ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』感想2

雪組

ミュージカル『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』

脚本・演出/小池修一郎

公式ホームページはこちら。

kageki.hankyu.co.jp

映画は未見。
ただし、今回は、映画版との比較ブログを読んでから望みました。
そのブログはこちら。 

standonmark99.com

上記にある情報のおかげで楽しめました。
本当にありがたい。しかし、まずは謝罪から。

●フランキー、結構最初からおった
最初に観劇したときは全然見つけられなかったフランキーが、今回は、あれっ結構序盤から出ているやん、ということに気が付きました。桜路薫ファンの皆様、大変申し訳ありませんでした><
と、いうわけで過去の記事も訂正しておきます。

最初に観劇したときの記事はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

あれですかね、フランキーは、アポカリプスの四騎士よりも規模の大きいマフィアなのでしょうか。
1幕では仕事の紹介をしていたようですし、仲も悪くない様子でした。
しかしジミー(彩凪翔)の組合騒動の件で、フランキーは「何者か」に邪魔をされ、赤っ恥をかかされた。
その「何者か」が「アポカリプス」だということを、きっとどこかでつかんだのでしょうね。
キャロルも「フランキーだって、そろそろ気が付くわ!」みたいな台詞を1幕終わりの銀橋で言っていましたし。
そう、マックス(彩風咲奈)にビンタされて、無理やりキスされる直前のあの台詞です。

そもそも、映画版によるとヌードルス(望海風斗)やマックスらに「アポカリプス」と名付けたのは、どうやらフランキーらしいです。
だからやはり、四人よりと同じ地域にいながらにして、四人よりも規模の大きいマフィアなんでしょうね。
名付け親の場面は見てみたかったなと思いましたが。

どうして「アポカリプス」なのだろう。黙示録ってどういうニュアンスがあるのだろう。
2幕の「ダビデの星」ソングと何か関係があるのだろうか。
このあたりが勉強不足。

ヌードルスエヴァ
これこれ! こういうの大事! と半ば興奮気味に映画比較のブログを読んでいたのですが。
映画版ではイブ(宝塚版だとエヴァ。彩みちるちゃんが演じております)が、デボラ(真彩希帆)がハリウッドに行った後、ヌードルスの恋人になるらしいのです。
だから連邦準備銀行を襲撃したとき、ヌードルスがおらず、居場所を聞き出すためにイブは映画の冒頭では拷問されているということです。さすが、アメリカのギャング映画、最初から飛ばしているな、激しいなって感じ。
宝塚版ではエヴァハバナに出てきて、ヌードルスと仲良くなるけれども、ただそれだけ。
ヌードルスはあくまでもデボラに一途。はあああああああああ、こういうの最高だよね!
宝塚だからできることだろ!と思うかもしれませんけれども、ギャングで汚い仕事をさんざんやってきたというのに、女に対しては一途で、不器用というのは確かにご都合主義かもしれないけれども、こういうのが宝塚では見たいんだよ!と力を込めて言いたい。
みちるちゃんの出番が制限されてしまったのは本当に悲しいことではあるのですが、それでも作品としては、これでよかったと思うのです。

だからこそ『はばたけ黄金の翼よ』で、ヴィットリオがビアンカとあんなことになってしまったことには頭を抱えてしまう。
やっぱり一途なのがいいよねー。
こういう理想的な異性愛を宝塚には描いてほしい。
『はばたけ黄金の翼よ』の感想はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

その意味で、サム(煌羽レオ)はヌードルスの対になっている。
自分を「ハイウッドの皇帝」といい、次々に自分のゲストルームに女を呼び込む人は、そりゃデボラと一緒にはなれないだろう。
結婚なんてとんでもない。
と、いうか皇后としてのデボラに皇帝としてのサムは釣り合わないだろうという構造が浮かび上がる。
あっぱれやな。ここの改変したことだけでもイケコがすばらしいというに値するのではないかと思うほどである。
どれだけ遊び歩いていたとしても(そもそもヌードルスは遊び歩いていませんが)「この人!」と決めたら、もう他の人には振り向いて欲しくないのです。わがまま……ではないと思いたい。

ヌードルスとデボラ
ブロードウェイのコースラとして合格し、「初日は見に行くよ!」と言ったけれどども、ヌードルスはいけなかった。
ヌードルスは逮捕されてしまったから。
ブロードウェイに行くデボラが赤いバラを一輪もって歌う。「皇后になって」ではなく「皇帝に」と、逮捕されてしまったヌードルスを想って。
なんていい場面なの。二人の一途な愛をしっかりと確認した今となっては、そんな場面でさえ泣ける。

なんでデボラがヌードルスにこだわるのかといえば、きっと「ブロードウェイで有名になって、ハリウッドに行って、どこかの国の王子に見初められて、ユダヤ人初の皇后になるのだ」という夢をみたいな話をきっと、ヌードルスだけが笑わずに聞いてくれたからなのだろう。
バレエの練習で白いチュチュを着ている彼女からはとてもそんな野心を秘めているようには見えない、楚々としたお嬢さんって感じですが、歌いだして一転、これは宝石でいうところの原石だなと観客は誰もが気が付く。
一緒に踊っている子たちも「もしかしたら…」って思える。

もちろんニック(綾凰華)もデボラの夢を笑わなかった人だとは思うのですが、彼はあくまでも仕事のパートナー。
ブロードウェイでデボラを見たあと、ヌードルスがニックにやきもちをやいているのはかわいかったですな。
ニックはこの芝居の、この時代の良心。
だからプロローグやフィナーレで、だいもんたちと一緒に踊っていると、「君はそっちにいっちゃだめええええ!」という気持ちになる。すまん。
「ニック、おごって!」「えっ!?」「いいって!」と三人の女の子に囲まれている場面はほのぼのするし、デボラと「もうすぐ夢が叶うね!」とわちゃわちゃしているのもかわいい。
星組では隅っこにいた二人が……と思うと感無量。

二人きりで食事がしたい、と言い出すのはデボラの方。
一体いつ「海辺のレストラン」をデボラがヌードルスに望んだのかはわからないのですが(また聞き逃しているのかも)、用意したのはヌードルスとはいえ、引き金を引いているのはデボラ。
デボラはどうしてもヌードルスを一人の男として諦めきれない。
それでももっと諦められないのがショー・ビジネスの頂点に立つという夢。
わがままだとは思わない、それは自分も女だからなのか、どうなのか。

映画版では、もっと対等にヌードルスとも渡り合えるキャラクターとして描かれているらしいデボラですが、マックスの子供を産んだかどうかというのが大きいのかなあ。
それこそ、ヌードルスエヴァに見向きもしなかったように、デボラにも心にヌードルスがある限りは、たとえ相手がマックスでも……と思う気がするのです。
いや、話としては、映画版の方がおもしろいのでは?とも思うのですが、ヌードルスの一途が素敵!といった口で、デボラにマックスとの子供産んで!話がおもしろくなるから!とはちょっと言えないかなあ。
デボラも一途だったと思ったし、一途であってほしい。

●もう一つの映画比較
観劇後ですが、もう一つ、映画と比較している良い記事を見つけたので紹介しておきます。

canezuka.blogspot.com

こちらのブログで納得いったこともありました。
例えばヌードルスの人物像。
ジミーが最初にヌードルスたちの前に姿を現したときに「仲間のギャングを殺したやつを殺して、刑務所に入ったギャング」がいると聞きつけて、情に厚いギャングなら信頼できる、みたいなことを言う。
確かにヌードルスはドミニクを殺したバグジーを殺し、警官も殺し、豚箱に入る。
しかし、それほどヌードルスとマックスは差異化して描かれているだろうかとも思った。
けれども、そもそもヌードルスとマックスは全然違う人物だったということがこちらのブログでわかり、大変感動した。

ヌードルスは「皇帝になる」という野心を抱く人ではないそうな。
なるほど、そうなればマックスとの違いは大変に明確になるだろう。
しかし、「皇帝と皇后」の歌が好きな私としてはちょっと微妙なところでもある。
皇后になる、大きな一歩を踏み出すためにティアラをプレゼントしたヌードルス
その金でまっとうな仕事につけよいうツッコミはもっともだけれども(そしてデボラもそのほうが喜ぶだろうけれども)、でもムードルスはデボラに皇后になって欲しかったのよね。

こちらの記事では、とにかくマックスの最後の裏切りに度肝を抜かれた。
そうだったのかー! それ、やれよー! ってなった。
ただ、私はデボラがマックスを愛したようには思えないなあ。
マックスもデボラも久しぶりに会って、ヌードルスや過去への思いをたらたら話しているうちに、なるようになっただけで、デボラもマックスもヌードルス一途。
ヌードルスへの愛情で二人は結ばれている。
そう、私はこういうのを知っている……『日出処天子』(山岸凉子)という漫画で。
聖徳太子も刀自古も毛人が好きだったんだよ……。

●気になるあれこれ
初めて会ったマックスに助けられたヌードルスは「チョー嘘がうまいな!」という。
「芝居がうまいっていえ」と言い返しますが、「チョー」ってあんた……と思うわけですよ。
ヌードルスは、連邦準備銀行の襲撃を警察に知られてほしいと頼むキャロルに対して「マジで言ってんのか」ともいう。
なんかちょっと、違う……と思うわけですが、ダメですかね。

一方で、最初に観劇して違和感のあったサナトリウムの場面。ヌードルスとキャロル(朝美絢)の対面。
院長がヌードルスに対して「キャロルの前では、火事の話はダメ。火や煙も見せないで」というけれど、「火事」のあとに「火」や「煙」を禁止するのはおかしいのでは?と思っていたところ、今回は「火や煙」の話から「火事」の話になっていて、お、変えたか?と思われました。
まこちゃんには早くよくなって欲しい。
休演情報を知らず、見ているときに、あれ?と思った次第である。

マックスの誕生日はフラグになっていたのかーと今更。
キャロルが銀橋で「あなた、自分の誕生日に言っていたわ。いつか連邦準備銀行を襲うんだって」というあのくだりは、最後の誕生パーティーにつながっているのね。
えらい人というか派手な人は誕生パーティーが好きなのね。

キャロルつながりでいえば、ヌードルスに「あの人のためにもう一度刑務所に入って」と連邦準備銀行を襲う前に懇願するあのセリフで、笑いが入らなかったのはよかった。
しかし、やっぱりなんかちょっと変な台詞だな、とは思う。

マックスがキャロルを最初にビンタする場面。何が違和感なのかわかった。
1幕の終わりに青いワンピースを着ているときにビンタされて、2幕の冒頭でハバナヌードルスを誘うとき、マックスといちゃついている上に同じワンピース着ているんだよね。
同じ! ワンピース! いや、あの青いワンピース好きだし、次のハバナでは白いワンピースになるし、着替えが大変だろうといわれればそうなんだけど、幕間あるからお着換えして、ビンタされた日とは別の日ということを示してくれたら嬉しいです。

1幕だけで5回もキスシーンがあるのに(4回はヌードルスとデボラ、残る1回はマックスがキャロルに無理矢理)2幕では全然なかったのが印象的。なんかもう場面がキスどころではなくなってしまったというのもありますが。

冒頭に出てくる「ケーキを落とすなよ、ファット・モー」という台詞が本編というか回想になかったのが、残念だったかな。
でもとりあえずパッツィ(縣千)とタチアナ(野々花ひまり)のカップルが可愛すぎるからよし。
はばまいちゃん(音彩唯)は、ラインダンスでも目立っていたなー。すごい。まだ105期生なのに。
すっきりしないなーと言っているお客さんもいたけれども、あれ以外どういうラストが考えられるのか、私にはちょっと想像がつかない。
みんなが生き残って、みんなが100パーセント幸せになるなんて、それはちょっと、いくら宝塚でも無理な話ではないだろうか。

●まとめ
イケコにしては意味のある余白がある脚本だったと思います。
フランキーたちと次第に対立していく様やおそらくマックスが使い込んだのだろうロッカーのお金や。
なにせ『ポーの一族』を見たときの、あの余韻のなさにはびっくりしたから。
それでも映画版より、だいぶわかりやすくなっているのだと思う。
映画の余白や余韻が好きな人は、宝塚版は受け入れるのが難しいかもしれない。
まあ、謎だけだしておいて、まったくとけない、冒頭のロッカーの鍵の件は、私もいまだによくわかりませんが。

しかし、それでもこれだけは言っておきたい。
ヌードルスエヴァを恋人にせず、デボラに一途であったこと」「デボラが無理やりヌードルスに抱かれることがなかったこと」この二点の改変は、間違いなく宝塚版としては大成功していると思います。