ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

外部 木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』感想

木ノ下歌舞伎『桜姫東文章

作/鶴屋南北
監修・補綴/木ノ下裕一
脚本・演出/岡田利規
出演/成河、石橋静河、武谷公雄、足立智充、谷山知宏、森田真和、板橋優里、安部萌、石倉来輝

木ノ下歌舞伎初心者です。
いやはやなんとも不思議な時間を過ごしました。もういっそすがすがしいくらい何もわからない。でもそのわからなさは全然不愉快ではない。私はわりと「わかる」ことに価値を置きがちな、面倒くさい、理屈っぽいところがある人間だなという自覚があるのですが、今回の舞台は「なんなんだこれは……」と思う一方で、でも確実に何か意図があるのだろうとも思えました。私がその意図に至らないだけで。
もっとも私は原作となっている歌舞伎が好きで、もともと話をある程度知っていたから楽しめたのだろうとも思います。だからこそ歌舞伎の内容を知らない人が見たらどうなるのだろう、どういう感想をもつのだろうと非常に興味がわきました。けれども、そもそも歌舞伎の元ネタを知らない人は木ノ下歌舞伎を見ようとは思わないのかしらん。役者のファンだと見に来てくれそうかな、と思うと、推し活や推し事というのは、もしかしたらアーカイブを残していくことの裾野を広げる役割を担っているといえるのかもしれません。
同時に歌舞伎が好きな人には、もしかしたらこの作品はウケないかもしれないな、とも。そう考えるとターゲットを絞るのも難しい作品だなと思う次第。

舞台は廃墟というかさびれた貴族の別荘か何かのような。ヨーロッパというよりはギリシア風に見えたのは柱の印象のせいでしょうか。プールというか池のようなものがあるせいでしょうか。この一段低くなった水の中に音響さんが一人いて、電子音のための機材やら何やらも確認できました。途中、マイクを使う演出があったのも不思議だったな。プロセニアムアーチのようなものが少し下手向きに開かれていたかな。
開演時間になると、特にそれらしいアナウンスもないままにぞろぞろと役者たちが出てきて、着替えたり小道具を用意したりして、そうこうしているうちに清玄と白菊丸が心中しようとする場面が始まる。それ以外の役者は何をしているかといえば、私達観客と同じように舞台の上でその場面を一緒に「見て」いる。非常にわかりやすいメタ表現である。
そして演者たちはずーっと棒読み。もちろんわざとやっているのだろうし、わざとやっているということも伝わってくる。だってこの人たち、めちゃめちゃ発声がいいのだもの。何を言っているのかちゃんとよく聞こえる。じゃあなんで棒読みかといえば、たぶん芝居になんらかの批判精神を読み取らせたいからでしょう。それが歌舞伎の内容を現代に置き換えることを指しているのか、それとも他の何かなのかは、あまり判然としなかったけれども、とにかく役が変わっても演者たちはずーっと棒読み。
では何でキャラクターを演じ分けているかといえば、あばら屋に不釣り合いだと思われるほどのカラフルな衣装でしょう。それも観客のいる前で準備するというおもしろさ。
あとは体の使い方ですかね。しなやかにのびやかに、みんなよく体を鍛えているのだろうと感じました。争いの場面は歌舞伎の典型的な掛け声や動きもあって、でも型の中にもちゃんとそれぞれの登場人物たちの気持ちがのっていて、本当にうまいなあ、と。この人たちが本当に感情をのせる台詞をいいながら芝居をしたら、歌舞伎そのものではないのに歌舞伎みたいな暑苦しさを感じてしまうのではないかと思うほど。よく通る声とよく動く体でした。すごい。

それだけに残念なのが、センター奥と上手手前に置かれたあらすじや場所を紹介する文章ですかね。「序章」「第一章」とかはあった方がいいし、場所が急に変わるところもあるので、誰がどこにいるのかくらいの情報は提供してもらえてありがたい、親切なのですが、たとえば「清玄が白菊丸は心中しようとしたが、清玄だけ生き残った」みたいな文章は完全にネタバレじゃないですか。「清玄は白菊丸と心中しようとしていた」だけでいいと思うよ。「清玄だけ生き残った」は別に書かなくても芝居を見ていればわかるよ、原作の歌舞伎を知らない人でもさすがにそれはわかるだろう、という話の流れが書いてあることを多くて、せっかく芝居を見に来ているのに、説明されるのはなんかちょっとなあ……と思ってしまいました。
でも、もしかしたらそれも何かの、一つの狙いだったのかもしれません。つまり、先に観客にあらすじを紹介して、それを棒読みの演者が演じて、さて観客は何を、どんなクリティカルなことを受け取るか、という。ブレヒトの異化効果的な。しかし、私には難解すぎたよ、パトラッシュ。どんな意図があったのか、ぜひとも知りたいところ。

批判精神といえば、わかりやすかったのは2幕のお十でしょう。桜姫の代わりにお十が女郎屋へ売り飛ばされようとしている場面で、観客に向かって「さて、ここで問題です。今売られようとしているのは何でしょう」「またモノ扱い」みたいな台詞があったと思うのですが、ここだけはなんだかものすごーくあからさまに脚本が作られているなという感じがしました。
ちなみにお十役の安部萌は、随所でポーチを振り回して存在感をアピールしており、台詞がないときもぶらぶらと動いているので、なんとなく視界に入ってきてしまい、私はなんだか落ち着かないなと思ってしまいましたが、あれにも何か意味はあったのでしょうかね。あったのだろうな……。
あと、彼女はトップスが肌色っぽい色だったのかな、最初に見たときは「上半身……着てる?」という感じでひやひやしました、驚いたわ。
驚いたといえば、非人たちの役が印象的だった石倉来輝は、最初に出てきたときにTシャツだったのですが、後ろを向いたら、背中がむき出しで「おお!?」と思いました。どんなアバンギャルドな設定なの。

私はもとの歌舞伎が結構好きで、ただ、清玄が桜姫の子供を育てる羽目になるところまでがおもしろいと思っていて(「上の巻」が最&高!)(宝塚の一本物も大抵一幕が好きな女)、途中はあんまり記憶がなくて、最後の桜姫が清玄の幽霊に、「自分の子供がすぐ近くにいること」「権助が父と弟の仇であること」を教えてもらい、権助と子供を殺す場面は強烈だな、と。
最初に見たときの「あー!?」という新鮮な感情は今も覚えているけれども、だからといって桜姫よ、子供まで殺すことはなかったのではなかろうか、とも思いました。いくら仇の子供とはいえ、子をなしたときはまだ父も弟も生きていたわけだし、無理やり一つになったとはいえ、自分は顔もわからない相手と同じ彫り物をいれるくらい相手にぞっこんになった、つまり一時は本当に愛した人間の子供なのだし、子供そのものに罪はないわけだし……とはいえ、そう思ってしまうのは、現代の感覚であり、吉田家が落ちぶれていったのはそもそも父が亡くなり、家宝が盗まれたことが発端なのだから、やはり仇の子は仇、殺さなければならないというのが江戸の感覚なのかもしれません。
だからこそ、今回は子供は生き残るかなとも思ったのですが、もう出てきた最初から子供なんて全く大切にされていないというか、小道具の赤子がなんというか、まったく有機物の香りがしなくて、やはり最終的には桜姫に殺されてしまうのでした。痛々しくなかったのは、赤子がいかにも赤子という姿でなかったからでしょう。なんだか粘土の塊みたいな子供だったからな。それは良かったのかもしれない。
小道具といえば、清玄の幽霊もなかなか滑稽な仕掛でした。早着替えとかどうするのかな、と思っていたら、そうきたか。しかし、あんなチープなナリの人間(幽霊)に「事実」を語らせるのは、なかなか気が利いているな、と。見た目でヒトを判断しちゃダメよってことか。

観客の芝居をしている役者たちは、歌舞伎の大向こうのように「ポメラ二屋」「ダルメシ屋」「スガキ屋」「ブルガリ屋」「シルバニ屋」「ベニ屋」と声をかけていて、そういうものかーと思っていたけれども、最後に桜姫が権助と子供を殺して「ハレルヤ」と言ったときに「つながった!」と思いましたね。何がどうつながったのか、「〇〇や」が一緒なだけじゃないか、という感じがすると思うのですが、体感的に一回りした!という実感が得られました。お腹にストンと落ちたというか。観客がずっとかけていた声を、最後に役者が観客にかけるという、これよ! これこれ!
歌舞伎にあるはずの吉田家お家再興のお祭りの大団円がなくて、この「ハレルヤ」で終わったのがまさに「ハレルヤ」でしたわ。粋な演出でした。取り返した都鳥でさえ放り投げてしまう。自分にはいらないものだと桜姫は態度で示す。家に縛られない。よかったわ~!
ただ、東京の初日とはラストが変わったという話もあって、一体最初はどんなラストだったのだろうかと気にもなります。

成河はもうさすがにうまい。何をやらせても安心。訓練されている。にざ様(片岡仁左衛門)の動きをよく研究したのだろうなという感じがする。
石橋静河は今回が初めましてだと思うけれども、ポスターのときも「少しちゃぴに似ているかな?」と思い、芝居のときにも思いました。桜姫の大きなフードも彼女に合わせて絶妙に計算されていて、しっかり顔が見える仕様になっていたのはすばらしかった。こちらもたま様(坂東玉三郎)の面影を残しつつ、しかしかなり主体的に動くキャラクターになっていたのがよかったです。桜姫が服を脱がせるとか!>< 赤髪の桜姫の堕落っぷりというか、たくましい成長っぷりは本当に感心しました。
粟津七郎を演じた森田真和は、ずっとつま先立ちだったのが気になりました。これも何か意味があったのかな。

箱は穂の国とよはし芸術劇場PLAT主ホール。電車の音が気になる人もいるようですが、私はわりと好きです。駅からすぐ近いのもいいし、小ぢんまりした感じもいい。椅子のメッシュは賛否がわかれるかもしれませんが、私はとくに嫌いということはありません。傾斜もあってちびの私にはありがてぇ~!
木ノ下歌舞伎は今後も機会があればぜひ見てみたいです。できれば、今度はもうちとわかりやすいといいな。