ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

外部『シベリア少女鉄道vol.35アイ・アム・ア・ストーリー』

外部公演
シベリア少女鉄道vol.35アイ・アム・ア・ストーリー』
作・演出/土屋亮一
出演者/小関えりか、川井檸檬、加藤雅人、浅見紘至、瀬名葉月、大見祥太郎、井筒しま、東出薫、野口オリジナル

フォロワーさんが観劇して、よかった!と言っていたので、気になっていたところ、配信があるということなので、配信を視聴しました。
広告がキュートなピンクでポップで可愛い……んだけど、ちょっとどうなっているのかはよくわからなくて、んんー?! 女の子の体、分解されていますけど、いいんですかー?!となり、さらに惹かれました。フォロワーさんもこのチラシで気になったという旨をおっしゃっていたので、わかるー!と一人で納得していました。こ、これは……気になる。たしかに。どんな話が全然想像がつかない。

で、見たのですが、これがすごかった。楽しかった。いやーこれは現場で見たかった。すごかった。迫力が。力技だよ。チラシのキュートでポップだけど毒がある意味がわかるような気がした。
最初は昔懐かし中島みゆきの「銀の龍の背に乗って」が主題歌であったドラマ『Dr.コトー診療所』(原作は漫画だったかな)のキャラメルボックス版か?と思ったのですが、全然そうではないのはすぐにわかります。なんせ一人で三役四役やってますからね。初めてシベ女を見る私にとって、役名と演者の名前が表示されるのはありがたかったし、だからこそ一人で何役をやっているのが明瞭にわかるというのがおもしろい。
一人で複数のキャラクターを演じているから、着替えはもう大変。だから演技や衣装はもちろんですが、それ以外でも小道具(松葉杖、斧、封筒、ナースキャップ、ランドセル、箒、ヘルメット、物干し竿、サングラス、漁船、酒などなど)でキャラクターを演じ分けている。うまいなあ。もっとも衣装は間に合わないことが後半、増えてくるのですが(笑)。それで笑いを誘うのは反則やろ〜!って思うけど、これが笑わずにはいられない。
「やっている方は大変」と演出家は繰り返すけど、そりゃそうでしょうよ、という感想しか思い浮かばなかったよ! こりゃ絶対大変だよ! 他の劇団ではなかなかできないのではなかろうか。

本土から離れた孤島にやってきた一人の医者、クトー先生。最初は島の人間で歓迎してくれるのは数人の老人だけなんだけど、病気や怪我のたびにクトー先生が一生懸命手当てをしてくれるから、クトー先生は島の中で居場所を得ていく。物語はそんな、クトー先生が島民の信頼を得てにぎわった病院から始まる。
ちょっとそそっかしくてクトー先生のことが気になっているナース、入り浸っているおじいちゃん、祭り好きなのに骨折してしまったお嬢さん、クトー先生が来る前に撮った島民の写真を見せる病院スタッフ、そして医者に憧れる男子中学生。唯一この彼だけが男子中学生しか演じていないから、何かあるなとは序盤から思っていたけれども……まさかあんなことになるなんて……なんなら彼が一番演技力を必要とする役でした。すごい。力技感がすごい。
ある意味彼が主人公なのでしょう。島で育った男の子。父親は既に亡くなり、母親は島を出て行った。島のみんなは家族のように接してくれるし、クトー先生のような医者になりたいという夢もできた。けれども最近祭りが近いせいか、なんだかみんな忙しくて、彼の話を聞く余裕のある人がいない。彼に話しかける人はたくさんいるのだけど、彼の話を聞く人がいないのだ。
やがて彼は感情を爆発するにいたる……のだが、これが単なる思春期の子供の悩みにとどまらず、大人も考えるべきことにつながるのが、ゴミ処理場の話だ。

並行して本土では、議員の秘書をやっている島の出世株が何やら議員と怪しい話をしている。
どうやら島にゴミ処理場を作ろうというのだ。しかもそれは議員発案ではなく、秘書発案というのがにくい。自分の故郷に錦の旗ではなくゴミ処理場をたてようというのだから。どうしてそんなこと思いつけるんだよってなるよ。
島にゴミ処理場を作ろうという話そのものはどこにでもよくある話に思えるのですが(嫌なことは下に押し付ける、みたいな感じでイヤですね。なんなら沖縄にアメリカ基地を押し付けていることを思い出してしまったよ。つらぁ……っ)、これがまたラストに効いてくるのだからすごい。
議員と秘書、それからその二人を追うこれまた怪しげな記者、男女のモデルが本土から島にやってくる。島生まれで警察官になった人も島に戻ってくる。

いよいよ祭りの日が近づき、人が増えていき、忙しなく行き来する島の中で、誰も自分の話を聞いてくれない。たまりにたまった感情、フラストレーションを爆発させた男子中学生は、とうとうアイデンティティが拡散するに至り、他のキャラクターの小道具を奪い、役までをも乗っ取っていく。漁猟長、父親、クトー先生、おじいちゃんたち、最初は男性のキャラクターだけだったのに、ナースや女子小学生、巫女さん……次第に女性のキャラクターをも飲み込んでいく、キャラクターのアイデンティティを示す小道具とともに。
小道具はやがて膨れ上がり、ロボットのような形になる。真ん中で操縦しているのはもちろん男子中学生の彼だ。この小道具をつなぎ合わせて作られたロボットのようなものが、まさしく「ゴミ」に見えるのだからすごい。彼を中心としてゴミ処理場は「既に完成している」ようにも見えるのだ。

演出家は「無邪気に楽しんで」というけど、これ、本当に無邪気に楽しめる作品だろうか。前半はともかく、後半は楽しめたけど、無邪気にはなれなかったよ……。だってこの「ゴミ処理場」って、私たち一人一人の心の中にあるものでしょう。
決してこの「ゴミ処理場」がマイナスの意味でだけ使われているとは思わない。物がなければ人は生きていけない。物はこれまで生きてきた証でもあるのだろう。けれども、やはりプラスのニュアンスでだけで受け取るのは無理があろう。

ゴミロボットを倒すのはナースである。
このナース、おそらく男子中学生が医者になりたいと思っているだろうことに最初に気がついた人なのでしょう。だから彼女が最後に彼と真っ向から向かい合う。うまい。
ナースは思い出のアルバムの中にいる人物たちからギター、物干し竿、長老のひげなどを受け取り、変形させ、組み合わせて弓矢を作る。
矢を放つとき、しかしナースが男子中学生とちゃんと向かい合っているかどうかは難しい。なぜならば「先生! 私、乳がんなんです」と叫びながら矢を放つからだ。
ナースはあくまでもクトー先生に呼びかける、ように見える。目の前の男子中学生の目を覚まさせる気があるのか?と疑問にも思う。
けれども、この男子中学生が医者になりたいと思っていることを考えると、合点がいくところもある。「いずれ、私のような病気の人を救う医者になるんでしょ、目を覚ませ!」と言っているようにも聞こえる。
ナースがそういう気遣いができるキャラクターとして描かれているかどうかは非常に微妙なところではあるのだけれど。
そして放った矢が男子中学生に当たって、暗転。このあとみんながどうなったかはわからないまま終わる。すごくシュールだ。でもものすごく楽しかった。タイトルの通り、これは「私の物語」だし、一方で「みんなの物語」でもあるなと思った。一人一人が持っているんだよ、心の中のゴミ処理場。空にはならないだろうけれども、適宜整理をして、風通しの良い心でいたいものです。