宙組『群盗-Die Räuber-』感想
ミュージカル『群盗-Die Räuber-』
-フリードリッヒ・フォン・シラー作「群盗」より-
脚本・演出/小柳 奈穂子
原作は未読。
公式ホームページはこちら。
先月、スカイ・ステージでの放送もありましたので、観劇後のツイッター感想より引用。
宝塚宙組「群盗」東京初日観劇。
初日ということで小柳先生がお見えになったようです。
わたしは残念ながらお会いできませんでしたが、会えたら『かもめ』が大好きですって伝えたかったなあ。これはお手紙書くフラグかなあ。
和央ようかさん、蘭々コンビ、すみれ乃麗さんなどもお見えになったようです。
●アマーリアの台詞
一番好きな台詞はアマーリアがフランツに言う「わたしは女だけど卑怯者ではないわ」です。
女は爵位が継げない、女には自由がない、そういう時代に発せられたこの言葉の意味は作中で重く感じた。
アマーリアは何もしてないけど、それは何もできないからであり、何もできないことは卑怯者ではない。
このあたりがアマーリアが死ななければならなかった理由と繋がっているように思います。
アマーリアはいわゆる階級社会の、旧社会になろうとしている時代の人間で、アマーリア自身は社会が今のままでは駄目だろうということはわかっているが、新社会で生きていくこともできないことを悟っている。
もちろん最後にカールと一緒に逃げるという選択肢を望まないわけではなかっただろうが、旧社会の人間であるアマーリアには逃亡生活ができないし、何より自分の父親を殺した男と一緒に暮らせるような神経は持ち合わせていない。
カール自身も逃亡生活になるのがわかっていて、彼女を連れてはいけない。
宝塚なんだから、カールとアマーリアはラストは手に手を取り合って逃亡すればいいのに!という人もあるだろうけれども、それはきっと物語の構造として無理。破綻する。
それは『金色の砂漠』であの2人が最後に死ななければならなかったのと、『黒い瞳』でマーシャが姿を消した理由と同じなのではないか。
アマーリアに扮するじゅりちゃん(天彩峰里)のダンスが好きなので、フィナーレがあることは知っていたけれども、作中でもぜひカールと踊って欲しいなあと思っていたら、ちゃんとその場面があって、喪服のあのドレスで踊るのは大変だっただろうけれども、素敵なシーンでした。
舞台写真買っちゃったよ。
フィナーレの最後では、1番好きだった赤いお衣装を着て出てきてくれたので嬉しかったです。
最後に幕が閉まるとき、横並びではなく、ストーリーの人間関係に準じた配置になっていたのも素晴らしかった。
わたしは幕が降りるそのときまで役者でいて欲しいタイプの人間なものですから……。
●リーベの台詞
2番目に好きな台詞は密告したリーベの「ごめん、でもカールと一緒にいたかったから」という謝罪と言い訳。
見ようによってはかなり自分勝手な女ですけれども、密告すればまた一緒にいられる、と思い込んでいるところが居酒屋の娘の限界がよく表れているかなと。
そんなこと、あるはずないのに。
リーベが本気でそう思っていただろうことは、カールが自ら捕まろうとしたときに崩れ落ちていくのとからも明らかです。
そんなん捕まるに決まってるやん……戦力違いすぎやろ……って、いわるゆ教育を受けたわたしたちは思ってしまうけれども、それが彼女の限界。まいあちゃん(華妃まいあ)が好演。美人。好き。
カールが自分の故郷に帰ろうとすることを決意したときもシュピーゲルベルクとリーベにはスポットがあたらない。
彼はその後中央に駆け寄ってきて日が当たるけれども、彼女は最後まで暗いところにいる。
場転では彼女にだけスポットが少しだけあたる。もう少しあてる時間が長くても良かったかも。
なんでアマーリア死んじゃうのよ!一緒にカールと逃げればいいじゃない!という人は、むしろリーベの方が感情移入できるのかもしれません。
オイゲン公に密告したのは浅はかだとしか言いようがないけれども、好きな人とは一緒にいたいものね〜ってなると。
もちろんそんなことは物語の構造が許しませんが。
アマーリアとリーベは古い社会の階級が上と下の女性。だからカールの周りには新しい来るべき社会の女性はいない。
自由を愛し、社会を変えようとするカールを旧社会では一律に虐げられる立場である女性が惹かれるのは無理もないよ。
でも見ている、住んでいる世界が違うからどちらとも結ばれることはない。
●男役と大道具
娘役についてしか語っておりませんが、主演のききちゃん(芹香斗亜)はそりゃ良かったですよ。黒いお衣装がよくお似合いで。貴族服の場面もありましたが、わたしは群盗時代のお衣装の方が好きかなあ。
一方で貴族のお衣装がよく似合っていたのはもえこ(瑠風輝)。すごくよかった。長髪似合う。フェルゼンの鬘とか似合いそう。
もえこの役は原作では「醜い顔」の持ち主だったような気がしますし、父と兄を失脚させるのもわりと彼自身の意思だった覚えがありましたが、宝塚の改変は良かったかなと思っています。
もえこにも同情してもらわないといけないし、そそのかした叔父だって社会の壁に阻まれている。完全な悪人ではない。
りんきら(凛城きら)の演技も光っていましたー!同行者には『神々の土地』で皇太后アレクサンドラを演じた人と伝えたのですが、伝えかたが悪かったのか「全然気がつかなかった」と言われてしまいました。
子を思う親というところでは共通していたかと思うのですが、男役と娘役の違いが大きかったのかしら。
舞台装置も良かったです。両側に階段があって、上でつながっている。高さもあり、袖だけでなく、センター奥からも人の出入りが可能で、自由に動くことができる。居酒屋のようにも、屋敷の中庭のようにも、牢獄のようにもなる。あれはすごく好きな装置だわ、と思った。動かさなくていいのも良い。
●フィナーレと音楽
フィナーレの群舞、デュエダンも好きな感じでした。
特にデュエダンは上手手前で、ききちゃんがじゅりちゃんを後ろから抱きしめようとして、じゅりちゃんがくるっと交わし、その後じゅりちゃんがききちゃんの後ろから抱きついて、ききちゃん歓喜!みたいなシーンがあるのですが、ここが最高だった。
ドイツのお話ということで、オープニングはベートーヴェンの「月光」。
作中でも何度か流れます。言わずと知れた「第九(喜びの歌)」も流れましたね。
カールと喪服アマーリアのダンスのときに流れた曲もベートーヴェンだと思われるが、タイトルはど忘れした。絶対に知っている曲だし、CD持ってるはず。(「テンペスト」でした)
故郷の場面ではクラシック曲が多い一方で、ぴこぴこ的な現代音楽も取り入れて、群盗の仲間とわいわい騒ぐときはこれでよかったかなと思います。
なほたん、ぴこぴこ好きだよね、『天河』のときもそう思った記憶があります。
いいバランスで楽曲が使われていたかと。賛否はありそうな予感がしますが。
あと、個人的にはグーテちゃんたちの白ドレスが可愛かったです。黒でちょっとした飾りもあって。
お芝居のこういう人間ではない役みたいなのがとても好きだし、お芝居ならではの手法だと思うから、うまく使えている芝居を見ると感動します。前回見た『イブ・サンローラン』はまさにそれ。
ヴァールハルトが語り手として出てきますが、宝塚に多いこの手法、別にいらないかな?と思うこともあるのですが、今回はみなさんどう思われたでしょうか。
わたしは説明してくれなくてもええよ、と思うことがわりと多かったのですが……やっぱり観客を引きつけるためには必要なのかしら。