ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、古典文学など好きなものについて語るところ。

宙組『夢千鳥』感想

宙組公演

kageki.hankyu.co.jp


大正浪漫抒情劇『夢千鳥』
作・演出/栗田優香

たんご【タンゴ】
①ビリヤード。
②折檻。SM。DV。
宙組国語大辞典』

『ホテルスヴィッツラハウス』といい『夢千鳥』といい、宙組のタンゴの使い方、独特すぎるでしょう。
もう次のショーはタンゴに決まりだね!と思うくらいでしたよ。
『ホテルスヴィッツラハウス』のビリヤードの場面で悲鳴をあげたわたくしは、『夢千鳥』で夢二が他万喜を折檻する場面でも悲鳴をあげてしまいました。
真ん中の2人は和服なのに、SMの化身のような周りのダンサーは通常のショーに出てきても違和感のないようなタキシードとドレス。
ドレスの裾も斜めカットで、非常に攻めている印象がありましたが、そこに夢二の「それから他万喜は何人もの男の気を引くようになった。他万喜がその気になれば、それは簡単なことだった!」という台詞、続いて東郷の「その度に先生は他万喜さんと結婚し、折檻したその夜に描かれは美人画はそれはもうすばらしいものでした!」という台詞、とても攻めている。大変に良い。
そらくん(和希そら)とじゅっちゃん(天彩峰里)もしかしたらDVの被害者が見たらトラウマを思い起こさせるのではないかと思うほどの迫力で芝居をするのだけれども、周りのダンサーがお芝居であることを教えてくれるのが救いなのかもしれません。
たとえ周りのダンサーが折檻の象徴であったとしても、2人とは異なる完全に洋の衣装にすることで、異質な空間をうまく演出しているというか、なんというか。
とにかくあの場面が好きすぎてたまらない。
何度でも見たい場面です。
スミレコードおおお!と思わないではありませんが、演技力の賜物でしょう。すばらしい。
狂気的で圧巻のタンゴでした。

「青い鳥は見つけるのではなく、青い鳥の卵を見つけて、あたためて、孵化させて、育てるものなんだよ」というメッセージは、かなりキテる。
一生の恋人なんて、出会ってすぐにビビビとわかるわけではなく、2人でそういう関係を、言ってみるならば努力して作っていくものなのだ、と。
本当に「それな!」としか言いようがない。
その通りなんですよ。
出会ってビビビと一瞬でわかる相手なんて、現実世界ではいないんですよ。
首がもげるほど頷いた言葉です。
それを、白澤が赤羽なしで気がついたことに、やや不満のある方もいらっしゃるようですが、でもあの言葉は彦乃の父親が言うからこそ、説得力があったようにも思えます。
もちろん、宝塚だからこそ、主人公の変化にヒロインをもっと絡めて欲しかった、という気持ちもわからないではないのですが、個人的には今回はこの形でいいような気もします。
最後に鳥籠のセットが開いたのも「おお!」と思いましたが、鳥たちが自由になっても、赤羽は白澤のもとを離れず、だから白澤は赤羽をあたためた。
もうそれで十分ではないでしょうか。

私が上記のテーマと同じくらい感動したのは、名前についている色についてです。
赤羽礼奈/他万喜が「赤」であることは一目瞭然で、タカナシユキは出てきていないけれども(そしてきっと字としては小鳥雪なのでしょう)彦乃と同じイメージで、彦乃の父が白い花を彦乃にたとえたように、彼女たちは「白」のイメージカラーでしょう。
お葉は、何色だろうか、紫の着物を着て出てきていますが、フィナーレの「赤→白→黒」の衣装の移り変わりを見ると「黒」かなとも思いました。
しかし、ツイッターで指摘されて、『夢千鳥』のちらしをよくよく確認してみると、羽は4枚あって、赤、青、黄、白なんですよね。
そうすると『黒船屋』の女性が来ていた着物の色として、お葉は「黄」の象徴なのかもしれません。
芝居の中でも、黄色の着物に着替えるように夢二に促されている場面もありましたね。
それぞれヒロインたちがイメージカラーを背負っていて、主人公は白澤、つまり白だから、ひょっとかすると同じ色である白同士がくっつくかもしれない、白澤はタカナシユキとハッピーエンドになるかもしれないとなんとなく危惧していたのですが、最後は赤羽をあたためる。
これがよい。
自分とは異なるものを愛する。
愛の基本だと思うんですよ。そもそも全く同じ人間なんていないわけで、自分と違うからこそ愛する、自分と違っても愛せるというのが、愛なのではないでしょうか。
私は夫と全然好みが違っていて、音楽ならクラッシックが好きな私とジャズが好きな夫と、絵画ならルノワールが好きな私とロスコが好きな夫と。
フランスに新婚旅行に行ったときは、ヴェルサイユ宮殿でテンション上がりまくりの私と、ポンピドゥセンターやサヴォア邸でテンション上がりまくりの夫と。
同じ日本近代文学を専攻していたけれども、日本の古典とのつながりを重視する私と、同時代の世界文学のつながりを重視する夫と。
書き出してみるとキリがないくらい私たちは違う。
でも、そういう違いをひっくるめて愛すことができる。
深いよなあ。愛だよなあ。
だから白澤と赤羽という違う色同士が最後に仲良くなって終わるというのは、とてもよかった。
こちらもまた現実的だった。だけどちゃんと宝塚の舞台だった。
同じ色同士をくっつけた方がわかりやすい。
レヴューの衣装では大抵同じ色同士がカップルを組んで踊る。こちらは視覚効果もあるのでしょうけれども、作中にあった言葉を使うとするならば、その方が「大衆的」であり、宝塚歌劇団の根本は大衆演劇なんですよね。
だからこの演出はとても文学的だと感じました。
こういう言い方するとアレかもしれませんが、テーマといい、違う色をあえてくっつけるという発想といい、思考がアップデートされた女性作家の視点だなと思わずにはいられないのです。
『龍の宮物語』の指田先生としい、宝塚の未来は明るいなあ。

場面転換も大変にこなれている感じで、素晴らしかったです。
決して場面が少ないとは思わなかったのですが、スムーズな場転で、全くストレスを感じなかった。
美しい歌声による転換、蓄音器を挟んでの場所の転換、飛行機の音による転換、2幕はバーでの役者の台詞による転換が見事でした。このあたりから昭和/大正の境が曖昧になっていたように思います。
だから2幕の夢二は和服ではなく、白澤と同じ洋服を着ているし、夢二とお葉の場面は洋館なんですよね。
衣装や小道具期まで、よく目が行き届いている。
客席で見ていたら、きっともっとのめりこめただろうなあ。
いわゆる小劇場の使い方が上手いなと感じたので、大劇場で作品をつくるのが楽しみな演出家さんです。

作中の映画『夢千鳥』のヒロインは他万喜ではなく、彦乃なのかもしれません。
彦乃と出会ってから、彦乃と別れ、亡くなるまでが描かれていますし、彦乃との場面だけ、場所が固定されていないのも一つの理由です。
他万喜とは港屋とその奥にある和室でのやりとりが多く、お葉とは洋館でのやりとりが多い。
その中で彦乃とは、公園のベンチと思しき場所、電車、京都、長崎と場所を移動する。
それはもう、鳥のように解き放たれて(それ、別の作品です)。
けれども、舞台『夢千鳥』としては、やはり赤羽がヒロインですし、この話は、白澤が夢二の映画を撮ることで、自分の愛に気がつくという話なのでしょう。
冒頭の「こんな注目のされ方でいいのか!」「あなたがそれを言う?」というやりとりに凍えた身としては、「素直じゃない女は得意だから」「あたためているんだよ」のラストのくだり、最高でしたね。この温度差よ。
すばらしい。栗田先生、宝塚を選んでくれて、本当にありがとう。

ここからは役者別の感想。
主演の和希そら、よかったですね〜。
開演アナウンスを聞いて、「こんな低くて優しい声、出るんやな」と思いました。ファンにはたまらなかったことでしょう。
あとはうねうねっとしている前髪。
アンニュイな感じがよく出ていました。
どうやって作るのだろう、あの前髪。

じゅっちゃんも二役を全うした!という感じで素晴らしかったです。
ついこの間まで愛らしいアナスタシアの少女時代を演じていたとはつゆほども思えない狂気でした。
ランプが曇っていることは、夜に絵が描けない理由にはなっても、色待ちに行く理由にはならないだろうよ。もっと言ってやってもいいんだよ、他万喜。
「嫉妬に狂う目 その目をもっと もっともっともっと見せて もっと〜♪」の場面は最高でした。
夢二に座布団切りつけられて、赤い羽がバサッと出てくるのも良かったよなあ。
彦乃の両親に「2人は愛し合っています」「お嬢さんはもう女です」と伝えるところなんかも、スミレコードとは?となりましたが、圧倒的な演技力によるものでしょう。
2幕はあまり出番がありませんでしたが、他万喜にとって「自分を愛してあげなさい」という言葉はどれほどささったことだろう。
他万喜に向けられた言葉で、こんなにも優しく包み込むような台詞は他になかったのではないでしょうか、と感じるほど。
自分を傷つけてまで、夢二の、夢二なんかの気を引かなくてもいいのですよ。
時折入る讃美歌は作品の中の救いのような印象でしたが、他万喜にはまず自分のために讃美歌を歌ってほしいところです。

2番手はフィナーレを見るまで気がつきませんでしたが、マキセルイ(留依蒔世)。
2幕の冒頭の歌、良かったですよね〜。
バーテンの格好のままでしたけれども、上手に観客を大正パートに誘導していましたし、りんきら(凛城きら)との相性もバッチリでしたね。
いいマスターだった。
マスターについては、1幕の「甘えてるんだね」「もっと可愛く甘えてくれよ」「いや、じろちゃんが礼奈さんに」というやり取りがたまらなかったですね。
そのあと、じろちゃんは苦い顔するし、マスターはにんまりだし。最高だな。

夢二を翻弄する2人目の女性、彦乃はひばりちゃん(山吹ひばり)。良かったなあ。
『サパ』のときに可愛い子やな〜と思っていたし、『サパ』の終わり頃には滑舌がうんとよくなっていて、伸びるだろうなあと思っていたけれども、すばらしかった。
他万喜と比べると健全に見えるかもしれませんが、違うベクトルでやばさを感じるキャラクターでしたね。
明るくて元気で、のその下には、やはり芸術家だからでしょうか、狂気が見え隠れする。
夢二を自分のものにできると思っている。
東郷青児役の亜音有星くんとのやりとりがとても狂気的だった。
日本画の技法を教えたのは他万喜さんなんだよ?他万喜さんがいなけれざ夢二式美人は生まれ得なかった。他万喜さんは先生の師でもあるんだ」と言葉を尽くして他万喜は夢二のミューズであるべきと説得しようとする東郷に対して、「先生の新しい絵、見た?」のたった一言で対抗する彦乃、怖すぎるでしょう。

SMタンゴにナレーションを入れるのが東郷ですが、いったいどんな気持ちで台詞を言ったのでしょうか。聞いてみたいものです。
そして私はてっきり亜音くんが二番手かと思っていましたよ。うっかり。
こちらも二役で、昭和パートでは西条湊として赤羽を口説く役なのですが、大正パートでは他万喜を好いていながらも、それでも先生と他万喜さんの結びつきを否定しようとしない東郷に対して、西条はわりと赤羽に対してガッツリ自分のものにようとしている姿勢を見せますね。
それこそ彦乃のように。
その違いもまた面白くみました。

2幕で登場するお葉役はしほちゃん(水音志保)。
良いですね〜!出てきたときから、魔性の女っぽいですね〜すごいですわ。
ひばりちゃんと並ぶとやはりしほちゃんの方が一歩先を行っている感じがしますが、2人とも劇団さんに大切にしてもらいたい娘役です。
お葉が夢二に「なにさ!自分のことは棚に上げて!そりゃ私は学はないけれども、でもお人形じゃないのよ!」と感情をぶつけるところはすばらしかった。
そうだよね、夢二はお葉のこと、内心馬鹿にしている風があったもの。
桜の見える窓ではなく、隣の窓を見つめるのは、彦乃が入院している病院があるから。
こんななめくさったこと、よくできるよね。
夢二はお葉ならきっと気がつかないという考えがあるのだろうし、実際にお葉も美術学校の学生に指摘されるまで気がつかなかった。
これ、完全に相手をないがしろにしている態度だと思いますよ。
だからお葉の気持ちはもっともで、そしてお葉は許されたいわけでもなかったというのも良かった。
藤島武二はともかく伊藤晴雨なんかのモデルを務めていたら、歳のわりに知らなくてもいいことを知っている風にはなってしまうでしょう。谷崎潤一郎と並んで性癖おかしい人ですからね。
ごく普通に愛されたいという気持ちは自然に芽生えてくるかと。
彼女の悲劇ですわ。どうして画家はモデルを恋人や愛人にしたがるのだろう。ピカソもそうですが。
ちなみに藤島武二なら東京藝術大学に収められている『池畔納涼』 がすばらしいです。

夢二を翻弄する女性は他万喜、彦乃、お葉ですが、他にも有愛きい演じる姉の松香、花宮沙羅演じる芸者の菊子もなかなかに良かったですね。
夢二が歌うスプレンディの「清らかな川」「懐かしい山」は、あとから彦乃と使われる暗号への布石でもあるのでしょうが(全く暗号の役割を果たしていませんでしたが・笑)、自らの故郷、田舎、それから姉と連想させるものがあります。
冒頭にしか出てきませんが、松香の存在が夢二に大きな影響を与えていることをよく示している演出でした。
菊子ちゃんはお歌がお上手なのはもちろんなんだけど、夢二との話に別の人が割り込んできたときもちょっと嫌そうな顔したり、夢二と2人きりになって「生意気になったのね」としたり顔したり、かわいいやーん!
「カチューシャの唄」も大変よかったです。

西条のヘアメイクさんやマネージャーのお衣装もすごかったなあ。あの昭和なお衣装。
里咲しぐれが演じるヘアメイクさんなんか超サイケ。カラフルなワンピースにスパッツ。
マネージャーさんもその緑、どこで見つけてきたのー?!って感じ。時代の匂いを感じさせるの、うまい。
とにかく下級生もばんばん着替えてたくさん出てくるし、台詞があるし、よく目の行き届いた演出でした。
フィナーレも豪勢で、ロケットまであって贅沢でした(その分フィナーレを削って昭和パートももう少し増やしてもいいかもしれませんが)。ぜひ東上してほしいし、私も生で見たい。これがたった4日だったなんて、もったいなさすぎる。

夢二は「女子供にウケても仕方がない」と言う。
干からびそうなおじいちゃんたちに認められなければ、という強迫観念のようなものにずっと追われていた。
これは実際によく言われる話で。
でも、それって生きにくいだろうなあ、と弥生美術館なんか行くといつも思っていて、「女子供」の力って馬鹿にされていたんだな、というか、今でもされているのだな、と思ってしまう。
正式な絵の勉強をしていないことが強烈なコンプレックスになっていることはわからないでもないけれど、絵葉書を書けば飛ぶように売れ、半襟だってすぐに売り切れて、個展を開けば肉筆画も即完売、それで何が不安だったのだろう。
実際に100年後の今は夢二の名前を冠する美術館だってある。
夢二の夢は叶ったのでしょうか。
女子供をなめんなよ???

それから他万喜と夢二の子供である不二彦は、意外と父親のことを嫌っていなくて、目の前にあるものを一生懸命に愛し、誠実に守ろうとする人だったと評価していますが、それは不二彦が男だからそう思うのであって、女だったら絶対に別の評価になっていただろうなと思わずにはいられません。
そんな風に捻くれた感想をもつのは私が女だからかもしれませんが。

ちなみに同時代の画家なら私は断然高畠華宵の方が好きです。
夢二の美人画に対して、華宵は美少年画と言いましょうか、時代は夢二よりほんの少し早いですが、華宵の絵が好きです。
美少年画なら『さらば故郷』、女性を描いた絵なら『サロメ』『情炎』『人魚』あたりも好き。
有名なのは『(仮)百合』『ダンス』あたりでしょうか。布教したい。