ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

講演会『指揮者・西野淳が語る楽しいミュージカル!』メモ2

メモ1はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

●『モーツァルト!』について
本当にいろいろあった演目で、思い出深い。
まずは市村正親さんからのお話。
あるとき、本番をやっていたとき、市村さんの歌と2、3回ずれることがあった。
1回だったら気にしないが、連続だったので、こちらも修正しなければ、と思う。
そういうときに本人におうかがいに行くのも指揮者の仕事。
でも相手は超大物、大御所の市村正親さんで、しかもうかがう内容としては、市村さんの歌が原因で、ちょっとおかしくて、という話であるため、ちょっと言いに行きにくいな、気が重いな、行くだけで緊張するな、胃が痛いなと心の中では思っていた。

そして実際に言ったところどうだったかというと。
「ここは、こうしてもらえるとうまくいくと思うんですけど」
「おっけー」
「じゃあ、よろしくお願いします」
「はい、ありがとうー」
と、すんなりいくだけでなく、お礼まで言われてしまった。はあ! すげぇ!
やっぱりえらい人というのは違うんだな、すごいな、と思った。
まだ自分が30際代だった頃の話。そんな若造に指摘されて、あんなに素直にお礼が言えるとは!
見習おうと思った。

ただでさえも指揮者という立場は気を遣われてしまう。
知らない間にオーケストラが大変なことになってしまうこともある。
だからダメなところを注意されたら謙虚に受け止めようと思った。

さて、演目の『モーツァルト!』は1幕がとても楽しい。
その反面2幕が重い。初演は塩田先生が指揮を振って、再演から参加している。
曲がとても難しく、指揮を振るだけで必死になる。舞台の上と必死に合わせないといけない。
精神力、集中力、体力がとても必要になってくる。
あの元気で体力のある塩田先生が「もーダメー」と言った演目を引き受けることになり、大変なことになったと思った。
とにかく2幕がいたたまれない。指揮者としては世界に引き寄せられるタイプではあるのだが、あるときとうとう病気になってしまった。
目が回って起きられず、眩暈が起きて救急車を呼んでもらった。
医者からするとよくあることみたいで「え、救急車で来たの?」と言われるくらいだったが、こちらはすごくしんどかった。
原因は心的ストレスで、薬を飲んで何とか指揮を振って、毎回終わるたび吐き気。
本番中に緊張しているから、メンタルが……再々演のときも稽古中から眩暈が……。
原因はわかりきっている。この作品である、と。

井上芳雄くんがヴォルフガング役を卒業するときに、指揮者である自分もとても痩せてしまった。
山崎育三郎くんに「やせたね~」と言われた。そのとき2か月で7キロ痩せた。
育三郎くんも「僕も5キロやせたんですよ~」と。
指揮者よりも役者の方がしんどかろう、と思うのだが、それよりも痩せてしまった。
というわけで、これ以上やったら命縮むな!と思ったので、千秋楽のときに「芳雄くんと一緒に卒業します」と言った。
初めて自分から仕事を断った。これは『モーツァルト!』のみ。この演目だけである、こんなこと。

マリー・アントワネット』『レベッカ』『エリザべート』と同じコンビのリーバイ、クンツェの作品の中では『モーツァルト!』が一番好きな作品。
にもかかわらず、その作品のお仕事を断らなければならないというのはとてもつらかった。

●シアタークリエ
そのあと『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の指揮を担当し、シアタークリエ(小劇場)としては初のミュージカル作品である『レベッカ』をやることに。
なんせその箱では初のミュージカルとなるから、まったく勝手がわからない。
客席が小さく、オケピを作ったら客席が半分になってしまうから、舞台袖でオーケストラをやることに、
舞台上の人とコンタクトとったり、全景、上下と三箇所からカメラがついていたりしていて、合わせる。
役者はどうするかというと、客席に指揮者のモニターが設置してある。

しかしこのモニターが問題となる。
実際に聞こえてくる音とモニターの画面が合っていないというのである。
ちなみに、同じカメラで撮影し、液晶テレビ、ブラウン管で流す場合、ブラウン管のほうが早い。
液晶は遅れて音がやってくるらしい。
そして客席に2、3台設置されているモニターは全て液晶であった。
役者はパニックを起こす。当然だな。
指揮を振っている映像と実際に聞こえてくる音楽がずれているわけですから。
指揮が遅れて見える。
役者は本当にパニック。
山口祐一郎さんは「できませーん!!」と良い声で叫んだとか。

液晶画面は遅れるからブラウン管のモニターの準備を、と言ってあったらしいが、用意されていなかった。
仕方がないので、4種類の液晶を比較検討。
そうするとわりとジャストタイムで流れてくる液晶を発見。
カメラによってもタイムラグがあり、配線のつなぎ方によっても異なるらしい。
液晶がよくてもカメラがダメだと、結局遅れて聞こえる。
結局舞台の真ん中にブラウン管のモニターを置いた。

企業に時差があることについて伝えたところ、その手の既にクレームがあったらしい。
気が付いたのはゲーマーさんたちだった。

●帝国劇場100周年記念『三銃士』
ダルタニアンを井上芳雄くん、アトスを橋本さとしさん、アラミスを石井一孝さん、リシュリュー枢機卿山口祐一郎さん、王妃をシルビア・クラブさん、ロシュフォールを吉野圭吾さん、とまあ主役を張れるような人ばかりを集めて上演。
石井一孝さん(かずさん)とはこのときはじめてご一緒させていただいた。
おもしろい人で、うたがうまい人で、三銃士だから当然3人で歌う場面が多い。
しかしかずさんは基本的に話している声がとても大きい人だから、歌声はましていわんや大きい。
3人で歌っているのに、かずさんの声しか聞こえないということもあり、これでは音響さんが困ってしまう。
こういうときも役者に連絡をするのは指揮者の仕事。

「あの、素敵な歌声なのですけれども、もう少し歌声をしぼってもらってもいいですかね」
「OK!」
というやり取りのすぐの後は、直る。しかし忘れた頃に大きくなる。
そういうときは楽屋まで行き、また声をかける。その繰り返し。
あるときすごく3人の歌声のバランスがいいとき、すばらしかったことを伝えに行った。
「聞いてくれた? 僕の渾身のメゾフォルテ」と。
この表現がすごいな、と。
「ここちょっとおさえたほうがいいよ~でも落とすけれども、気持ちは今のままで~!」というときに仕える台詞。
吹奏楽の指導なんかでも使っている言葉です。ありがたや。

私が思ったのは音の大きさってマイクで調節しているのではないのねーということでした。

作中には宝石箱を取り合うシーンがある。
絶対落としてはならないと役者には伝わっているが、万が一のときのことを考えてオケピの上にネットを張っていた。
しかしそのネットに落ちたとき、舞台上からは届かない。
そういうときは指揮者がとって舞台に投げ返すということになっていた。
ある日、本当に目の前に宝石箱が落ちてきて、そのときほぼワンタッチで舞台上に返したら、客席から大喝采の拍手が起こった。

もしネットの上でも、指揮者から届かない位置に宝箱が落ちたらどうするか。
実は指揮者のところにもう一つのダミー宝箱が置いてあって、それを投げ返すことになっていた。
もう少しで届くのにー!というときは、くまでを使って指揮者が宝箱をとることになっていた。
くまでで手繰り寄せて、トス、というのは時間がかかる。できる限り早く早く舞台上に返さなければならない。
毎朝、劇場についたらくまでの特訓をした。5回はやる。
結局ダミーを使ったのは1回だけ。千秋楽から3、4回くらい前。くまでは1回も使わなかった。

東京公演中、吉野圭吾さんがアキレス腱を切ってしまった。
その日は観客にさとられないようにやりきった。立って動くだけでも普通はできないのに、立ち回りもやった。
もちろんすぐに振りを変えたけれども、尋常ではない。

役者はこういうときすごい。別の公演で、ある役者が食中毒にかかってしまったと聞いていたが、舞台の上ではいつもと変わらない。
けれども話を聞くと舞台のそででは出る前からうめいていて、入った瞬間倒れこんでいたらしい。
舞台の人のみなさんの気力は本当にすごい。

自分も一週間前、腰を痛めて。今日も車いすかどうかというところだった。
ちょうど数か月ぶりに指揮を振る仕事があって、リハーサルのときは大丈夫だったのに、オケの練習のときにちょっと痛いな、と違和感を覚え、そのあと立てなくなってしまった。
仕事自体はアシスタントに変わってもらえた。
そう考えるとすごい人たちと仕事をしていたんだなーと。

●今の仕事の中心は宝塚
宝塚は夢を売る場所だから、今回は裏話がなくてごめんね~!
裏話をするとすぐにお客さんから怒られ、劇団からも怒られてしまう。
ディズニーと同じ夢の国だからね。
裏話はしないよ! しちゃだめなの!

宝塚は少女漫画を3次元にしたようなもの。
憧れて真似をしたこともあったけれども、鳳蘭さんに「男がやってもダメ」と言われてしまったw
音楽学校があり、卒業しても研1とか言われる(ちなみにこの「研」の意味をご存じなかったらしく、客席から教えてもらっていた)。
音楽学校を卒業しても、宝塚歌劇団を卒業するまでずっと生徒と呼ばれる。
指揮者のことも「先生」と呼ぶ。
ちょっとこの「先生」と呼ばれるのに違和感があって、えらい人に「先生って呼ばれるのは義務なんですか?」と聞いたら、「義務です」と間髪いれずに答えられたので、はいーと従っている。
だってえらい人にそう言われたらね……もう20年くらい前かな。

宝塚歌劇団の卒業式がまた見もので。一人ずつ大階段を下りてきて、挨拶をする。
ファンの感慨はひとしおではないだろうなあ、と。
特殊専用劇場があり、年間稼働率が90%を越えているというのも珍しいけれども、座付きの演出家、衣装部、音楽担当がいることもとても珍しい。
オーケストラも座付き。西と東にわかれていて、東京は2つのグループで回しているけれども、バックに阪急が付いているから自前でいろいろ揃えているのはここだけではないだろうか。
すばらしい。

お勧めしたい作品は、いろいろあるけれども、和物の出し物。
初めてやったのは2003年の本公演。オーケストラを使って和物の作品をやったことがなくて、ずっとどうやってやるのだろうな、と思っているところに舞い込んできた仕事だった。
その作品は『星逢一夜』(もうここで私のテンション爆あがり!)。
観客だけでなく、オーケストラピットでも泣いている人がいたくらい。
座付きの演出家(上田久美子先生)が描いて、作曲家がつくったオリジナルの曲。
美しい和物の衣装、立ち回り、歌舞伎とは異なる美しさ。これ以上美しい和物ってなかなかない。
宝塚を見たことがない人はぜひ一度、宝塚の和物を御覧ください!

最後に宣伝。
10月3日に愛知県の幸田で柿澤隼人くん小南満佑子さんと『Brilliant Show Theater』をやるよ!
もしよかったらぜひ!
90分もしゃべり続けることなんかできるのかー?と思っていたけれども、意外といけましたね! 100分でした!

●質疑応答
1 指揮者から役者にしかけることってありますか。
あるよ!基本的には音楽監督と役者と相談して、お稽古中に決めてしまう。
そこで「ここは指揮者が誘いましょう」となることもある。
劇団四季の『ウィキッド』のときは、濱田めぐみさんとしかけ合いまくった。
3か月限定で楽しませてもらった。こんなうまい人とやれるのだから、今日が最後だからしかけまくるぞ!と思っていたら、向こうもそう思っていたらしくて「最後だから楽しんじゃった~!」と終わった後、言っていた。
指揮者をガン見してしかけてくる。2人で楽しんだ。ごめんね~! お客さん!

2 西野先生と帝国劇場というテーマでお話をお願いします。
ネタはいっぱいあるよ~!
エリザベート』だったかな? 『二都物語』だったかな?
とにかく役替わりが多くて、楽屋の確保が難しかったときのこと。
大部屋をパーテーションで区切っていたとき、ちょうど指揮者の隣が子役のお部屋だった。
そのとき加藤清史郎くんが子役でいて。
もう彼は天才。稽古中も演出の先生に言われたことをきちっと理解して、表現する力がある。
楽屋には当然のことながら、お母さんがいる。
なるほど、普通の子供だな、と。
お母さんに怒られてしまいしたw

あとは帝国劇場のオーケストラピットって不思議で、音が上に抜けていく。
オケとしては決して良いとはいえない。
中の音の雰囲気を作りづらくなる。
日生劇場はとてもいい。とにかく床がいい。オペラができる劇場は違う。壁もいい。
帝国劇場はオケの音が聞こえない。それでもやっているうちに慣れてきて、2回目は違和感がなかったけれども。

3 スランプの立ち直り方を教えてください。
基本的には楽観主義者だけど、やっぱりスランプになることもある。
考えれば考えるほどドツボにはまってしまう。だからもがき苦しむ。苦しみまくる。
で、何かのきっかけで抜ける。それはもがかないと出てこないもの。
何がいけないのか、ということを見つめ直して、そこを起点にしっかり振り返ることが大事。
苦しめばいいというものでもない。過程を見直すということが大切。
どうしてこうなったのか?と振り返る。
悩んでも仕方がないからボーリングに行って逃げることもある。
自分の好きなことに打ち込むことも時には必要。
自分の今いるところだけでなんとかしようとしてもダメ。
抜け方にもいろいろあって、前と同じやり方で抜けることはあんまりないから「こうすればいい!」というのはない。

4 初演『レベッカ』で山口祐一郎さんのためがあまりにも長くて観客もドキドキしていて見たけれども、息がぴったりで次の音が重なったことがある。それも山カンだったのだろうか。
指揮者をやっていると不思議なことに歌い手の呼吸が聞こえてくるようになってくる。
演技で固まっちゃったとき、それまでも何度もやってきているから、祐一郎さんの癖がわかる。
山カンではないけれども、経験のなせる業ではある。


こういう裏方さんのお話を聞く機会がもっとあってもいいのかなーと思いました。
大変おもしろく拝聴しました。
お衣装部さんのお話なんかも聞いてみたいですよね。