
後村上天皇の「戻れよ」が蛇足だという人もいますし、私も最初はそう思ったのですが、今ではその場面でも号泣する始末です。
戻らないかもしれない人間に、負けるくらいなら戻ってくるなという人間に、それでも後村上天皇は「戻れよ」という。
それに対して正行は答えない。正時が百合に「必ず生きてください」と言われたとき同様に答えないし、答えられない。
その代わりに「咲け咲け咲け咲け~♪」と主題歌が入る。反則すぎるだろ。しかも歌詞の最後は「咲きて散れ~♪」だよ? あんまりじゃない??? 本当にひどいシナリオだよ……!(褒めてます)
よかった、本当によかった。ありがとう。うえくみ先生。

ところで今回の『ル・サンク』に掲載されているは、ものすごい量のルビでしたね……固有名詞もさることながら、そこにもルビがと思うところもあり、うえくみ先生の稽古に辞書が必要だという話に納得しました。
ありがとうございました。
ご縁があればまた東京で見たいけれども、どうかな。難しいかな。

雪組『ほんものの魔法使』感想

雪組公演

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ロマンス『ほんものの魔法使』
原作/ポール・ギャリコ
脚本・演出/木村 信司

開演アナウンスのあーさ(朝美絢)の声が意外と高くて明るくて、おお!?と思ったのですが、そういえば青年ゲルハルトの声が低すぎただけですね、きっと。
少年ゲルハルトの声でした。
そしてアダムは高くて明るい声で正解なのでしょう。

そして、ひまりちゃん(野々花ひまり)のバウヒロインということで!本当におめでとうございます!
思えば前のバウホール公演『義経妖狐夢幻桜』のときのマサコもとてもよかったのよね〜!
そして出てきたひまりちゃんが可愛い!
もうこれまたはちゃめちゃに可愛い!
1幕は作中でハンプティ・ダンプティの曲を歌うためか、『不思議の国のアリス』のアリスのような白い襟付きブラウス、ブルーのジャンスカ、ジャンスカとお揃いのシュシュでポニーテールとかわいさをぎゅっと詰め込んだ出立ちで、鼻血が出るかと思いました(汚い)。
THE正統派ヒロイン!という感じで、とてもとてもよかったです!
舞台に1人、うたう場面もありましたが、しっかりと劇場の空気を持って行きました。埋め尽くしていました。
すごい。ちょっと劇団さん、大切にしてあげねよ! 本当に頼むよ!
そしてラストの場面ではスキニーパンツを履いているのですが、足細い!細すぎて心配になるレベル。
大丈夫? ちゃんと食べてる?
しかもその細い足を、これまた細いピンヒールで支えている。
赤エナメルのピンヒールは超絶可愛くて似合っていたのですが、それで支えられるの?!と驚き。
さらにそのピンヒールで崩れ落ちるという演技まであったから、膝とかあおあざになっていないかな、大丈夫かな、と余計な心配をしてしまう。
ジェンヌはみんな細いけれども、しっかり栄養を取らないと、ダイナミックな演技ができなくなっちゃうよ〜!

件のハンプティ・ダンプティの場面では、まさかの卵役が登場しました。
上手から黄色いスーツを着て、大きな卵に扮した卵が宙吊りになって登場したときは、あんまりビックリしすぎて、声を出して笑うのを抑えるのに苦労しました。
しかし周りの観客は意外と冷静で、これはこれでビックリしてしまいました。
いや、だってジェンヌに卵の役とかさせる?!
卵役は霧乃あさとさんでした。
名演技でしたね。そしてまさかの演出。上手上から下手に落ちてくる形でした。
下手には王様とトランプの騎士も登場。
真ん中で「ハンプティ・ダンプティ壁の上 ハンプティ・ダンプティ落ちたら 王様が来たってもとには戻せない♪」と愛らしく歌うジェイン。
周りには他の魔術師たちもいて、画面も豪華、歌もあり、たいへん楽しく賑やかな場面でした。
星加梨杏のメフィストは、そのまんま『エリザベート』の堕天使にもなりそうだし、日和春磨のダンテは『1789』でアルトワ伯が着ていたような黄色と黒のストライプだし、すわん(麻花すわん)の助手はひたすらに可愛い。

娘役ちゃんたちも華やかでした。
ひまりちゃんは言わずもがな、みちるちゃん(彩みちる)のチャイナ服はめちゃくちゃ可愛いし(赤のチャイナ服に緑のタイツで違和感なのがすごい)、あいみ(愛すみれ)も持ち味とは少し違う気もするお衣装を、けれどもやはりキュートに着こなしていたし、はおりんは(羽織夕夏)クレオパトラみたいだし、目が足りない〜!
女の子は魔術師になれない世界観ですので、彼女たちは皆魔術師の娘、孫、助手なわけですが、この女子会に呼んで欲しい。
リーダーはもちろんあいみちゃんです。あいみちゃんから招集がかかると、みんな集まるそうです。
私にも招集かからないかな(かかりません)。

女子会にはいませんが、もちろん副組長千風カレンさんも大活躍。出てくるだけだ笑いが取れそうないきおい。
同じく笑いがとれそうなのは、まさかの犬役モプシーを熱演したあがち(縣千)。
本当、神奈川で公演する頃には、もはや出てきただけで客席から笑いが起こるのではないかと思います。
そして圧倒的な跳躍力。犬というにふさわしいのかどうかはわかりませんが、人間という枠組みを超えた役割で踊ることが、彼女にとってとても楽しいのだなと思わせました。
個人的に『ロミジュリ』の再演は望まない派ですが、あがちのマーキューシオは見てみたいかもしれません。ロミオの飼い犬(笑)。
そのときはぜひベンヴォーリオはあやな(綾凰華)でお願いします。

蜂や蝶の場面は宝塚らしく明るく華やかに楽しく豪勢に!という力技が感じられましたし、これはなかなか他の劇団ではお金の関係で難しいかもしれません。
お金に物を言わせている感じはある(笑)。
ミュージカルだから、そういう楽しみ方もあるのでしょう。
ただ、後述しますが、ここが一番印象に残るようでは作品としてはいかがなものか、と。バランスが難しいといえばそうなのですが。

ニニアンのラストも、実はとても好きです。
アダムが消えてから、技に磨きをかけることが馬鹿馬鹿しくなった魔術師が少なくなかっただろう中で、血の滲むような努力をして、立派な魔術師になった。
そうしてお金が貯まったからアダムを探しに行く。
富も名声も得たけれども、ニニアンはアダムに謝らずにはいられない。
アダムに会って謝るまで、もう魔術は使わない。
これ『少女革命ウテナ』のラスト、周りがウテナを忘れていく中で、アンシーがウテナを探しに行くのとちょっと似ているなと思って、好きなんです。
ニニアンのカセキョー(華世京)もよかったです。抜擢納得。
ニニアンの設定を「子供相手ならうまく行く」と変えたのも功を奏したように思います。
「比類なき」のイントネーションは少し気になりましたが……。

フィナーレは、群舞に男役娘役のペアダンスに朝美ひまりのデュエットダンスとスタンダードな形で、もうちとあーさが娘役に囲まれて踊る場面があってもよかろうにとは思ったけれども、尺の関係で難しいだろうし、まあちょうどいいかな。
白のお衣装でのデュエットダンス、最高でした!
ここでひまりちゃんのおでこが大活躍!
私は前髪ありの方が基本的に好きなのですが、ひまりちゃんはでこだしが多いですよね。
ジェインはずっと前髪ありだったから、でこだしひまりちゃんが出てきたときはキター!と思いました。

あーさは演技力、歌唱力にさらに磨きがかかり、センターとして安定しておりますね。
雪組を二番手として支えるのが楽しみです。
ところでどうして雪組だけ二番手の付箋だけ発売されないんですかね……?
そして同期のれいこと比べると、センターの作品にいちいち恵まれないな思うわけですよ。
『A-EN』は『花より男子』の西洋パロディだし、『義経妖狐夢幻桜』はいまいちまとまりのない新感線パロディだし、今回もちょっとなあ、と思うところがありまして。
れいこは『銀二貫』『ラストパーティー』『ダル・レークの恋』ですからね。

さて、ここからはちと小うるさいことを言うようですが、言わせてください。
2幕やフィナーレでは「わからないことは怖いことではないすごいことすてきなことすばらしいこと」と歌われます。
いやだったら勉強しろよって個人的には思って。
わからないならわかる努力しろって。
「恐怖の九割は知らないことによる」みたいな言葉が以前ツイッターで流れてきたような気がするのですが、だからこそ勉強する必要がある。LGBTQの問題も自分たちとは違うものを排除したい気持ちから生まれるけれども、違うものを否定するのはやめようよ、受け入れることはできなくても存在は認めようよ。そういうことではないでしょうか。
そう考える私には歌詞のメッセージは刺さらない。頭でっかちですいません。
アダムが最後に魔術師たちに「学」ではなく「金貨」を授けたことは痛烈な批判に感じられる。
金貨は他人に奪われることがあるかもしれない、けれども学は他人には奪われない。
そしてその金貨があったところで、幸せにはならなかった。
原作のラストもはっきりしたこれ!というメッセージがあったわけではない。でもだから考える。その余白が蜂や蝶の場面のインパクトに奪われてしまったら作品としてはどうなのか。
好きな役者が楽しそうに舞台に出ていればそれでよいと思えなくてすいません。

開演直前に読み終えた原作のラストは、実に皮肉だなと思ったのです。
別に自分は必要としていないけれども、みんなは自分がいることで仕事がなくなり、お金がなくなることを心配している。
だったら自分は一切必要としていないけれども、そのお金、金貨を授けて、静かに去る。
所詮自分とは分かり合えなかった者たちへのせめてもの報酬。お情けといってもいいかもしれない。

一方で魔術師たちは、金貨が降ってきて喜ぶ。
必死になって拾い集めた。
その結果、働く必要がなくなる。
それでもなんとなく働いている人がいたり、中には技に磨きをかけることをやめてしまった人もいたりする。
つまりは全然幸せにはならなかった。
どこか寂しさが残って、虚しさが漂って、彼らがアダムを攻め立てた理由を補っても、彼らは決して幸せにはなれなかった。
幸せとはなんだろう。
幸せとは、お金の有無ではなく、もっと日常の中にありふれた一場面の中に潜んでいるものではないのか。
自然の一部として人間の存在を捉えること、これはそのまま近代の弊害、課題ともなってきたわけですが、人間と自然を切り離して考えるのではなく、大きな流れやうねりの中に自然と一体化している人間の存在を感じることの大切さを述べているものではないか、と思うのです。
そして無邪気に魔法が使えてしまうアダムはそれをわかっている。
無垢で悪意を知らない青年は、モプシーと一緒でなければ騙されるのではないかとさえ疑うほど純粋だ。
そんなアダムが金貨を降らせる皮肉を読者は考える。その余白が、舞台ではあんまり感じられなかったのが残念。

あとこれはタイミングが悪かったというか、キムシン先生が悪いわけではないのですが、政府が間抜けなせいで、「お金があっても幸せになれなかった」という作中の大勢の人間の考えが今、全く響かないのですよ。
お金があれば回避できた不幸が、今、この国に溢れすぎていて。むしろ経済成長している時代の方が響いたかもしれません。
もうこれは本当に情けない政府のせいとしか言いようがないのですが。

それから、アダムのキャラクターが少しぶれているように思いました。
女は魔術師になれない世界で、魔術師になりたいジェインは最後に魔法使いになった、というジェイン側の物語は充足している。
けれども、アダムの「本当の自分」とやらが曖昧で、そもそも原作のアダムはそんなこと言わなさそうじゃないですかね。
魔法使いは技に磨きをかけたくて教えを乞うた。けれども魔術師たちに拒絶された。その虚しさが欲しいのかもしれません。そうでないとラストの虚しさにつながらないのではないでしょうか。
だから2幕のソロは唐突で、なんだかそれまでの世界観と異なるように思えました。
ただ、ここが原作にないオリジナルの部分でもありますので、きっとキムシン先生はここを肝に作りたかったんだろうなという気もします。
だったら、例えばですけれども、ジェインの方から「本当の自分」の話を持ち出す形にした方がいいかな、と。
「本当の自分はワン・メイにも見せられないもの」
「本当の自分?」
「そう、私、本当は魔術師の助手じゃなくて、魔術師になりたいの」
「自分に本当も嘘もないよ。それは君の願いだ。すばらしい願いじゃないか!」
「ありがとう。アダムの願いは?」
「僕は、もっと技に磨きをかけること。そう思ってここにきたんだけど……」
みたいな展開の方が自然かなーなんて思ったり。
これだったら2人が惹かれ合って、手を繋いではけるのも納得がいきますし。
まあ、いち素人の意見ですが。

バウホールはなんとか完走できそうですね。
神奈川の公演はあーさにとっては地元ですし、もぜひ最後まで幕が上がりますように。 

外部『スリル・ミー』感想

外部公演

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『スリル・ミー』
原作・脚本・音楽:Stephen Dolginoff
翻訳・訳詞:松田直行
演出:栗山民也

見てきました。噂の『スリル・ミー』。フォロワーさんが熱狂的なファンで、いつもつぶやいていたところで、近くに公演があると耳にし、さくっとチケットをとりました。
一般発売から大分日が経ってからの購入でしたので、だいぶ後方ではありましたが、センターよりで見やすい席をゲットできたのはラッキーでした。
しかしいいホールですね。ウィルあいちの大ホール。
それほど大きな箱ではありませんが、前方センターは席が互い違いになってあり、11列目あたりからは急な勾配をつけ、後方席でも大変見やすかったです。150センチ族としてはありがたいとしか言いようがない。
『流れ星』を観劇して以来の箱でしたが、改めて良い箱だと感じました。しかし宝塚を呼ぶにはちと狭いかな。

もっとも今回の『スリルミー』という芝居に対しては、反対に少し大きめの箱かなとも思いました。もう少し小さい箱でもいいのかもしれません。
なかなかぴったりの会場を探すのって難しいですよね。
しかしあの舞台装置は素晴らしかった。
センター前方の正方形の平台、センター奥の階段、さらにその奥には窓や扉の役割を果たす仕掛けがあり、平台に対して上手、下手にはそれぞれ椅子やら電話やらといった小道具たちが並んでいる。
それらがほぼ色なし、というか、モノクロで統一されている。究極の抽象舞台。
正方形の平台は四辺にライトが仕込んであり、途中で真ん中が沈むのも大変気が利いている。あの沈む演出はとにかくすごかった。工夫されていた。
すばらしい。

舞台装置が抽象であるように登場人物もまた「私」と「彼」という大変抽象的な名前でプログラムにも記載がある。
「私」に関しては「彼」から名前を呼ばれることがありますが、それが本名なのか、それとも本名とは全く関係のない愛称なのかはよくわかりません。非常に中性的な名前でもあり、世界のどこへ行ってもわりと違和感なく通用しそうな呼び名であることが印象に残りました。
この作品の世界観をより普遍的なものにしようという強い意志が感じられる設定でした。

『パレード』同様、肉体的、精神的に疲れているときに見るのは全くお勧めいたしませんが、見て良かったと素直に思える芝居でした。
宝塚ではなかなかこういうのはできませんし(笑)、新鮮でした。
音源が欲しいなあとも思いますが、聞くタイミングをかなり選びそうな気もします。
私は初代コンビの田代万里生(私)×新納慎也(彼)とフォロワーさんの『スリル・ミー』の親である成河(私)×福士誠治(彼)のコンビを観劇しました。
個人的には、成河×福士誠治の方が好みでした。
というのも、田代の歌がうますぎて、どんな悲痛な歌を歌っていても「たしろ〜!うたうめぇ!」となってしまい、その度に現実に引き戻されてしまったという……いや、本当にすいません。
あと新納の滑舌が私にはちと聞き取りにくかったということもあるかもしれません。
その点、成河と福士コンビは個人的には物語にきちんと入り込めて、演技もうまくて、フー最高〜!ささる〜!となりました。

成河は『エリザベート』のルキーニを観劇したことがありますが、狂気は狂気でもベクトルが違いすぎて、演技の幅の広さよ……っ!と感動いたしました。
福士さんは多分初めてかな?
いや、実にいい「彼」でした。神童となまじ崇められていた幼年時代があるだけに、大学生になって実は大したことがなかった自分やできない自分を認められない。
だから酒や非行に走る。
そして自分の足りない部分を補うために「私」を求める。補完してくれるのは「私」しかいない。
それが愛なのか憎しみなのか、本当のところはよくわからない。
芝居の中に出てくる「彼」は「私」の中の「彼」でしかないから。
ただ幼少期から同じように神童と言われ育ち、同じように飛び級したのに、学業成績の振る舞わない自分と野鳥研究で論文まで書いている「私」とを比べてしまうことはあったのではないでしょうか。
「私」は「私」で自分にはない逞しさを「彼」に求めていたところもありましょう。派手に遊ぶことができない臆病な自分を補完してくれるのが「彼」だったわけです。
共依存というやつですかね。単純に怖いわ。
誰もツッコミを入れる人がいないとこういう恐ろしさに繋がりやすいのでしょう。
どこかのタイミングで「そんなwwwバカなwww」と言えればよかったのですよ。
例えば「彼」が友人のものを盗もうとしたときとか。
そうしたら放火や殺人まではいかなかったような気もします。
本当、人生においてツッコミって大事だなと思うわけですよ。

この作品は繰り返し見るといい、スルメのような作品だなとも思いました。それにメンタルが耐えられるかどうかはまた別の問題ですが(笑)。
例えば脅迫状を作る場面。
「彼」は出来上がった脅迫状を見て満足し「完璧だ」と言う。
そして眼鏡がない!というやり取りをしたあと「私」も続いて「完璧だ」と繰り返す。
でも本当に彼らの言っている「完璧」は同じ意味を示しているのだろうか。
少なくとも「私」には脅迫状以外にも「完璧」だと感じる要素がある。
ラストを知ってからこれを見ると、なるほど!と思わずにはいられない。
「完璧」と言うときのテンションの違いもうまかったな、と。「私」は冷静な態度であるのに対して、「彼」は子供のように無邪気に喜んでいる。
彼らの言葉は同じだが、考えていることは全く違うことが明らかなのだ。

最初に見たときの違和感は、なぜ野鳥研究で論文まで書いている、有り体に言えば賢い「私」が、愛しくてたまらない「彼」の指示通りに、凶器やその他もろもろの物的証拠を隠蔽しなかったのか、ということでした。
「彼」のことが好きだから指示通りに指紋を拭き取ったけれども、バカだからうっかり拭き残しがあった、ではない。
「私」は意図的に証拠を隠蔽しなかった。
これはラストまで見れば、なるほど!となりますが、見ているときはモヤモヤしました。

登場しない「彼」の弟もいい味を出していて、きっと彼こそがこの芝居でもっとも普通の人間なのだろうな、と思っていたのですが、「私」が弟の部屋で寝る!と言ったときの「彼」の反応を見ると、実はそうでもないのかも?とも思える。
想像が膨らむ。楽しい。弟くんにインタビューしたい。

Twitterでは田代の狂気ともいえるキューピーたちによる『スリル・ミー』も開催されていて、それはそれでおもしろかったです。
というか、全体的に『スリル・ミー』のTwitterの中の人、珍しくSNSの使い方が上手な企業人だと思いました。中の人もきっとオタクなのでしょう(こら)。

生のピアノ演奏というのもたまらなかったなあ。
舞台の上手の上にピアノが一台。伴奏だけでなくBGMの役割も果たす。
あの演奏はさぞ疲れよう。
カーテンコールでピアニストも一緒に舞台に出てきてくれて、ちゃんとキャストと同じように拍手ができたのはよかったです。

最後に願望を書き添えるなら、海宝直人「私」×上原理生「彼」を見てみたいな、と。
やたらと脳内再生余裕だと思ったら、このコンビ、そういえば『イヴ・サンローラン』で共演していましたね。
演者として2人のファンなので、栗山先生、ここは一つ頼みます〜!

宙組『夢千鳥』感想

宙組公演

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大正浪漫抒情劇『夢千鳥』
作・演出/栗田優香

たんご【タンゴ】
①ビリヤード。
②折檻。SM。DV。
宙組国語大辞典』

『ホテルスヴィッツラハウス』といい『夢千鳥』といい、宙組のタンゴの使い方、独特すぎるでしょう。
もう次のショーはタンゴに決まりだね!と思うくらいでしたよ。
『ホテルスヴィッツラハウス』のビリヤードの場面で悲鳴をあげたわたくしは、『夢千鳥』で夢二が他万喜を折檻する場面でも悲鳴をあげてしまいました。
真ん中の2人は和服なのに、SMの化身のような周りのダンサーは通常のショーに出てきても違和感のないようなタキシードとドレス。
ドレスの裾も斜めカットで、非常に攻めている印象がありましたが、そこに夢二の「それから他万喜は何人もの男の気を引くようになった。他万喜がその気になれば、それは簡単なことだった!」という台詞、続いて東郷の「その度に先生は他万喜さんと結婚し、折檻したその夜に描かれは美人画はそれはもうすばらしいものでした!」という台詞、とても攻めている。大変に良い。
そらくん(和希そら)とじゅっちゃん(天彩峰里)もしかしたらDVの被害者が見たらトラウマを思い起こさせるのではないかと思うほどの迫力で芝居をするのだけれども、周りのダンサーがお芝居であることを教えてくれるのが救いなのかもしれません。
たとえ周りのダンサーが折檻の象徴であったとしても、2人とは異なる完全に洋の衣装にすることで、異質な空間をうまく演出しているというか、なんというか。
とにかくあの場面が好きすぎてたまらない。
何度でも見たい場面です。
スミレコードおおお!と思わないではありませんが、演技力の賜物でしょう。すばらしい。
狂気的で圧巻のタンゴでした。

「青い鳥は見つけるのではなく、青い鳥の卵を見つけて、あたためて、孵化させて、育てるものなんだよ」というメッセージは、かなりキテる。
一生の恋人なんて、出会ってすぐにビビビとわかるわけではなく、2人でそういう関係を、言ってみるならば努力して作っていくものなのだ、と。
本当に「それな!」としか言いようがない。
その通りなんですよ。
出会ってビビビと一瞬でわかる相手なんて、現実世界ではいないんですよ。
首がもげるほど頷いた言葉です。
それを、白澤が赤羽なしで気がついたことに、やや不満のある方もいらっしゃるようですが、でもあの言葉は彦乃の父親が言うからこそ、説得力があったようにも思えます。
もちろん、宝塚だからこそ、主人公の変化にヒロインをもっと絡めて欲しかった、という気持ちもわからないではないのですが、個人的には今回はこの形でいいような気もします。
最後に鳥籠のセットが開いたのも「おお!」と思いましたが、鳥たちが自由になっても、赤羽は白澤のもとを離れず、だから白澤は赤羽をあたためた。
もうそれで十分ではないでしょうか。

私が上記のテーマと同じくらい感動したのは、名前についている色についてです。
赤羽礼奈/他万喜が「赤」であることは一目瞭然で、タカナシユキは出てきていないけれども(そしてきっと字としては小鳥雪なのでしょう)彦乃と同じイメージで、彦乃の父が白い花を彦乃にたとえたように、彼女たちは「白」のイメージカラーでしょう。
お葉は、何色だろうか、紫の着物を着て出てきていますが、フィナーレの「赤→白→黒」の衣装の移り変わりを見ると「黒」かなとも思いました。
しかし、ツイッターで指摘されて、『夢千鳥』のちらしをよくよく確認してみると、羽は4枚あって、赤、青、黄、白なんですよね。
そうすると『黒船屋』の女性が来ていた着物の色として、お葉は「黄」の象徴なのかもしれません。
芝居の中でも、黄色の着物に着替えるように夢二に促されている場面もありましたね。
それぞれヒロインたちがイメージカラーを背負っていて、主人公は白澤、つまり白だから、ひょっとかすると同じ色である白同士がくっつくかもしれない、白澤はタカナシユキとハッピーエンドになるかもしれないとなんとなく危惧していたのですが、最後は赤羽をあたためる。
これがよい。
自分とは異なるものを愛する。
愛の基本だと思うんですよ。そもそも全く同じ人間なんていないわけで、自分と違うからこそ愛する、自分と違っても愛せるというのが、愛なのではないでしょうか。
私は夫と全然好みが違っていて、音楽ならクラッシックが好きな私とジャズが好きな夫と、絵画ならルノワールが好きな私とロスコが好きな夫と。
フランスに新婚旅行に行ったときは、ヴェルサイユ宮殿でテンション上がりまくりの私と、ポンピドゥセンターやサヴォア邸でテンション上がりまくりの夫と。
同じ日本近代文学を専攻していたけれども、日本の古典とのつながりを重視する私と、同時代の世界文学のつながりを重視する夫と。
書き出してみるとキリがないくらい私たちは違う。
でも、そういう違いをひっくるめて愛すことができる。
深いよなあ。愛だよなあ。
だから白澤と赤羽という違う色同士が最後に仲良くなって終わるというのは、とてもよかった。
こちらもまた現実的だった。だけどちゃんと宝塚の舞台だった。
同じ色同士をくっつけた方がわかりやすい。
レヴューの衣装では大抵同じ色同士がカップルを組んで踊る。こちらは視覚効果もあるのでしょうけれども、作中にあった言葉を使うとするならば、その方が「大衆的」であり、宝塚歌劇団の根本は大衆演劇なんですよね。
だからこの演出はとても文学的だと感じました。
こういう言い方するとアレかもしれませんが、テーマといい、違う色をあえてくっつけるという発想といい、思考がアップデートされた女性作家の視点だなと思わずにはいられないのです。
『龍の宮物語』の指田先生としい、宝塚の未来は明るいなあ。

場面転換も大変にこなれている感じで、素晴らしかったです。
決して場面が少ないとは思わなかったのですが、スムーズな場転で、全くストレスを感じなかった。
美しい歌声による転換、蓄音器を挟んでの場所の転換、飛行機の音による転換、2幕はバーでの役者の台詞による転換が見事でした。このあたりから昭和/大正の境が曖昧になっていたように思います。
だから2幕の夢二は和服ではなく、白澤と同じ洋服を着ているし、夢二とお葉の場面は洋館なんですよね。
衣装や小道具期まで、よく目が行き届いている。
客席で見ていたら、きっともっとのめりこめただろうなあ。
いわゆる小劇場の使い方が上手いなと感じたので、大劇場で作品をつくるのが楽しみな演出家さんです。

作中の映画『夢千鳥』のヒロインは他万喜ではなく、彦乃なのかもしれません。
彦乃と出会ってから、彦乃と別れ、亡くなるまでが描かれていますし、彦乃との場面だけ、場所が固定されていないのも一つの理由です。
他万喜とは港屋とその奥にある和室でのやりとりが多く、お葉とは洋館でのやりとりが多い。
その中で彦乃とは、公園のベンチと思しき場所、電車、京都、長崎と場所を移動する。
それはもう、鳥のように解き放たれて(それ、別の作品です)。
けれども、舞台『夢千鳥』としては、やはり赤羽がヒロインですし、この話は、白澤が夢二の映画を撮ることで、自分の愛に気がつくという話なのでしょう。
冒頭の「こんな注目のされ方でいいのか!」「あなたがそれを言う?」というやりとりに凍えた身としては、「素直じゃない女は得意だから」「あたためているんだよ」のラストのくだり、最高でしたね。この温度差よ。
すばらしい。栗田先生、宝塚を選んでくれて、本当にありがとう。

ここからは役者別の感想。
主演の和希そら、よかったですね〜。
開演アナウンスを聞いて、「こんな低くて優しい声、出るんやな」と思いました。ファンにはたまらなかったことでしょう。
あとはうねうねっとしている前髪。
アンニュイな感じがよく出ていました。
どうやって作るのだろう、あの前髪。

じゅっちゃんも二役を全うした!という感じで素晴らしかったです。
ついこの間まで愛らしいアナスタシアの少女時代を演じていたとはつゆほども思えない狂気でした。
ランプが曇っていることは、夜に絵が描けない理由にはなっても、色待ちに行く理由にはならないだろうよ。もっと言ってやってもいいんだよ、他万喜。
「嫉妬に狂う目 その目をもっと もっともっともっと見せて もっと〜♪」の場面は最高でした。
夢二に座布団切りつけられて、赤い羽がバサッと出てくるのも良かったよなあ。
彦乃の両親に「2人は愛し合っています」「お嬢さんはもう女です」と伝えるところなんかも、スミレコードとは?となりましたが、圧倒的な演技力によるものでしょう。
2幕はあまり出番がありませんでしたが、他万喜にとって「自分を愛してあげなさい」という言葉はどれほどささったことだろう。
他万喜に向けられた言葉で、こんなにも優しく包み込むような台詞は他になかったのではないでしょうか、と感じるほど。
自分を傷つけてまで、夢二の、夢二なんかの気を引かなくてもいいのですよ。
時折入る讃美歌は作品の中の救いのような印象でしたが、他万喜にはまず自分のために讃美歌を歌ってほしいところです。

2番手はフィナーレを見るまで気がつきませんでしたが、マキセルイ(留依蒔世)。
2幕の冒頭の歌、良かったですよね〜。
バーテンの格好のままでしたけれども、上手に観客を大正パートに誘導していましたし、りんきら(凛城きら)との相性もバッチリでしたね。
いいマスターだった。
マスターについては、1幕の「甘えてるんだね」「もっと可愛く甘えてくれよ」「いや、じろちゃんが礼奈さんに」というやり取りがたまらなかったですね。
そのあと、じろちゃんは苦い顔するし、マスターはにんまりだし。最高だな。

夢二を翻弄する2人目の女性、彦乃はひばりちゃん(山吹ひばり)。良かったなあ。
『サパ』のときに可愛い子やな〜と思っていたし、『サパ』の終わり頃には滑舌がうんとよくなっていて、伸びるだろうなあと思っていたけれども、すばらしかった。
他万喜と比べると健全に見えるかもしれませんが、違うベクトルでやばさを感じるキャラクターでしたね。
明るくて元気で、のその下には、やはり芸術家だからでしょうか、狂気が見え隠れする。
夢二を自分のものにできると思っている。
東郷青児役の亜音有星くんとのやりとりがとても狂気的だった。
日本画の技法を教えたのは他万喜さんなんだよ?他万喜さんがいなけれざ夢二式美人は生まれ得なかった。他万喜さんは先生の師でもあるんだ」と言葉を尽くして他万喜は夢二のミューズであるべきと説得しようとする東郷に対して、「先生の新しい絵、見た?」のたった一言で対抗する彦乃、怖すぎるでしょう。

SMタンゴにナレーションを入れるのが東郷ですが、いったいどんな気持ちで台詞を言ったのでしょうか。聞いてみたいものです。
そして私はてっきり亜音くんが二番手かと思っていましたよ。うっかり。
こちらも二役で、昭和パートでは西条湊として赤羽を口説く役なのですが、大正パートでは他万喜を好いていながらも、それでも先生と他万喜さんの結びつきを否定しようとしない東郷に対して、西条はわりと赤羽に対してガッツリ自分のものにようとしている姿勢を見せますね。
それこそ彦乃のように。
その違いもまた面白くみました。

2幕で登場するお葉役はしほちゃん(水音志保)。
良いですね〜!出てきたときから、魔性の女っぽいですね〜すごいですわ。
ひばりちゃんと並ぶとやはりしほちゃんの方が一歩先を行っている感じがしますが、2人とも劇団さんに大切にしてもらいたい娘役です。
お葉が夢二に「なにさ!自分のことは棚に上げて!そりゃ私は学はないけれども、でもお人形じゃないのよ!」と感情をぶつけるところはすばらしかった。
そうだよね、夢二はお葉のこと、内心馬鹿にしている風があったもの。
桜の見える窓ではなく、隣の窓を見つめるのは、彦乃が入院している病院があるから。
こんななめくさったこと、よくできるよね。
夢二はお葉ならきっと気がつかないという考えがあるのだろうし、実際にお葉も美術学校の学生に指摘されるまで気がつかなかった。
これ、完全に相手をないがしろにしている態度だと思いますよ。
だからお葉の気持ちはもっともで、そしてお葉は許されたいわけでもなかったというのも良かった。
藤島武二はともかく伊藤晴雨なんかのモデルを務めていたら、歳のわりに知らなくてもいいことを知っている風にはなってしまうでしょう。谷崎潤一郎と並んで性癖おかしい人ですからね。
ごく普通に愛されたいという気持ちは自然に芽生えてくるかと。
彼女の悲劇ですわ。どうして画家はモデルを恋人や愛人にしたがるのだろう。ピカソもそうですが。
ちなみに藤島武二なら東京藝術大学に収められている『池畔納涼』 がすばらしいです。

夢二を翻弄する女性は他万喜、彦乃、お葉ですが、他にも有愛きい演じる姉の松香、花宮沙羅演じる芸者の菊子もなかなかに良かったですね。
夢二が歌うスプレンディの「清らかな川」「懐かしい山」は、あとから彦乃と使われる暗号への布石でもあるのでしょうが(全く暗号の役割を果たしていませんでしたが・笑)、自らの故郷、田舎、それから姉と連想させるものがあります。
冒頭にしか出てきませんが、松香の存在が夢二に大きな影響を与えていることをよく示している演出でした。
菊子ちゃんはお歌がお上手なのはもちろんなんだけど、夢二との話に別の人が割り込んできたときもちょっと嫌そうな顔したり、夢二と2人きりになって「生意気になったのね」としたり顔したり、かわいいやーん!
「カチューシャの唄」も大変よかったです。

西条のヘアメイクさんやマネージャーのお衣装もすごかったなあ。あの昭和なお衣装。
里咲しぐれが演じるヘアメイクさんなんか超サイケ。カラフルなワンピースにスパッツ。
マネージャーさんもその緑、どこで見つけてきたのー?!って感じ。時代の匂いを感じさせるの、うまい。
とにかく下級生もばんばん着替えてたくさん出てくるし、台詞があるし、よく目の行き届いた演出でした。
フィナーレも豪勢で、ロケットまであって贅沢でした(その分フィナーレを削って昭和パートももう少し増やしてもいいかもしれませんが)。ぜひ東上してほしいし、私も生で見たい。これがたった4日だったなんて、もったいなさすぎる。

夢二は「女子供にウケても仕方がない」と言う。
干からびそうなおじいちゃんたちに認められなければ、という強迫観念のようなものにずっと追われていた。
これは実際によく言われる話で。
でも、それって生きにくいだろうなあ、と弥生美術館なんか行くといつも思っていて、「女子供」の力って馬鹿にされていたんだな、というか、今でもされているのだな、と思ってしまう。
正式な絵の勉強をしていないことが強烈なコンプレックスになっていることはわからないでもないけれど、絵葉書を書けば飛ぶように売れ、半襟だってすぐに売り切れて、個展を開けば肉筆画も即完売、それで何が不安だったのだろう。
実際に100年後の今は夢二の名前を冠する美術館だってある。
夢二の夢は叶ったのでしょうか。
女子供をなめんなよ???

それから他万喜と夢二の子供である不二彦は、意外と父親のことを嫌っていなくて、目の前にあるものを一生懸命に愛し、誠実に守ろうとする人だったと評価していますが、それは不二彦が男だからそう思うのであって、女だったら絶対に別の評価になっていただろうなと思わずにはいられません。
そんな風に捻くれた感想をもつのは私が女だからかもしれませんが。

ちなみに同時代の画家なら私は断然高畠華宵の方が好きです。
夢二の美人画に対して、華宵は美少年画と言いましょうか、時代は夢二よりほんの少し早いですが、華宵の絵が好きです。
美少年画なら『さらば故郷』、女性を描いた絵なら『サロメ』『情炎』『人魚』あたりも好き。
有名なのは『(仮)百合』『ダンス』あたりでしょうか。布教したい。