ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

外部『MA』感想

外部公演

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『MA』
脚本・歌詞/ミヒャエル・クンツェ
音楽・編曲/シルヴェスター・リーヴァイ
演出/ロバート・ヨハンソン 遠藤周作原作「王妃マリー・アントワネット」より

前回観劇したときは、カーテンコールでマリーとマルグリットが同時に出てくるわりに、タイトルは無理に「マリーアントワネット」と読ませているし(そもそもマリーのイニシャルってMAではなかろうに)、作品内でマリーとマルグリットが対等な立場かつ交換可能な存在として描かれていないではないか、と思ったのですが、そのあたりは解消されていますかね、と期待して見ていましたが、解消されてしませんでした。残念。
観劇後のお客さんの中には「異母姉妹設定いる?」と言っている方もいらっしゃいましたが、その設定がなければタイトルが「MA」である必要はないし、もっと言えば架空のキャラクターであるマルグリット・アルノーの存在意義がなくなってしまうので、この作品をこの作品たらしめるためには、やっぱり必要な設定なのではないかなと思っております。
それなのに、そのあたりの脚本、演出がほとんど改良されていなかったのはどういうことだろうとも思いますが。
変えないなら再演する意味、あったか?(こら)
そんなふうに言いつつ足を運んだのは、この作品、音楽がいいんですよねー。
それくらい演出には大きな変化がなくて、思わず口をへの字に曲げてしまう……。
マルグリットがオルレアンとエベールを告発する場面は痺れるし、躓いたマリーにマルグリットが手を差し伸べる場面も素敵なのですが、いまひとつ物足りない。

マチネが花總マリー、ソニンマルグリット、田代フェルセン、小野田オルレアン、上山エベール。
ソワレが笹本マリー、昆マルグリット、甲斐フェルセン、上原オルレアン、川口エベール。
ダブルキャストはとりあえず全部観られましたが(子役のトリプルキャストはさすがに無理だった……)、外部『1789』ファンとしてはソニンマルグリットと上原オルレアンの組み合わせで見たかった気もします。
私はマルグリットが大好きで、ソニンが好きだから当然ソニンマルグリットは好きですが、昆ちゃんもメジャーデビュー作である『ロミジュリ』を観劇してから、ずっと追いかけているので、昆マルグリットにも好感がもてました。
メインヒロインはマリーのようですが、むしろこの作品はもっとマルグリットに焦点を当てても良いのではという気さえする。

前回、吉原オルレアンが大正解で、なんなら田代フェルセンは食われていた気さえする。
坂元エベールも私は大好きで、もはやこれは好みの問題かと思われる。
彩吹ベルタン、駒田レオナールは続投。このコンビ、本当に好き。
ベルタンのピンクの髪、豹柄のドレスを考えた人は天才。
外部『ロミジュリ』初演もキャピュレット夫人を演じた涼風が赤×ヒョウ柄のドレスを着ていて、もうそりゃ格好良かったですよ。
私自身はヒョウ柄なんて全く着ないのですが、舞台の上で個性的で奇抜な女性がお召しになっているのを見るのは好きなんですよね。

ダブルキャストはフェルセンが一番おもしろかったかな。
田代フェルセンは硬質な軍人像、甲斐フェルセンは懐の深い人間像がそれぞれ基盤にある。
だから、田代フェルセンは生まれ変わって平民だったとしても高貴なマリーに恋しそうだけど、甲斐フェルセンは平民に生まれ変わったら、もしかしたらマリーではなくてマルグリットに恋をするかもしれない、とさえ思う。
甲斐の軍人要素が全面に出ていないからでしょう。深い。

川口エベールは、そりゃもう当然うまいのだけれども、ちょっと役不足ではなかろうか、とさえ思ってしまった。
それこそオルレアン公もやれるのではないかしらん。
もっとも、渋いおじさんとしてのエベールという解釈は私の中ではとても新鮮でした。
大道具の階段を降りるときに木が剥がれたようですが、大丈夫だったでしょうか。
上山はいまいち押しが足りないような気がしました。

子守唄に気がつく場面におけるマルグリットの違いも興味深かった。
ソニンマルグリットは「何であんたが知ってるの?!」と高速で振り返りますが、昆マルグリットは「父親の、歌……?」みたいな感じで母親との思い出を思い出しながらゆっくり振り返る、という違いがあったように思います。
どちらも素敵。ソニンは本当にどちらも良い。好みからすると僅差でソニンかなという気もしますが、昆もとても宵。

オルレアンについては贔屓目もあり、上原氏のあの変態的な権力への執着がもうたまらなくて、堂々と歌う姿は俺の勝ち!を信じて疑わない雄々しい姿でございました。
高音も清々しいくらいに響いていたな。
久しぶりのミュージカルだからな、歌えて嬉しいのでしょう。これはみんな同じでしょうけれども。

そして、肝心のマリーですが、私は宝塚時代の花總(マリー、シシィ、スカーレット、クリスティーヌ)を散々っぱら見て育った人間なので、花總マリーは息をするように自然に見えることもあり、笹本マリーはやはり最初の登場は違和感があるのですが、マルグリットとの近さ、差異の僅かさ、運命がちょっと違ったら……というのは花總よりも表れていたと思います。
花總がお姫様すぎるのでしょう。いい意味でも、悪い意味でも。
実在した王妃や皇后の役を多く演じており、たぶんその人たちの歌だけで自分のディナーショーを開けるくらいにあるだろうから、なかなか平民育ちのマルグリットとの交換可能を示すのは難しいかもしれないし、そもそも脚本がそうなっていないのが何よりも悪い。

さて、音楽について。とにかく音楽がいいんですよね。
まさかの「100万のキャンドル」で泣いてしまった。
しかもソニンマルグリットだけでなく、昆マルグリットのときにも。マチネでもソワレでも両方泣いてしまった。
この歌、いいよね……。
ソニンマルグリットが舞踏会からくすねて来たケーキ、最初にすれ違う街人には、「ケーキを渡すかどうか」悩むのですが、完全にすれ違った後、やはり見逃せなくて振り返ってケーキを渡す。
次に渡すのは子供。その子供は、母親によかったね、と言われるのですが、その後、マルグリットは頼まれていないのに母親にも渡す。
そんなマルグリットが好き。
この場面は『レ・ミゼラブル』の大司教様の場面を思い出す。
銀の燭台を盗んだバルジャンを村人は責め立てるけれども、盗まれた当の本人は「銀の燭台を使って正しい人になりなさい」とバルジャンに語りかける。
私、あの場面大好きで、泣いてしまう。そういう思いやりがマルグリットにも感じられる。
マルグリットの貴族に対する怒りは、同時に悲しさも感じる。「どうしてこの人たちを見てくれないの、同じ人間なのに」と。
そしてマルグリットは知っている。「パンがないならケーキを食べればいい」と言ったのはマリーではないことを。
このあたりは大きいと思いますし、素敵な演出だと思います。

歌といえば1幕終わり付近の「ヘビを殺して」「もう許さない」あたりも好き。
舞台でしか曲を聞いていないのにすぐに思い出せる。
作品の中では「憎しみの瞳」が大切な曲ですが、こちらはなぜかプログラムに歌詞が掲載されていない。
とても残念。花總、笹本、ソニン、昆の女子会のタイトルにもなっている。
「憎しみの瞳会」「女子会ならぬ女優会」美しい4人。

前回、マルグリットはアントワネットの悪口ソング(「オーストリア生まれ~♪あばずれとは誰~♪」)を歌うときは、客席から民衆が出て来たのになあ、と前回の客席降りが恋しくてたまらない。
なぜならこの日はマチネもソワレもは通路席だったから(笑)。
早くそういうこともできるようになるといいですな。生オケなのはやはり嬉しい。
宝塚も早くオーケストラが復活するといいのですが。

さて、マリーとマルグリットの交換可能性について。
マリーと父親が同じマルグリットはもしかしたら自分が王妃になったかもしれない、マルグリットと父親が同じマリーは自分がストラスブールで便所掃除をしていたかもしれない。
観客だけではなくて、作品の中に彼女たち自身がそういう可能性に気がついてくれるといいのだけれども、そうではないのかな。
マルグリットは「なぜ、彼女 私じゃない~♪」と歌うので(昆が歌うとエポニーヌのようでもあります)、まったく気が付いていないというわけではないのでしょうけれども。
夏の舞踏会では、マルグリットがマリーのふりをする場面もありますので、やはりマルグリットは可能性には気が付いているのかもしれませんが。
マリーはあんまりかな……牢獄でひどい扱いを受けるところはあるけれども、窮屈ながらも穏やかな感じもあって、どうかなあ。

プログラムでは上原氏が「自分の罪はプライドと無知、というのは今のこの混乱した時代にも通じる」とのたもうておって、そうだよなあ、などと思うなどしました。
調べればすぐに出てくる時代だけど、何が真実かは自分で見極めなければならない。
自分で見極める力はどこで養うのか。
それはインターネットの中ではないと個人的には思う。
有り体に言えば、文学やもっとひろく文藝の中にこそあるのではないだろうか。
すぐに役に立たないとか言われますけどね。

そういえば、ベルタンのお店でドアマン?がカタコト口調だったけれども、前回もそうだったかな。
あんまり印象に残っていないのですが、あれはちょっといかがなものかと思ってしまった。どういう意図があるつもりだろうか……。
黒塗りと同様、ああいうのは差別につながりかねないから危うい表現かなとも思いました。
こういうことを書くから「教養のない人を馬鹿にしている」とか言われるのでしょうね、私。

マチネはカメラが入っていましたが、円盤化するのかなーどうかなー。
最近『1789』や『エリザベート』、『ロミオ&ジュリエット』も円盤化していますし、ありえるかも。
私は怖いもの見たさで初演を見てみたいような気はしているのだよ。
CDは出ていますが、どうなんでしょう。涼風、山口が出ていれば歌は当たりのような気もしますが。再演版もせめてCD出してくれればいいのに。

そういえば、ベルタンとレオナールは「ドイツ」に逃げると歌う一方で、マリーは手紙に「プロシア」と書く。
そういうものなのかな。不勉強でいかんな。

ソワレ公演はなんだか途中で勝手に扉が開いてしまう事件が2回あって、おやおや?と。
1回目は2幕国民議会でマルグリットが出てきて、扉が閉まった後。「女に任せられるか?」とみんなが騒いでいるときに、ふわっと扉が開いてナニゴトー?!と思ったけれどもエベールが何事もなかったかのようにそっと閉めておりました。さすが。
2回目はフェルセンとマルグリットが下手で話しているとき。「あの人と何が違うの?」と扉の向こうにいるはずのマリーを指さしたときに、これまたふわっと開きまして。
こちらはそういう演出なのか?と思うくらいでしたが、たぶん違うよね?あちこち空気の入れ替えをしていることも関係しているかも。
しかしこの場面の直前のマリーの黄緑の衣装は何か変ではないでしょうか。
太って見えるというかなんというか。
最初のドレスや水色のドレス、深緑のドレスなんかは最高なんですけどね。
またドレスを着て写真を撮るイベントにも参加したいな。

何はともあれ、無事に千穐楽を迎えられることをお祈り申し上げます。