ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

夫婦選択制別姓について

私と同じことで悩んでいる人、あるいはこれから悩む人は少ないと思う。
けれども「こんな人もいるんだよ」ということを知ることは無駄ではないかなと思いますので、つらつら書き連ねます。
ただ事情が複雑なので、わかりやすく説明できるか、いまいち自信がありません。
一読してもわからなかったらすいません。
支離滅裂になっていたら申し訳ないです。

最初に私の立場を表明しておくと、夫婦選択制別姓にはもちろん賛成です。
両手を上げて大賛成です。
賛成っていうか、むしろ当然の権利だとさえ思っています。
このあたりのことは以下の記事でお勉強ください。

logmi.jp

www.google.co.jp

note.com

特に三つ目の記事は女性のほうがずっと現実的論理的で、男性があるかどうかもわからない感情的差別におびえているという残念な記事です。

そして今、私はある岐路に立っている。
いよいよ旧姓と本格的におさらばするかもしれない。
結婚して今年の3月で6年。
この6年ほど、自分は誰なのかと問うことは、もしかしたらもうなくなるかもしれない。
いや、相変わらず煩悶し続ける道を選ぶかもしれませんが(笑)。

そして旦那に不満は1ミリもありません。
銀行の名義を変えるのがめんどくさいって言ったときも付いてきてくれました。今でも大好きです。

 

●結婚するまで
そもそも結婚する気なんて一ミリもなかった。
両親の不仲もあって、昔から結婚願望がまるっと欠如していた。
「あんな風になるくらいなら結婚なんかしなくていいな」とずっと思っていた。
高校生の頃は本気で尼寺に入りたいとさえ思っていた。
年を持ってからは、猫をたくさん飼って、化け猫屋敷の女主人になるつもりでいた。
猫はいいぞ。
けれども、このときから夫婦選択制別姓には諸手を挙げて賛成だった。
選択できることはいいことだ。女の権利には敏感だった。

大学を卒業して、働くようになって、なんというか人生は本当にわからないもので、運命の人と出会った。
相手はもう結婚を諦めているような年齢の人で、要は年が離れていた。
15歳と35歳は犯罪だが、25歳と45歳は二人ともいい大人だろう。そんな感じだ。
最初は周りも反対した。
けれども、相手を紹介するとなぜかみんな結婚を勧めてきた(父親以外)。
それくらい私との呼吸があっていて(好みは違う)、いわゆるお似合いの二人というやつだった。
自分で言うのも変だが、今でもボケ(私)とツッコミ(旦那)の名コンビである。
お互いに「仕事がクビになったら演芸場で夫婦漫才をやろう!」などと言っているくらいだ。

結婚するならこの人だろうなというのは、初めてのお出かけから数えて3ヶ月くらいで確信した。
ちなみに私たち夫婦は初デートの時から濃厚なホモ映画を見ていた。
画家フランシス・ベーコンの展覧会で上映されていた映画だ。
『007』のジェームズ・ボンドがけつをほられていた。
その帰りの車の中では三島由紀夫のホモ話で盛り上がったくらいだから、まあなんていうか、最初から残念な2人であることは認めよう。
大学での恩師も共通していた。
その後、私の体調不良や誕生日が続いて、おもしろい人だなと思って、そのままなんとなく付き合い続けた。

結婚願望が欠如していたから、結婚式も新婚旅行も別になくていいと思っていた。
あれだけドレス好きなのに(笑)。
けれども相手は「せっかくだから」と言ってくれた。
だから小さいながらも式は挙げたし、新婚旅行にはフランスにまで旅立った。
二人とも海外経験がないのにツアーにしなかった分、自分たちが好きなところに行けて、おもしろかった。
多分、旦那が上のように言ってくれたのは、金婚式どころか銀婚式も迎えることができないことを考慮してのことだったのだろう。
あの頃は分からなかったけれども、今はそう思う。
優しい。やばい。泣ける。

話が逸れた。
付き合い始めてから1年も経たぬ間に結婚する、となったとき、私は例によって自分が苗字を変えると思った。
世の多くの女性が無条件でそう思うように、とまでは無邪気になれなかったけれども、世間的に見れば相手は長男で、男兄弟はおらず、姉は嫁いでおり、すでに結婚を諦めていたような年齢だったわけだから、なんていうか、まあ、今更苗字を変えるのもイヤだろうなあと思ったし、そう言っていた。
別にそれをワガママだとも思わなかった。

私は生意気なもので、その時点で、いわゆる「実績」と言われるものがあった。
もちろん旧姓にくっついてくる実績である。
その世界では多くの女性が旧姓のまま実績を出していたから、自分も、まあ結婚して苗字を変えてもこの世界では旧姓で活動すればいいかと思っていた。

ただし、夫婦選択制別姓が認められるようになったら、すぐに離婚して、別姓婚をしようという約束は取り付けた。
たかだか苗字ごときで他人を支配しようとする考えとは無縁の旦那は了承してくれたし、このときの私は2、3年くらいだったら夫婦選択制別姓も認められるだろうと安直に考えていた。
バカだった。甘かった。
6年経った今、まだ実現は雲の上にあるかのように遠い。

ただ苗字を変えることでさっぱりするだろうと思うこともあった。
先にも述べたように私の両親は不和不仲で、母親の口癖は「妹が就職したら離婚する」だった(事実その通りになった)。
正直大学進学とともに家を出たのは、私の人生において珍しく大正解だと思っているのですが(その間一人家に妹を残したことは申し訳ないと思っているが、私が家を出なければ、きっと彼女も家を出られなかった)、そんな人たちと目に見える形でお別れできる、というのは嬉しいというよりは爽快だった。
共感してくれる人は少ないだろうが、とにかくすっきり、せいせいできた。
だから苗字を変えることは相手も私も嫌だったけれども、相対的に見て、私が変える方がよいかと思い、変えた。
「実績」のある世界では、旧姓を使えばいいと思って。

このあたりの判断は今でも間違っていなかったと思う。問題は職場である。
残念ながら学生時代からコツコツと積み重ねてきた実績とやらで私は今、給料をもらっているわけではない。
平日朝から晩まで馬車馬のように働いている職場は別にある。実に不幸な話だ。
その職種でも旧姓を使うことは認められていたし、使っている人は一定数いたが、職場によってだいぶ事情は変わる。
要は職場の管理職がそれをよしと思うかどうか、だ。
表の職場、という言い方も変だが、私は当時の職場の雰囲気に呑まれて、また結婚できたことで頭のネジが何本か外れたのだろう、うっかり新姓で活動することを決めてしまう。
これがいけなかった。

●結婚してから
旧姓で活動する世界と新姓で活動する世界と、スイッチのオンオフのように切り替えられて便利やわーホント、新姓で働く姿は仮の姿だわーなどと思っていた。
能天気である。
デジタルの世界では生きていけないと改めて思い知らされる。
私は、自分が苗字を変えたことに関しては後悔していないが、この「職場で旧姓使用が許されるのに、その制度を使わなかった自分」については、きっと死ぬまで恨み続ける。
今の職場で、旧姓使用している同僚が、正直ちょっと羨ましい(彼女は彼女で別の悩みもあったのですが)。

盲点だったのは、新姓で日々、仮の姿で生活しているうちに、なんとビックリこちらの世界でも「実績」なるものが積み重なってきてしまったことのだ。
自分でもなんでや?と思う。
仮の姿なのに、おとなしく目立たず暮らしていなかったからバチが当たったのかと思うほどであるが、当然因果関係はない。
でも道を大きく踏み外したとも思っている。
恩師には「そんなことないよ」って言われたけれども。

一方で結婚してからも、旧姓での実績も重ね続けた。
だから年賀状も常に旧姓を併記し続けた。
母親に「まだ旧姓書いてるの?」と言われたけれども、大学に行っていない人に実績に重さはわからないだろう。
これからもずっとそうしていくのだと思っていた。

●現状の分かれ道
今、ちょうど旧姓と新姓の実績が同じ数に並んだ。
もうすぐ新姓の実績の方が多くなる。
次はどうするのだろう。どうしたらいいのだろう。

もういっそ全部新姓にしてもいいのではないか、そういう選択肢を提示してくれた人も複数いる。
私は下の名前が特殊だから(タカラジェンヌと一緒ってやばいよね)、それで判断してくれる人もいるだろうという甘い期待もないわけではない。
ただ、旧姓での実績は新姓で改めて発表し直さない限り、永遠に取り残されることになる。
検索エンジンには出てこない。
苗字が変わった人を機械に見抜けという方が無理な話だ。
分裂したままの自分を抱え続けるのは疲れた。
旧姓の実績を新姓でアップデートするのは可能だろうが、逆は難しいだろう。

旧姓で活動している世界の人たちは、きっと新姓での実績を認めてくれる。
けれども、逆はどうだろう。自信がない。
嫉妬ややっかみは怖いというより面倒だ。
いや、敵が多い私の性格にも問題があるのだろうけれども。
前者だって認めたくない人はいるだろうし。

表の職場でも旧姓で活動していれば、こんなねじれは起きなかった。
そもそも夫婦選択制別姓が認められていれば、こんなくださらないことで悩むことはなかった。
だから腹が立つ。書いている今でも、泣くほど腹が立つ。

別にこれから苗字を変えざるを得ない状況に追い込まれたお嬢さんたちに「職場で旧姓使用が可能ならその制度を使え!」などと、偉そうなことは言えない。
どこにでも不当な圧力はある。
旧姓使用ができない職場がたくさんあることも知っている。
法律婚したい気持ちもわかるから(お金は大事)、事実婚をお勧めするようなアドバイスもできない。
一概に的確なことが言える案件ではない。
ただ、自分の場合は旧姓を使っておけばよかったなと心の底から思うのだ。

旦那は今でも「君の好きなようにすればいいよ」と言う。
共通の恩師が「これからの実績は新姓でもいいかもしれない」と言ったときでさえ。
本気で苗字なんてどうでもいいと思っている人なのだろう。
「何があっても離婚しない?」と聞いたときも「未来のことはわからない」と返された。
本当にロマンの欠片もない現実主義者だ。

旦那が苗字を変える気が一ミリもなかったとは思わない。
けれども、結婚後の実家のゴタゴタもあったので、結果的にはこの人が苗字を変えなくてよかったと思う面もある。
でもそれと私が苗字を変えたこととは別問題だ。

年齢の区切りもいい今、私はこれから全ての実績を新姓で発表する、そういうことにもなるかもしれない。
「年号も新しくなったし、私も新しくなりましたー!」などとすっとぼけながら生きていくこともできる。
でも傷ついて、泣いている私もいる。
どちらが正しいとか間違っているとかではない。
旧姓と新姓の2つに切り裂かれるのではない。
どちらに転んでも傷つくのだ。木っ端微塵である。
だから迷っている。
やはりデジタルの世界では生きていけない。

次にどうするか、まだ決断はできていない。