ゆきこの部屋

宝塚やミュージカル、映画など好きなものについて語るところ。

月組『Rain on Neptune』感想

月組公演

kageki.hankyu.co.jp

ドラマティック・ショースペース『Rain on Neptune』
作・演出/谷貴矢

海ちゃん(海乃美月)のバースデー観劇となりました。ありがてえ!
しかし現地で海ちゃんのスチール写真だけが売り入れていた。納得いかねえ!
そしてタカヤ先生は早くショー作品でデビューしましょう。頼むでえ!

タカヤ先生と月組は『出島小宇宙戦争』『ダル・レークの恋』と続いて今作。全て出演している海ちゃんはタカヤのミューズに違いない!
舞台が舞浜ではあるけれども、コンサートで「みなさーん!」みたいになっているれいこちゃん(月城かなと)が想像しにくく(笑)、またせっかくれいうみコンビだから芝居が見たいと思ったタカヤの気持ちはわかるし、私もそうだけど、やはりちと芝居パートは見にくかったかな……私は一番端で観劇したときもあって、真ん中で向かい合って芝居されるときは、手前の人の後頭部に奥の人の顔が完全に重なってしまい、2人の会話なのに、2人とも表情が見えないというストレスがございました。これは集中力が途切れるから私は苦手なのです(>_<)

とはいえ、良かったところもあります。
デュエットダンスの際、れいこちゃんを見つめる海ちゃんの表情を真正面から拝むことができたり、海ちゃんを見つめるれいこちゃんの眼差しをこれまた真正面から受け止めることになりまして……いやはやあの端正で麗しい顔のとろけたる顔面の破壊力はなかなかでした。心のスケッチブックに一生残るし、墓場まで持っていく。本当、お似合いの相思相愛のカップルなのだなとつくづく思いました。マジでミラクル・ロマンス(あ)。

開演前にプログラムを読む時間がなかったので、1回目はノー知識で見たのですが(なんせツイッターでもショーの感想しか流れて来なかった)、ありがちな、短めのお話ですし、ひたすら美を浴びたという印象しか残りませんでした。
もちろん、シャトーの城、ネプチューンの海、アプリコの杏にはタカヤの愛を感じるし、氷と女王は「普通の人間の娘がヒロインではない」タカヤ節が炸裂していますし、映像も装置も衣装も良かった。良かったのだけど……マッドサイエンティスト(だよね?)がつくるのは、母娘に似せる必要はあったのか、と。
これ、完全に『999』(ショーの歌にもありましたが)とか『エヴァ』とかその系譜じゃないですか。
母ってそんなに神聖な存在ですか、ね……?
途中、トリオン王が陽気な碇ゲンドウにしか見えなくなってつらかった(陽気な碇ゲンドウとは?)。
ジェンヌにアニソン歌わせるにしてもヨシマサみたいにならない(え)あたりはさすがのタカヤなのに、なんちゃってSFだとそちら寄りになってしまうのか。毒素を含む雨が降る星、地球という設定はわりと面白かったと思うのですが、個人的に私はひたすら「家族」という単位に疑問と疑念しかない女なので、すいません、ちょっと引いたわ。
それから、すでに地球が荒廃していて、金もちは他の惑星に移り住んだということも、プログラムを読まないとわからなさそうだな、と。
海ちゃんの美しさはもちろんその分を取り返してはくれたのですが、でも私はそれだけでは満足できない面倒な人間なのよ、ごめんなさい。

ビジュアル公開時から、見たこともないようなれいこちゃんの銀髪?で、おでこがかなり見えるタイプの前髪(オールバックではないのだろうが、あれはなんと言うのだろう)で、眉もキリッと上向きで、こりゃ海ちゃんのビジュアルも期待できるぞ、と。あと主役がスペードという安易な発想でないのもいいぞ、と思っていました。
ベルメールの清楚なお嬢さんは言うまでもなく愛らしかったのですが、ネプチューンの冷たさといったら……!
わりと早くシャトーと意気投合してしまうので(時間の都合)、冷酷無慈悲みたいなネプチューンは本当に最初の方しか拝めないのですが、ビーズのマスクに人魚をイメージしたと思われるブルーのお衣装、そしてあのメイクは本当にすばらしかった。美の光線を浴びたって感じだった。

トリトン王に「ネプチューンに恋をしないこと」と言われて、「そっちはえらく簡単だな。会ったこともない人間にどうやって恋するんだ」みたいなことを言っておきながら、一瞬で恋に落ちるやん?
なんで見せた?と思わないでもないけど、まあこれも時間の都合かな。
マッドサイエンティスト(だよね?)のトリトンにしたって、石を擬人化するのと遺伝子操作するのとではだいぶ違う気もするけれども、まあ時間がないからね?
ネレイドとラリッサはトリトンと地球時代からの知り合いで、むしろマッドな部分の黒幕なの?とも思ってしまったり。
ラストも「俺たちの戦いはまだまだ続く!」と『ジャンプ』の打ち切り漫画のように終わってしまった気もします。
当初の予定とはだいぶ違うものになったということなので、急いで書き直したから仕方がないのかな?
オリジナル版でガッツリみたいよ、別箱でもいいからさ、アンハッピーでもいいからさ、と思ってしまったのでした。
苦言ばかり呈しているようですが、タカヤのこともっとできる!って思っているのは本当ですよ!!!

ザ⭐︎タカヤのヒロインを体現するもう1人はみちるちゃん(彩みちる)のクール。アンドロイドですって。デビュー作を思い出しますな。
何がいいって、女性がロケット?の操縦を担当しているところですよ。英かおと演じるトレフルも天才技師で、故障とかは彼が直すのかもしれませんが、女に機械を扱わせるという発想は、なかなかエンタメでは見ないからさ……いたらいたで「リケジョ」とか言われるしさ……そのあたりを回避しているのはさすがなんだよ!
思えば『元禄』でもキラが時計を作りますし、本当タカヤのそういうところは信頼できる。
なんとなく心が芽生えたところで終わるのも、もうちとなんか展開が欲しい気もしますが、まあ時間がなかったからね。
ところでみちるちゃん。また痩せましたか?
なんかちょっと心配です。彼女の持ち味であるダイナミックなダンスに影響がないといいのだけれども。

そして『ダル・レークの恋』に引き続き主人公の心象風景を表現するシャドーのお役のこありちゃん!(菜々野あり)良かったなあ、良かったよ!
ゲストトークでは「今回は宇宙が舞台ということで、シャトーの影の部分を重力を感じさせない踊りで表現しようと頑張りました」とな。ふぅー! すげーな! 無重力ダンスですってよ!
影の部分を娘役に担当させるというのも、ニクイな、タカヤ! 光と影なら、光が娘役で影が男役になりそうなところかな、と思いまして。
ショーでも「コンパス・オブ・ユア・ハート」で、みちるちゃんとシンメになったり、「コブラ」でからんちゃん(千海華蘭)と組んで踊ったり大活躍でしたね!

そらちゃん(美海そら)もトパーズ役では可愛い髪型しちゃって、さ……!
あれは両サイド三つ編みドーナッツになっているのかな。すごいキュートだった。
毎公演、後ろではいろいろ違うことをやっているのだろなということを感じさせました。これだから芝居の月組はやめられない。
ショーでも「銀河鉄道999」のときにセンター歌うとはちなつに寄り添って踊っていましたね。やだ、世界に発見されちゃう! みんな見て!
一列に並ぶときなんかは、学年の関係でこありちゃんと近くにいることも多く、サイド席だったときは目の前に来てくれることもあって良かったなあ。
でも反対を言うと、サイドは当然といえば当然ですが、本当に下級生ばかりで、もっと下級生を前に出したれや!とも思いました。
それが円形の強みでしょう。もっともショーパートが短かったからかもしれませんが。
もう少し下級生も小出しでいいかな。せっかく別箱ですし。

からんちゃんとやすちゃん(佳城葵)をシンメにしたことは天才でしたね。なんて安定感のある2人なのでしょう。すばらしかったです。
ショーパートでもついつい見てしまう男役さんたちです。
あと、男役といえばまおくん(蘭尚樹)ですよ!
少年シャトーの芝居のうまさよ
本当は主演の少年時代を演じるような学年でもないのでしょうけれども、いやはやうまかったねぇ。そしてベルメール海ちゃんとの組み合わせも良かったね。ベルメールへの執着もすごかったね。
『出島』でも少年カゲヤスでしたし、慣れているのはあるかもしれませんが、良かったなあ。
こちらもショーではつい見てしまいますし、こありちゃんと組んで踊っていたときは歓びに胸が震えましたね。ありがたい。

ショーパートのスタートはちなつ(鳳月杏)から。
さすがの貫禄。からのデュエットダンス。前述した通り、おなかいっぱ〜い! 幸せいっぱ〜い!
このブルーのお衣装も、とてもよいだな、これが……っ! たまんねー!!!
虹は『ロマ劇』にも出てきましたし、一つれいうみを象徴するものになりそうですな。
『ロマ劇』といい、今回といい、次の『ギャツビー』といい、海ちゃんの方がれいこちゃんより身分なり地位なりが高いのもおもしろい。れいこちゃん自身だって、あんなに美しいのに。端正な人に傅かれるヒロインが似合いすぎるのだよな、海ちゃん。

舞浜ですのでねずみの国の曲も。
正直私は「Under the Sea」しかわからなかったけれども、知名度の高い曲のメドレーよりも作品のコンセプトである「海」にちなんだ曲のメドレーの方がいいに決まっている。
海ちゃんの歌った曲は『モアナ』の曲らしいですが、よい曲でしたね。娘役が力強い感じもまたよい。だからタカヤは信頼できる。
あとここの海ちゃん、一回り大きくなったように思えた。いい意味で力が抜けたというか。

アニソンメドレーは「銀河」「宇宙」に関する曲で、こちらは先程とうって変わって全部わかるというオタク。
そしてみちるちゃんが歌う「乙女のポリシー」に合わせて海ちゃんが娘役をひきつれて踊る場面は最高に幸せで泣いた。
あんな可愛い「乙女のポリシー」あるかよ?!
そうだよ、「どんなピンチのときも絶対あきらめない」んだよ! それがセーラー戦士タカラジェンヌの共通点なんだよ!!!
「可憐な乙女のポリシー」だからな! 私も胸に刻むよ!!!
「いつかほんとに出会う大事な人のために」ってもう、海ちゃんは出会ったんだよね〜!と思ったら泣いた。号泣した。でもこれは涙の序曲だった。
最後の「ピッとりりしく」もキュートだよ、みちる。

かーらーの「ムーンライト伝説」。やばいね? あんな艶っぽい上に格好いい「ムーンライト伝説」今まであった? いや、なかったよ。
海ちゃんが歌うんじゃないんかい!!!
「ごめんね、すなおじゃなくて」って、れいこちゃんが歌うんかい!!!
タカヤ、天才か?!?!となりました。落ち着けなかった。情緒不安定だった。「乙女のポリシー」より泣いた。なんでだよ、コンサートだからマスクの替えなんか持ってきてないよ。
すなおじゃないの、知ってるよ。海ちゃんの誕生日プレゼントも本人に直接渡さずに化粧台前に置いたんでしょ?!
しかもさー海ちゃんとデュエットダンスしながら、れいこちゃんが歌うじゃん?
この海ちゃんがもう完全にプリンセス・セレニティね。月のお姫様ですよ!
そして途中から海ちゃんも歌うけど、バックダンサー男役全員集合じゃん?
ナニコレ? エンディミオンがつれてきた地球軍なの? 四天王がいたよね???
ちなつがクンツァイトで、からんちゃんがゾイサイト、るねぴ(夢奈瑠音)がジェダイトで、英かおとくんがネフライトってことでいいですか?
さちかねえさーん(白雪さち花)、クイン・デビル様やってー!
一番の問題は、れいこちゃんはあんまりエンディミオンっぽくないのよね。兵士というより王族っぽいのよね。それなんて『ダル・レークの恋』。
呼吸困難で死ぬと思うくらい泣いたわ。
「月の光は、愛のメッセージ」なのですね、わかります。

そこからのトークタイム。いやはやこのトークタイムがあって良かった。なかったら涙が落ち着くタイミングがなかった。
コンサートならではのこのトークタイムですが、お茶会が開かれない時期にこの時間は実はものすごく貴重なのではないか?と思いました。花組でもやらないかな。あわちゃんのトーク、聞きたい。
私が聞いた回は「れいこちゃんが子供の頃になりたかった夢3択問題」と「海ちゃんにプレゼントするバースデー妄想企画3題」だったのですが、前者、ちなつってこういうの、本当に強いよね……なんでわかったの……『ブリドリ』のゲームとかもちなつは強いイメージがあって、なかなか罰ゲームをさせられない(笑)。
後者はるねぴの妄想が完全に『セラムンS』の百合界のカリスマ天王はるか海王みちるでした。
海辺をオープンカーでデートってね、素敵ですよ。
からんちゃんがしたり顔で浴衣花火プランを提示するのもおもしろかったし(きっと「夏祭り」を再生するのは彼女)、こありちゃんが控えめに、でも一生懸命考えてきたプランを披露するのもかわいかったなあ。

お次は宝塚メドレー。ここからはあんまりコンセプトは関係なくなりますが、でも宝塚の曲をやらないとね!
そして最初はまさかの御庭番衆だよ! ここで蒼紫様に会えるとは夢にも思いませなんだ。心はすっかり操の気持ちでした。この曲が下記にあるような名曲と並べられるとは感慨深い。
またね、ダンサーもよかったのよ、四人。好みかと聞かれると難しいけれども、彩音星凪くん、やっぱり目をひくわ〜。
前後で人間が交替して、お次はちなつがセンターで大勢引き連れて『1789』「誰のために踊らされるか」。れいこちゃんとちなつがすれ違うときにアイコンタクトをとるのがたまらん。そしてこの曲、月組生みんな大好きだな。
『ミーマイ』や『ロミジュリ』はれいうみで見たいと思う作品ではないからこそ、楽曲を聴けたのは良かったかな。いや、曲はいいからさ、やっぱり。
そしてショーメドレー「ル・ポアゾン」「ヒート・ウエーブ」「アパショ」と続く。
「ル・ポアゾン」の海ちゃんの腰反り、すごかったなあ。『川霧の橋』の冒頭でも思ったのですが、どんな体幹しているのやら……。
いろいろな組で上演されていますが、やっぱり月組の曲だなと思ったのは、れいうみで『川霧の橋』を上演したからかもしれません。
「アパショ」は、たぶんれいこちゃんは出たことがないと思うのですが、れいこちゃんの代表作とはまた別の形で、こうして月組の作品として受け継がれていくのでしょう。しみじみ。これぞ、宝塚。

そんなわけで、初めにも言いましたけど、タカヤ先生は早くショーを作りましょう! ショー作家、足りてないし!
私は楽しみにしているよ! いい子で待ってるよ!

外部『The Parlor』感想

外部公演

www.theparlor.jp

『The Parlor』
作・演出/小林香
作曲・編曲/アレクサンダー・セージ・オーエン

世間様がゴールデンウィークの最後の日に配信で視聴することができました。
みやちゃん(美弥るりか)の吉野圭吾とのライブや『ヴェラキッカ』はチケットはあったものの、公演中止となってしまい、見ることができなかった(そして『ヴェラキッカ』は配信も見られなかった)ので、舞台での退団後のみやちゃんに初めて会いました。自分でもまさかすぎると思っている。

まず印象に残っているのが「現実よりものめり込めるゲーム、それよりのめり込める現実」という台詞。
私はゲームでも芝居でも何でも現実に返ってくるもの、影響のあるものが好きなんだなと改めて実感した。
ただそれは作り手だけでなく、当然見る側にも想像力を要するものなんですよね。その意味で本作は良かった。作り手の想像力があらゆるところに息づいていたように思う。

ラストもものすごく良かった。
「ホーム」か「ノマド」か、という選択肢が並ぶ。朱里は、一度は「ホーム」と「ノマド」にするけれども、それでも納得しない。
自分はどちらも選んだけれども、どちらかを選びたい人もいるだろう、という想像力がはたらく。
だから、そうでない選択肢を作ろうと、「ホーム」か「ノマド」か「(空欄)」という画面で終わる。
これ、選択肢が増えるだけであるという点において、夫婦選択制別姓と同じなんですよね。そしてどれを選んでも他人の人権を傷つけることはないという点においても同じ。生きる上での選択肢が増える。
同姓がいい人もいるだろうけれども、別姓がいい人の生きやすさは保障しないのか、誰が傷つくわけでもないのに。
そんなことを思いながら見ました。あのラストは本当に良かった。

朱里のみやちゃんはそりゃもう良かった。
あの髪型、なかなか似合う人はいないでしょう。金髪にメッシュが入っていて、きれいに切りそろえられたおかっぱ。素敵な髪型でした。髪は一生脱がない冠、まさに朱里にぴったりの冠でした。
みやちゃんは首の詰まったお衣装が多かったように思うけれども、あれでどうやって着替えをしていたのだろう。
あの髪型を崩すことなくハイネックを脱いだり着たりするのは難しいのでは?と思いながら見ていましたが、何か秘密があるのかもしれません。あの髪型、ホント可愛かった。誰もが似合う髪型ではないよね。
アバターになったときの衣装も大きめのマントをぐるっと巻いているだけなのに、とてもオシャレに見える。すばらしい。
子供と大人の演技のギャップも良かったし、今更ながら本当に目が大きいな、と。いや、本当に今更なんですけど、ヅカメイクでなくてもはっきりとそうわかるくらいに大きいアーモンドアイだな、と。配信の大画面で見ていたから余計にそう思ったのかもしれません。

千里と灯の2役を演じたかのまり(花乃まりあ)もよかった。
自営業で働くお母さんと大切に箱庭の中で育てられたお嬢さんと、これまただいぶ違う役でしたが、うまかったし、お母さんはなんなら格好良かったよな。
草笛とどこで出会って、どこに惹かれたのかは聞きたいところではありますが。
だってあんなガチガチに家に縛られた男だよ? 千里が美容院で働き続けるのをよしとするわけがない……それは最初からわかっていたような気もしないではないのだが、いかがだろうか……。
もっとも友人にもいますけどね、「家は実家の近くに建てない」と言っていたくせに、自分の家族の前では急に「同居する」とか言い出した奴。婚約破棄して大正解だったと今でも思う。

あみりおばあちゃんはうたこさん(剣幸)。これまたすごい。役者だな、と感じさせられました。
あと着物から洋服への早着替えもビックリしました。帯なんかはマジックテープみたいなものを使っているかもしれませんが、えらい早かった。そして灯パパに許しを乞わないところもすばらしい。「許して欲しいとは言っていません」って。格好いいなあ、千里の母、朱里の祖母というつながりが見えた気がしました。
ところであみりおばあちゃんは漢字で書けば「阿弥莉」ですが、これは当時としてはだいぶ珍しい名前のような気もします。どうだったのでしょう。菩薩のような名前ですな。「阿弥莉」と「阿闍梨」似てますよね。
あみりさんが朱里に言う「母を失っただけでなく、娘を失ったおばあちゃんまで背負うことになった」という台詞がすごい。
なかなか言えることではないでしょう、これ。
いくら相手が大人になってからとはいえ、思っていても口にするのは難しい。
でもその壁を越えられるのがパーラーという場所、人が集まり、語り合う場所ということなのでしょう。あみりさん、立派だった。

ザザという名はおそらく『ラ・カージュ・オ・フォール』からとったのでしょうが、これもよかった、舘形比呂一さん。
コムデギャルソンみたいなボトムスだったからオシャレさんかと思えば、スカートでした。
そして、まさにそのことで千里やあみりさんに救われた張本人で、喫茶店を作るきっかけになった人でした。
背が高いからみんなで歌ったり踊ったりするときは一段と映えていましたね。
こういう役は初めてだったのでしょうか、やりすぎず、やらなさすぎず、ちょうどいい案配のように見えました。

スタイリストのパパは、かつて赤い死に神で見たことのある植原卓也
なぜ娘の学校に抗議しに行かないのか甚だ謎ではありますが、スタイリストのアシスタントというカタギではない仕事をやっている人間の言うことなんて聞き入れてもらえないのかな。あと女の子は黒づくめになるタイミングが必ずと言っていいほどあるよ(笑)。
と、いうかそもそもスタイリストなのに、娘にはピンクを着て欲しいという王道を行く巧は、だからあんたアシスタント止まりなんだよ、と思わせたし、なんならその身長で自分がモデルになった方がいいのでは?と思うくらいでした。
私は割と強要されるまでもなくピンクが昔から好きでしたし、なんなら今でも赤やピンクは好きな色だし、図々しいことに似合う色だとさえ思っているけれども、それでも一時期、紅ちゃんのように全身黒というスタイルはしていたし、妹は何なら私よりも開始時期が早くて期間も長かった気もする。
「らしさ」を押しつけようとする点ではザザと対照ですが、最後に灯さんといい感じになっていて、それはそれで大丈夫か?とも思ってしまいました。巧の方が変わってくれないと、これはどうにもならんぞ。

アリスの役は北川理恵さん。
歌唱力は申し分ないのですが、あの髪型であの服装ならむしろもっと丸顔の子の方が良かったのでは?と思ったものの、結局大して似合もしない好きでもないものを身につけさせられていたというのが肝なのでしょう。
クールカジュアルみたいなのが好きで、そしてよく似合ってた。
「ロリータ系の服を着たいのに、着られない」ではなく「ロリータ系の服を着たくないのに、着せられている」という逆転の考え方もおもしろかったです。同時に、いよいよロリータも市民権を得たのだなとも思いました。

そして出てきただけでわかる坂元健児は灯のパパ。
そしてよく歌う。ええ、全くもって正しい使い方だと思う(笑)。
千里の死に責任を感じていたからこそ、灯が朱里やあみりと会うことを禁止していたのでしょう。それはわかるのですが、でもやっぱりそれでは何の解決にもならないし、前に進めない。向き合わないと解決にならない。おい、コロナ対策のことだぞ、聞いているか、政府や。
草笛は向き合った。朱里の作ったゲームを通して。自分が想像したものとは全く違うものになっていたはずなのに、それを受け入れた。この度量の深さよ。
ただ最後に草笛の言った「すべてのおもちゃをジェンダーフリーにする」というのは果たして現実的なのでしょうか。
おもちゃそのものをジェンダーで振り分けるのではなく、どんなおもちゃも生物的性別関係なく遊んでいても大人が受け入れることが大事なのではないでしょうか。
おもちゃそのものに罪はないかなと。検索すればそれなりに出てきますが、私にはいまいちそれで遊ぶ子供が想像できなくて、ピンとこないというか……想像力の欠如なんでしょうけれども。そのおもちゃで育った子供がどういう思考になるのか、いまいち読めない。
そういう意味では絵本や挿絵みたいなものの影響は大きいかな。
この国はまだ機械の説明書の表紙のイラストに、したり顔で話す父、困り顔でそれを聞く母、興味津々の娘と息子みたいなものが採用されていて、まさに朱里の言うところの「世界の表側」しか見えていないわけですが。とほほ。

朱里の恋人は最後に声だけ出てきますが、名前だけでは性別がわからないあんぽんたんな私は、なるほど恋人は女性だったのか、と大変腑に落ちましたし、自身が裏側の人間だという自覚があるからこそあのゲームに対しては抵抗感があると歌い上げるのでしょう。いや、そうかな?とは思ったけれども、いかんせん、名前だけで性別がわからないの……。
子供は養子でも良いという考えもLAならではでしょうし、そういう考えはもっと広まってもいいのではないかと思います。親子は血がつながっていることが大切なわけではないでしょう。血がつながっていてもダメな親はいる。

ところで冒頭では、ロサンゼルスのことを「LA」と言っていましたが、これは普通なのでしょうか?
「ロス」とは言わないのか? 海外暮らしが長くなるとああなるのかもしれませんが、1回だと少し分かりにくくて、だから何回か出てきたのかな。でも、だったら一度「ロス」と言えば事足りるのでは?とも思っていまいました。つまらないことですいません。

今回は主人公がゲームクリエイターだったこともあり、美容室の上手と下手にそれぞれ壁にもなるスクリーンがあり、センターには大きなスクリーンが上がったり下がったりしましたが、こういう映像にも詳しくならないと今後は舞台美術みたいなこともやりにくくなるのでしょうかね。それはそれで、いわゆる大道具が得意な人の活躍の場を奪ってしまっているような気もしますが。
経費の問題もあるのでしょう。実際に大道具を作るよりも映像を作る方がはるかに安く済むでしょうから。でも重厚感のある柱からしか生まれない雰囲気もあると思うんだ。

それから、朱里がゲームを好きになるきっかけが母の死でないのも良いなと思いました。
母との幸せな思い出の中にゲームも入っているという設定が素敵で、もちろん千里はマリオになりたい朱里に姫を強要することなく、ありのままを受け入れて自身もはさみとポットで戦士になる。幸せなゲームの記憶があってよかった。
これが母の死によって、現実から逃げて、ゲームの世界に没頭するようになり、ゲームクリエイターになった、という設定なら、おそらく「ゲームよりものめり込める現実」という発想にはならないでしょう。この二点において、私はすばらしい作品だと思う。
けれども、公式ホームページで興味をもってくれて一緒に見た夫は、いまいち脚本にはのれなかった模様。
ウルトラマッチョ思想とか嫌いなくせに、こういう女性の系譜みたいな話はそれはそれで受け入れ難いのかな。本人はイデオロギーがすぎると言っています。『経国美談』『雪中梅』のような政治小説的な感じというか、寓意がすぎるというか。あと『情海波瀾』とか。
そんなわけで他の男の人の感想が気になるところではあります。どうなんでしょうね。

あとこっそり言うなら、タイトルは全部大文字ですか?それとも大文字小文字入り交じった形ですか?
こういうのは統一しておかないと、インターネットの時代なんだから、検索に引っかかりにくくなるのではないですか、と余計な心配をしてしまいます。ロゴの見栄えの問題もあるのかもしれませんが……。

星組『めぐり会いは再び next generation』『Gran Cantante!!』感想

星組公演

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ミュージカル・エトワール『めぐり会いは再び next generation-真夜中の依頼人(ミッドナイト・ガールフレンド)-』
作・演出/小柳奈穂子

レビュー・エスパーニャ『Gran Cantante(グラン カンタンテ)!!』
作・演出/藤井大介

見て参りました、『めぐあい3』と『GC』。世間ではショーを『グラタン』と省略する方もいておもしろい。私はひたすらお腹がすきそうなので、大人しく頭文字をとります。ええ、グラタン大好きなんですよ(聞いていない)。
プログラムの拍子は機械仕掛けの歯車に、ちょっとふるめかしい鍵、帽子にもなにやら近代的な機械がくっついており、星を測る道具や蓋付きの懐中時計やら近代的な香りをプンプンさせておきながら、ルーチェに扮する琴ちゃん(礼真琴)の手にはおそろしくアナログな虫眼鏡という取り合わせ(笑)。
きっと探偵事務所に居候しているからなのでしょうが、ルーチェは虫眼鏡を使うことはないし、機械仕掛けのトリックもルーチェが使うことはありません。その役はむしろゆりちゃん(水乃ゆり)扮するアニスの役目でした。またあなたは棒演技でもいいような役をきちんと描いてもらって、本当によかったね、というところです。しかしいつまでこの路線で引っ張るつもりなのでしょう。身長はあるし、ダンスも優美なんだけどね……。

そして帽子を被ったルーチェと対照的に王冠を頭にいただくアンジェリークのかわいらしさよ……っ! なんてこった! ひっとん(舞空瞳)、超可愛い! 知っていたけど! 知っていたけれども、毎回可愛いを更新していく姿の、なんとまぶしいことよ! ひたすらにありがてぇ。拝む。
白いドレスも可愛いし『恋アリ』の華ちゃん(華優希)の段々ドレスの上下色違いも可愛かった。屋敷の中で着ている飾りのあまりない白っぽいドレスもよかった。ラストの水色ドレスにピンクのリボンつけ放題はやりすぎ感もあったけれども、まあひっとんだから着こなせるよね! 他の誰が着られるのか、とは思いましたが、可愛かったね!

物語はルーチェの母親が亡くなるところから始まる。そこにユリウスがいることにすでに泣いた。みっきー!(天寿光希)
母親役は今回で退団の華雪りらちゃん。彼女も多少演技がアレなところがありますが、臨終の床という場面であることも手伝ってうまく誤魔化せていたと思います。
マリオのかつらはえらいこっちゃと思いましたが、シルヴィアの「はい!」という返事が、本当にねねちゃん(夢咲ねね)そっくりで驚きました。綾音美蘭ちゃんですね。
そしてこれは話の本題からはそれますが、ルーチェもアンジェリークも母親を亡くしているというのがなんともしょっぱいところです。物語にはもちろんマダム・グラファイスのような妙齢の女性も出てきますが(歌姫エメロードはもはや年齢不詳w)、ことごとく女性が若く死んでいるような気がして妙につらい。物語としてはありがちなのですが、実際に年をとっていかなければならない観客としては胃が痛いような気もする。女は若いうちに死んでこそな生き物ではないでしょう。
その意味で「オーソドックスなラブコメ」を目指している以上、難しいのかもしれませんが、王位継承権が女性にないのももやる、というつぶやきを見て、確かにな……と思いました。まあ、話が全然変わってしまいますから、そう簡単にはいかないのでしょうけれども。

ついでに疑問なのが王家の秘宝?である一角獣の聖杯、でしたっけ。ダアトだ狙っているお宝ですが、これはコーラス王家の中でも女性が受け継ぐものなのか、男性が受け継ぐものなのか、それとも王族と結婚した人が持つ者なのか。
第4場の説明では「王妃様が亡くなったから今は持ち主がいなくて、王女様と結婚した人が次の持ち主」というような台詞だったと思うのですが、一体誰が持ち主になるべきなのか、ルーチェが持ち主になるべきなら、今の持ち主はコーラス王でいいのでは?と思ってしまったのですが、ここはどう考えたらいいのだろうなと思いました。
その依頼をもってくるのはアージュマンドという女性。実はアンジェリークの侍女であるアンヌ。るりはな(瑠璃花夏)大活躍でしたね。ただ彼女もアンジェリークの侍女兼ボディーガードでありながら「あまり外に出ていないから彼女がアンジェリークの侍女だとばれることはない」というのもちょっと???でした。
アンジェリークってそんなに外に出ていないのか……? あんなにお転婆なのに……? じゃじゃ馬なのに……?

オープニングはアニメかと見紛うほどのカラフル感と芝居ならではのいっぺんにたくさんでてきてもりもり感とで楽しかったです、眼が忙しかったです。すでにここのうたち(詩ちづる)が可愛くてたまりません。
うたち、新人公演でアンジェリークやるんだよね? あのお衣装をうたちも着るのよね?と思ったらもうドキドキが止まらないです、可愛いです。そう思っていたのに大劇場公演の新人公演は中止。なんとか東京公演ではできることを祈っております。

ルーチェは計算すると10歳のときから王都に留学しているのかな。よほど優秀だったのか、その根性を鍛え直すためだったのか。いずれにしろ大学を卒業後は「大手弁護士事務所でバリバリ働いている」という大嘘を実家について、実際はニート生活。けれどもそれは彼だけで亡く、親から形だけとりあえず受け継いだと思われる探偵事務所の主・レグルス(瀬央ゆりあ)、女優志望ではなく大女優志望のティア(有沙瞳)、劇作家のセシル(天華えま)、機械大好きアニスの4人も絶賛長い長いモラトリアムの真っ最中。
4人で歌う歌、良かったですよね。あの曲、欲しいわ。そして歌い終わった後の「無駄な体力使った」というセシルw
あなたから歌い始めたのにwww
現実は厳しい、そうなんだよね……わかる。わかるけれども、この国の平均寿命は一体どうなっているのだろうとも思いました。
25歳でモラトリアム!といっていられるのは、多分わりと平均寿命が長いんだよね? 母親二人は若くして死んでいるけど(しつこい)。
もっとも王女様の結婚相手を25歳まで決めかねていたあたりを考えると、やはり平均寿命は長そうです。

その後の銀橋ソロルーチェ、歌い終わったあとに「恋は人を愚かにする」云々と上手で語りますが、これ『めぐあい2』で言っていた台詞と同じですよね? 10年間、なんて成長がないんだwwwと吹き出すかと思いました。
10年間、アンジェリークと何やってたの! なんでなんの進歩もないの! 今回、初めて「好き」って言ったわけでもないでしょうに! じれったーい!

一方、アンジェリークの育った屋敷では、レオニードが! はるこさん! オレンジのベレー帽がよくお似合いで!
ミントグリーンとオレンジの組み合わせのお衣装で、うっかりすると緑と橙の衣装のセシルとかぶるのですが、あまり一緒の場面に出てこないことが功を奏している。一緒に出てくるときはレオニードがミントグリーン一色だったりもするし。
無事にマリオと結婚したのに、いわゆる姓は「ロールウェル」のままなのか、西洋にありがちな、全部くっつけるタイプなのかはわかりませんが、夫人としてもばりばり働きつつ「恋愛コンサルタント」としても活躍中ってすごいな。もっとも恋愛コンサルタントに向かないタイプのような気もするけれども、他人の恋愛のことなら結構冷静に判断できたりするものなのだろうか。

信号機配色の泥棒は前回のパロディのように銀橋から登場。今回はかぼちゃではなくパン泥棒。なんか、格が下がっていないか、大丈夫か?w
そして信号機と出会う双子のカストルポルックスが超絶可愛い。うたちと稀惺かずとくん。『紳士』ではかずとくんが一生懸命うたちにプロポーズしていましたね。ロバートとメイベルが今回は双子です。そこはかとなく両親のブルギニョンとリエットを思わせる出で立ちにきゅん。かわいいなー! かわいいなー! ユリウスが心配になるのもわかる。こんな可愛い双子とうまく待ち合わせができなかったら、心配で夜も眠れない。
双子のかわいらしさに対してなんてダメな大人なの、信号機三人組w そしてダアトと嘘をついて、さらに話を紛らわしくするややこしいやつらめ……愉快ですな。

さて、王宮前広場では婚約者候補たちが課題をこなします。颯爽と現れたのは最有力候補といわれるロナン。マズリエではない。
おいしい役をもらいましたね、きわみしん(極美慎)。お会計はブラックカード、ダンスコンテストでは空手の「押忍」を交えながらアピールしていきます。
そばに寄りそうほのか(小桜ほのか)も大変よい。今回はキュートというよりも色っぽい役でしたが、良かったです。
ほのかが良かっただけに、きわみー! もっちょっと頑張れー! ほのかに負けてるー!と思うところがないわけではなかったのですが、回数を重ねるとよりよくなっていくかなと期待していました。それだけに公演中止はつらい……この手の役は回数をこなすとおもしろくなるタイプだと思うのだけど……。
見せ場もたくさんあるし、ほのかとの2ショットも素敵だし、次はバウ主演が待っているのだから! ここいらでしっかりね! 土台を作っておきたいではないですか。ええ、美しいことは知っているんですよ、演技とか歌唱とかそっちです。贔屓目もあるから美しさで許してしまいそうになるのだけれども、もうちょっと! ファイト! 応援している! できるぞ! 好きだ!

ロナンのパパ・オンブルの憎しみは、まあわかるといえばわかるよね。
自分こそが身を呈して戦って、最前線で守ってきたのに、王女を預ける先は自分ではないのか、と。血のつながりがあるというだけで屋敷に引きこもっている弟に預けるのか、自分は信頼されていなかったのか、と。
役目が違うといえば、違うのでしょうけれども、納得できないのも、まあ仕方がないのかな。ただ戦いがなくなったにもかかわらず宰相として王の近くにいられることは実はありがたいことなのではないか、とも思いました。
『王家』では戦いがなくなったら人々は戦士を敬わなくなったという話がありましたが、戦いがなくなった戦士を宰相として側近くに置き続けた王の胸の内にはやはり別の意味の信頼があったのではないかな、それに気がつけばもう少し幸せだったのかな、なんて思ってみたりもしました。
あかさん(綺城ひか理)は文句なしによかったです。ただありちゃんが来てからの番手が彼女も読めなくて、ファンは気が気ではないだろうと思うと心配です。

探偵事務所でルーチェは全ての真実を知ることになりますが、「真実はいつも一つ」ってあの台詞はどうもな……「ダンスは得意なんだ」は笑えたのですが、これはちょっと大丈夫なのか、と。著作権としてもなんだかもやもやしますし、そもそも本当に真実はいつも一つなのか、とも思うわけですよ。
一つしかないのは「事実」であって、それに解釈を加えた「真実」は一つではなく、人の数ほどあろうと思っているので、ちょっと冷たい風が心の中で吹きました。
ここで整理したことを、あとで城内でもう一度旅芸人にミュージカルで説明させるのは、まあいいんですけどね。ええ『All for One』とか『CASANOVA』とか、あのあたりと同じ手法で、観客としては丁寧でありがたい。個人的にはもうちょっとスピーディーに話しが運んでもいいかなと思うが、後半なんかは答え合わせみたいなものですし、ゆっくりでもいいのかもしれません。

ルーチェの背中を押すユリウス、アンジェリークにアドバイスをするレオニード。この場面、とてもよかった。銀橋でみっきーが歌で琴ちゃんを励ますの、じーんってきたし、めっちゃ泣いた。そしてはるこさんにも歌わせるという、この賭けよ!
でもルーチェとアンジェリークの対比が浮き彫りになって非常によかったです。
もちろん、今回で退団されてしまうみっきーとはるこさんの対照も鮮やかでした。サービス大爆発すぎて、涙腺が崩壊しました。ここが一番泣いたよ、泣いたよ……ありがとう、小柳先生。

オンブルの悪巧みは無事明るみになり、王はルーチェとアンジェリークへ、オンブルはロナンへと少しずつ世代が変わっていくことをゆずちょ(万里柚美)のマダム・グラファイスが予感させるのがよかったですね。
オンブルが配流された土地はマダムの恋人・リュシドールのいる地。彼はオンブルを快く迎えてくれることでしょう。ありがたい。
ジュディスがロナンを追いかけて彼の地にまで行ったのも良かったです。女だけ都で待たされる話を私たちは見過ぎているんだよ。一緒に連れて行けよって思うことが多かったんでね。パパの大司教には申し訳ないんだけどね。

めでたくまぁるくハッピーエンドかと思えば、すっかり忘れ去られていた(というか多分途中から誰も来ると思っていなかった)本物の大怪盗ダアトが見事に一角獣の聖杯を盗み出して、「俺たちの旅はまだまだ続く!」みたいなジャンプの打ち切り漫画さながらのラストでした。これ、また続きを作るつもりだろうか……私はもういいかなと思っているんだけど。好きな人はたくさんいると思いますけどね。

さて、お次はショー『GC』。「グランカンタンテ! グランカンタンテ! グランカンターテー!」と口ずさんで帰ることができる主題歌はやはりいいですね。難しすぎず、単調すぎず、耳に残りやすく、楽しく! 英語の歌詞が作品タイトルの部分しかないのもよいです。日本語のほうが聞きやすいからね、と『TOP HAT』を思い出しました。
こちらもプログラムのお写真の二人がすばらしい! これは! なんというひっとんの色気! たまんねええええ!!!
スペインがモチーフということで、ちょっと帽子が多かったり、『ネバセイ』のマントと同じでは?と思ったりもしましたが、初めて見る人にとってはどうでしょう。同じ場面が続くように見えないといいのですが。と、いうのも初心者を連れて行く予定なのです。
もっともオープニングはひっとんが娘役をずらっと連れて大階段を降りてきただけでもう優勝ですな。ダイスケ先生のそういうところ、好きやで。
うたちが最前列の下手におりましたね。これはもうとっても嬉しくって……っ! すげえよ、うたち。驚いちゃったよ。ホント、頼もしいわね……っ! 身長が高いわけではないので、センターよりでも二列目以降にいると、今まではちょっと重なって見えてしまう座席もあったと思うのですが、最前列ですからね! なんといっても最前列! ダイスケ先生、ありがとう!

にんじん祭り。せおっちはもちろん一人違うスーツでしたが、スカーフ?のようなものがひろ香祐と朝水りょうだけ別のものだったような……しかしせおっちの上手にはきわみしん……これは、一体どういう……とも思いつつも、なんせ変顔とまではいかなくても表情豊かすぎるきわみしんをオペラで追うので必死すぎましたよね。いや、美しいからさ、変顔といっても変ではないのですが、あのくるくる変わる顔付き、とてもいいわね。
ニンジン娘は、どこかで見たことのあるような衣装で、ちょっとよくわからないという人もいそうな気もします。そして好みもわかれそうです。ただスペインの場面が並ぶ中では映えた場面だったことは確かでしょう。

パティオ祭りBではひっとんが出てくるまで、はるこさんが琴ちゃんの相手をし、色気をふりまくわけですが、他の娘役と全く違うドレスで登場したひっとんは最高だったし、この場面のコーラスのうたちの色気、やばくなかったですか? 私、本当に娘役しか見ていないんだ、この場面。うたちの色気、大爆発していた。今までどこにそんなの隠していたの……恐ろしい子
この場面、ずっと見てられるで……すごい色気だった。娘役ちゃんたち第フィーバーじゃないか。

中詰の初めはきわみしん。こっちも手に汗を握るような展開ですが(笑)、これは嬉しい。銀橋まで渡る。観客もよく知っている歌だけにプレッシャーもあろうが、よく渡りきりました。これは毎回ドキドキの展開だと思いますが、最後まで頑張れ……!
しかしここの中詰のけーこさん(美穂圭子)の歌はさすがなのですが、なぜゆずちょには歌わせないの。いるだけのお人形みたいになっていたわよね? いや美しかったんだけど。美を愛でるという意味では大正解だったのですが、それだけではもったいなくないですか、だってゆずちょですよ!? 専科さんですからねっ!?
バレンシアの熱い花」ではコーラスだけでなく、ダンサーもできるのよ!と見せつけてくるうたちづる。ほんまに恐ろしい子やで。のちに銀橋では琴ちゃん、ひっとん、せおっちと三人で残るのに、なぜかパレードの大階段では娘1と2番手の羽根がむしりとられているという事件に出くわし、これはこれで腹立たしかった……ありちゃん待ちなのがありありとわかるの、つらくないか。私はつらいぞ。せおっちファンは覚悟が出来ているからつらくないのかな、でもひっとんの羽根までむしるなよ、と言いたい。

そして108期生期待大のふみちゃんです。茉莉那ふみちゃんです!
初舞台生挨拶でもずらっと並んだ中で、気持ち少し身長が低いのですが、それでも光るものがあるからこその入団のはずです。とても期待の星です。丸顔もかわいい。ひたすらに可愛い。彼女が口上の日に観劇予定でしたが、無事に幕は開くのか、開いても口上の順番が入れ替わることもきっとあるだろうから、どうかな。でも全員が話す機会を得ることの方がもちろん大事。
どうか幕が開きますように。繰り返しになりますが、東京での新人公演は無事にできますように。
『ル・サンク』や舞台写真の発売も変わってくるでしょう。公式ホームページもムービーやらギャラリーの更新がまだですし、このあいだにはかどるといいのですが。無事に帰ってくるのを待っています。

外部『ラ・カージュ オ・フォール』感想

外部公演

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『ラ・カージュ オ・フォール 籠の中の道化たち』

作詞・作曲/ジェリー・ハーマン 
脚本/ハーヴェイ・ファイアスタイン
原作/ジャン・ポワレ
演出/山田和也

鹿賀丈史市村正親の伝説のコンビと言われて久しい『ラ・カージュ・オ・フォール』。
数年前も「これが最後かな」と淋しそうなダーリン(『レミゼ鹿賀丈史ジャン・バルジャンの世代の人)を連れて、わざわざ静岡まで出向いて観劇したわけですが、なんのことはない、次の公演もちゃんとあって、しかも今回は愛知で公演。
しかしチケットの売れ行きはイマイチだったのでしょうか。
同じ劇場で先日観劇した『カーテンズ』も本作もなぜか愛知が大千穐楽で、どちらとも私は前楽を観劇しましたが、翌日のチケットがリピーター割引価格で販売されていました。もっとも箱のサイズが大きすぎるということもあるでしょう。本日の『n2n』も当日券があったと聞いたしな。
オペラ用かと見紛うほど縦に長い、そしてサイドにはボックス席のようなものまであるわけですから、そもそも座席の数が多いのでしょう。それでも千秋楽近くのチケットが余っている状況を地方で目にするのは淋しいものです。チケットが売れなければ、次の公演につながりませんからね。

前回とジャン・ミッシェルとアンヌが変わりましたが、特にジャン・ミッシェルは演出も変わったように思います。
1幕ではザザをいらないもの扱いする態度があからさまで「こんな嫌なやつだったか?」と思いました。
その分、2幕、アンヌの両親の前でザザをかばうところがより強調されたということなのでしょうが、対比するにしてもちょっとやり過ぎかなというか、1幕のあれはなんだったんだとちょっとご都合主義に思えてしまったかな。あんなにイヤがっていたではないか、と思ってしまう。
1幕で何も知らないザザに対して笑顔で「ごめんね!」なんていうジャン・ミッシェル、見たくなかったよ……。
アンヌは『レ・ミゼラブル』でコゼットを演じた小南満佑子、良かったです。
アンヌの両親は今井清隆と森久美子。安定も安定。鹿賀、市村に劣らぬ大御所であります。

そして我らがジャクリーヌはたーたん(香寿たつき)。前回大好きだった「お店の評判はソースの味だけでは決まらないのよ」という台詞は、わかりやすくなったものの、少し説明っぽい台詞にもなってしまって、ウェットに富んだ、気の利いた言葉からは遠ざかってしまいました。残念。
出番は増えていたように思います。そこは良かった。
鹿賀丈史と同じくらいの身長だったな、たーたん。下手すると市村正親よりも高かった……ヒールを履いているというのもあるのでしょうけれど。

前回と一番大きく変わったと思ったのはショーというかレヴューの場面が大幅に増えていたところです。
ザザがトーク部分でぼやいていましたが、確かに実は中の人の年齢的に厳しいものもあるのでしょう。
その中での圧巻のカンカンダンス。いやはや、すばらしかった。
レヴューのお衣装だけで5着あったかな?
たくさんあってすごかったし、迫力満点でした。

ただこの作品もそろそろ寿命かもしれません。「オカマバー反対とかまだやってるの?」「伝統的家族観が尊いとかへそで茶が沸く、ちゃんちゃらおかしい」くらいになってもらわないと困るからです。もう21世紀ですよ?令和ですよ?むしろそうなるべきでしょう。
伝説のコンビとはまた別の意味で「これが最後」になってもおかしくない作品です。

花組『TOP HAT』感想

花組公演

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ミュージカル『TOP HAT』
脚本・演出/齋藤吉正

何を今更、という感じですが『TOP HAT』の感想です。運良く宙組版も円盤を借りて見ることができました。

れいちゃんはしばしば娘役にひっぱたかれる役に当たりがちですが、『ナイスワーク』と違って、今回はデイルの勘違いで二度も頬をぶたれて、あらあらという感じでしたね。
しかしそれでもまあ様(朝夏まなと)ほど、おかわいそうに……と思えないのはなぜでしょう(笑)。まあ様から感じられた根の部分は誠実なんだよ、という香りがしなかったからでしょうか。
愛嬌はあるのだけれども、ダメな男という役がぴったりはまっていますね。本人やファンがそれでいいのかどうかはまた別の問題ですが。

デイルのまどか(星風まどか)も愛らしかった。私はあんまりみりおん(実咲凜音)が得意でなかったこともあって、とてもキュートなデイルにきゅんきゅんでした。
ジェリーが気になっているからこそ、早とちりをしてしまったのでしょう。乙女心は世界共通ですね。
しかしジェリーは言うほど有名ではないのか?とも思いました。ファッションモデルなら、アメリカの有名ダンサーを知っていてもよさそうなものですが。ここのあたり、原作はどうなのでしょう……。
デイルの友人マッジはくりすちゃん(音くり寿)。同期であることも手伝って、ここの息投合ぶりはバッチリでしたね。『はいからさん』の華ちゃん(華優希)とくりすちゃんを連想させました。
マッジは初演がせーこ(純矢ちとせ)だったことからプレッシャーもあったかもしれませんが、くりすちゃんが出てきたら、もうそこは「くりす・オン・ステージ!」で、歌唱力や演技力で観客を魅了していました。
ホレスからお金を巻き上げるところは、札束ではなく、財布の方を取り上げる大胆さは天晴れでした。
くりすちゃんは次の本公演での退団が発表され、脂の乗りに乗っている時期だけに惜しまれますが、とにかく最後まで無事に幕が上がることを祈っています。

ジェリーとはまた別の意味でダメダメなマッジの夫ホレスはまいてぃ(水美舞斗)。こちらもれいちゃんと同期ということで息ピッタリ。
2幕冒頭の飛行機の場面なんかは、さながら男子高校生の会話やノリそのもので、すばらしかったです。
前回のショーでの扱いが気がかりだったり、『冬霞』が円盤化されることだったり、彼女の立場がいよいよ難しくなってきているのがヒシヒシと伝わってきて、ひたすらに辛いですが、納得のいくところまで踊り切って欲しいと思います。
本当に頼むよ、劇団さん……っ!
初演はかいちゃん(七海ひろき)。マッジとホレスが同期で、こちらはこちらにしか出せない味わいもありましたが、ホレスとジェリーの距離が近く感じられたのが良かったです。

ほってぃ(帆純まひろ)も良かった。多少の贔屓目は認めるとしても、例えば『CASANOVA』の新人公演の頃と比べると、ぐんと大きくなったなと思う。
次回ははなこ(一之瀬航季)と『殉情』の主演。楽しみです。私は『春琴抄』オタクなので、映像化された作品はビデオを含め、全部持っていますよ!
ただ、演出には問題があるかなと思っています。外国人にカタコトを喋らせるの、辞めようよ、ヨシマサ。そういうとこだぞ。
歌詞も英語が多くて、何を言っているのかわからないところが多かったのは残念だな。もちろん役者は調べて、理解してやっているでしょうけれども、観客の中には英語がちんぷんかんぷんな人もいるのよ……もっともこれは私の英語力のなさも悪いのですが。
メロディーは楽しくて覚えやすいのに、歌詞が英語でわからないので、歌えない〜! にゃーにゃー歌っています(笑)。

あと、わからなかったのは1幕終わりのジョージのあれもよくわからなかったなあ……。毎回台詞が違うのかな?
最後は怒り気味にカツラを撮る場面で笑いが起こっていましたが、何が面白いのか、私にはよくわからなかったな……。

嬉しかったのはまゆぽん(輝月ゆうま)があわちゃん(美羽愛)と組んで踊る場面があったことです。
そもそも専科に行った人のクラシカルな燕尾やハットを見る機会がなかなかないので、それだけでも嬉しくて1幕終わりは喜んだのですが、それだけでなく、あわちゃんと!向かい合って!踊っているではありませんか〜! これはもう最高でしたね。
一瞬幻かと思いましたし、幸せすぎて命日近いかな?とさえ思いました。何のご褒美ですか? 嬉しすぎます。

そのあわちゃんも1幕は板付きスタート。ピンクと紫のお衣装がよくお似合いで。
初演のオレンジ×青の衣装よりもこちらの方がずっと可愛いと思うので、私はひたすら眼福でした。レビューの場面も衣装が変わっていましたが、私はこちらも今回のバージョンの方が好きでした。お衣装さん、ありがとう。
ジェニーの取り巻きみたいな形でも出てきて、不躾な質問をする記者に対して「ちょっとあなた失礼じゃない?」という台詞もあって「しゃ、しゃべった!」となりました。ありがとう。
この台詞、初演では取り巻きの女の子の台詞ではなかったみたいなので、あわちゃんの台詞として書かれたのでしょう。嬉しい限りです。

メイドとして出てくるあわちゃんも実にキュート。メイド服は『ナイスワーク』と同じかな?
あわちゃんは『POR』組だったから不思議な感じでしたけど、ホテルのロビー、エレベーター前でベティーニに投げキッスされて喜んでいる姿はしっかりこの目に収めましまたよ! かーわーいーいー! みさこちゃん(美里玲菜)も一緒にメイドをやっておりましたね。身長高いなーよく飛ぶなー。
このときのポーターのお衣装は『ダル・レークの恋』のものかな?
ここちゃんはこのときお客様のアリス。なかなか渋い色のドレスでしたが、マダム感を出そうと一生懸命頑張っておりました。

2幕はイタリアが舞台で、あわちゃんはお客さん。まさかの水着姿に「あー! お客様! お客様! そんなに肌を出してはいけません! 行けませんってばー!」となりました。し、しんぞうにわるいぜ……。お腹が出ていたからな……。
その後は薄いピンクのドレスで登場。いかにも宝塚の娘役って感じですよね。素敵だわ……っ!
後ろのバーカウンターでもしっかりお芝居していました。次の作品が楽しみだ~い!

最後に苦言を呈しますが、劇団や。
ブロードウェイミュージカルを持ってくるのはいいのだけれども、このパターンが多いすぎやしませんか? そろそろこれくらいのレベルのオリジナル作品を書ける演出家を育てませんか?
原田先生も多いじゃないですか、このパターン。
ブロードウェイものは、やっぱりキャラクターが少ないから宝塚でやるならどうしても別箱向きでしょう。
しかし別箱だとトップが主演であっても著作権の関係でライブ配信ができなかったり、円盤化されなかったりする。それはあまりにももったいないことではないでしょうか。
もちろん内部では映像が残るでしょうけれども、商品にできるかどうかは劇団の経営にも関わってくることかと思います。
コロナよりこちら、別箱や全ツが再演ものばかりなのも、結局はお金がないからなのかな、と穿った目で見てしまいます。そういう中でブロードウェイに著作権料を支払っている場合なのか、と疑問にも思います。
宝塚だからこそ、当て書きオリジナル脚本を楽しみにしています。よろしくお願いします。

花組『冬霞の巴里』感想

花組公演

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Fantasmagorie『冬霞の巴里』
作・演出/指田珠子

モチーフとなった古代ギリシアアイスキュロスの悲劇作品三部作「オレステイア」は私は知りません。モチーフ程度なので知らなくても観劇できるだろうと思っていましたし、指田先生の本は最初はノー知識の方が楽しめるかなとも思ったからです。
そして思った通りで、にんまりしました。良い作品でした。「Fantasmagorie」という角書き(ショルダータイトル)も良かった。
前回の『龍の宮物語』も大変に好きだったのですが、芝居が終わった後のざらつき感がたまらんのですよ……っ!
『龍の宮物語』の感想はこちら。

yukiko221b.hatenablog.com


今ならラストの雨は玉姫の涙だと自信を持って言えるな。しかもうれし涙。
作品としては和物洋物の違いはあれど、個人的にはもう一回頭から再生してもいいですか!?と食い気味になるところが共通していました。いつものことですが、ネタバレがありますので、気をつけてください。まとまりはいつもよりありません。とりあえず思いついたものをつれづれなるままに書いています。同じことが繰り返し出てくることもあります(笑)。
2幕の終わりはフィナーレの後ですから、少しほっとするところもあるのですが、1幕の終わり、幕間は本当に居心地が悪い。幕が下りる直前のオクターヴがエルミーヌに言う「君は優しいね。でも、優しさは……苦しい」と言ってエルミーヌの手を振り払い、アンブルのもとに行く。その言葉が刺さるし、その静謐な絶望の空気を充満させたまま舞台の幕が下りる。
この居心地の悪さが指田先生ですね。すばらしい。とても好きです。

「復讐劇」と銘打っていますし、「復讐の女神たち」(これがとてもよかった!)(そしてこれがハムレットっぽいと思っていたのですが、個人的にはいいミスリードになりました)も出てきますので、一見すると憎悪に満ちた話かと思えば、やはり憎悪は愛情と紙一重、憎悪ががなければ愛情も生まれませんから、これはむしろ愛情の物語だなと思いました。愛憎渦巻くともいえるかもしれませんが、個人的にはいろいろな愛情の形が提示されていたと考えます。
それに付随する形で「秘密」と「本心」がキーワードかな。「秘密」を分け合ううちに、あるいは激しい「憎悪」によって「愛情」が生まれる。

非常にオーソドックスな愛情の形はらいと(希波らいと)演じるミッシェルとその婚約者のエルミーヌでしょう。エルミーヌには『元禄バロックロック』の新人公演で見事にツナヨシを演じきったみこちゃん(愛蘭みこ)が起用されました。大変嬉しかったです。
資産家の息子とその婚約者、身なりから察するに、そしてまたアンブルがうらやましく思うように、おそらくエルミーヌ自身もどこかいいところのお嬢さんなのでしょう。
お金持ちのお坊ちゃんとお嬢さんというのは絵に描いたようで、今後も幸福が約束されたカップルであることが容易に想像つきます。
正統派の恋人同士はどこまでも幸せそうで、けれども浮浪者を差別することもない。エルミーヌはオクターヴとアンブルが姿を消した下宿に手作りお菓子の差し入れまでする。
法学部生としての理念を語るミッシェルは、アンヌ=マリーに自分の考えを「いかにもブルジョワのお坊ちゃんが考えそうなキレイごと」とバカにされても、声をあらげて怒ったり、むっとしたりしない。勉強している彼は、そして義兄の姿を目の当たりにしたあとは、彼らがそう考える理由も思い当たるから。むしろエルミーヌが「それの何がいけないんですか?!」と声を上げたのはなんだか泣けちゃったな……そうだよね、そう思うよね。
『金色の砂漠』では、主人公二人の愛憎が重くて濃い中、ビルマーヤとジャーのカップルが一種の清涼剤のようでしたが、今回は彼らがスーッと物語に光を感じさせてくれました。
らいとはこういうお金持ちのボンボンというキャラクターは初めてなのでしょうか。もうちょっと演技がこなれるといいのですが。あとはかつらかな。

一方で主人公のオクターヴとその姉(ということになっている)アンブルとの愛情は憎しみこそ入ってこないものの、歪んでいる。歪んでいる(2度言う)。
アンブルは自分がオクターヴとは血がつながっていないこと、自身と血がつながっている姉であるイネスが義父のオーギュストが勧める結婚を避けるために自殺したことを知っているにもかかわらず、あくまでオクターヴの姉として、彼に接し続ける。彼の傍にいたいから。
オーギュストが亡くなったときのオクターヴの感情の爆発はすさまじいものだっただろうと想像される。そこからギョーム、クロエ、ブノワの会話を聞き、復讐を誓うのに、そう時間はかからなかっただろう。おもしろいのは最初に疑うのはオクターヴではなくアンブルというところですかね。
オクターヴは一人でも復讐をやろうとしただろうし、いっそそのほうがやり遂げただろうという気さえする。
アンブルはオクターヴの復讐の共犯になることを誓うことで、その秘密を分け合うことで、オクターヴの傍にいようとした。
それは結果的に復讐の完遂の妨げになったものの、彼女は「戦いは新たな戦いを生むだけ」と高らかに歌い上げるアイーダとも「忠義ってそうまでして果たさなければならないものかしら」と争いごとに疑問をなげかけるキラとも異なり、愛するオクターヴと共にありたい、できれば彼を犯罪者にはしたくないという極めて利己的な理由が行動の原理となっている。でも人間の行動原理なんてそんなものでしょう。
復讐に駆り立てられるオクターヴを、おそらく止めたい気持ちはあっただろうが、それを全面に出したら振り落とされることはわかっているから、あくまで見た目は復讐を共にするという名目で横に並ぼうとする。だから、復讐の一手(ブノワに近づくこと)を先に打つのは彼女なのである。彼を危険な目に遭わせないために。だからオクターヴが剣術でギョームと相対したときは身体中の血が沸騰するような気持ちに襲われる。
それはそれで歪んでいるようにも見えるけれども(笑)、アンブルの方が幾重にも「お姉さん」である。精神的に大人である彼女に対してオクターヴは「甘えた弟」にすぎない。

2幕冒頭で歌われる「もし血がつながってなければ~♪」ソングは、アンブルであるみさきちゃん(星空美咲)が主旋律を歌い、そのあとをオクターヴであるひとこ(永久輝せあ)が追いかける形になっている。
宝塚では珍しい。娘役に歌のアドバンテージがあるときはこういうこともあるが、みさきちゃんがいくら歌がうまいとはいえ、相手はひとこである。その配慮はいらなかったはずだ。
ここから「もしかしてこの二人、血がつながってないのでは?」と考えるのは、それほど難しくないですが、それを自明としているアンブルと自認が曖昧なオクターヴという対比は、娘役が主旋律を歌うという違和感に気をとられて最初は気がつかなかったけど、これもうまいよな。
1幕でも「似ていない姉弟」と言われてオクターヴは怒り、アンブルは「背中の同じところにほくろがある」と強引な理由を口にする。オクターヴがエルミーヌに「とっても似ている」と言われてホッとしている。オクターヴ自身もうすうすその事実に気がついていたんだよね、結局。でも繋がりを減らすわけにはいかないから認められない。ガキだなあ。

回想の中でイネスが繰り返す「本当の願いをかなえるために」という言葉は、オクターヴにとっては呪いだったのかもしれない。姉と一緒にいたい、一緒になりたい、もっといえば「人類補完計画」ではありませんが、一つになりたいという願いは、外から見れば異常だろうから。血がつながりがありさえすれば「一つになる」あるいは「一つである」というイメージはつきやすいですが、父も母も異なる本当に赤の他人であったことをいよいよ受け入れなければならなくなったとき、オクターヴはアンブルに「姉弟でいいいの?」と問いかける。血のつながりがないことが明白になっただけでなく、復讐という共通の目標を失ったアンブルとの関係をもてあまし、自分で決められない。
そして、アンブルはそれでいいと答える。どこまでいってもアンブルは精神的に大人びているお姉さんで、オクターヴはどこまでいっても子供である。
いくら別箱とはいえ、宝塚の舞台で主演の二人がそう簡単に姉弟という関係であることはないのでは?と思っていましたが、やはりその通りでしたね。

オクターヴはなぜアンブルと共にありたいのか。それはオーギュストを失ったことで、一つ同じ屋根の下に暮らしていながら、誰とも繋がりを感じることができなかったからだろう。
オーギュストはオクターヴを愛した。使用人と子供であろうが何だろうが、自分と血を分けた男児が彼だけだったから。
一方で娘2人を連れてなんとか生き延びるためにオーギュストと結婚したと思われるクロエは、オクターヴを愛することができなかった。
オーギュストの黒い影に気が付いてからはいっそうオーギュストが可愛がるオクターヴは憎かったろう。クロエはオクターヴに冷たく見つめられたとき、そこにオーギュストの影を見ていた。オクターヴが幼い頃から、どこかオーギュストに似たものを感じていたのかもしれない。
これはよくある「使用人の子供を愛せるものか」「跡継ぎにさせるものか」というようなマダムの気持ちともやや趣が異なる。クロエはそもそもオーギュストの人間性に不信感を抱いているから。
そういう家の中で、イネスがいなくなり、オーギュストもいなくなり、オクターヴはいよいよ家の中で誰とも血がつながらない、誰とも絆を感じられず孤独感を深めていき、そこに手を差し伸べてくれたアンブルはオクターヴにとって貴重な救いの手だっただろう。
オクターヴはその手を離すわけにはいかなかった。一人ぼっちにならないために。同じ痛み(オーギュストを失ったこと)を抱えている彼女の手であることが重要だった(実際にアンブルが失ったのはオーギュストではなくイネスなのですが、それにオクターヴは気が付いておらず、同じ人を失った同じ痛みと思い込んでいるのも興味深い)。
エルミーヌも手を差し伸べてくれたけれども、大切なものを失ったことないエルミーヌの手はとれない。それはあまりにも眩しすぎて、絶望の淵にいるオクターヴにとっては火傷の可能性があるから。
2幕でオクターヴがミッシェルに対して「うらやましくてたまらなかった」というようなことを言う。それが彼の本心だろうし、好きで絶望する人はおそらくいまい。悲痛な叫び声がつらかった。でもそれに加えて「妬ましかった」とまで言わせる脚本はすごい。
そして同じようにアンブルもエルミーヌが羨ましかっただろう。精神的に大人びている彼女は自分の気持ちに気がついていたでしょうから「もし違う方法でオクターヴと出会えていたら」と何度も考えたことでしょう。

1幕でイネスの存在は語られないけれども、舞台には亡霊として、幽霊として出てくる。オクターヴの深層心理に彼女がいかに深くかかわっているか、それがいかに不可解なものなのか、という興味が観客を前のめりにさせる。うまい。
イネスと貴族(資産家と結婚を決めるような貴族ですから、おそらく没落貴族でしょう)を無理矢理結婚させることでオーギュストは貴族の称号を得ようとした。
それを拒絶したイネスは自ら死を選ぶ。クロエの嘆きは激しかった。
アンブルは、おそらく次に利用されるはずだったのだろう。アンブルを手ごろな貴族と結婚させ、貴族の称号を今度こそ得ようとオーギュストは考えていただろうから、それが決定する前にクロエはオーギュストを殺さなければならなかった。イネスの悲劇を繰り返してはいけない、と。
なぜそんなクロエがオーギュストと一時的ではあれ、結婚したかといえば、そういう黒い部分を見抜けなかったのはもちろんだろうが、たとえ少し見え隠れしていたとしても、未亡人となり娘を二人立派に育てていくためには、お金のある人間と結婚する必要があったのでしょう。
そこに愛は育たなかったから、二人の間に子供は生まれず、オーギュストは使用人との間にオクターヴが生まれる。オーギュストとクロエの関係が愛情の形なのかはわかりませんが、夫婦の形の一つとしては数えられるでしょう。

イネスの悲劇を繰り返さないために手を汚したクロエは、その共犯者であるギョームとの間に子供を生んだ。
憎悪で結ばれた二人が、愛を育て、やがてミッシェルが生まれる。これが、最後にパリの街を出ていくオクターヴとオルガンの希望になる。復讐の目的を失っても二人が一緒にいられるのは、そこにまぎれもない愛があるからだ、と思える。
復讐の共犯でもなく、ましてや血のつながりのない姉と弟でもなくなった二人が「姉弟」といいながらも一緒にいられる。やがてそこに愛が育つかもしれない。これがとても幸せだった。復讐劇というけれども、これは様々な愛の形が提示された物語だったと私は受け取った。
前作『龍の宮物語』のラストよりも希望があるように見える。パンドラの箱に残された最後の光のように。

ここにきてまさか娘役紫門ゆりやを見ることができるなんて思っていなかったので感動しちゃったわけですが、声はいつも通り少し低めではあるものの、佇まいがもう貴婦人のそれ。最高。
クロエ自身の思いと主人公であるオクターヴから見るクロエ像があまりにもかけ離れているので、演じるのはさぞ難しかっただろうと思います。でもよかったなあ。
同じ意味でオーギュストも演じるのは難しかったでしょう。何を考えているかわからない亡霊のときのしぃちゃん(和海しょう)と弟のギョームに対してにやりと嫌な笑みを浮かべながら理不尽な要求をするしぃちゃん、どちらもすごみがありました。
なんならフィナーレのときもちょっとゾッとしてしまったよ。私、しぃちゃんの群舞、好きなんだよね、だからつい見てしまうのだけれども、今回は背筋に悪寒が走ったわ。
笑っているときでさえゾクゾクした。
フィナーレでは、しぃちゃんとつかさくんの2人をたぶらかして登場(笑)。いいものを見ました。
つかさくんもいい役に巡り会えましたね。最近、渋めの男役ってあまりなかったから、ファンは嬉しいのではないでしょうか。

うららちゃん(春妃うらら)はクロエとの友人。ちょっと空気の読めない貴婦人という感じでしたね。『ジェントルライアー』のゆりちゃんと似たようなポジションですが、さすがにうららちゃんは演技でやっていたし、うまかった。
少年オクターヴの初音夢ちゃん、少女アンブルの湖春ひめ花ちゃんの2人は『元禄バロックロック』のツナヨシの小姓コンビ。今回も愛らしかったです。
特に夢ちゃんの方は芝居がうまいなと思いました。
剣術披露をしたのは夏希真斗くん。すごいな、こんな下級生なのにつかさくんと対等に戦ったのか。
復讐の女神(エリーニュス)たちの中ではみくりん(三空凛花)がよかったな。男役の芹尚英くんが入っているのも印象的だったし(剣術の「はじめ」の声のトーンが1回目と2回目が違うのがすばらしかった)(カメラをかかえているとルキーニを思い出してしまうw)、咲乃深音ちゃんの歌声も素晴らしかった。
このお役、とても印象深い役だわ。ああいう象徴的なお役が時折使用人になって現実の人々の中に混ざっているのもおもしろかった。人が足りないということもあるのだろうけれども、それくらい日常に近いところにおぞましいものがあると感じることができるから。
人生、何があるかわからない。どこで転落するかわからない。私たちの人生にもひょっこり顔を出すかもしれない。観劇できる日常がありがたい。

転落したのか、そもそも生まれたときから貧困だったのか、それは人それぞれですが、うらぶれた下宿屋はそれでも自ら命を絶とうと考えている人がいなさそうなのが救いでしょう。
亭主に旅立たれても後を追わず、残してくれた宿屋を経営し続けるルナール夫人。しかもまともに下宿代を払ってくれない人間もいるのだから大変だ。
組長(美風舞良)の歌声は相変わらずすばらしいし、舞台全体のコーラスの厚みや深みは彼女のおかげでしょう。
何を考えているかわからないヴァランタン(聖乃あすか)、元医学生のシルヴァン(侑輝大弥)、傘売りのバルテルミー(紅羽真希)、レースやリボンを売るアンヌ=マリー(凛乃しづか)、踊り子のテレーズ(朝葉ことの)彼らはみんな目の下のメイクが濃い。
貴族との対比もあるのでしょうが、単なる不衛生とはまた別の意味でなかなかに不気味でゾッとして良かったです。
ひろさん(一樹千尋)のジャコブはしゃべるたびに『桜嵐記』の後醍醐天皇を連想させましたが、こちらは貧しくはあるけれどもいい人で、かつてのオーギュストの主治医だったというのだから、やはり人間いつどこで転落するかわかりません。オーギュストにクビにされたことだけが原因で宿屋にいるわけではないと思いますが、裏を返せば屋敷の主治医でさえい続ければこんなところにはいなかったはずの人です。
それでも彼もまた今日を生きる、明日を生きることに疑問がない。自ら死を選ぼうとしている様子もなければ、誰かを恨んで殺そうとしているわけでもない。
それはかつてオーギュストを憎んでもどうにもならなかった、あるいは時間が解決してくれるということを人生の中で知ったからでしょう。大人だ。
下宿の中でヴァランタンやシルヴァンを「格好いい悪党」といって英雄扱いする子供はシャルル。美空真瑠くん。今回の拾い物でしたね。
娘役が大好きな私にしては珍しく男役に引き込まれました。
「号外だ!」ではなく「プティパリジャン!」と声をかけていましたね。新聞の名前でもありました。

衣装も別箱のわりに新しいものが多くて白黒プラスワンカラーのマーブルの布地が沢山使われていて印象的でした。これこそまさに「本当のことなんて誰にもわからない」という象徴のような柄ですね。
楽曲も良くて、冒頭の「悲しみの終わりはどこ〜罪の始まりはどこ〜♪」も宿屋の住人紹介ソングも「この男と同じときこう笑えていただろうか」もギョームとクロエのデュエットも良かったなあ。
脚本もそうですが、全体の仕上がりがまだ2作目だとは思えないよ、指田先生……っ! これから期待大ですね。
プログラムでは「パリ」と「巴里」が使い分けられていて、前者は土地を指し、後者はオクターヴの心象風景ではないかという意見をツイッターで見かけました。こんなところまで芸が細かいんだな、指田先生。ありがたい。感謝の合掌。
芝居では精神的に大人な姉と甘えた弟という設定でしたが、フィナーレのデュエダンはさすがにひとこがグンと大人になってきましたね。
もしかしたら数年後のしっかりしたオクターヴだったのかもしれません。よかったなあ。将来こうなっているだろうオクターヴとアンブルの姿を見ることができたのも希望でした。
フィナーレの娘役のお衣装もよかったな。深紅のベルベット。髪飾りもみんな素敵だった。
さきちゃんを連れてくるのがらいとなのは、おお?どいうポジション?と思ったけれども、単なる番手の関係かな……。

キャラクターとしては本当にロクなやつが出てこないのだけど、でもどれも愛しく思えるのは脚本家の力でしょう。人間の残念な姿、ダメな姿も愛おしいと考える人間としての器がでかいぜ、指田先生……こういう姿勢を見習った方がいい演出家の先生、いますよね?
別に全員にこういう暗い話を作ってほしいわけではないし、暗い話なら感動するわけでもないのですが、人類への愛情が不足しているから、恋に落ちた時にキラリンとか効果音を入れちゃうし、外国人設定のキャラにはカタコトで喋らせちゃうし。頼むよ、ホント。

外部『カーテンズ』感想

外部公演

www.curtains-musical2022.jp

『カーテンズ』
脚本/ルパート・ホームズ
作曲/ジョン・カンダ―
作詞/フレッド・エッブ
原作/ピーター・ストーン
追加歌詞/ジョン・カンダー&ルパート・ホームズ
演出/城田優

いかんせん席が悪かった……すぐ前は空席だったのですが、もう一つ前がこれまた座高の高い男性の方で、しかも隣の女性とオペラグラスを共有しているのか、しょっちゅう頭が横に動くし、椅子が小さいのか、観劇中も座り直すものだから上半身がよく動いて、これはとても……見にくかった……地味にストレスでした。
ついでにいえば右後ろのおじさんのいびきと左後ろのおばさんたちの話し声も勘弁してほしかったし、左隣のふくよかなおばさん集団たちは椅子へのおさまりが悪いのか、荷物がはみだしてくるし、もうなんだかもう。
久しぶりに外部公演を見に行ったのですが、チケット代をけちってB席にしたために客層が悪かったのでしょう。ちょっと集中できなかったな。
宝塚にももちろんマナーの悪い客はいますが、気になるのは、携帯電話やスマートフォン関連とコロナ期間になってからの幕間のおしゃべりくらいで、さすがにここまでひどいことは珍しいかな、と。
もっとも劇場もよくなくて、座席前通路がとても狭い上に、席が小さい。宝塚の大劇場が快適すぎるんだよな。東京、てめぇはダメだ。

芝居自体はおもしろいのでしょうけれども、個人的に一番盛り上がったのは、城田がアドリブで『エリザベート』の「闇が広がる」の「闇が広がる~人は何も見えない~♪」を歌ったときに、あさこ(瀬奈じゅん)が続けて「誰かが叫ぶ~♪」を続けて歌ったところです。
毎回違うのか、それともこういうお決まりなのかはわかりませんが、とにかくここが一番テンションが上がったのですが、でもそれじゃダメでしょう。中の人ネタ、あるいは時事ネタでしか盛り上がれないのは脚本が弱い証拠だと思います。時代や役者に左右されないで笑うことができる会話を描くのが脚本家の真骨頂でしょう。

芝居の縦軸である殺人事件も、3人殺された中で、犯人が1人ではない、しかも共犯でもない、というのはおもしろかったと思うのですが、メインの殺人犯が外部の人間というのは、ミステリーとしてちょっとずるいような気もしました。
だからこそ、共犯ではないもう1人の犯人がいるとわかったときはわくわくしましたし、こちらが本編なのでしょう。
殺人動機も最初に明かされる犯人の動機がくだらなすぎて、ミステリとしてはどうしようもないのですが、2人目の犯人の動機はしっかりしていて、納得しかねぇ……と思ってしまった。
ミステリーオタクではないので、ミステリーの質が高いのかどうかはよくわからないのですが、共犯でない内部の犯人げもう1人いるという設定は本当におもしろかったです。クリスティに似たような話があるのかな。

城田優は演出兼主演というポジションですが、これって意外と難しいと思うんですよね。
私は、少なくとも芝居に関しては、演出と出演者は完全に別の方がいいと思っています。映画はカメラを通して観客と同じ視点で役者の自分を演出家の自分が客観的に見ることができますが、演劇はそれができないからな。
鏡はあっても、それは観客と同じ視点にはなり得ませんし、役者と演出家に求められるものは違うから、どちらもできる人がいるのはわかるけれども、どちらも同時にできる人は希有でしょう。
チョフィという役は誰が演じても楽しいおもしろい役でしょう。城田が演じたからおもしろい!というポイントは特になかったのは残念。

女の子役のニキやバンビの芝居の中のポジションはおもしろかったのですが、役者が二人ともいまいちだったかな……演劇界はもう安直に坂道アイドルを演劇役者にするのはいかがなものかと。チケットはそれで売れるのでしょうけれども、チケットが売れればいいという問題ではないでしょう。
バンビの役の子もずっと怒っている、怒鳴っている印象があって、ダンスはうまいのだけれども、芝居にメリハリがないというか……ラスト、ボビーに手を貸すところは脚本としては唐突でしたが、演技はよかったかな。

とはいえ、大御所の安定感は抜群でした。カルメン役の原田薫、アーロン役の岸祐二、そしてなんといってもジョージア役のあさこですよ!
あさこのジェシカ、本当によかった。圧倒的な存在感。あれじゃ、劇中劇の中でもニキはかすむだろうに……。
彼女のスター性が非常に輝いていました。すばらしい。
もはや彼女のことしか覚えていないレベル。芝居としてそれでいいかどうかは、また別の問題でしょう。

プログラムは、メインキャストは長めのコメントが、アンサンブルキャストについては「出演にむけてのコメント」「好きなナンバーやシーン」「一番好きなミュージカル」の3つの質問に答える形でコメントが掲載されていましたが、メインキャストにもこの3つの質問は聞いてやれよ、と思いました。
そしてあんまり文章がうまくない人もいるので()、形式をそろえたほうが、そこはごまかせたのではないかなと思います。まあ、そういう人はタカラジェンヌにもいるけどね。
あとプログラムが2000円なのは外部公演としては普通なのでしょうが、トートバックがそれよりも安い1500円だったのは笑いました。公演グッズとして、ステーショナリー系以外で、プログラムよりも安いものがあっていいのかどうか。このあたりは完全に宝塚に飼い慣らされているだけかもしれませんが。

外部公演を見たときに「これ、宝塚ならどうなるかな」というのは、あんまり考えないのですが、今回はわりと積極的に考えちゃいました。やはり少し物足りなかったのでしょうか。
上演するなら宙組かな。チョフィが真風涼帆、ニキが潤花、ボビーが芹香斗亜、別箱だったら桜木みなとでもいけるでしょう。カルメンは専科から五峰亜季にきてもらいたいところです。
ジョージア役が悩むところですが、本当に宙組に今、お姉さん娘役が不足しているんだなと実感して、別の意味でしんみりしてしまいました。

花組『冬霞の巴里』のマチネ公演を見たあと、こちらの芝居に駆け付けたのも、タイミングとしては微妙だったかもしれません。前者が震えるようなゾクゾク復讐劇に対して、こちらはブロードウェイが原作のサスペンスコメディミュージカルでしたから、温度差で風邪をひきそうでした(笑)。
翌日は大千秋楽、チケットが余っているようだったのが気がかりですが、無事に終わったみたいで良かったです。