ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、古典文学など好きなものについて語るところ。

雪組『fff』『シルクロード』感想2

雪組公演

kageki.hankyu.co.jp

ミュージカル・シンフォニア『f f f -フォルティッシッシモ-』~歓喜に歌え!~
作・演出/上田 久美子
レビュー・アラベスクシルクロード~盗賊と宝石~』
作・演出/生田 大和

宝塚大劇場公演、後半戦の感想です。
前半戦の感想はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com

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冒頭でナポレオン(彩風咲奈)は「余が求めるのは人間の勝利」と言い、ルイ(望海風斗)は「俺が求めるのは人間の勝利」と言い、「人間の時代」、つまり神の時代から解放された近代人らしく「人間の勝利」を目標に掲げる。
そこでゲーテ(彩凪翔)は問う。「だが何に?」と。
この答えが雪原で提示される。
ナポレオンは「苦しむために人間は生きている」と言うし、ルイも自分は「普通の結婚ができない」不幸や人生だったと思っている。
それぞれの「苦しみ」「不幸」は、しかし彼らだけのものではなくて、人間が生きていれば誰でも、大なり小なり背負わなければならないものである。
彼らが勝利を目指したのは、この人間の苦しみや不幸である。
雪原という絶望的な状況の中で、それでも生きる希望を見出した2人は「勝利のシンフォニー」を奏でる。
あの隊列は壮大で見事である。美しい。

ルイとナポレオンは苦しみや不幸からの勝利を目指す点や自身を「天才」と言うところがよく似ているけれども、苦しみや不幸に勝利するためには「勉強」が必要であり、自分はその勉強をし続けているから、自分で自分のことを「天才」と言えるのだろう。
ナポレオンはルイに対して「勉強は好きか」と聞く。これはそのまま上田先生から観客への質問ととれる。
不幸や苦しみを乗り越えるためには結局勉強するしかないのだ。これは普遍的なテーマだろう。
ルイが好きな本は「カント」だと言う。時代を考慮すれば出てきて当然の人、むしろ近代哲学の始祖であり、これだけ「人間の時代」を強調するならば、出てこない方が不自然な人物である。
ただ作品の中にカントが出てきた覚えがないことを考えると、なかなか上田先生も意地が悪いなと。

ナポレオンはゲーテのことを「人間の中の人間」と言い、その理由を「よく耕された精神の持ち主」であるから、と語る。
ラテン語の耕作・育成という意味を表す言葉が教養・文化(culture)の語源になっていることを合わせて考えると、これはものすごく意味深い。
最後にナポレオンが流刑の地であるセントへレナ島で一本の畝を作った話が語られるが、物理的な耕作と精神的な耕作のダブルミーニングがよく響き合っている表現である。
しかもその話をルイの人生で唯一幸せだった時期を共に過ごしたゲルハルト(朝美絢)とロールヘン(朝月希和)が明かすという演出がとても良い。
いつだって彼らはルイの希望の光だった。

ゲーテはナポレオンに忠告するときに「皆はあなたの速さで走れない」と言う。このアドバイスの仕方が絶妙だなと。
ナポレオンは普通の速さで走っているつもりでも、客観的に見ると人よりもうんと早く走っていると言う事実は、それが普通のナポレオンにとってはなかなか理解できないだろうし、まして「人よりも早い速度でしか走れない人」に「遅くの人に合わせて走ること」がどれだけ難しいことか。
思いやりがあるないとか関係なく、本当にそれは無理なことなんだよ。
だってナポレオンは早い速度でしか走れないし、早い速度で走ることができるのに、わざわざ遅くする意味もわからないだろうから。
そしてナポレオンは勉強し続けて、早く走る努力もしている人なのだ。
いるいる、現実世界にもこういう人。

実にわかりやすい比喩で優しく諭してくれたゲーテの助言を無視してナポレオンはロシア遠征をし、失敗してしまう。
ゲーテはルイにも「もっと政治から解き放たれた音楽を書きなさい」と言う。
けれども最終的には「あなたには失望しました」とか言われてしまう。
ナポレオンとルイ、2人の天才を俯瞰した立場からアドバイスをするのに、どちらも受け入れてもらえない。
本当に踏んだり蹴ったりだな……あれでやさぐれないのだから、人間としての器の大きさがもはや違うのだと感じ入る。
ゲーテは文豪として扱われることが多いですが、政治家としての彼の一面に光を当てたところがこの作品の新しいところとも言えるかもしれません。
それからアーティストが政治的発言をするとすぐに炎上するこの国において、主人公であるルイが積極的に自由主義に基づく音楽を矢継ぎ早に世に送り出し、尊敬する人に「政治的すぎるよ」と言われても自分の信念を曲げず、そのためにありとあらゆる不幸に見舞われるけれども、最後は喜びにたどり着いたという一連の流れはムネアツ以外の何者でもない。

すでに発売されている『ル・サンク』の中で扉の音が4回であることは明記されていましたが、よく考えると音楽家モーツァルト(彩みちる)、ヘンデル(縣千)、テレマン(真那春人)とそれからバッハを加えて4人ですし、皇帝一家も、皇帝(透真かずき)、皇后(千風カレン)、カール(桜路薫)、ルドルフ(綾凰華)と4人。
ゲーテの最初の紹介でも「ナポレオン」「ベートーヴェン」「私はゲーテ」「そして……この声は誰だ?」と紹介されるのは4人(ちなみに『ル・サンク』で新しい名前を与えられた謎の女ちゃんが「運命」ではなく「運命の恋人」と表記されるの、最高じゃないですか?)。
天界のメンバーも歌うま天使3人(希良々うみ、羽織夕夏、有栖妃華)と智天使(一樹千尋)で4人。
ルイの幼少期もルイ(野々花ひまり)、父親(奏乃はると)、母親(笙乃茅桜)、謎の女(真彩希帆)の4人で場面は構成されている。
ボンでの生活もロールヘン(星南のぞみ)、ゲルハルト(朝美絢)、ロールヘン母(愛すみれ)、ロールヘン妹(琴羽りり)の4人によって支えられている。
ものすごく4という数字にこだわっていることがわかると、雪原での隊列の感動もまた一層深まります。
よく見ると楽隊メンバーや兵士たちも4人1組で動いていることがよくあります。
ナポレオンの戴冠式に出席していた男性貴族も4人、女性貴族も4人。
謎の女ちゃんの自己紹介ソングも「兵士」「母親」「子供」「女」と代表選手を4人挙げている。
これが今まで望海さんがやってきた役と考えることもできるでしょうが(貫一郎、?、エリック、桃娘)、作品の中の主要人物(ナポレオン、ロールヘン、幼少期のルイ、ジュリエッタ)とも考えられるかもしれせんが、どれも完全一致はしませんので、あくまで妄想の範疇です。
民衆の数は実は微妙なのですが、上田先生は『サパ』でも素数という数字に拘って作品を作っていましたから、今回も同じことが言えるでしょう。

4以外にも気になるのは倍数という考え方。
グッドデザイン賞間違いなしのトランペット砲弾(これは上田先生のアイデアなのでしょうか)は2つセットで出てきて、左右対称に配置されることが多い(オープニングはルイ、ナポレオン、ゲーテの暗示のため3つですが、左右対称)。
これは4の二分の一の倍数であるともいえそうです。
謎の女ちゃんについてくる黒い炎も2つありますね。
これは「不幸」(自称)と「運命」(他称)のそれぞれの象徴でしょう。流石に、4人いたら多すぎという感じがあるけれども、2人ならなるほどと思わされます。
こちらもまた4の二分の一の倍数ととれます。
選帝宮殿での貴族の見世物にされる場面でも男の貴族が2人、女の貴族が2人、従者が4人。
ここでも2や4が並ぶ。作品の中で2や4を探すのが楽しくなりすぎると、『シルクロード』でも探す羽目になるw
それからロールヘンからかけてもらったコートが、ナポレオンによって1枚また1枚と増えていく場面も倍数を感じます。
数字で世界を解釈しようというのは近代あるあるな姿勢です。
だから科学や医療が発達したわけですから。
このあたりのこともきっと意識されているのでしょう。
雪原の場面が美しいのはこの作品のあらゆるテーマが全てそこに集結しているからです。

雪原の場面ではそれまであった大道具が一切なくなり、いってみればだだっ広いだけの舞台になる。
ロールヘンが亡くなり、小さな炎が消え、絶望した最後の最後でルイが幻想の中で逢いたいと願ったのがナポレオンという発想もすごい。
よく考えてみるとここまでこの2人ってオープニングで一緒に歌って以来、一緒に何かをしていないのよね。
オープニングだってお互いを認識しているわけではないし、戴冠式も互いの視線はかち合わない。
まともに喋るのはこの場面だけ。
それなのに2人がずっと離れていたという印象を与えない演出もすごいな。
戦術は芸術で、音楽も芸術だから、四つ星から隊列と音符をそれぞれ連想させ、倍にしていく共通の発想をルイとナポレオンに認める上田先生ってすごいなあ。
普通はこの2人に共通点を見出そうなんて思わないし、どちらかといえばナポレオンとゲーテの方が共通点がありそうなのに。

もっともルイは史実ではボンに帰ってはいないから、帰ってからの一連の流れは全て創作である。
ロールヘンが亡くなったことさえも創作であり、実際の彼女はむしろルイより長生きをしている。
その中で、少年時代にも青年時代にもひたすらルイに慈愛を注いでいたはずのゲルハルトが、ロールヘンの死により、ルイを「どうしてもっと早くに帰ってこなかった!」と詰る立場になるのは、本当に胸が痛い。
ゲルハルトをロールヘンの妹ちゃんがなだめるのも胸打たれる。
それだけゲルハルトの中でロールヘンの死は重かったということだろう。
ロールヘンにも見放され、ゲルハルトからも優しい言葉をかけられなくなってしまったルイが生きる希望を失うのもわかる。
ロールヘンは「あなたがすばらしい音楽を作らなくても私たちはあなたが好きよ」と手紙で語りかける。
これは『サパ』において、サーシャ達がブコビッチに「研究者である前に1人の友人だと思っているよ」と言ったのと似ている。
友情は「何を為したか」で決まるのではなく「何であるか」で決まるということか。
あの台詞、私はとても好きです。

ツイッターでは「なぜ概念であるはずの謎の女が家事できるのだ?」という疑問をいくつか目にしましたが、私はあの場面を上田先生が時折やる「スーパー宝塚タイム」だと思っていて。
理屈なんか関係ない!トップの2人がいちゃいちゃしているところ見たいでしょ!
宝塚最後のだいきほコンビのコメディが見たいでしょ!
ほらいっちょ、やったるわい!どうぞ!という場面ではないかと思っています。
宝塚中華思想の持ち主なので(笑)、スターシステムによって細かい理屈を蹴散らすことがたまにあるなと思っています。
それはそれで好きです。
だからこそ、そのルイに「好きな本はカント」と言わせる振れ幅はすごいと思わずにはいられない。

最初に出てくるルイの部屋はダンスからはくまなく服が飛び出しているし、床には紙が散らばっているし、商売道具として大切に扱わなければならないだろうピアノの上さえ散らかっていて、しかもコーヒーが置いてあるという非常に乱雑な状態ですが、謎の女ちゃんに家事を任せて2回目に出てきたときのルイの部屋は大変に片付いていて、同じ部屋だとは思えないほどでした。
だからこそゴミが3つばかり落ちてくるのが目立つし、それを言われなくても片付けようととする謎の女ちゃんですが、なかなかちりとりと箒がいうことを聞かず、おもしろい場面に仕上がりましたね。

謎の女ちゃん関連でいうと、「聞こえないのね」と言って出てくる場面。
照明がぐにゃりと歪んで見えますが、あれはダリの「記憶の固執」のイメージでしょうか。
時計の溶ける感じを連想しました。
だからこそ、ルイが孤独になる場面は、謎の女ちゃんもいなくなって、本当のいいで一人になって、照明も万遍なく暗い。
ルイは「静かだな」とつぶやくけれども、あの静寂がこれだけ際立つのは、聴覚だけでなく視覚も静かだからでしょう。
歌うときもあたかもルイの他にも人がいるようにスポットがあたる部分がありますが、これがより寂しさを際立たせる。
怖い演出です。

それからナポレオンが死んだ後、銀橋でルイは振り返らずに謎の女ちゃんがそばにいることを認知する。
これがすごい。
ナポレオンとともに勝利のシンフォニーを綴ったルイですが、苦しみや不幸に勝利し、生き残ったところでまた別の不幸がやってくるのは人生の中では当たり前のことで。
生きる活力を見出したがために再び彼女と相対することになるともいえそうですが、生きることは不幸がつきまとうというメッセージはある種不吉ではある。
けれども、観客から見れば必然の謎の女ちゃんの再登場を雰囲気だけで、背中で察知するルイとの関係ってとても特別だなと思います。
言葉を選ばずに言えば、馬鹿には不幸が近づいてきてもわからないのではないでしょうか。
名前が分からなくても、天才を自称するだけあってルイにはわかるのですね、彼女が近づいてきたことが。
「名前のわからないものは呼び出せない」「名前を変えることによって概念そのものも変わる」という考え方はメルロ・ポンティー卒業論文に選んだという上田先生らしいです。

『ル・サンク』にありました通り、音楽家の三人はそれぞれデフォルメされて描かれていますが、こういう手法を竹田先生はもっと取り入れると、ぐっといい作品になるのではないかと思います。
まあ、とにかくみちるモーツァルトが可愛くて仕方がないんですけどね、私。
髪の毛先なんかほのかにピンクで、とってもキュート。
愛らしい。ひたすらにかわいい。ヘンデルテレマンと一緒になって肖像画になったり彫刻になったりする演出は大変おもしろい。
さすが上田先生~!という感じ。

新人公演はないとはわかっているけれども、もしできたらどんな配役だっただろう。
どんな配役が診たかっただろうと考えた結果、「ルイ→彩海せら」「謎の女→有栖妃華」「ナポレオン→縣千」「ゲルハルト→眞ノ宮るい」「ロールヘン→希良々うみ」のあたりでしょうか。
ゲーテは誰がいいかなあ。
ナポレオンのあがち、最高だと思うんだけどな。

ゲーテの芝居「若きウェルテルの悩み」では、「旅行に出かけようと思います」という『うたかたの恋』の「マリー、来週の月曜日、旅に出よう」という台詞を連想させたあと、ウェルテルは、右回りの盆の上にいるロッテから銃を受け取り、オケピの階段を下手側に降りていく。
そのあとルイは左回りの盆の上にいるロッテから同じ銃を受け取り、オケピの階段を上手側に下っていく。
この違いがあるからこそ、ルイはウェルテルに重ねられながらも、とりあえずこの場面では自殺しなくて済む。

最後に!
花道にまで映像が映し出されますが(最近はやりのプロジェクションマッピングというものかしら?)、例えば何かの不幸があったとして(大劇場郷演は幸いにありませんでしたが)、そこに役者が経てなかったとしても、「ここまでが舞台だぞ!舞台なんだからな!」という意気込みを感じずにはいられません。
そうだよね、花道も銀橋も舞台だよね。知っているよ。


さて、お次は『シルクロード』。
プロローグの銀橋渡りで咲ちゃんの背中にそっと寄り添う仕草がたよやかで娘役のお手本のようなきわちゃんですが、最後に咲ちゃんの顔に向ける目つきが鋭い女豹のようで、ドキリとしました。
なんとその場面は『ル・サンク』にありますので、皆さん、ぜひご確認を!
ライブ配信ではうまく映りませんでした。
一足早い『ル・ポァゾン』かと思いました。とても素敵。

素敵といえば、中国の場面では咲ちゃんがネックレスをきわちゃんの首にかけてあげますが、その直後に三つ編みの髪を肩よりも前に出してあげるしぐさが可愛く可愛くて、もうたまらない!
しかもそのあと、きわちゃんはその三つ編みをずっと肩の後ろにやってしまうことなく踊り続けます。
あれだけ跳ねているのに、なぜ……すごい。娘役芸だわ。
きわちゃんがダンスにおいて咲ちゃんんい先に仕掛ける場面がたまらなく好きです。
なんていうかはいからさんみたいな感じというのでしょうか。
そもそも娘役が先に仕掛けるのが好きなんですね。

きわちゃんといえば、髪形やアクセサリーはわりとクラシカルにまとめてきます。ザ正統派みたいな感じ。
それに対してみちるちゃんはキュートで個性的な髪形やアクセサリーが多く、いってしまえば、それみちるちゃん以外にどうやってに合わせるの!?みたいなものが多い。
こういう対もおもしろいなあ。二人とも大好きです。
だからこそみちるちゃんの出番の少なさが気になる。あとひまりちゃんも。

千夜一夜の場面では、日増しに色気が垂れ流しになっていくシャフリヤール王ですが、ああこれはもう男も女も抱いているなという感じでしたね、はい。ごちそうさまです。
なんで色気が増すのだろう、この短期間で。正月もなかなかだったと思うのですが、私だけじゃないですよね?
しかも望海さんと翔くんのアドリブのあとで、客席が十分に温まっているのに、なんてことしてくれるのよ。
もっとも王様本人も笑っているときがございますがw
この後の「すべてこの世は物語~♪」というフレーズが好きすぎるのですが。
真彩シェヘラザードは王のそばにいて、王のために物語を紡ぐのに、歌は遠くの銀橋を渡っている黄金の奴隷とのデュエットで、目の前にいる王様とのデュエットじゃないんかーい!ってなります。
しかしそれだけあの盗賊と宝石の絆が強いということでしょう。
望海さんと真彩さんの絆が強いように。

争いのコロスの場面。
二羽の白い鳩と大きな木。これはプログラムで生田先生も触れていましたが、「平和と生命」の象徴。
例えばこれを比翼の鳥、連理の榊と読み替えれば、だいきほ、そしてそれにつづくさききわの前世からの因縁なるものを感じずにはいられません。
二つで一つという中国の決まり文句ですね。
ところでこの場面、倒れたコロスたちを載せた盆が回るのですが、コロスたちは一周半させられるんですよね。
酔ったりしないのかな……と回る盆の上に当然乗ったことのない私はいらぬ心配をしています。

真彩さんはずっとダンスが苦手だと言っていたけれども、今回のショーを見たら、そんなこと、本当に過去の話で、乗り越えてここまでやってきたんだなと思わずにはいられない。
特にデュエットダンスでは、背中で喜びを語っている。発光している背中で思い切り歓喜を歌っている。
男役は背中で語るというけれども、娘役だって背中で語れるんです!という感じ。

プロローグでは、望海さん扮する盗賊を取り囲む砂の女はきわちゃん、みちるちゃん、夢白の三人ですが、望海さんと今まであまり関わっていない夢白ちゃんよりも、ひまりちゃんやりさの方が良かったのではないかという感じです。
これはもう劇団が指定したのかな。難しい問題です。でも退団公演でいきなり知らない女性に取り囲まれてもなあ……。

希良々うみちゃんは、おかげさまでもうどこにいてもすぐに見つかりますね。
プロローグ、宝石、中詰、青原の淑女、どこでも素敵です。
なんとなくゆきちゃん(仙名彩世)に似ているような気がします。
格好良い系の娘役として大変貴重なので、劇団さんには大切にしてほしい。
これからも超超頑張ってほしい娘役の一人です。
他にもはおりん(羽織夕夏)が可愛いですね。私の好みは丸顔なのでドストライクです。
愛羽あまねちゃんも可愛い!ってなります。朝美さんの『ブリドリ』に出ていましたね。
音彩唯ちゃんもすぐにわかります。あの小さい顔にギュッとつまった目と鼻と口。すごい。彫刻か?

男役ではあみちゃん(彩海せら)がやはり気になるのですが(わかりやすい)、かなり男前になっている群舞にハートを完全にもっていかれたような感じです。
どんどん素敵なスターさんになっていきますね。階段降りもありますし。
いや、青年ルイとゲルハルトの舞台写真、東京では絶対に出してくださいよ……。

上田先生の考える「神」の考え方がおもしろいなと思いました。
『サパ』において、ブコビッチは「神などいない」という。
『fff』において、ルイとナポレオンは神の支配から解放された「人間の時代」を訴える。
『神々の土地』ではロシアの神々がキリスト教一神教と二項対立で描かれている。
『月雲の皇子』は言葉を操るのは勝者、正しい言葉として受け継がれるのはすなわち神の言葉であると考える。
これはいろいろおもしろいことになりそうだ。

サヨナラショーの『ドン・ジュアン』のエメで大階段に『シルクロード』の大木が出てきたとき、「ああ、ドン・ジュアンは赤薔薇だったけれども今回は青薔薇でドン・ジュアンが人生をやり直して盗賊になったんだな」と思ったのですが、同じやり直しなら『ひかりふる路』の転生と考えるのもおもしろいかもしれません。
当時のお衣装をふんだんに使ったサヨナラショー、ありがとうございました。
悪の華」からずっと泣いていました。あと「アンダルシア」はやばかった。
「第三倉庫に八時半」時計を見るしぐさをされましたが、もちろん時計はしていません。好き。
サヨナラショーの最後のお衣装、最高でしたね。緑と雪の衣装……本当に最高でしたよ……いや、真彩さんの髪形ももソーキュートだったよ。すごい。
望海さんの最後の挨拶で「いつも隣を一緒に走ってくれた真彩」というのが嬉しくて、私まで泣いた。よかったね。
真彩さんも「世界一幸せな娘役」と言っていて、本当に涙出るわ……。
ひとまずは大劇場公演、お疲れ様でした!
幸せをありがとう!