ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、古典文学など好きなものについて語るところ。

宙組『壮麗帝』感想

宙組公演
オリエンタル・テイル『壮麗帝』

kageki.hankyu.co.jp

作・演出/樫畑 亜依子

ライブ中継を拝見しました。毎度のことながら楽天TVさん、ありがとうございます。
ずんちゃん(桜木みなと)はクラシカルな男役として立派に育っていますね。
動作の終わりに逐一見栄をきっていて、こういうのが好きな人にはたまらんだろうなあ、とぼんやり思いました。
残念ながら私には刺さらないのですが。
ららちゃん(遥羽らら)、そらくん(和希そら)も安定したお芝居と歌でした。
ヒュッレムとイブラヒムとを好演しておりました。
これだけの実力派がそろっているのに、個人的には、これでよかったの……?と思っているのですが、思いのほかファンには好評のようで、良かったです。
私が印象に残っている場面といえばプロローグの白いお衣装でのダンスシーンとスレイマンがイブラヒムを処刑した後のスレイマンの空想のダンスシーンです。
いかんせん脚本に不満があるせいか、むしろ言葉によらない場面の方がずっとよく見えました。
というか、そらくんがもったいないよね、あんなにダンスシーンが少ないなんて……彼はやっぱりショースターなのだなとも思いました。
プログラムがないので詳しいことが全くわからないので、見逃している点もあるかもしれませんが、よくわからない場面が多くあったのは事実です。
以下、ツイッターにもあげましたが、少々辛口のコメントが続きますので、見たくない人は回れ右してね。最後にも書いていますが、偉そうですいません。


『壮麗帝』というタイトルであるならば、そもそもなぜなぜスレイマンが「壮麗帝」と呼ばれることになったのか。
それをちゃんと作品の中で描いてくれないと物足りなくなってしまうのです。
「後に壮麗帝と呼ばれることになったスレイマンについてここに記す」みたいな語りで始まるのだから、彼の治世のどのあたりが「壮麗」であったのかを語らなければいけません。
戦ばかりをしている王が当然「壮麗」と言われるはずがないのですから。
作中ではヒュッレムの希望によって内政を重視することが語られていますが、具体的にどうだったということは、ヒュッレムの口から「町に学校ができた」程度しか語られません。
市場の場面でもキリスト教(異教徒)がせっかく商売をしているのだから、「税金を下げた」ことだけでなく、「異教徒でもイスラム教圏内で商いをする許可がおりた」ことなどももう少し描き込むことができたのではないでしょうか。
ちなみに市場の場面で「一杯だけだぞ」とお酒を匂わすようなフレーズがありましたが、イスラム教徒はお酒はアウトなのでは……?
『クルン○ープ』のときも似たようなことを思った記憶があります。

皇帝のお衣装が豪華なのは大変に眼福で良かったのですが、あまり物語の進行との関わりが見えてこないのも残念でした。
例えばヒュッレムは「奴隷としての衣装」「ハレムでの衣装」「公の場での衣装」「年をとってからの衣装」とある程度区分された上でさまざまなお着替えをされていましたが、スレイマンの着替えにはそういうことが見えてこない。
豪華ならいいというわけではないでしょう。
衣装といえばもう一人、サファヴィー朝の新しい王様のお衣装もあれでよかったのでしょうか。
最初、上半身しか画面に映らなかったので、「えらいヤンキースタイルやな!?」と思ってしまいました。
レイマンの衣装、一着さしあげたらどうだろうと思うほどです。

音楽も好きだと言っている人が多くいましたが、イスラムの曲としていかがなものだろうか、というのは1ベルのあとに、アナウンスの前に流れた謎の音楽からもうかがえます。
開演アナウンスの前に入るのだから、当然物語世界へと誘う音楽でなければいけないと思うのですが、オスマンっぽいメロディーとは到底思われない(もっとも『金色の砂漠』のオープニング曲もオリエンタリズムとは違うかなと思ったけれども)。
作中で使われている音楽も同様ですし、せっかくソロ曲のあるアフメトはこってぃ(鷹翔千空)が歌うのだから、それは期待していたのに、なぜか突然ロックですし……音楽によって世界を構築する、世界観を統一するということはわりと初歩的なことだと思うのですが。
いや、こってぃの歌はすごく良かったんですよ?!
アフメトの人物像もあれでよかったのか?という謎は大変に残ります。
なんか、もうちょっと奥行きのある描き方ができなかったのでしょうか。

ヒュッレムを大変知性的な女性として描いたのは良かったのですが、見る人が見ればスレイマンを操って自分の思い通りの政治をさせている悪女にも見えてしまうのではないでしょうか。
もちろんヒュッレムにそういう意図がないのはわかるのですが、腹心の言葉よりも寵姫の言葉を優先して政治を行うという有様はそうもとられかねません。
そしてヒュッレムが知性的であるだけで、女性としてスレイマンのどこに惹かれたのか、というのがいまいちよくわからないのももやもやの原因でした。
別にヒュッレムは「自分が妃になりたい」とか「自分の子供を王位につけたい」とか考えているわけではないのだから、子供が5人もできるということはそれなりにヒュッレムもスレイマンを愛していたのだろうけれども、自分の言葉を聞き入れて政治をしてくれていること以外に惹かれるポイントは一体どこにあったのだろうか、と。
単なる顔が好みだっただけかもしれませんが、それならそれで初めて会ったときにもうちょっと恋に落ちるような演出があってもよさそうなものですし、何なんだ……と始終おいてけぼりでした。泣いちゃう。

ヒュッレムのいう「親兄弟で国を平和に治める」というのもとてもいいのですが、それならスレイマンの兄の描写をもっとしたらどうだろうとも思います。
最初に台詞でちょっと出てきただけで、次には処刑されていて、イブラヒムを処刑したあとのスレイマンの空想に出てきてはまた殺されるという役どころでしたが、仲が良かったことをもっと描き込めばよかったのではないでしょうか。
レイマンとイブラヒムの固い絆でさえ、ちょっと描き込みが足りないのでは?と思ったクチですから(『はばたけ黄金の翼よ』のヴィットリオとファルコよりはあったかもしれませんが)、スレイマンと兄とのエピソードはもっと欲しかったです。

マヒデブランがヒュッレムを毒殺しようとした場面は『源氏物語』の弘徽殿女御と桐壺更衣のようであったし、スレイマンとヒュッレムの最後の散策場面は源氏の君と臨終前の紫の上のようであったことは大変におもしろかったのですが、毒殺計画をしったハレムのお嬢さんが果物ナイフで同じく毒殺計画をしった女官を殺したことには本当に意味があったのか……あれで追放されて以来、全く音沙汰なかったじゃないですか……追放されるのはわかるのですが、その演出の意味を問いたい。
女官が無駄死にだったようにさえ感じてしまう。
ハレムのドロドロを描くのなら、もっとハレムの場面が必要でしょうし、そうでないなら、このお嬢さんの設定そのものに問題があるのではないかとさえ思ってしまいます。

語り部がいることもあり、ぶつぶつ場面が切れるのもね……集中も切れますよ。
近年だと『壬生義○伝』もそんな感じでしたが(あれほどひどくはないが)、『金色の砂漠』や『鎌足』みたいにもっとうまくやれないものですかね。
良い例が同じ劇団があるのだからもうちょっと学ぼうと思えば学べるような気もするのですが。

 

遠い地においやられたムスタファ(ところで彼の後見は誰だったのだろう……)は、ヒュッレムの長男が亡くなると王位継承権を求めて軍を動かしますが、中央にいない彼がなぜそれほどまでに人を集めることができたのか。
それはイブラヒムの軍隊が、出自を問わず、たとえ奴隷であったとしても力のあるものを集め、私兵の傭兵としたからであって、つまり大変に指示が通りやすい人間たちを使っていたために、成果も上げやすく、それに対して世襲貴族、世襲軍人たちが大変な反感を持っていたからなのでしょうけれども、スレイマンに対する不満の描き方も微妙……。

イブラヒムはヨーロッパ制圧に精を出していますが、彼がなぜそれほどまでにヨーロッパにこだわるのか、自分の出身地だからか、ハンガリーは言葉だけで制圧されたけれども、あのあとヨーロッパとの関わりの中でどうなったのか、ということがあまり見えてこないのも残念。
私の見逃しかも知れませんが。
イブラヒムがヒュッレムをスレイマンの指示通り「女官」ではなく、「ハレム」に入れたことにももっと意味があると思うのですよ。
それなのに「私の評価が高くなれば、後見のあなたも嬉しいでしょう」とヒュッレムに言わせておしまい。
後見としてイブラヒムがもっとヒュッレムに何かを言っても良かったと思うけれども、それだとイブラヒムとヒュッレムの決裂が描けないのか……?
それでいてサファヴィー朝の罠にはまったときには、スレイマンとイブラヒムが共闘してしまうし。
「おいおい」と思わず口に出てしまったよ。

ヒュッレムの最期にスレイマンは「私たちのモスクを建てている。そこで一緒に眠ろう」といいます。
モスクはイスラム教徒にとってお祈りの場所であり、そのほかに霊廟としての役割を担っているので、モスクで眠るのはわかるのですが、そもそも作中においてモスクってそんなに大切な場所、建物として描かれていたでしょうか。
市場のある町中で眠った方がヒュッレムは嬉しいのではないかと思ってしまうのは私の気のせいでしょうか。
もちろんキーワードである夕日はわかるのですが、それだって町で見たじゃないと思ってしまう。

全体的に偉そうで本当にすいません。繰り返し見たら溶ける解ける謎だといいのだけれども、そもそも繰り返し見るだけの気力があるかと聞かれればそれも難しくてなんだか出演者に申し訳ない気分になってしまったよ。

『壮麗帝』からの流れで1991年の大浦みずき主演の『ヴェネチアの紋章』を見たのですが、これがまたイイ!
いっそ、今回はこちらを手直しして再演でもよかったのでは?と思うくらい。
別にこの作品でなくてもいいのだけれども、樫畑先生は柴田先生や菊田先生といった既存の脚本の再演の演出を一度手掛けてみたらいいがだろうか。
キャラクターを作る能力はあると思うのですが、話を作ったり、それを演出したりするのが苦手なようなので。
そしてもう一回り大きくなったところで再度オリジナル作品にとりかかっていただければ幸いかと。