ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

「メロスは激怒した。」

2週間、ブログを更新しなかった。
できなかった。毎日やるせない思いでいっぱいだから。
 
本当だったらみやちゃんの『The wonder MIYA COLLECTION』(吉野圭吾がゲストの回)の感想を書いたり、もう一度大劇場で『眩耀の谷』『Ray』を見たりするはずだった。
届いた『ロックオペラモーツァルト』の円盤の感想を書いて、ダーイシ!と叫んでいたかもしれない。
今週末は念願のれいちゃん(柚香光)のトップお披露目公演『はいからさんが通る』のオープニングから号泣して、2列で観劇するはずだった。
 
全部、なくなってしまった。
 
1度目の公演中止に関しては、仕方がないなと正直思った。
劇団四季など演劇やライブが次々に中止や延期を発表する中、27日まで公演を続けた宝塚は、よく頑張ってくれた方だろう。
中止の発表も「今日から中止します」ではなくて「明日から中止します」というのが優しい。
「今日で一旦区切りだから、ちゃんと目に焼き付けてね。感想はどんどん書いて拡散してね。最後に組長とトップスターから挨拶があるよ」というこの思いやり。
ファンには十分に伝わった。
ここまで引っ張ってくれてありがとう、と素直に思えた。
星組雪組も、どちらの生徒にも、また大劇場と東京宝塚劇場と、どちらのスタッフにも感謝でいっぱいだった。
 
もちろん御園座公演と東京Brillia HALLで公演していた月組生にもありがとうと伝えたい。
たまきち(珠城りょう)はどれだけ無念だっただろう。この故郷での凱旋公演をこのような形で打ち切ることを。
ちなつは(鳳月杏)どれだけ悔しかっただろう。二階席のあるホールでの主演を最後まで演じられなかった。
身を引き裂かれるような思いでしんどかった。
 
でも劇団側は、むしろここからがスタートだと言わんばかりの勢いでありとあらゆる対策を取り始めた。
辛さやしんどさはとりあえず脇に置き、政府が出さない具体的な策を捻り出し、実行する。
全ての手すりをアルコール消毒して、換気や清掃を強化、飲食店は全て閉めて、当日券はなし、客席降りの部分は演出を変えて、マスクを持ってくるよう呼びかけ、会場を1時間早めて、サーモグラフィーを投入し、熱のあるお客様には帰っていただく。
3月8日の宝塚大劇場星組公演の幕をなんとか開けるために、客のいない劇場はスタッフでいっぱいだったはずだ。
みつるさん(華形ひかる)の大劇場最後の公演をやるために、スタッフがものすごく頑張ったことをヅカオタたちは知っている。
ここまで劇団側がやってくれると、誰が思っていただろう。
鈍い私は正直予想できなかった。
みつるさんに最後の階段折りをさせてあげて欲しい!と心の底から願ったけれども、サーモグラフィーの投入には目ん玉が落ちるかと思った。
劇団スタッフは全力で仕事に当たったし、私もそれに感動した。
 
3月9日、星組大劇場千秋楽の幕は無事に開き、そして閉じた。
 
多くの人の尽力がなければ叶わなかったことだ。
本当に、奇跡のような1日だった。
マスクをもっていない客のために、余分にマスクを鞄の中に忍ばれていた観客もいたという。
なんという宝塚愛。ありがとう、ヅカオタ。
 
翌日、東京でも雪組の公演が無事に上演された。
既にこの夏に退団を発表したトップコンビ(望海風斗・真彩希帆)の公演である。
カウントダウンに入っているこの公演をどれだけの人が心待ちにしていただろう。
幕が開いても、理由があって来れない客はいただろう。
瞬時に売り切れる雪組の公演なのに、空席もあったと聞く。
そんな中、組子たちは空席に対しても心を込めてお辞儀をしたことを、観劇した人たちが伝えてくれる。
このままファンの団結力によって粛々と公演は続くと誰もが思っただろう。
そもそもこんなときにまで劇場はに足を運ぶ熱心なファンは、警戒する心構えが十分にできている人ばかりである。
マスクはする。手洗いは丁寧に。客がコロナを持ち込んだと思わせるな。生徒さんには絶対に移してはいけない。戦々恐々としたタイムラインだったが、みんなが一致団結してコロナと闘っていた。
宝塚が好きだから。その理由だけでつながっていた。
マスクが品薄の中、それでもなんとかマスクを入手して、一人一人が戦っていた。
 
私は幸い「宝塚は利益優先か?」「再開が早すぎる!」という個人的な過激コメントを目にすることはなかった。
けれども劇場の前にはたくさんの報道陣がたくさんいたという話は聞いている。
観客に取材するよりも先に取材しなければならない人はもっと他にいるだろうに。
ジャーナリストとはとても呼べない、ハイエナたちの相手をしてはいけない、と呼びかけもあった。
にこりと笑ってもいけない。ひたすら無視すること。それは正しい選択だと思った。
どんなコメントも切り取られたら終わりだ。
そういう悪知恵が働く人がマスコミ関係に多いことを何年もこの国で生きていれば嫌でもわかる。
放っておいて欲しかったが、それでも劇場に足を運ぶのは大切な公演をこの目に焼きつけたいからだ。
舞台は2度は同じ公演ができない。
 
それなのに。
3月10日の夕方「新型コロナウイルス感染症対策本部」は以下のような発表をした。
 
「また、3月19日頃を目途に、これまでの対策の効果について判断が示される予定です。引き続き、国内の急速な感染拡大を回避するために、極めて重要な時期にあります。
 政府としては、先般決定された基本方針において、イベントの開催の必要性について主催者等に検討をお願いし、またそれを踏まえて、全国規模のイベントについては中止、延期、規模縮小等の対応を要請したところですが、専門家会議の判断が示されるまでの間、今後概ね10日間程度はこれまでの取組を継続いただくよう御協力をお願い申し上げます。」
 
まだ演劇界では宝塚しか公演を再開していなかったこと、次々にあらゆるイベントが中止が発表されていること、この2つを考え合わせると「全国規模のイベント」とはほぼ宝塚を名指しされたようなものである。
 
この夜、ヤバイなと直感した私はとにかくキャトルレーヴで購入する予定だったものを通販で注文することにした。無事に雪組本はゲットしました。やったね。
 
嫌な予感は見事に的中。
雪組東京公演の45公演中28公演が中止に追いやられた。前売りチケット代だけで約5億の損害だ。
しかもうち1公演は新人公演だった。
お金の話だけではなく、この日のために練習を積み重ねてきた生徒のことを思うと血の涙が出る。
でも本当に泣きたいのはきっと生徒たち自身だ。
私は泣いちゃいけない。
別にチケットがあったわけでもないし。
でもひたすらに辛かった。
この世でどこも宝塚が上演されていないことがただただ辛かった。
世界の終わりかと思うほど毎日が闇に包まれている。闇が広がる。本当に死ぬな。
 
大劇場では、一生に一度しかないれいちゃんのトップお披露目公演初日が中止となった。
彼女の心中を思うと夜も眠れない。
事実、3月に入ってから私は必ず深夜に目を覚ましてしまう。朝までぐっすり眠れない。
花組の生徒たちはどんな気持ちだろう。
こんな状況でもお稽古をしているのだろうか。
幕が開く、その日のために。
私も早く見たいよ。
潰れた2公演を取り戻すために、あわてて2公演増やした。
B席だが、文句はない。見られるだけで感謝である。

この2度目の中止については、多くのお粗末な記事を目にした。
まるで鬼の首を取ったかのような内容。
とてもお金をもらっているとは思えないような内容。
宝塚に対するリスペクトの欠片もない。
センセーショナルで刺激的な言葉を並び立てだけの文字の羅列。
平時でさえ、記事とは呼べないような内容のものが出回っていたが、緊急時になるともはや素人以下。
お家に帰ってねんねしてな、というレベルの記事のアクセス数を稼ぎたくはなかった。
 
ただ単に中止になったことに腹を立てているのではない。
「中止要請の根拠が明確でないこと」
「パチンコは推奨され、五輪は開催予定であること」
「エンタメ界の経済的損失が不十分であること」
この3つにだいたい絞られる。
 
そもそも、小中高といった学校休校の根拠も不明確であるのに(専門家たちが集まって会議をしたときにはそんな話は少しも出なかった)、エンタメ界への介入理由がわかろうはずもない。
パチンコこそ、ウイルスが一番つきやすい手を使うギャンブルであるにもかかわらず、なぜか推奨されていること。パチンコ議連の会長が首相だからか?
先にカラオケやボーリングを中止していただきたいところ。ボールやマイクは使い回すぞ。全く中途半端な自粛である。
エンタメ界は今回の件で一体どれだけの損害を被っただろう。
宝塚大劇場の公演1回にしても前売り券だけで1800万円の売り上げになる。
これをどのように補償していくのか、明確でない。
エンタメ界は死ぬぞ?
教育同様芸能の世界も先行投資が基本だ。
私たちは今、教育の機会も芸能に触れる機会も奪われている。
他でもない政府によって。
日本のコロナ対策の費用は153億だ。
他の国と比べると桁が一つ少ない。
我々は見捨てられているのだ。
 
パチンコはそろそろ自粛モードに入ろうとしているが、五輪はやる気満々らしい。
おそらく万博も同じスタンスだろう。
個人の娯楽を奪っておきながら、国を挙げての一大イベントの中止はアナウンスしない。
個人よりも国が大事なのか?
国家総動員法でも蘇らせる気か?
治安維持法大政翼賛会に似たものがこれから跋扈するのか。
全体主義は嫌でも第二次世界大戦を想起させる。
 
国のトップをギロチンにかけたところで世界はそう大して変わらない。
そういう人もある。それも事実だろう。
ただ生活を支えるのが政治である以上、まともな政治家がいてくれなければ私たちは趣味さえ謳歌できない立場にいることを忘れてはならない。
残念ながら世界が変わらないとそこで生きている人々は変われない。そういう一面もある。
トイレットペーパーやアルコールティッシュの買占を見ていると虚しくなる。
 
「メロスには政治はわからぬ。」
太宰治はそう書いた。
別に私にだって政治がわかるわけではない。
安心して生活するためにはまともな政治家が必要だから、選挙に行くくらいだ。
自分の生活をサポートしてくれる人に私の大切な一票はある。
太宰は不思議な作家で、「道化の華」「人間失格」といったいかにも不健康な作品を描いたのは国が元気な時代で、「走れメロス」「御伽草子」という明るい作品を描いたときは、国が暗く、不穏な時代なのです。
私は好きな作家ではないけれども、国運を見極める目の持ち主だったのかもしれません。
 
政府が発表している検査数、感染者数もさほどあてにはならない。そもそも検査数が少ないからだ。
なぜ少ないのか、検査キッドが日本でまだ開発されていないからだ。
じゃあどこならあるのか、スイスに高性能の検査キッドがある。
なぜ輸入しないのか、日本の儲けにならないからだ。
日本の製薬会社には厚生労働省からたくさんの天下りが出ている。
何を望んで海外の製薬会社を儲けさせる必要があるのか。
日本で検査キッドが開発されたら、今までの数字が嘘のように検査数が増えるだろう。
もっともその頃にはコロナも収まっているかもしれないが。
なにせ検査キッド開発費は「募金」を募るというのだから。
「募金」ではあるが、募ってはないつもりか?
 
今回の件で、どれだけの人が職を失うのだろう。
観劇一つとっても、新幹線の往復代、ランチ代、その日のおしゃれ代、それらはめぐりめぐって自分の懐に帰ってくるお金だ。
個人の飲食店の打撃を考えると目眩がする。
 
1回目の公演中止に関する払い戻しについては、次にご贔屓に貢ぐためにとっておく。これは臨時収入ではない、と言い聞かせた。実行できる。
でも2回目のあまりにも理不尽な公演中止に関する払い戻しについては、次にいつご贔屓に貢げるかわからない。だから目一杯使ってやった。
贅沢は敵だ」といっている場合ではない。
「贅沢は素敵だ」と不敵に笑って、ちっぽけかもしれないけれども経済を回す。ワンピースに鞄、フェイスパウダーやマスカラ、この2日で大量の買い物をした。後悔はしていない。
 
何の前触れもなく「一斉休校」とのたまう首相。
その人のその場の思いつきの言葉に、どれほどの拘束力があるのだろう。
たとえ自分より目上の人に対してであっても「NO」が言えること。
第二次世界大戦を経たドイツはこの教育を徹底的に行っている。
ドイツ人は「第二次世界大戦の責任は自分たちにはないけれども、同じ悲劇を繰り返さない責任はある」と言う。
この魂は、どうしてこの国には育たないのだろう。
もっともあのときも「NO」をつきつけた議員はいた。
ただあまりにもその数が少なかったのが残念で仕方がないのだ。
この混乱は「コロナ」によるものではない。完全な「人災」である。政府主導の人災など、とても笑えない。
この「人災」が1日も早く収まり、教育も文芸も復活することをここに願う。