ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

星組『眩耀の谷 ~舞い降りた新星~』感想

星組

幻想歌舞録 『眩耀(げんよう)の谷 ~舞い降りた新星~』
作・演出・振付/謝 珠栄

kageki.hankyu.co.jp

私のツイッターのタイムラインでは、お芝居についてはわりと両極端の意見を目にしたのですが、私はざっくり言えば好きなお芝居でした。
「幻想歌舞録」というショルダータイトルに恥じない「歌」と「舞(踊り)」、そして演技だったと思います。
ところで観劇バックや宣伝のチラシにあった「鹿」は出てきましたかね?

ショーの感想はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

●謝先生の初の作・演出作品
誰しも自分が信じていたものがもろくも崩れ去る瞬間というのはあるもので、でもそういう瞬間こそ、実は一番自分の頭を使って考えるタイミングでもある。
逆を言えば、100%まるっと信じられるものなんて、この世にはないのですよね。
ジョーカー・ゲーム』の結城中佐も「絶対にありえないなんてことは絶対にありえない」と言います。
それだよ、それ。
礼真は周にとって一族と戦うことは「義のための戦」と教えられたものが、実はそうでなかったと知る。
自分の属している周の言い分が、自分の価値観が揺らぎ始まる。
誰しも自分が属しているところは安定していると思いたいもの。
でも別の方向から見たとき、同じ出来事が全く違う様子で立ち上がってくる。
そのまんまイラク戦争のことじゃねぇかと思ったものです。
自分の頭を使って、自分が信じてきたものを疑うこと。
これは今の日本人にも求められているのではないでしょうか。

全ては人が価値を決める。
偽物の金と知っていて、それでもそれがある場所が自分たちが命をつなぐ場所としてふさわしいと考えたから、本物の金として受け継いでいくことを決めた。
かつての祖先たちにとって金が本物であるかどうかはあまり重要ではなかった。
こんなような台詞が確かお芝居の中にもあったと思います。
本当に、その通りだと思います。そして本当に大切なことはともかく、価値観は時代とともに変わっていく。
あーはやく『ル・サンク』が欲しいです。脚本が読みたいです。

戦わないで、逃げる。
RPGのコマンド選択のようですが、逃げて自分たちの命をつなぐことが大切だという礼真は、最初から繰り返し生きることに前向きで、瞳花が死にたいと言ったときも生きるように励ます。
どれだけ辛くても、生き続けること、細々とでも命をつないでいくことを説く。
これは新トップスターとして琴ちゃん(礼真琴)が「100年以上続いてきた宝塚を次世代につなげていく」ということと重なって、じんわりきます。
逃げるは恥だが役に立つ」というのはハンガリーのことわざですが、「自分が戦う場所を選ぶ」という意味だそうです。
その意味では、「自分が生き抜く場所を選ぶ」というのは、この作品の一族が選んだ選択肢と重なりますね。
私はこの選択、彼らにとっては本当に賢い選択だったと思えるのです。

戦うことも時には必要だと思う。
けれども圧倒的な戦力を誇る周の軍勢と小民族が戦ったところで、結果は始まる前からわかっている。
無駄に命を落とす必要はない。
自己満足で死んでも残された者は喜ばない。
それなら自分たちが生きるべき土地を新しく探しに行こう。
この物語は「民族大移動」「壮大なお引越し」ともいえるでしょう。
わたしは礼真の選択に大変好感がもてました。
もちろん、「新しい土地、すぐに見つかりすぎだろw」みたいなツッコミもあるかもしれないけれども、お話の終わりとしてはそういうエンドが必要ですし(笑)、何よりもあの時代の中国の、あの広大な大陸で未開の土地などたくさんあったのではないかと想像されます。
島国に住む私たちには到底想像できないくらいの未開の土地が。
そしてその中には意外にも住みやすい土地があったのでしょう。

丹真が管武将軍と瞳花の子について「周と一族をつなぐ希望の光」と言う。
きっと今まで瞳華はそんなふうに考えたことはなくて、望んで管武の妾になったわけではないけれども、子供はとても大切だから「自分の子」という認識しかなかった。
それが丹真の言葉で瞬く間に瞳花の視野が広がる感じがいいなと思いました。
管武の血を引いていると思うと憎いかもしれないけれども、争いごとをしている二つの間をとりもつことができる可能性を示している。まさに希望。
そして礼真のその言葉は、のちのそのまま自分に返ってくることになる。
フラグの立て方もうまいわ、謝先生!

フラグの立て方でいうなら「金が摩擦を起こす」というアレ。
よっぽど酸化していない金なら摩擦は起きないけれども、本物の金でも参加したら火柱くらいたちそうなのでは?という話もありますが、あれが本物の金であったら、一族はあの場を離れられないわけで、そういう意味で、「愚者の金」であることは話の随所から連想できるのではないかなと思うと、話の構成、うまいなあと思うわけでしょ。
作・演出が初めてだとはとても思えないレベル。

●舞空瞳という逸材
トップスターである礼真琴の逸材性はすでに今までも繰り返しあらゆるところで語られていると思うので、ここではひっとんについて。
素晴らしい娘役トップスターだと思います。
もともと完成度の高いお芝居をする生徒ではありましたが、すごい。
だってまだ研3とか4だよ? 102期生だからね?!
星組の『こうもり』『THE ENTERTAINER』が初舞台だからね!? つい最近すぎるだろ。
ひぇー!と誰もが思うでしょう。
私は『メランコリック・ジゴロ』のフェリシアを見たとき、「すごい子がおる」と思ったのですが、想像以上でした。

そもそも娘役トップスターの大劇場お披露目公演でいきなり「敵将軍の妾にされ、子供まで産まされた挙句盲目になって一族にもどってきた王族の娘」って難易度高すぎるだろ。
せめて「敵将の子供産んだ」か「盲目」かどっちかにしてやれよって思うレベルの難易度の高さでしょ。
だってフェリシアもメリー・ベル(『ポーの一族』新人公演)も、流雨(『メサイア』新人公演)もコンスタンツェ(『ロックオペラモーツァルト』)も、淡い恋心しか知らないような可憐な少女たちだったわけですよ。
あえていえば『CASANOVA』の新人公演のロザリアが結婚していたくらいで。
役作りの根本から見直さざるをえないような役をもらって、それでも彼女は演じ切っておりました。すばらしい。

琴ちゃんと組むにあたって、歌唱力やダンス、お芝居についてはそれほど不安はなく、ただいうなれば、それまで組が違うためにあまり絡んだことがなさそうなことのただ一点が気がかりだったのですが、お互いが得意なダンスで意気投合したのでしょうか、お芝居の呼吸も非常によく合っていたと思います。
素敵。
これからも琴ちゃんとともに末永く頑張ってほしいと思います。
応援しています。

一族が戦うか戦わないかで意見が割れているときに、突然踊りだす瞳花。
でもそれも全然唐突な印象を私はうけなかった。
礼真が「言葉にできない思いの発露」って説明してしまうのは、おお?とも思ったけれども、まあ、そういうリテラシーの人もいるでしょう。
そのあとの「伝えるべきことがあるのではないのですか」「なくなった家宝のためにも私たちを導いてください」と懇願する瞳花の演技にはじんわりきたな。すげぇよ、この演技力。

プロローグでも踊っていましたし、ショーとはまた違う分野の踊りをたくさん見ることができて、大変眼福でした。
ショーはなんていうか本当に何かに憑りつかれたように踊っていたわ。
ひっとんのダンス、大好きだよ!

●愛ちゃん、せおっち、みつるさん、みっきー
愛ちゃんんんんん!!!!!(愛月ひかる)
宙組にいたときには感じられなかった身長の高さをしみじみと感じております(そこかよ)。
今の宙組がでかすぎるんだよ><
『アルジェの男』で星組との相性は確認済みでしたが、それでもはやり組子としての出演によかったですねぇとほのぼのします。
管武将軍は、周王におべっかを使うような人間がわんさかいる宮中はお嫌いなようで。
すっきりとした武人かと思えば、いつの間にか瞳花に子供まで産ませているし。
「忠臣と奸臣の区別もつかなくなったのか!」というけれども、管武が忠臣と思えるような演出がなかった、というかあったのですが、それを見事にぶちこわしにする家宝を殺すという事件が、いまいち管武を「忠臣」にも「奸臣」にも見えなくなさせていて、もったいなかったかなあ、と。
もっとも話の流れの上で、家宝の死は必要だったとは思うのですが。
管武は出世することよりも楽しく暮らすことを優先しているのかと聞かれればそうでもなさそうなのが難しいところ。
周王に進言するときも、周りに「自分の功ばかりをたてたがる」と言われていましたが、お、おう……という感じでしたし。なんかもうちょっと見せ方がありそう。
出会って間もない礼真をいきなり股肱之臣にしたことについては、まあ面倒な谷の捜索を押し付けたかっただけなのかなとも思いました。
ちょっと出番が少なく人物像がいまいちつかめないのが残念><
でも「人を動かすのは義ではないよ、利だよ」と礼真と歌ったのは大変良かったです。

謎の男を演じたせおっち(瀬央ゆりあ)。
『龍の宮物語』を見ることができなかったのは今でも悔やんでいる。
さらっとプログラムを確認したところでは「謎の男は、瞳花の息子か?」とも思ったのですが、家宝が5歳と知った瞬間、ねぇやwとなりましたよね。
ただ、登場したときのあのお衣装、一族と同じベースのお衣装に豪華な装飾ということ、どうやら都合よく礼真が一人のときにしか出てこない、つまり礼真にしか見えていないらしいことから、わりとすぐに正体に気が付いた人も多かったと思います。
伏線がたくさんあり、観客にやさしい仕様になっておりますね。
せおっちは2番手なのか?と思うくらいの出番の数、圧倒的な存在感、人をからかうような演技がすばらしかったです。
星組はどれだけ逸材を隠していたんだ?
そして私は見つけてしまう、新たな「黒髪のせお」という沼を……ぎゃあああ><
かのんちゃんがこの役をどうやって新人公演で演じるのか楽しみです。チケットはありませんが。

本公演が退団作品であるみつるさん(華形ひかる)。
後半の出番の少なさは気になりますが、前半にどっしりと構えて、歌もあって、舞台の上で存在感を見せつけてくれたと思います。
あんな美しい王様がいたら王宮はさぞ華やかだろうよ……。
王としての威厳の演技は本当にすばらしく、領土拡大のための軍備強化も正当化されそうな勢いです(こらこらw)。
気になったのは「富国強兵」という言葉は、ちょっと近代的すぎるかなってことくらいです。
同じようなことは昔から繰り返されていることの強調かもしれませんが。
管武が一族の娘との間に子供を作っていたことを知り「わしに隠し事とは許さんぞ!」と言いますが、そんな愛人一人二人に子供がいたっていいじゃない……そんなことも報告しなければならない制度の中で生きていくのはつらい……と思いました。
「本当のことを言わないこと」と「本当のことしか言わないこと」との境は難しい。
というか、これに境はあるのか。

礼真の美しい部下みっきー(天寿光希)。
今回は「ヒカリ」の縁のある名前の方がたくさん登場していますが、安定の演技力。
ああいう、どこにでもいそうな平凡なクズって演じるの、難しいと思うのですよね。
悪そうに見えて実はいい人とか、圧倒的な悪とか誰から見ても美しい敵とか、そういう役よりももっときめ細かい演技が要求されるというか。
いるじゃないですか、こういう自分の出世ばかりを考えている人って。
ちょっと小ずるい人って。そういうリアリティをもたせながら、芝居の中で説得力をもって演じるのは大変だろうなと思います。
彼の死はひっそりとという感じでしたが、あの世界観ではああなるべくしてなったなという感じでした。
無駄死にだとは思わなかったなあ。

●はるこさん、くらっち、ほのちゃん
はるこ姉さん(音波みのり)の敏麗のうるわしさ、すばらしいな。
女性が宮中でのし上がっていくためには、皇帝の寵姫となるか、敏麗のように巫女として的確な政治的アドバイスができるようになるかの二択しかないと思うのですが、姉が巫女で妹が寵姫って、もうこの家系は出世街道まっしぐらですな。
もっとも父や兄弟の影が見えないので、もう家族は二人しか残されていないのかもしれませんが。
適役だわ~! ぴったりだわ~! という麗しさで皇帝と対等に渡り合おうとする敏麗。
美しかったです。
管武将軍が「女の言うことを信じよってに……」と軍人らしく占いや卜占を軽んじているところもおもしろかったです。
あの真っ白なお衣装、素敵でしたね、いや、本当に。

くらっち(有沙瞳)は今まであんまり見たことがない感じの役作りだったなという印象です。
声が高いのかな。
春崇がいくつくらいのときに語っているのか、ちょっとよくわからなかったのですが、みっきーとは違う意味で難しい役どころだなと思いました。
でも違和感なく演じていたと思います。
『金色の砂漠』『群盗』でも語り部方式は使われていますが、どちらも語り手は自分が語る物語の中にも自分が登場する。
けれども今回はそうではない。『蘭陵王』のような感じですね。
物語をすべて知っていながらにして、琵琶で語って聞かせる。
あ、これ『平家物語』だなと思いました。
こうして歴史は紡がれていく。その様を見たような気がします。

ほのちゃん(小桜ほのか)。『アルジェの男』のアナ・ベル、最高でしたよ。
そして今回も寵姫にふさわしい美しさ、歌唱力、そして舞。
どれも素晴らしかったです。カゲソロも担当していましたね。
姉とたった二人でここまでのしあがってきた、頂点まであとちょっと!という興奮美味な演技が印象に残っています。
さて、谷が見つかった後、この二人姉妹はどうなったのでしょうか。
それは皆さんの想像にお任せします、と言われましたが、盛者必衰となるのだろうなとなんとなく思います。
なんせ、語り部が琵琶もっているのですもの。
『シラノ』でのヒロインも楽しみです。

●アルマとテイジ
今回の個人的な泣き所はアルマ(夢妃杏瑠)とテイジ(天飛華音)の姉弟の場面です。
拷問され、礼真が助けに来たときのあの場面はもう涙なしでは見られない。
そんな、あほな……ってなる。
アルマが行方不明になり、一族の若者が捕まったことを知った瞳花の「アルマとテイジは仲の良い姉弟だったから……」という台詞もいい感じにフラグになっています。
本当に仲が良かったのだろうということが、テイジのちょっとした演技で伝わってくる。
一族みんなで行動しているときも、彼の視線は常にアルマを探している。
『エルベ』のヨーニーのときから注目している子ですが、将来が大変期待できます。

拷問部屋からの脱出がうまくいかないことに関しては、礼真の「一族の人間を助けたい」という思いが、周王朝の絶大な権力の前には無にも等しいことを思い知らされます。
けれども礼真が言うように「周王朝の人間も一族の人間も同じ『ヒト』である」はず。
だから「周の人間にも一族と争いたくない人がいる」ということをわかってほしいと礼真は言う。
瞳花の扇で戦う場面、素敵ですよね。

あえて難を言えば、一族の人間の名前がカタカナで、名前を呼ぶときも集団でいることが多いから、誰が誰なのか、ちょっとわかりにくいところですかね。
名前がわからないのはやはりつらい。


そんなわけでお芝居だけでだいぶ書いたので、ショー『Ray -星の光線-』の感想はまた別日にあげたいと思います。