ゆきこの部屋

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映画『ローラとふたりの兄』感想

映画

senlisfilms.jp

『ローラとふたりの兄』
監督/ジャン=ポール・ルーヴ
出演/リュディヴィーヌ・サニエ、ジョゼ・ガルシア、ジャン=ポール・ルーヴ

ちらしを見た瞬間、「あ、これはおもしろそうだな」と思いました。
日常に根付いた人間の、いってみれば「駄目な部分」を愛おしく描いている作品に違いないと確信しましたし、実際にそういう映画でした。
辛いこと、苦しいこと、しんどいこと、それらは大人になっても尽きないけれども、それでも人生は続いていく――そういうメッセージが感じられました。
嫌なことがあるとすぐに自暴自棄になったり、周りに頼ること、助けを求めることができなくて自殺してしまったりする人が日本には殊に多いらしいので(笑・作品の中にあったw)、私を含め、皆さんも気をつけましょう。
そしてこういう人間の欠点を愛おしく描く力って、とても大切なんじゃないかなと思いました。
完璧であるばかりがすばらしいことではないのだよ、ワトソンくん。

三人の兄妹の両親がいつ頃亡くなったのかはわかりませんが、三人で月に一度お墓参りをすることが習慣になっている。
どれだけ相手の顔を見たくないと思っていても、必ず三人で集まる。
妹のローラが、一番しっかり者で、なんなら兄二人の母親役であり、しょっちゅうケンカをしている二人の仲裁に入る。
この弁護士のローラが、仕事上で知り合った男性ゾエールと恋人同士になるといっきに垢抜けていく様が美しかった。
恋をすると女性はきれいになるっていうものね。
しかし兄二人は気がつかないし、それどころかローラの「恋人ができた。近いうちに同居する」という告白を聞いても、手放しに喜んだ第一声を放つことができない。なんやねん!

ローラは、ゾエールの離婚の手続きの上で知り合いますが、なぜゾエールが離婚したのか、その理由がいまいち明かされなかったので、この二人は大丈夫か? 続くのか? DVとかはないのね? ローラは幸せになれるのか?と始終緊張しましたが、引越のときに大量にあった本のタイトルから内容をあてるクイズをしているあたりから、大丈夫だな、と思えるようになりました。
読書家に悪い奴はいないとは思いませんが、フランスにいながらにして「ロシア文学は任せろ!」と言っちゃうような人は、まあ信頼しても大丈夫でしょう。あと次々に花を出してくるアレ、最高だった。私もいつかやってほしい。
もっともティラミスに指輪を入れるのはどうかと思ったけどね! 食べ物を粗末にしないでよ!><
私はシャンパンの中に指輪を入れるとかいう所業も、全くロマンスを感じない人間なので(グラスを洗い直したい)、それはまああれでしたけど、ローラが喜んでいたので、オールOKです。

長男のブノワは監督自ら演じている眼鏡士。ただの眼鏡屋という感じではなく、眼鏡を自ら作っているのでしょうか。
眼科医という感じはしませんでしたが、とにかく眼鏡を売る自分の店を持っており、作品の冒頭で3回目の結婚をする。
いかにも理系男子という感じで、思い込みは激しいし、視野は狭いし、他人の気持ちはわからないし、そのために新しい奥さんに子供ができたときも素直に喜ばないし、一体お前はなんなんだよ!って思ったけれども、まあそういう人もいるよねーと。できれば近づきたくはないのですが。
そんなブノワの悲しげな表情にうっとりする物好きな同僚のおばさんも、物語のいいスパイスになっていましたけどね!
結婚式も弟が来ないことを理由にたくさんの客を待たせる。いや、もう始めちゃえばいいじゃん。別に初めての結婚式ってわけじゃないんだからさwと私なんかは思ってしまうけれども、四角四面、堅物のブノワはそれを決して許さない。
どう考えても祝辞のスピーチを小粋に成功させることができない弟に、弟だからという理由だけで任せてしまう。
そして案の定失敗する。今までの2回はどうしていたんだwと聞きたくなるほど。
自営業ということも手伝ってか、子供を欲しがらず、前の奥さんが妊娠したときも中絶させたとか。
日本のように痛い中絶法しか採用していなかったら、かつての奥さんは大暴れしていたことでしょう。
これがフランスの話で良かったです。パリでないのも絶妙によい。

次男のピエールは離婚した妻との間に飛び級をするほど賢い息子がいる。この息子がまたよい!
よく気がつく子なんですよ……っ! 父の失業にもいち早く気がつくし、彼女の名前をとっさに「コンスタンス」から「ジュリエット」に変えるし。
おそらく恋人の本当の名前は、ピエールの別れた妻と同じ名前なのでしょう。
オリジナルで変な名前が流行っている日本とは異なり同じ名前が跋扈するヨーロッパならではの設定です。
ピエール自身は不器用で職人という感じ。勤続20年の解体業者の現場人。その中では偉い人ではあったけれども、会社から責任を押しつけられて「はした金」でクビにされてしまう。
解体人として一緒に働いていたお兄ちゃんはちょっと鬱陶しいくらいに明るい人ですが、最終的にはこの人が神に見える。
「全ての責任をあなたに押しつけて会社に嫌気がさして、自分も仕事を辞め、起業したんだ。また一緒に働こう」とな。
ピエールは最初、彼をあまり気に入っていなかったようですが、彼の方ではずっとピエールを仕事人として尊敬していたということでしょう。
新しく起こした会社は「解体」ではなく「建築」、何かを壊すより何かを作る方が楽しいということに気がついたそうな。
だから物語のラストでは、冒頭で解体したはずのビルが時間を巻き戻したかのように元に戻る幻想が映し出される。
ピエール自身の人生もまた「再生」に向かって歩み始める。希望が見えるラストでした。
不器用な彼がカフェで思わず泣いてしまう場面は、一緒に辛くなるのですが、このラストがあるから希望がもてる。

ゾエールが「7人の姉がいる」と言ったときには、ジェルジェ家かよ……とツッコミを入れましたが、これが存外はずれでもなく、一番下の妹を男として育てるようなぶっ飛んだことまではしなかったものの、自身は養子なのだとローラに伝える。これがどれだけ彼女の救いになったことだろうか。
35歳という若さにして子供が望めないことがわかったローラは、一度はゾエールから離れますが、ゾエールの大きな愛情と優しさに包まれて、再び二人で仲良く暮らします。
ラストでは遠い異国の子を養子として迎えたことが明らかになりますが、これも大変いい。
わざわざ養子だと言わずとも明らかに血がつながっていないと見た目でわかるような子をなぜ養子に迎えるのか、とブノワは文句を言っただろうし、そこまでは言わずとももっと無難な選択肢があるのではないかと胸中でピエールも思っていただろう。
けれども自身が養子であるゾエールと地方弁護士のローラの決断は、これなのだ。
身近な施設で見つけるのではなく、遠い異国の地で命の危険にさらされている子の命を救う。これがすごく良かった。

この国では生みの母親が自分のキャリアを諦めてまで、子を育てることが美徳とされている残念極まりない社会ですが、本来は「親がなくても子が充分に育つ社会」を実現していかなければならないと思っている。
「痛い思いをして産んだ子だから育てることができる」というのなら、男性は一切育児に参加する必要はなくなるし、実際にこの国はそれで推し進めていこうとしている。だって子作りで男が痛いめ、みるのか? みないだろ?
けれども、新しく命をつくらずとも、今ある命を大切にするために、養子縁組ってもっと使われてもいい制度なのではないかと。
それこそ同性婚とか認めるようになったら、この制度を使って育児をする家族が増えてもいいはずですし、物理的に妊娠が可能なカップルであっても選択肢の一つとして、もっとごく普通にあってもいい選択肢だと思う。もっとも同性婚がこの国で認められるようになるのはいつのことだろうね!と力一杯思いますが。
血のつながりとか同姓苗字の強要とか周りがギャーギャーうるさすぎるんだよ、この国。本当に辟易する。
いや、少子化が激しすぎて、新しい命をつむぐことも必要だとは思うんだけど、嫌な人は絶対嫌だろうし、私だって痛いのは嫌だ。なんで無痛分娩が通常じゃないのかわからない。
異常に気がつきにくいから、とかいう人もいますが、うるせぇ、こっちは命がけなんだよ、無痛分娩が普通の国に行って勉強してこいとしか思わない。
だからローラとゾエールの選択を私はめいっぱい祝福したわ。すばらしい決断だった。
幸せの形は人それぞれえええやんけ。誰もそれで傷つけていないのだから。

以前「不幸はさまざまな形をして現れるけれども、幸せは判を押したように一様だ」とどこかで聞いたことがありますが、もうそれ古いんじゃないの?と個人的には思っています。
だって、この作品だって若くて美しいサラも何を好き好んで今まで2回も離婚の経験のある無責任そうな男と結婚するのよって思うじゃない。
ピエールの息子のロミュだって、父親を見限った方がたぶん賢い彼は実力でのし上がって社会的な成功を収めることができそうじゃない。
墓場にいる老人だって、「生きているときは悪い女だった」と悪態をつきながら、必ず奥さんの墓にいるじゃない。
この作品にはものすごい人生の幸せとかパリで社会的な成功を収めるとか、そいういう輝かしいというかわかりやすい幸せではなくて、日常の中によくある小さな、それでいて多様な幸せが積み重ねられている。
不幸ももちろんあるけれども、それで人生は終わらない。ハッピーエンドでなくても人生は続いていく。作品自体はわりとハッピーエンドだったかもしれないけれども、この先の彼らの人生にはまたいざこざがつきものだろうし(笑)。
そういう意味では人生でつまずいたとき、血のつながりがあろうがなかろうが、助けてくれる人がいるのはありがたいことだと思いながら、旦那と一緒に見た映画でした。
新年早々ほっこりしました。