ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、古典文学など好きなものについて語るところ。

『伊勢』渡守の解釈と業平像

●はじめに
基本的に宝塚観劇感想ブログなので、最近はめっきり書くこともないのですが、このブログは「宝塚やミュージカル、古典文学など好きなものについて語るところ。」と銘打っていますので、今回は「古典文学」なんぞの話をしたいと思います。
いつまで続くかわかりませんが。

教材に採られていて、多くの方が知っている作品と、そうでない作品のどちらについて語ろうかなあと一瞬悩みもしましたが、所詮自己満足の日記なので、とりあえず好きな作品から、ということで、第一弾は『伊勢物語』です。
伊勢物語』の主人公と目される「昔男」のモデルは在原業平で、「みやび」を体現した男。
ここでいう「みやび」は「上品で風流があること」という意味ももちろんあると思いますが、「都会風であること」という意味も、『伊勢』全体を読むときには気を付けたいところ。

宝塚では『花の業平 -忍ぶの乱れ-』という作品を柴田侑宏先生が書いていらっしゃいます。
稔幸、星奈優里コンビが宝塚大劇場で、香寿たつき渚あきコンビが東京宝塚劇場中日劇場で上演しています。
トップ娘1の役どころは藤原高子。2番手は藤原基経。ま、そりゃそうなりますわな。

archive.kageki.hankyu.co.jp

archive.kageki.hankyu.co.jp

archive.kageki.hankyu.co.jp

 

●「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」
高校古典ではおおむね『伊勢物語』は「芥川(第六段)」と「東下り(第九段)」が収録されています。
男が、自分よりもうんと身分が高い(高くなる予定の)女性と恋に落ち、しかし女性の親に反対され、引き離され、男が自分の気持ちを文芸(和歌、小説)に託し、再び旅に出るという構想は、菊田一夫先生の『霧深きエルベのほとり』と同じである、ということについては以前もツイッターでつぶやいたかと思います。
よくある話の構成の一つなのでしょう。
それでも感想できるところに、役者や読者の想像力がかかっている。

星組公演 『霧深きエルベのほとり』『ESTRELLAS(エストレージャス) ~星たち~』 | 宝塚歌劇公式ホームページ

東下り」では、都を出発した男は、「三河の国、八橋」(愛知県知立市)、「駿河の国」(静岡県)、そして最終的に「武蔵の国と下つ総の国との中」の「いと大きなる河」(隅田川)にたどり着く。
私は「業平橋」という駅名を「とうきょうスカイツリー駅」に変更した連中を末代まで祟る予定です。
地名と土地の歴史は深く結びついているのだから、簡単に変えちゃいかん!ってタモリさんも言っていた。

なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりに群れゐて、思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわび合へるに、渡し守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」と言ふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。

この二文、たったこの二文しかない場面で、夫と私とで、解釈が分かれます。
いえ、決して仲が悪いわけではないのですがw
文学の解釈は私たち、大抵分かれます。

(A)夫説
夫はこの渡守について、「江戸っ子」と評します。
だから、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」の解釈も「めそめそ泣いてんじゃねぇよ、日ぃが暮れっちまうだろ!」という感じになる。
「都の人間」で「風流を解する」男に対して、「田舎者」で「人の心の機微に疎い」渡守という人物対立がここにある。
『伊勢』は「みやび」の文学で、男の行為が「都会風である」ことも大切な要素なので、この対立がないとは私は思わないのですが、この「渡守=江戸っ子=風流を解さない」説を推すことに私は抵抗があります。

(B)私説
私はこの場面を読むと泣きそうになる。なぜなら『史記』の項羽の最期を思い出すからだ。
書き下し文で引用する。

是に於いて項王乃ち東して烏江を渡らんと欲す。烏江の亭長船を檥して待つ。項王に謂ひて曰はく、「江東小なりと雖も、地は方千里、衆は数十万人あり、亦王たるに足るなり。願はくは大王急ぎ渡れ。今独り臣のみ船有り。漢軍至るも、以て渡ること無からん。」と。

私は項羽が特別好きなわけではない。応援したいと思ったこともない。
歩く殺人マシーンだと思っている。彼が通った道には草一本生えていない。
逃げる途中に「馬車が重くなるから」という理由で子供を捨てた沛公とは、甲乙つけがたいどころか、丙丁もつかないくらいで、本当にどんぐりの背比べだし、どっちもどっちだし、二人とも覇者になるなって思う。
けれどもこの場面の美しさは圧倒的なのだ。
有名な四面楚歌の場面の後、味方のいなくなった項羽はなんとか逃れるものの、力は今にも尽きようとしている。
そんなところに出てくる「亭長」は項羽が逃げるための船を貸そうとする。
「どうか生き延びて、また王になってください」と言う。
つまり、船を貸してくれる「亭長」は政治的敗者の味方なのだ。

この「亭長」の姿が「東下り」の「渡守」と重なる。
『伊勢』の「男」は、「芥川」で帝の后になる予定の女性と駆け落ちし、失敗に終わり、権力者ににらまれ、都にいるのが難しくなって、旅に出る。
「権力者ににらまれ」のあたりがまさに「政治的敗者」のイメージを彷彿させる。
だからその人に船を出す「渡守」は決して「風流を解さない人」ではない。
むしろその心の痛みを分かち合う人物として描かれていると思うのだ。
「(悲しみはわかりますが)どうぞ、早く船にお乗りください。日が暮れてしまいます。」というところか。

史記』は平安貴族の常識的な教養の一つだ。
『伊勢』の作者についてはさまざまな説があるが、誰であったとしても『史記』を知らぬはずがない。
文学はこうして受け継がれるのだとまざまざと見せつけられている気がする。
私にとってはそういう場面に見える。

 

●「昔男」は何者か
『伊勢』の「昔男」はあくまでも業平が「モデル」であるだけであって、業平「自身」ではない。
けれども、「天皇の孫でありながら臣籍に下った悲運の貴族」みたいな「悲劇のヒーロー」像を『伊勢』の「昔男」だけでなく「業平」に求める人も少なくない。

『三代実録』には「体貌閑麗、放縦不拘、略無才学、善作倭歌」とある。
「体貌閑麗」とはざっくりいえば「ハンサム」ってことになるだろうけれども、中国でこの言葉が使われている人物は「美しさのあまり国を滅ぼした人」ばかりである。

「略無才学」とは「漢文ができない」ということ。
この当時、平安貴族の教養である漢文ができない、と歴史に書かれるのはとんだ侮辱である。
もっとも鴻臚館に業平は何回も異人と貿易の取引の場に出席しているから、なるほど「ハンサム」なのはあながち嘘ではないらしいこともわかる。

「善作倭歌」と褒めているつもりなのか、平安時代の初期も初期、この時代に和歌が詠めたところで一体何になるのだろう。
何にもならない。和歌が地位を獲得するのは『古今和歌集』まで待たねばならない。

業平は文徳天皇の御代には全く昇進しない。
それどころか降格されていたのではないかという話さえある。
簡単に言えば「ほされていた」というところか。

藤原良房の娘が文徳天皇の后であることを考慮すれば、なんとなく想像がつくだろうか。
「芥川」は脚色はあるにせよ、発想の元ネタのような事実はあったのかもしれない。
藤原基経は高子の兄で、良房の養子となっている。

ところが、清和天皇陽成天皇の御代にはおもしろいくらいに昇格する。
びっくりするくらいとんとん拍子で官位が上がる。
今まで「ほされていた」のが不思議なほどだ。
業平自身は惟仁親王清和天皇)ではなく、惟喬親王側の人間であったのに、清和朝で昇進するのだから笑ってしまう。
そして最終的には蔵人頭にもなる。

清和天皇の后は誰か、陽成天皇の母は誰か、藤原高子である。
高子はそう性格のいい女性ではなかった。残念ながら。
だから陽成天皇の後、結局高子とつながりがある天皇はここで途絶える。
けれども生まれたときから父も兄も「政治の駒」としてしか自分のことを考えなかった中で、唯一「人間扱いしてくれた人」が業平だったのではないだろうか。

「芥川」はフィクションだと思っている。
ただ、繰り返しになるが、それに近いことはあったのではないかとも思っている。
清和天皇の心中を思うと複雑だ。
自分の后が、自分に敵対するグループにいる男を贔屓している。
「俺だったら舌噛んで死ぬ」とは夫の言葉だ。

藤原基経の四十の賀では和歌(この和歌は好きだから後述)も披露している。
なんだよ、基経とよろしくやってんじゃんっていうね。
そうすると「悲劇の皇子」という見方はちょっと疑問がある。
人間は見たいものしか見ない、ということか。
あるいは見たいものを投影する、とか。

『伊勢』はいい。物語だし、フィクションだから。
でも『三代実録』はどうだろう。これは歴史である。
歴史は「見たいものしか見ない」人が編んではいけないだろう。
そもそも『三代実録』を編んでいる菅家から見ればみんな「略無才学」なんじゃないの?
それなのに、業平にだけそうやって書くの?
おかしくない???
なんで菅家の人間まで業平に悲劇のヒーロー像を投影しているのよ!って思わないでもない。

『伊勢』は私に「人間は見たいものしか見ないから、自分に辛い現実もちゃんと受け止めて、客観的な判断ができる人になろうね」と教えてくれた。
大好きだよ、ナリサマ。

 

●業平の和歌

基経の四十の賀で詠んだ和歌がこちら。

桜花 散りかひくもれ 老いらくの 来むといふなる 道紛うがに

いきなり「桜花よ、散ってしまえ!」と歌い始めるの、かなりファンキーだよね。
だってこれ、四十の賀の祝いの席だよ?
しかも当時ブイブイ言わせている堀川大臣のお祝いだよ?
めっちゃ不吉じゃない? やばくない?
皆がそう思っている中、「老いがやってくるという道がわからなくなってしまうように」と歌い続ける。

最高にcoolだな!

これが高校生のときの私の感想。
私はこの和歌の調べ学習のときにはじめてナリサマに出会ったのだ。
ものすごく印象的だった。本当に賢いと思った。この人に恋い焦がれた。
不真面目な高校生で、ロクにいいことのない高校生活だったけれども、この和歌に出会えたことは感謝している。とても。

私はこの手の「上の句でヒヤッとさせておいて、下の句でドヤッとするタイプ」の和歌が好き。
業平でいうともう一首。

咲く花の 下に隠るる 人おおみ ありしにまさる 藤の影かも

これは兄・行平主催の酒宴で詠まれた和歌。兄に頼まれて業平はいやいや読む。
いやいやであることは周りの人間もわかっているから、つい棘のある解釈をしてしまう。
藤原氏ブイブイ言うようになって、他の貴族たちはお前の影に隠れちゃってるね! よっ独裁!」みたいな。
和歌の真意を聞かれた業平はあっさりと言う。
藤原氏が世の中を盛り立ててくれるから、多くの人がその庇護にあずかることができますね」とな。
なんということでしょう。
まるでビフォー・アフター。

他にも業平で有名な和歌はたくさんあるけれども、私はこの2首が飛び抜けて好き。
いつまでも大切にしたい。愛しているよ、ナリサマ。